神龍の愛し子と呼ばれた少年の最後の神聖魔法

榛玻璃

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第三部 白龍の神殿が落ちる日

救いの手

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「きゃっ」

 ティーアが悲鳴を上げる。ロゼッタは構わず剣を振り下ろす。障壁は音を立てて砕け散り、破片が床に飛び散った。

 そしてそのままの勢いでティーアに向けて剣を構えると、喉元に向かって突き立てるかのように振り下ろした。

「あなたがいなければ、アルが道を踏み外すことはなくなるの。だから悪く思わないでね」

 ロゼッタの目にはティーアに対する情など一片もなかった。彼女はティーアを本気で殺そうとしているのだと、その場にいる誰もが悟った。

「やめろっ」

 アルバートは咄嗟に叫んでいた。しかしロゼッタがその声に従うことはなかった。
 頭の中が真っ白になる。ティーアの叫び声がどこか遠く聞こえる。
 剣先が彼女の喉元に届くまで、まるで時の流れが遅くなったかのように感じられた。

(だれか……)

 縛られた身体を動かすと、カイルの大きな手が押さえつけてきた。
 その乱暴な手は、簡単にアルバートの抵抗を封じ込めてしまう。

 救いを求めて、少し離れたところに立っているハデスを見た。
 しかし彼は無表情で、カイルを止めるわけでもなく、ロゼッタを止めるわけでもなく、ただじっとティーアを眺めていた。その目に感情はなく、まるで人形のようだ。

 これはハデスと神殿の総意なのだ。心臓が早鐘を打つように激しく打ち鳴らされ、全身が氷水に浸かったかのように冷たくなっていくのを感じた。息が浅くなる。冷や汗が頬を伝うのがわかった。

(誰かたすけて)

 でも、いったい何に救いを求めれば良いというのだろう?

 神殿に、ハデスに歯向かった。魔族と取引すると宣言した。その報いがこれだ。
 痛みと恐怖で心が支配されていくのを感じる。もう何も感じたくない。いっそこのまま死んでしまいたい……。絶望で心が塗りつぶされていく。涙が頬を伝い、床に落ちた。

「アル」

 その時、アルバートの名を呼ぶ声が聞こえた。聞いたことのない、甘い少年のような声音。
 声の主を探して周囲を見回すと、青い光がちらちらと舞っているのを見つけた。それが何なのか、意識を失っているときに、夢の中で聞いた気がしたが、彼は思い出すことができなかった。

 しかし、光を見つけたときにアルバートは直感していた。
 あの光は自分に手を差し伸べてくれる唯一の存在であると。

「お願いだ、助けてくれ!!」

 アルバートは光に向かって叫んだ。

 突然、広間の中に強い風が吹いた。その風によって部屋の窓がガタガタと激しい音を立てて開き、蝋燭の火が吹き消される。

 煌々と明るかった部屋が一瞬にして闇へと包み込まれる。そんな暗闇の中で、青く小さな光の球だけが無数に揺らめいているのをアルバートは見た。

 それはまるで空に瞬く星のようで、あるいは夜の海に煌めく星屑のようでもあった。
 だが、そんなものとは比べものにすらならないほど美しく、神秘的な光景だった。その青い光はまるで意思を持っているかのようにアルバートの周りを飛び回り、やがて彼の身体へと吸い込まれるように消えていく。

 その瞬間に感じたのは、圧倒的なまでの力と支配欲だった。

「な……なんだ?」

「これはなんだ!?」

 突然のことに神官たちは動揺し、口々に叫ぶ。窓から吹き込む風の勢いは増すばかりで、やがて立っていることすら難しい暴風と化して部屋の中を暴れまわった。アルバートは唇の端を吊り上げて命令する。

「吹き飛べ」

 その瞬間、暴風が止み、静寂が訪れた。そして次の瞬間、その場にいた全員が一斉に壁まで吹き飛ばされた。

 壁に叩きつけられた神官たちはそのまま床に崩れ落ちる。
 アルバートは立ち上がると、風を練り上げて作った刃で手足を縛っている縄を
 断ち切った。そして呆然としている神官たちを見やると、その手を掲げる。

「切り裂け」

 その言葉とともに神官たちに向かって手を振り下ろせば、風の刃は鋭い切れ味を持って襲いかかり、その身体を無慈悲に切り裂いた。

「うぎゃあぁぁ!」
「ぐああぁぁっ」

 神官たちは悲鳴を上げて床に転がり、のたうち回る。

「なにが……どうなって……」

 呆然と呟くハデスの声さえ吹き荒ぶ風の音にかき消されていく。そんな中でただ一人、アルバートだけが悠然と立っていた。

「あ……あぁ……なんだこれは……」

 風がやみ、生き残っていた神官の一人が顔を上げた。そして目に映った光景に絶句する。
 彼の視線の先には、何人ものが倒れていた。

 視線を上げるとアルバートが宙に浮いた状態で立っていた。見開かれた彼の瑠璃色の瞳は不思議な緑の輝きを帯びている。彼を取り巻く雰囲気はまるで別人のようだ。

「魔族だ……魔族の魔法だ!!あいつは魔族に魂を売ったんだ!!」

 神官の誰かが叫んだ。恐怖で顔が歪んでいる。その叫びに、神官たちの間に戦慄が走った。しかし、次の瞬間にはその人物は突風に煽られて神殿の外まで飛ばされてしまう。アルバートはその青い瞳で残った神官たちを睨みつけた。彼の目は氷のように冷たい光を宿して揺らめき、口元に浮かぶのは笑みだった。

「あははっあはははっっ」

 かざした彼の右手には青い光の粒子と風が収束して小さな渦を巻き始める。うねりが上がり、室内の空気を震わせた。

 手に収束させた風を神官たちに向かって放とうと、さらに風を練り上げた。密度を増した風は竜巻に近い渦を作っていく。

「吹き飛べ」

 アルバートは残忍な笑みを湛えて呟いた。その直後、竜巻のように激しい風の奔流が吹き荒れる。神官たちは抵抗する間もなく巻き込まれた。幾人もの悲鳴が上がるのを聞いて、彼はさらに気分を高揚させた。
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