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02 ミスルトー
しおりを挟む不意に背後から、カラコロと低いドアベルの音がした。
「ういーっす、ウラさま」
「こんばんは加川さん、今日はお早いですね」
「そりゃ世間はクリスマスだからねぇ、独り身のおっさんには居場所がなくて」
「そうですか、うちもクリスマスをやってますよ」
そう言ってマスターが指差した天井の間接照明を見た男性は、おお、と感心したような声をあげた。
あの木の枝の束にはどんな意味が?と語ってくれるのを期待して、おれはそちらに耳を傾けた。
「これって……ココで良いってこと?」
「相手の方次第ですね、ごゆっくりどうぞ」
お互いに説明しなくても理解している、という会話をマスターとしている男性は、緑のポロシャツの上に深緑のドカジャンを羽織っていた。
緑が好きだと仮定しておく男性の背は高くないけれど、どこにでもいそうな普通の人に見えた。
薄暗い店内の明かりで見て、四十代くらいか。
どうやら男性は木の枝の意味を知っているらしい。
普段、他の客がいない時間ばかり選んでいるおれが、会話に割り込むべきじゃないな、と手元のロックグラスを揺らして、中でもやもやと揺れるアルコールを見ていると、ふと視界に影が差した。
右側を見上げると、緑色の男が立っていた。
「ここ、座っていいか?」
「……」
おれ以外に客がいないのに、どうして?というのは声にならなかった。
「忙しいマスターに相手させんの悪いだろ、でも一人は寂しいってことで、一杯おごるから隣良いだろ?な?」
随分と馴れ馴れしいおっさんだな、と思いつつ、仕事用の笑顔を浮かべる。
妹曰く(完璧に作り物の)御仏の微笑ってやつだ。
「隣に座るのは構いませんが、わたしは口下手ですよ」
外用の顔で「話す気はない」と牽制したけれど、おっさんは両目が少し離れた魚類系の顔を笑み崩れさせ、どっかりとおれの右側のスツールに陣取った。
「ありがとよ、おれは加川、加える川でカガワ、たいていガワさんって呼ばれる」
「……」
おかしいな、会話する気がないと伝わってないのだろうか。
あからさまに無視するのも悪いだろうか、とマスターに助けを求めて視線を向けたけれど、機嫌が良さそうなマスターは、どことなく上の空で助けてくれそうにない。
「ウラさまは、早く家に帰りたくて仕方ねえみたいだな」
「……ウラさま?」
「そこに食いつくのか?って、あんたもこの店に結構通ってんじゃねえの?
あれ、もしかしてなんも知らん人?」
「……」
どういう意味だ?と思っているおれの手を、加川と名乗ったおっさんが掴んだ。
触れた硬い指先が氷のように冷たくて、背筋をゾクゾクとした寒気が通り過ぎる。
い、今の悪寒はなんだ?
「あれが何か知ってるか?」
指さされたのは、ほとんど真上の間接照明にぶら下がる、木の枝の束。
「……ミスルトーですよね」
「なんだ、知ってるなら……ええ!?それじゃ俺が気に食わねえってこと?」
「知り合って数分ですよ、気に食わないも何もありません」
「そっか、じゃあこっちこっち」
思った以上に強い力に引きずられるように、スツールから腰を上げる。
半歩にも満たない距離を進んで、間接照明の下に立たされると、なぜか両肩をおっさんの手で押さえられた。
「はい、ここ立って」
「?」
頭上の枝を見上げていた顔を下ろしたと同時に、むに、と柔らかい感触が唇に触れた。
「…………っっ!?!?」
たっぷりと呼吸が苦しくなるまで硬直し、目の前で、至近距離でぼやけているのがおっさんの顔だと気がつくと同時に、後ろに下がろうとして足をもつれさせてしまい、尻餅をついた。
「メリークリスマス!」
「な、な、ななんのつもりだ!!」
ニィッと笑うおっさんが、おれにキスをしてきたのだと気がついた時には、怒鳴っていた。
「えー?舌を突っ込んで欲しかったのか?」
「違うっ!お、男同士だろ!!」
慌ててそう言うおれを、おかしなモノを見るような顔で見たおっさんは、ウラさん……さま?と呼んだマスターを振り返る。
マスターが気がついたように顔を向けて、おっさんに「加川さん、その方は一般客ですよ」と告げた。
一般客ってどういう意味だ?
