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第四部 最後の神聖魔法
懐かしい味
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ソルニアがチリンと机に置かれていたベルを鳴らした。すると修道士がティーカップを運んできて、机人数分の紅茶と焼き菓子を並べる。
クーゲルの悪意を思い出し、アルバートはカイルを振り返る。カイルも何か盛られているのではないかと、険しい表情を浮かべていた。
二人の様子にソルニアは苦笑を浮かべる。
「気持ちはわかりますが、何も細工はしていません。食べてみなさい。きっと、良いことがありますよ」
ソルニアはゆったりとした口調で促す。裁きを受けて教会に来てから、ソルニアは決してアルバートに手を挙げたり声を荒げたりすることはなかった。それが逆に恐ろしいとずっと感じていたが、目の前にいるソルニアはかつて自分に神聖魔法を手解きしてくれた人物と同じ厳しくも柔和な顔をしていた。
おずおずと焼き菓子を手に取って一口齧ると、ふわりと広がる甘みが口の中に広がる。カシミアの懐かしい香りが鼻腔をくすぐり、アルバートは目を大きく見開いた。
それはかつて、ティーアが淹れてくれた紅茶と同じ味と香りがした。カシミアを使ったティーアの紅茶と焼き菓子は絶品だったのだ。
思わずもう一口、焼き菓子を口に運ぶ。
懐かしい味がするだけで良かったはずなのに、気づけば涙が頬を伝っていた。
「あ……す、すみませんっ」
慌てて袖で涙を拭うが、一度流れ出した涙は止まらない。
ソルニアはそんなアルバートに優しく微笑むと、そっと彼の頭を撫でた。
「ひとつ謝らせてください。あなたを白亜の牢獄に閉じこめ、世界の核として機能させることで白龍様が担っていた結界を維持しようと考えていました。最盛期には百を超える人数が居た神龍の愛し子も、時代を重ねるごとにその数を減らし、人界の白龍様も魔界の黒龍様も負担が増す一方でした。このままでは神龍の愛し子は生まれなくなり、神龍は力を失ってしまう――故に神の時代に終止符を打つことを考えました。そしてあなたの溢れんばかりの才能があれば、それは可能であると考えたのです」
「……」
「ですが、白龍の神殿から切り離したはずのあなたは、神にも、そして人にもまだ愛されていた。もう一度白亜の牢獄を起動したところで、あなたを閉じ込めることは出来ないでしょう。――入ってきなさい」
ソルニアが扉に向かって声をかけると、扉が開く。入ってきたのは橙色の髪の少女だった。アルバートは目を見開いて少女の姿を見つめる。
「ティーア……?」
「アル、会いたかった……!!」
アルバートの呟きに、彼女は一歩二歩と近づき、彼を抱きしめる。ふわりと漂う爽やかな香りは彼女が好んでよく焚いていたカシミアの香油の香りだ。
「アル、私……ずっとあなたに謝りたかった。私のせいで辛い思いをさせてごめんって、ずっと言いたかったの」
ティーアが震える声で呟く。その声音には後悔と懺悔の念が込められているように感じた。
「……っ」
アルバートも彼女の背中に手を回す。そして強く抱きしめた。
「俺こそ、ごめんなさい。俺がもっと強かったら、あの日ティーアを守ってあげられたのに……ハデス様も、みんなも、こんなことにはならなかったのに……!」
アルバートがそう謝罪すると、ティーアは抱きしめていた腕をほどき、首を左右に振った。
「ううん。私があの日、アルを神殿の外に連れ出さなかったら、何も起きなかったんだ」
その言葉に、アルバートは大きく目を見開く。そしてすぐに首を横に振った後、再び彼女を抱きしめた。
「違う!ティーアは何も悪くない!悪いのは俺だ!」
「違うよアル、私だよ」
二人は互いに否定し合い、やがて同時に苦笑を浮かべる。
「……また会えてよかった」
「うん……」
しばらくそのままでいると、ソルニアが咳払いをする。
「お取り込み中、申し訳ありませんが、ティーア殿、そろそろ本題に入っては?」
ソルニアの言葉にアルバートは我に返る。ティーアも顔を真っ赤に染めて慌てて彼から離れた。
「……はい、すみません。アル、あなたたちが神殿を去った後、白龍の神殿に神龍様が現れたの。白にも黒にも見える不思議なお姿だったわ。そして神龍の愛し子を――アル、あなたを探していた。連れてこいって私たちに言ったの」
「俺を?」
「ええ。マナが欲しいって。でも少し様子がおかしかったわ。アルをその身体に取り込むんだって……そう言って笑ったの」
ティーアはその時のことを思い出し、不安と恐怖に顔を曇らせる。アルバートが彼女の手を取ると、その手は微かに震えていた。
