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20 親子
しおりを挟む里を初めて出た若い河童が、山で食べ物を得られるわけがなくて、飢えと渇きに苦しみながら、十日ほどかけて、ジョーは山腹に広がる腐った池にたどり着く。
元は綺麗な水を湛えていたのだろう池は、どろりとした藻や腐った葉に覆われ、腐臭を漂わせていた。
池の周囲には枯れた草や木の朽ち果てた末がうず高く積もり、その中にいくつもの、小屋の残骸のようなものが見えた。
「……」
衝動的に里を飛び出したものの、本当は捨てられた子かもしれない、生まれを辿ってなんになる?と自問自答していたジョーは、思いもしなかった光景に言葉をなくした。
ここが、自分の生まれた河童の里なのか?と。
「ナンモンダぁ?」
おぞましい声が周囲に響き、どろりと濁った池、いいや今では腐り沼が水面を揺らした。
「ココハオラがイエダぁデテケェっっ!!」
「っっ!?」
沼に潜む何者かの姿は見えなくても、敵わないと察して逃げ出して、そのまま転がるように山を降りたという。
周囲の山を巡ったものの同じような池も水源もなく、逃げ出した里に戻ることもできずに、各地を転々としたものの、清らかな水源には必ず住人がいる。
ジョーは山の上の水源に近い池に住んでいた種だからなのか、下流の濁った水では体調を崩してしまって暮らせなかったという。
里を出てから、水源に近い水を得ている間は、病弱だと思っていた体調がよくなったと。
あの朽ち果てた池が自分の生まれた場所だ、と確信を得たのは、歩いていける周囲の山をさまよい尽くしてから。
本当の親か里の誰かが自分を捨てたのか。
自分を除いて全滅したのか。
生きている理由も、薬を作るという力の使い方も教えてくれる者がいないので分からないまま、ジョーはひたすらさまよって暮らしていた。
そして山を三つ越えた先で、広く水の脈を治めている白蛇の大妖に出会った。
食われそうになっているのに、全く抗わないジョーを面白いと思った、と白蛇はジョーを解放して、話を聞いてくれたという。
そして、いくら河童とはいえ、自分で泳げないような赤子が、下流まで溺れずにたどり着けるはずがないだろう、と長年の悩みを笑い飛ばされた。
おそらくだが、里の河童たちが総出で池から逃げる途中で、(溺れないように浮き袋をつけさせた)赤子を取り落としたのだろう、と。
いくら河童でも土地勘のない川を、たった一人で下っては仲間の元に戻れなくなるから、苦渋の決断で見捨てたのだろうな、と言われたジョーは、目の前に立ち込めていた暗雲が初めて晴れたのだと笑う。
白蛇は、ジョーが眷属になって働くのなら薬の作り方を教えてやろうと言い、何も持っていなかったジョーは眷属になり、今に至る……。
「ジョーが生きてるのは、望まれたからなんだな」
「おう、それを知った時は嬉しかったが、同時に思ったよ、これからも一人で生きるのか?ってな」
今では家族がいるのかすら分からないからな、と呟くジョーの横顔が寂しそうで、初めておれから手を伸ばした。
筋肉質で分厚くて硬い体を抱きしめて、太い首筋に鼻先を寄せた。
体内で薬を作ることができるからなのか、ジョーの体臭にはミントのような爽やかさがある。
「……おれがいるだろ、そんなこと言うなよ」
ためらって悩んで、そして口にした。
ジョーの正確な年齢は本人もよく分からないらしいけれど、ずっと家族を望んでいて、おれを初めての家族にと選んだ。
正直に言って、今でもおれはジョーを利用しているような気がしている。
寺を継ぐまでの逃避行先として、ここにいるような気がしている。
男が子供を産むとか、悪夢だと思う。
……それでも古今東西、腹以外から人?が生まれ出た話は多い。
日本の昔話だって桃や瓜や竹など植物から生まれたり、捏ねた垢の塊が動き出したり。
お釈迦様、瞿曇悉達多だって、母親の右脇から生まれたのだから、男だって子供を産めるに違いない。
そう考えて、腹に力を込めた。
「今は無理だけど、そのうち、その気になったら言う、からっ」
子供とか、今は考えられないって……なんか結婚から逃げたがる男の言い訳のようだな。
そんなことを思いながら抱きしめていたら、ジョーが体を震わせた。
