神龍の愛し子と呼ばれた少年の最後の神聖魔法

榛玻璃

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第四部 最後の神聖魔法

馬車道

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 アルバート・グランディア。
 神童として名高い彼は、若干六歳にして神龍シュカより神聖魔法を授かり、神官としての最高峰の地位に登り詰めた天才である。
 彼の瑠璃色の瞳は神龍の愛し子であることを示す聖痕スティグマであり、万物からマナと呼ばれる力の源を生成する力を持つ。

 神聖魔法は、人間に対しては治癒の力を、魔族に対しては浄化の力を発揮する。
 特に浄化の力は、飛び回る虫を握り潰すくらい、一瞬で致命傷を負わせることが可能な威力である。圧倒的といっても過言ではない。
 魔族の侵攻から人界を守るために、神聖魔法の使い手の存在は切り札のごとき重要な存在となっていた、のだが……。

(まるで別人だな)

 馬車に揺られるその姿からは、かつて栄光は、もはや見る影もなかった。

 カイルは、片手で馬車の手綱を握りながら渡された書類にひと通り目を通す。しかしそこに書かれている彼の経歴は読む必要のないものだ。半月前までの彼がどれだけ生き生きとしていて、何故こうなったのか、目の前で見てきたのだから。

 カイルは自分の後ろで馬車に揺られる少年に目を向けた。

 馬車は御者台の後ろ部分が鋼鉄製の檻になっていて、中にはまだ十歳の少年が入れられている。
 彼の両手には無骨な鉄の枷がつけられていて、そこから伸びた鎖は御者台の後ろ部分にある鉄枷に繋がっている。
 彼の着ている服はぼろぼろで、袖口から覗く腕はや首は、骨と皮しかないほどに痩せていた。

 少年は何をするでもなく、檻に背を預け流れる景色を眺めているようだ。
 その顔からは一切の表情が抜け落ちてしまっていて、彼の瑠璃色の瞳は生気が無かった。空虚な瞳はぼんやりと虚空を漂っている。
 これが神童アルバート・グランディアの今の姿である。

「神官の地位を剥奪の上でダーハート教会で管理するって、ガキ相手に厳しすぎません?」

 カイルは隣に座る金髪の少女――ロゼッタに声をかける。
 職務上、アルバートをここまで追い込んだ一端はカイルにもあるとはいえ、それとこれとは話が別だ。まだ年若い少年の行く末を案じるくらいの優しさはある。

 アルバートは軽すぎると口にした判決であったが、カイルはそうは思わなかった。
 隣に座るロゼッタは、カイルの呟きに頷くが、その表情は冷徹だ。

「魔族に組みし、神殿に惨劇を迎え入れた。死んでないだけで十分慈悲よ」

「そんな大罪人の護送と監視に王女殿下自らが付くっていうのも不思議な話ですね」

「ソルニア様の依頼がなくたって、私は引き受けたわよ。今だって私はアルのことを嫌いになれないもの」

「初恋か~初々しいですね」

 そんな会話をしながら、馬車は山道を進んでいく。
 馬車で進む旅路は、騎士であるカイル達にとってはさほど苦痛ではなかったが、舗装されていない行路は揺れも激しく、長旅に不慣れな人間にとっては長時間乗っていると腰も尻も痛くなる。

 帝都を出発してからすでに三日は経過していた。大人でも堪える日数だ。
 檻の中の少年は大丈夫なのだろうかとカイルは彼の様子を伺うが、当の本人は一切微動だにすることもなく、ただただ空を眺めている。

 心ここにあらずといった雰囲気だ。
 あまりに身動きしないため、ふと、死んでいるんじゃないかと不安に駆られるが、上下する彼の胸が見えたので、一応生きてはいるようだった。

 馬車は進み、山の端から大きな建物が見えてくると、ロゼッタは声を上げて建物を指さした。

「――見えてきたわ!」

 坂を降れば正門はもう目の前だ。
 カイルは建物に目を向けて、そして目を細めた。山の端にかかる夕陽が目に沁みた。

「ねえカイル、少し休憩していかない?」
「休憩って……もう目の前ですよ」
「そうだけど……アルもお腹空いているんじゃない? 最後の晩餐になるのかもなんだし」
「ロゼッタ様が言うと、晩餐というよりただの悪魔への供物になる気がしますね」
「ちょっとどういう意味よ!?」
「いや、うん、独創的で素敵な食事でしたよ?」

 ロゼッタは頬を膨らませ、カイルの背中をばしばしと叩く。

「痛っ、ちょ……痛いですって!」

 そんな能天気な会話をしていると、後ろから腹の虫の鳴る音が聞こえてくる。
 二人は顔を見合わせて御者台から後ろを覗き込むと、自分の腹に手をやり恥ずかしそうに俯いているアルバートの姿があった。
 ロゼッタとカイルは顔を見合わせ、そして同時に笑い出した。
 アルバートは驚いたように二人を見上げる。

「なんだ、そういう顔もできるんじゃないか」
「あははっ、ごめんごめん。アルもちゃんと生きてるのよね。ちゃんと感情がまだあって、なんだか安心しちゃったわ」

 馬車が止まると、ロゼッタは御者台から降りてアルバートの傍に寄った。
 そして布袋に入れていたクッキーを取り出すと、格子の隙間から彼の口元に持っていく。

「ほら、口開けて。特別にクッキーをあげるわ。前に約束したでしょ?」
「って、ロゼッタ様それは――」
「カイルは黙ってなさい」

 ロゼッタはクッキーをアルバートの口元に押し付ける。
 見た目は普通。しかし、それが人智を超えた味であることをカイルは身をもって知っていた。

 しかし、事情を知らないアルバートは、口を結んで戸惑った表情を浮かべている。
 カイルが難色を示しているクッキーそのものというより、ロゼッタに食べさせてもらうという状況からくる恥ずかしさから抵抗しているようだった。
 とはいえ、口を開けない限りロゼッタは退かないだろう。
 カイルは赤く染まりだした空を見上げ、密かに彼の無事を祈った。

 やがてロゼッタの無言の圧に屈したアルバートは、渋々口を開いた。
 そして口に放り込まれたクッキーを咀嚼する。

「……」
「……おいしい?」

 アルバートは黙って咀嚼する。
 返事のないアルバートにロゼッタは少し不安になる。

「お、おいしくないの? ……って、ちょっとカイル。なんで目を逸らすのよ!」
「いや、その」

 ロゼッタがじろりと睨むと、カイルは目を泳がせる。
 辛かったのか、甘すぎたのか、はたまたありえないものが入っていたのか――アルバートの表情からは読み取れなかったが、想像するだけでも身の毛がよだつ。
 ロゼッタの手料理問題は、彼女の護衛として同行するたびに直面する重大案件であった。

「……あの、美味しかった……です」

 この旅路の中で初めて聞いた気がする彼の声は、どこか所在なさげで抑揚に欠けるものであった。本当に美味しかったのか、そうではないのかさえ真意は掴めない。
 ――が、真意はともかくとして、聞けると思わなかった彼の言葉に、ロゼッタは得意げな表情を浮かべる。

「ほんと!? じゃあもう一枚あげるわ!」
「いや、それは――むぐっ」

 拒否しようとしたところに容赦なくクッキーが放り込まれる。
 否応なくアルバートは口に入れられたものを咀嚼されられる。

「アル、無理するなよ……?」

 カイルが御者台から心配そうに覗き込んだ彼がそう言うと、横からロゼッタの平手が飛んできた。
 やがて馬車は再び動き出し、ゆっくりと山道を下っていく。
 目的地はもう目の前だった。
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