(ティーア……震えている)
かつて震えるアルバートの手を引いて森の中を歩いてくれた彼女が、今は恐怖に身体を震わせている。
あの時、彼女はどうやって自分を安心させてくれただろう。
アルバートはうろ覚えの記憶を辿る。そして目の前の彼女を落ち着かせるために、アルバートはティーアを真っ直ぐに見つめると、優しく微笑んだ。
「大丈夫。神龍様はわからないけど、シュカ様は悪い神様じゃないよ。とても優しい人だから」
少なくともアルバートが最後に会った時、アルバートの未来を願っていたのだ。
「アル……。わかったわ、うん。そうだよね、アルが言うならそうよね」
ティーアは頷く。不安そうな色は消えないままであったが、それでも彼女は微笑んだ。
「それで、神龍様は今どこに?」
「それが……わからないの。神龍様は私たちにそのことを告げると、どこかに飛び立たれてしまって……」
「……そっか」
アルバートが落胆するのを見て、ティーアは申し訳無さそうに俯いた。しかし、すぐに顔を上げると、彼女はアルバートに向き直った。
「それで私、アルのことも心配で……何かお手伝いをさせていただきたいと思ってダーハート教会まで来たの。アレスタはハデス様の跡を継いで神殿の立て直しに忙しいし、マリカは……あの混乱以降行方がわからなくて」
「マリカが?」
アルバートは驚いてティーアに聞き返す。彼女は寂しそうに頷いた。
「うん……。私も心配なんだけど、たぶんあの子のことだから大丈夫よ。それより、アルのことがどうしても気になっちゃって……」
ティーアは申し訳なさそうに俯くが、アルバートにはその気遣いを有難く思った。それと同時に、消えない後悔が胸に湧く。
もう昔のように無邪気に笑える気がしなかった。それでもアルバートは唇を引き結び、口角を吊り上げる。
「ティーアは優しいね。ありがとう。でも、俺は大丈夫だよ。ティーアにまた会えて、話せて良かった。だから心配しないで」
浮かべた笑顔はひきつっていないだろうか。声は、手は、震えていないだろうか。
その答えを知るのが怖くて、ティーアを直視できなかった。アルバートは顔を俯かせると、ティーカップを手に取る。口に含むと、甘い花の香りが口腔中に広がった。
ティーアもそれ以上何も言わなかった。
沈黙がおり、茶器の奏でる音だけが部屋に響く。
その沈黙を破ったのは、この場の誰でもなかった。
「ソルニア様、上空に無数の門の出現を確認しました!」
突然、ノックも無しに扉が開かれ、修道士が息を切らして入ってきたのだ。
クーゲルの悪意を思い出し、アルバートはカイルを振り返る。カイルも何か盛られているのではないかと、険しい表情を浮かべていた。
二人の様子にソルニアは苦笑を浮かべる。
「気持ちはわかりますが、何も細工はしていません。食べてみなさい。きっと、良いことがありますよ」
ソルニアはゆったりとした口調で促す。裁きを受けて教会に来てから、ソルニアは決してアルバートに手を挙げたり声を荒げたりすることはなかった。それが逆に恐ろしいとずっと感じていたが、目の前にいるソルニアはかつて自分に神聖魔法を手解きしてくれた人物と同じ厳しくも柔和な顔をしていた。
おずおずと焼き菓子を手に取って一口齧ると、ふわりと広がる甘みが口の中に広がる。カシミアの懐かしい香りが鼻腔をくすぐり、アルバートは目を大きく見開いた。
それはかつて、ティーアが淹れてくれた紅茶と同じ味と香りがした。カシミアを使ったティーアの紅茶と焼き菓子は絶品だったのだ。
思わずもう一口、焼き菓子を口に運ぶ。
懐かしい味がするだけで良かったはずなのに、気づけば涙が頬を伝っていた。
「あ……す、すみませんっ」
慌てて袖で涙を拭うが、一度流れ出した涙は止まらない。
ソルニアはそんなアルバートに優しく微笑むと、そっと彼の頭を撫でた。
「ひとつ謝らせてください。あなたを白亜の牢獄に閉じこめ、世界の核として機能させることで白龍様が担っていた結界を維持しようと考えていました。最盛期には百を超える人数が居た神龍の愛し子も、時代を重ねるごとにその数を減らし、人界の白龍様も魔界の黒龍様も負担が増す一方でした。このままでは神龍の愛し子は生まれなくなり、神龍は力を失ってしまう――故に神の時代に終止符を打つことを考えました。そしてあなたの溢れんばかりの才能があれば、それは可能であると考えたのです」
「……」
「ですが、白龍の神殿から切り離したはずのあなたは、神にも、そして人にもまだ愛されていた。もう一度白亜の牢獄を起動したところで、あなたを閉じ込めることは出来ないでしょう。――入ってきなさい」