「ありがとうな、シゲ」
とても嬉しそうに困ったように微笑む顔を見て、胸の奥がどきりと音を立てた。
おっさんなのに、格好良くないのに。
それからの生活は、とても平凡で普通で、何物にも変えがたい日々だった。
毎朝、どうしてもおれを送ると言い張るジョーに、早朝の日課に間に合うように寺まで送ってもらい、精進、雑務や清掃など多岐にわたる事を片付けて一日を過ごす。
夕方に迎えに来たジョーと一緒に帰る。
ジョーの休みに合わせて、休みを取らせてもらっているので、前よりも働く時間は減っている。
そして、弟がただの引きこもりでなかったことを知った。
どうしても引き継いでおかないと困る雑務があって追い掛け回したら、泣き叫ばれたのだ。
「化け物に匂い付けされてるんだから近寄るな!臭いんだよ!」と。
寺務所内に偶然いて、それを聞いていた母親が突然立ち上がり、弟を拳で殴って大騒ぎになった。
いつも弟に甘い母親が手を上げた、しかも平手でなく拳で殴ったことに、おれは呆然としてしまった。
母親と弟を引き離して落ち着くまでが大変だったけれど、ジョーの職場に連絡をして、その日は実家に泊まることになった。
夕食の後、父親がおれに晩酌を勧めてきたので、二人で日本酒を傾けながら話をした。
うちの母親は、生まれつき人でない存在を見抜けるのだと言う。
気が強いからなのか、見抜けるだけでなく、弱い存在なら追い払うこともできる。
しかし見えている存在が弱く見えても、無力かは対峙してみないと分からないので、その力を外に広めることは危険だと考えて、秘密にしていると。
弟は、それを受け継いでいる。
それも母以上に見え、匂いや音まで拾ってしまうらしく、それらの存在が怖くて仕方がないらしい。
その手の超常の力を持っていない父親にとって、弟の恐怖心は納得はしてもどうにも理解できない事なので、弟が引きこもりになるのも仕方ないと受け入れていたと言う。
母が弟を気にかけるのも、恐怖心から突飛な行動に走らないように、だと。
おれは父親に似たのか、何も感じない。
妹は、見ることはできないけれど、なんとなく感じることはできるらしい。
見えてしまう弟にとっては、ジョーの魔羅を受け入れているおれが、バケモンに見えているのかもしれない。
そして、母親はおれを一番心配していたのだと言う。
父親は何の力も持っていないはずなのに、子供の頃からおかしな体験を多くしてきたのだと、酔いで顔を赤くして笑った。
幼い頃から、誰にもらったのか分からない草まんじゅうを持って帰ったり、冬なのに夏祭りに行ったと言い張ったり。
二日三日帰らないことも、片手では足りないほど経験しているという。
今の父親は見抜ける母親が一緒に暮らしていることと、一人でどこかに行かないようにすることで、おかしなことに巻き込まれないで過ごせている。
母の尻に敷かれていたのではなく、あえてそうしているのだと笑う父が、初めて怖いと思った。
何を考えているのか分からなくて。
おれは父譲りの巻き込まれ体質を受け継いでいるようで、小さな頃から、不思議なことに巻き込まれまくっていたらしい。
全く覚えていないのは、母が常に目を光らせて、本当に不味い存在を追い払っていたからだと。
親の手が離れる年齢になってしまえば、おかしなものに連れさらわれるのではないか、と恐れた母親は、おれを手元に置こうとして……おれはそれを息苦しく感じていた。
常に母親に支配されているような生き苦しさは、ある意味ではあっていたのだ。
それでもそれが、子を心配する母親の愛情だったのだと、初めて知った。
「心配していた?って、今は?」
「んー、初めはどうかと思ったけど、加川さん強いから」
私たちが死んだ後も茂一を守ってくれるんじゃないか、って話し合ったんだよ、と苦笑いをする父親の姿に、胸の奥が痛んだ。
親の心子知らずとは、よく言ったものだ。
一度、視点を変えることができれば、おれの周囲は、おれに優しかった。
おれは今日のこの日知ったことを、絶対に忘れない。
花冷えの中で、蕾を膨らませている木々の枝を窓の外に見ながら、そう誓った。
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