神龍の愛し子と呼ばれた少年の最後の神聖魔法

榛玻璃

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第四部 最後の神聖魔法

白亜の牢獄1

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 まるで水の中にいるような浮遊感の中でアルバートは目を覚ました。意識がまだぼんやりとしていて、霞がかっている。

(ここは……?確か俺は、ダーハート教会の地下牢に入れられたはず……)

 周囲を見回すが、そこは見覚えのない場所だった。壁も天井も見渡す限り真っ白な空間だ。床も壁も天井も境目は分からず、部屋の大きさも上下の感覚もわからない。

 ゆっくりと身体を起こすと、頭がくらくらとした。痛みはないが身体が重い。まるで自分のものではないかのような違和感がある。

 手足を動かすと、カチャリと金属の当たる音が響いた。音のしたほうに目を向けると、冷たく重い金属製の錠が嵌められ、両手と両足がそれぞれ縛められている。服はそのままだったが、靴と靴下は取り除かれていた。床と思われるところに素足をぺたりと付けたていたが、足元から伝わってくる感触はなかった。

 靴は大地の穢れから自身を守る鎧だ。それを取り除かれているということは、ここが神聖なる場所であることを意味しているのだろう。ハデスから教わった言葉を反芻させると、喉の奥から熱いものが込み上がってきた。

「ハデスさ……ま……」

 アルバートは泣きながらその名前を何度も呼んだ。しかし、誰も現れなかった。

 ◆

 どれだけの時間が経過したのだろう。

 アルバートはずっと丸くなって過ごした。ただひとつだけわかったことがあるとしたら、この白い世界は時間という概念の存在しない空間のようだった。食事も排泄も行わなくても死なないし、生理的欲求が湧いてくることもない。

 ただ無為に時間が過ぎ去っていくだけ。

 昼夜の区別はできず、時間の感覚はすぐに奪われた。終日真っ白な視界の中では規則正しい睡眠なんてできるはずもなく、睡眠のパターンが妨げられる。感じる臭いは何もなく、触覚も自分の肌に触れる以外の外的刺激は存在しない。無音の空間で響くのは自身を戒める鎖の金属音のみである。五感を奪われ生活パターンを狂わされたアルバートの精神が不安定になるのは、仕方ないことだった。

 時間感覚が失われていくのを恐れて、アルバートは数を数え始めた。それはただの恐怖の始まりであり、絶対をもたらすことも知らずに、無心になって数えた。

 初めは百まで数えた。それから二百、三百と数えて行くうちに、やがて千を超えた。しかしそこまでが限界だった。万の単位をアルバートは学んでいなかったのだ。それに一日や一時間が何秒であるのかも知らなかったから、結局何日、何時間経ったか知ることはできず、これがゴールのない監禁であることを突きつけられただけだった。

 終わりのない時間は、アルバートに狂ってしまいそうなほどの恐怖と孤独を与えた。同時にそれは耐え難いほどの絶望を生み出した。

 アルバートは膝を折ってまるで胎児のように丸くなった。手足を動かすと、カチャリと金属の擦れるが音を響いた。その音はアルバートの耳にも届き、彼は虚な眼差しで音のした方に目を向けた。両手足を拘束している足錠の鎖と手錠の鎖が当たった音だった。

(おと、だ……)

 手足の鎖をもう一度ぶつける。金属の奏でる音色は確かに響いていて、ほんの僅かに笑みが溢れた。音を聞くなんて何日ぶりだろうか。いや、五感を極限まで奪われたことにより今までよりも敏感になった感覚が、今まで何気なく聞いていた音を音として認識させたのだ。

 もう一度、今度は先ほどより強めに鎖をぶつける。ガシャンと大きな音が響き渡り、そして静寂に戻る。それを何度も続けた。音を立てることだけが彼に許された自由だった。究極に制限された環境で許される行動は、アルバートにまるで麻薬のような依存をもたらした。

 アルバートは夢中になって鎖を鳴らした。金属の擦れる音を聞くことが唯一の救いだと思った。彼は狂ったように動き続けた。

 しかし次第にその動きは緩慢になって行き、やがてぴたりと止まった。

「うぅ……ひっく……」

 金属の音以外に響く音はないのだ。金属音を聞いていると、次第に、他者の声も、誰かの生活音も、鳥の囀り声も風の音も聞こえないことを意識させられてしまう。

 アルバートは膝を抱いて泣いた。自分のすすり泣く声だけがその空間に響き渡っていた。泣き疲れて眠ってしまうまで、ずっと彼の声は響いていた。

 再び目を覚ました時、周囲は相変わらず白いままで、何の変化も無かった。時間感覚もとっくの昔に失われ、いつから眠っていたのかもわからなかった。夢を見た気がしたが、何も思い出すことはできなかった。それがなんだかとても淋しいような気がしたけれど、思い出そうとは思わなかった。