ソルニアが扉に向かって声をかけると、扉が開く。入ってきたのは橙色の髪の少女だった。アルバートは目を見開いて少女の姿を見つめる。
「ティーア……?」
「アル、会いたかった……!!」
アルバートの呟きに、彼女は一歩二歩と近づき、彼を抱きしめる。ふわりと漂う爽やかな香りは彼女が好んでよく焚いていたカシミアの香油の香りだ。
「アル、私……ずっとあなたに謝りたかった。私のせいで辛い思いをさせてごめんって、ずっと言いたかったの」
ティーアが震える声で呟く。その声音には後悔と懺悔の念が込められているように感じた。
「……っ」
アルバートも彼女の背中に手を回す。そして強く抱きしめた。
「俺こそ、ごめんなさい。俺がもっと強かったら、あの日ティーアを守ってあげられたのに……ハデス様も、みんなも、こんなことにはならなかったのに……!」
アルバートがそう謝罪すると、ティーアは抱きしめていた腕をほどき、首を左右に振った。
「ううん。私があの日、アルを神殿の外に連れ出さなかったら、何も起きなかったんだ」
その言葉に、アルバートは大きく目を見開く。そしてすぐに首を横に振った後、再び彼女を抱きしめた。
「違う!ティーアは何も悪くない!悪いのは俺だ!」
「違うよアル、私だよ」
二人は互いに否定し合い、やがて同時に苦笑を浮かべる。
「……また会えてよかった」
「うん……」
しばらくそのままでいると、ソルニアが咳払いをする。
「お取り込み中、申し訳ありませんが、ティーア殿、そろそろ本題に入っては?」
ソルニアの言葉にアルバートは我に返る。ティーアも顔を真っ赤に染めて慌てて彼から離れた。
「……はい、すみません。アル、あなたたちが神殿を去った後、白龍の神殿に神龍様が現れたの。白にも黒にも見える不思議なお姿だったわ。そして神龍の愛し子を――アル、あなたを探していた。連れてこいって私たちに言ったの」
「俺を?」
「ええ。マナが欲しいって。でも少し様子がおかしかったわ。アルをその身体に取り込むんだって……そう言って笑ったの」
ティーアはその時のことを思い出し、不安と恐怖に顔を曇らせる。アルバートが彼女の手を取ると、その手は微かに震えていた。
(ティーア……震えている)
かつて震えるアルバートの手を引いて森の中を歩いてくれた彼女が、今は恐怖に身体を震わせている。
あの時、彼女はどうやって自分を安心させてくれただろう。
アルバートはうろ覚えの記憶を辿る。そして目の前の彼女を落ち着かせるために、アルバートはティーアを真っ直ぐに見つめると、優しく微笑んだ。
「大丈夫。神龍様はわからないけど、シュカ様は悪い神様じゃないよ。とても優しい人だから」
少なくともアルバートが最後に会った時、アルバートの未来を願っていたのだ。
「アル……。わかったわ、うん。そうだよね、アルが言うならそうよね」
ティーアは頷く。不安そうな色は消えないままであったが、それでも彼女は微笑んだ。
「それで、神龍様は今どこに?」
「それが……わからないの。神龍様は私たちにそのことを告げると、どこかに飛び立たれてしまって……」
「……そっか」
アルバートが落胆するのを見て、ティーアは申し訳無さそうに俯いた。しかし、すぐに顔を上げると、彼女はアルバートに向き直った。
「それで私、アルのことも心配で……何かお手伝いをさせていただきたいと思ってダーハート教会まで来たの。アレスタはハデス様の跡を継いで神殿の立て直しに忙しいし、マリカは……あの混乱以降行方がわからなくて」
「マリカが?」
アルバートは驚いてティーアに聞き返す。彼女は寂しそうに頷いた。
「うん……。私も心配なんだけど、たぶんあの子のことだから大丈夫よ。それより、アルのことがどうしても気になっちゃって……」
ティーアは申し訳なさそうに俯くが、アルバートにはその気遣いを有難く思った。それと同時に、消えない後悔が胸に湧く。
もう昔のように無邪気に笑える気がしなかった。それでもアルバートは唇を引き結び、口角を吊り上げる。
「ティーアは優しいね。ありがとう。でも、俺は大丈夫だよ。ティーアにまた会えて、話せて良かった。だから心配しないで」
浮かべた笑顔はひきつっていないだろうか。声は、手は、震えていないだろうか。
その答えを知るのが怖くて、ティーアを直視できなかった。アルバートは顔を俯かせると、ティーカップを手に取る。口に含むと、甘い花の香りが口腔中に広がった。
ティーアもそれ以上何も言わなかった。
沈黙がおり、茶器の奏でる音だけが部屋に響く。
その沈黙を破ったのは、この場の誰でもなかった。
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