VIPじゃないってことか?
「……あー、わりぃ、クリスマスに一人でいたくなくて、一晩の相手を探してんのかと思っちまった、ほんとわりぃな」
おっさんは途端に両方の眉尻を下げ、おれに手を差し出してきた。
渋々とその手にすがって立ち上がったものの、このまま店を出て帰るには早すぎる。
今から帰ったら、家にいても居場所がないどころか「年始の準備があるのに酒なんか飲んで!」と母親の説教を長々と受けることになる。
「今のは、なんだったんだ?」
帰りたくないから、今の出来事を水に流してもう少し店にいるしかない、とさりげなく聞いてみると、おっさんは魚のように目をまん丸に開いた。
仕事柄もあり初対面の相手には丁寧な口調を意識しているのに、怒鳴った後で敬語に戻したらおかしくないだろうか?と悩んで、敬語を使うのは諦めた。
「あれ、ミスルトーのことは知ってんだろ?」
「さっきマスターに聞いたけど、ミスルトーってなんだ?」
「本気か、うわ、本当に悪いことしたな」
おっさんと一緒にカウンターに戻って、少し薄まってしまったウィスキーを傾ける。
太い指が差している頭上の枝の束を見ながら、おっさんの言葉を待った。
「まずな、あれはクリスマスのミスルトー、つまりヤドリギだ」
「ヤドリギ?」
「聞いたことねえか?クリスマスには、気になる相手にヤドリギの下でキスをしていいんだよ」
「……聞いたことない」
「さらにな、ここは、基本的に男の同性愛者が客層に多い」
「!?……それは、知りたくなかった」
いつも開店してすぐに来て、客が増える前には帰るようにしているから、気がつかなかった。
まさかのあれだ、あの、ホモ御用達って店なのか?
一晩の相手を求めて男が集まる?
何だそれ、ありえない。
居心地が良くて気に入ってたのに、これから来れないじゃないか。
「あんたノンケなんだな?」
「のんけ?」
「あー、んー、つまり、女が好きってやつだ」
「……多分」
「たぶん?なんだそりゃ、はっきりしねぇなぁ」
過去に恋人がいたことはあるけど、経験はない。
家業をどれだけ手伝っても、恋人と一緒にホテルに入れるだけの小遣いをもらったことなんてなかった。
金はないし自分の部屋もない。
実家暮らしの彼女の部屋でことに及ぶ機会もなくて、気がつけば恋人関係が自然消滅していた。
最近は、このまま未経験で三十路に突入しそうな気がしている。
今のおれがバーで飲める金を持っているのは、妹が「給料くらい払ってよ!」と騒いだからだ。
どこで調べてきたのか、最低賃金だの、家の払ってる税金や、所得だのをご丁寧に並べ立てて、母親に書類を突きつけて交渉をした妹は、本当にタフだと思う。
将来は母親みたいになりそうだ。
二十三歳の独身自営業?男性が、家賃、電気ガス水道、食費に税金の全てを差っ引かれた後の残りで、月に三万円は多いのか少ないのかは不明だ。
「まあ、クリスマスに一人で飲んでる時点で、察してほしい」
「そりゃそうか、ま、呑め呑め、呑んでヤなことは忘れちまえ」
「そうするよ」
それから、おっさんが「守ってやるよ」と訳のわからないことを言うので、首を傾げながらグラスを傾けていたら、店に入って来た客が、なぜかおれの方へ寄ってくることに気がついた。
クリスマスだからなのか、普段よりも客の入りが早い気がした。
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