神龍の愛し子と呼ばれた少年の最後の神聖魔法

榛玻璃

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第三部 白龍の神殿が落ちる日

未来を拓く剣

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 真っ暗な闇の中をたゆたっているような感覚だった。身体の感覚はなく、目を開けているのか閉じているのかも定かではない。それでも何かに引き寄せられるように意識が覚醒していく。

 アルバートは瞼をゆっくりと持ち上げた。しかし、目の前に広がるのは一寸先すら見通せないほどの真っ暗な空間だけで何も見えない。それなのに自分自身の身体だけはしっかりと視認できた。

「ここは……」

 彼は自分の頬を軽く叩いてみる。痛みはない。
 少し強めに腕をつねってみる。やはり痛みはなかった。

「夢……なのか」

 彼はそう呟いて、もう一度腕をつねるが、やはり痛みはなかった。きっとカイルに殴られて意識を失ったのだろうと結論付ける。それならばここは夢の中なのだろうか。

 もしこれが夢で、意識を失ってしまったのだとしたら、この夢から醒めたら自分とティーアはどうなっているのだろう。ハデスはもう二度と優しく笑ってくれないのだろうか。

 そんな考えが頭を過ぎってアルバートは自嘲した。

 魔族の側に付くと宣言したようなものだ。自分はもう、ハデスに愛される資格もないのだ。
 そう考えてしまった瞬間、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

 これは夢だとわかっているはずなのに、どうしてこんなにも苦しいのだろうか。そんな現実、見たくも考えたくもない。

「このまま、醒めなければいいんだ……」

 彼はその場に崩れ落ちると膝を抱えて丸くなり、両手で耳を塞いで目を閉じた。目の奥で、神殿で過ごした日々が走馬灯のように思い浮かぶ。

 ハデスに神聖魔法を教えてもらった、ティーアと一緒にお菓子を食べた、カイルやセリアに頼りにされて……楽しかった様々な記憶が頭の中を駆け巡っていく。それにつれて呼吸が乱れていくのがわかった。アルバートは必死に呼吸を整えようと深く息を吸うが上手くいかない。今まで当たり前にあったものが、全部失われる。それを選んだのは自分であったけれど、後悔なんてするはずないけど、失うものの大きさに今更ながら恐怖する。

「怖いよ……誰か助けて……」

 苦しみから逃れようと必死に呼吸を繰り返すが、その行為はかえって息苦しさを増すばかりだった。額に冷たい汗が浮かんでくるのがわかる。体が小刻みに震え出して止まらない。

 心が押し潰されそうで涙が止まらなかった。どれだけ助けを求めても、謝罪を口にしても、泣き叫んだところで、この先の未来において彼を救ってくれる者はどこにもいないのだ。庇護される道を選ばなかったから、手を差し伸べてくれる存在は、もうどこにもいないのだ。この世のどこにさえも。

「ああ……うぁぁ……」

 嗚咽が漏れ、固く閉じた目からは涙が零れ落ちた。最初は押し殺していた嗚咽だったが、涙が溢れると堰を切ったように嗚咽も大きくなった。

 彼は年相応の幼い子供のように泣きじゃくった。
 暗闇の中で、ただ一人声を立てて泣き続けた。

 ◆

 どれだけ時間が過ぎただろうか。
 不意に足音が聞こえてきた気がして、アルバートは顔を上げた。

 足音はコツコツと音を響かせながら徐々に近づいてきているようだった。彼はとりあえず身を隠そうと思い、隠れられそうなところを探したが、暗闇に覆われた世界では身を隠せるところは皆無だった。