 目が覚めたアルバートを最初に支配したのは強い恐怖と衝動だった。

 目を開くと当たり前のように誰もいない白い世界が視界に飛び込んできて、言いしれない恐怖が込み上がってきたのだ。その恐怖を振り払うようにアルバートは暴れた。金属の錠がジャラジャラと音を立てるのも気にせずに両手足をばたつかせる。しかし両手も両足も鎖の許す範囲でしか動かすことは叶わず、足も腕も大きく広げることはできなかった。それが余計にアルバートのストレスを蓄積させた。自由にならない四肢の苛立ちをぶつけるかのように叫んだが、どれだけ声を張り上げようとも反響すらせず、外に届くことはなかった。

 なぜこんなことになったのか、自らに問いかけた。

 魔族と取引したのが罪だとハデスは言った。それの何が悪いというのか。そうしなければティーアは死んでいたというのに。

「わるくない……っ、俺は、間違ってない……!」

 アルバートは頭を振りながら、自分に言い聞かせるように繰り返した。

 あの時、神龍の愛し子として生きた六年間。その年月を否定されたような気がしたのだ。人のために、世界のために生きたつもりだった。言われたことに素直に従い、それが自分の為すべき事なのだと思って生きてきた。

 誰にも異を唱えることなく、ただ従ってきた人生だった。魔族の眷属となったティーアを救う、それはアルバートが初めて見つけた、神官としての使命だった。

 それを失ったら、アルバートにはもう何が残るのだろう。何のために自分は生きてきたのだろうと自問する。こんな仕打ちを受けるくらいなら、神のために生きる必要などなかったじゃないかと、そう思った。

(でも、精霊魔法でみんなとハデス様を傷つけて、殺した。それは許されないことだ……)

 彼は両手を胸元に寄せて握りしめた。まるでそこに何か大切なものが握られているかのようにして握りしめる姿は祈りの姿にも似ていた。

 どうすれば良かったのか。
 自問するが、答えは見つからない。彼の想いに言葉を返してくれる存在もいない。

 次第にアルバートは考えることを放棄していった。何も考えなければ、恐怖することもない。ただただ人形のように白い檻の中でただ息をしていた。

 何をするでもなく、ただそこに在るだけの日々が続いた。
 その地獄の終わりを――天命を迎えるその時を待ち続けた。

(……あ、)

 天命っていつなのだろう。

 アルバートはふと考える。思考するという行為は一体いつぶりになるだろう。錆びついた思考回路にはまるで靄がかかっているかのように不鮮明だった。そんな万全ではない頭でぼんやりと考える。

 時間が流れないと仮定すると、この世界にいる限り老いることも病気になることもないのでは、と。

「ああ……ああぁぁ……」

 考えて、すぐに後悔した。こんな絶望、考えないほうが良かった。
 死は救いではないと、ハデスは言った。それはどういう意味だろうか。答えは明白だ。死ぬことは許されないということ。つまり、永遠にこの白い世界でただ生き続けるということだ。

「ああぁ……うぁ……」

 見えない楔で魂を現世に繋ぎ止められているかのようで、アルバートは嗚咽を漏らした。もう涙も枯れてしまったのか、涙が流れることはなかったが、それでも泣き叫びたい衝動に駆られた。

(だめだ)

 このままでは。
 このままでは……

(……狂ってしまう)

 追い詰められた極限の状態でも、ただその事実だけははっきりと理解できた。アルバートは恐怖に震えた。一刻も早くこの白い世界から抜け出さなくてはと強く思った。

「ここから……出たい……」

 そう言葉にした途端、堰き止められていた感情が溢れ出した。

「出して!ここから出せよ!!」

 アルバートは叫ぶように叫んだ。それは悲鳴だった。喉が枯れるほどの大声で叫び続けたが、それでも誰にも届かない。

「誰か!お願いだから俺をここから出して!!」

 アルバートは何度も叫んだ。しかしその声はただ虚しく反響するだけだった。誰も応えるものはいない。

「助けて……誰か……」

 涙が止まらなかった。この白い檻から抜け出さなければと心が叫んでいるのに、今の彼にはその術がなかった。鎖を引き千切る力すらない彼はただ無力だった。

 アルバートは崩れ落ちるように膝をついた。両膝を抱え込み、その間に顔を埋めた。もう何も考えたくなかった。何も見たくなかったし聞きたくもなかった。このまま消えてしまいたかったが、それは叶わない願いだった。
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