 そうしているうちに、最初は小さかった足音がいつの間にか大きくなっていた。闇が深くて姿形は見えないが、足音の主はすぐ近くにいるようだった。

「……だれ?」

 意を決して暗闇の中を睨みつける。もし施されたあの痛みの続きだったら――脳裏をよぎった可能性にアルバートは恐怖で身を震わせる。

「こっち……こないで」

 喉の奥から絞り出した声音はみっともないほど震えていた。アルバートは足音から離れるように後ずさる。

 やがて、暗闇から人影が見えてきた。金色の瞳と長い銀髪。魔法使いのようなローブを身につけたその人物は、アルバートがよく知っている人物だった。

「リオ……ル」

「やあ。遅くなってごめんね、神殿の中には流石の僕でも入れないからね。精神に直接干渉させてもらったんだ」

 リオルはアルバートの前で膝をつくと、アルバートと目線を合わせ、彼の頭に手を触れてきた。

 殴られる――咄嗟にそう思って目を閉じた。しかしいくら待っても殴られる痛みも衝撃も訪れない。代わりに優しく撫でられるような感覚があった。

 敵のはずなのに、その優しい手付きに心が解れていくような気持ちになる。いつの間にか涙が止まっていることに気が付いた。先ほどまで彼を支配していた恐怖も震えも、荒ぶっていた感情さえ、リオルの手のひらの中に飲み込まれてしまったように落ち着きを取り戻している。

「周りに浮かぶ光は見える?」

 リオルに問われ、アルバートは恐る恐る目を開けた。そして周囲を見渡してみれば、確かに彼の言うとおり、暗闇の世界で光る何かが無数に浮いていた。
 それは星屑のような煌めきを放つ光だった。

「……これは……?」

 視界に映ってきた無数の小さな光の美しさに思わず見惚れてしまう。
 目に映っている光は緑が多かったが、それだけでなく、赤や青、黄色といった様々な色を帯びていた。無数の光が暗闇を明るく照らし出す。色は混ざり合い、暗闇を真っ白な世界に塗り替えていく。

「精霊と呼ばれ、万物の根源をなすもの。すべての事象の発生源だ。人間と精霊には相性があり、相性の良い属性の精霊しか視認することは叶わない」

「精霊……」

 ソルニアが使って見せてくれた魔法を思い出す。水玉で神龍のアートを飾り付けてくれた、あの魔法の根源だ。
 リオルは立ち上がると、虚空を踊る精霊たちを眺めた。

「さっき、精霊との回路を繋いだ。彼らに思念を送れば、思い描いた事象を具現化してくれると思うよ。それが精霊魔法というもので、精霊たちの力を借りて魔法を使うことができるんだ」

「精霊魔法は術者との相性に左右されるから、普通の人には使えないって聞いた」

 その言葉に、アルバートは手のひらを上に向けて空に浮かぶ光を掴もうとした。しかし光はするりと手の隙間を抜けていった。リオルはその様子を見てクスクスと笑い声を漏らした。

「うん、相性は先天性のものだけど、後天的に使えるようになることだってできるのさ。これは僕が魔族の仲間入りしてからの研究成果だから、ソルニアは知らないだろうね。アルならきっと彼らと深く同調できる。彼らは、君が自分の未来を切り拓くための剣だ」

「ソルニア様を知っているんだ」

「彼は僕の兄弟子に当たるよ」

 ふうん、と適当に返しながら、アルバートは顔を上げて精霊たちを見つめる。煌めく光はまるで宝石のように美しい。幻想的な光景に目を奪われる。それはまさに神聖魔法の輝きと同じように美しかった。

「それで、今日はやけに親切なんだな。お前の目的は何?」

 リオルに対して基本的に不快な想いをした記憶しかないアルバートは、警戒心を露わにして睨んだ。しかしリオルは愉快そうに笑い、まるで獲物を見つけた蛇のような視線を向ける。

「簡単さ。宿命の子がこの世界の何を変えるのかを見たいんだ。彼らは時代の節目に現れて変革をもたらす存在。世界の理にアクセスして不可能を可能にする存在だ。僕の師匠が近代魔法体系を築き、不可能とされた人界での魔法の普及を実現させたように、君もきっと何かを変える」

 リオルは目を細めて微笑んだ。その笑みにはどこか含みがあるように見えたが、アルバートにはリオルの考えていることは読めなかった。

「さあ、取引だ、アル。約束通り、ティーアの眷属化を解いてあげる。でも雪華の髪飾りに込められたマナはシュカに盗られてしまったから、アルにはもう一度マナを込めて欲しいな。それが条件。大丈夫、アルなら死ぬ気でやれば一週間くらいで終わるよ。ティーアと一緒に僕らとおいで」

 リオルは優しく微笑んだ。その笑みは慈愛に満ちたものだったが、アルバートにはそれがとても歪なものであるように感じられた。
 アルバートは頷くしかなかった。
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