神龍の愛し子と呼ばれた少年の最後の神聖魔法

榛玻璃

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第三部 白龍の神殿が落ちる日

あなたがあなたであるうちに

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 場所は変わり、アルバートたちがワイバーンを掃討しているより少し前。

 その日の白龍の神殿は、ひどく静かだった。
 ティーアはゆっくりとその目を開ける。

 石造りの室内は地下なのか窓がなくて薄暗い。少し湿ったにおいが鼻についた。

 部屋の中には乳白色の透明な壁で構築された立方体の空間があり、ティーアはその中央に置かれたベッドの上に寝かされていた。

 部屋を照らすのは蝋燭による赤い光と、展開された神聖魔法の乳白色の光だけだ。とてもではないが快適とは言い難く、室内というより牢屋に近い雰囲気である。

 周囲をよく見てみると、乳白色の光の壁を挟んだ向かい側に一人の男性が立っていることに気づく。それはティーアのよく知る人物だった。

(ハデス様……)

 心なしか、記憶の中の彼よりも少し白髪としわの数が増えている気がする。しかし、その鋭い瞳は記憶にある彼のものと相違がない。
 ハデスはティーアが目を覚ましたことに気づくと、その鋭い目をさらに細めた。

「目が覚めたのですね」

 彼は膝をついて目線を合わせるように屈み込んだ。そしてティーアの目を見て「ああ……」と声を漏らす。

 彼の瞳には深い悲しみが宿っていたように見えたが、すぐに消えてしまった。代わりに浮かんだのは慈愛に満ちた微笑みだ。しかしそれがどこか作り物めいたものに見えてならなかった。

「ハデス様、どうしてこのようなことを……」

 ティーアが震える声で問いかけると、彼は少し困ったように眉尻を下げた。

「そこに鏡があります。あなた自身を見てみなさい」

 ハデスはベッドの脇を指差した。ベッドの傍の床に置かれるようにして、手のひらに収まる小さな手鏡が置いてあった。
 言われるがままそれを手に取り、そこに映った自分の姿を見やる。
 ティーアは思わず息をのんだ。

「え……」

 顔も髪もティーアの知るティーアそのものだ。しかしその目は大きく異なっていた。
 その瞳はかつてのような鮮やかな橙色ではなく、金色をしていた。それはまるで、魔族を特徴づける色そのものだ。

「なに……これ……」

「あなたは魔族の眷属にされたのです。リオル・ルーウェン……魔王軍最高幹部の一人、魔王の参謀によって」

 ハデスの言葉に、ティーアは言葉を失った。

 眷属にされる瞬間のことはティーアの記憶の中にもあった。首筋に傷を負わされ、その中に魔力を流された時、身体の中が根本から砕け、書き変わるかのような感触に苛まれた。それはやはり夢ではなかったということだ。

「あなたの身体にはリオルの魔力が入っています。そして神聖魔法ではそれを取り除き、あなたを元に戻してあげる術はありません」

「そんな……」

 ハデスは立ち上がり、ティーアの手を取った。

「あなたはもう人間ではありません。まだ完全に魔族の力に染まり切ってはいないようですが、それも時間の問題でしょう。いずれあなた自身の意識も魔族の力に喰われます」

「そんな……」

「そうなればあなたは……おそらく魔王軍の尖兵として使われることになるでしょう」

 ティーアの目の前が真っ暗になった。何も考えられない。
 呆然とするティーアに、ハデスは哀し気に目を細める。

「あなたがまだあなたであるうちに、浄化を執り行いたいと思います」

「……」

 浄化。
 それは魔族に対して致死をもたらす神聖魔法。魔族の眷属となったティーアが今受けたら、消滅は免れない。

(ああ、これは処刑だ)

 死ねというのだ。魔族に組した、その罪によって。
 死にたくない。そんな想いが口をついて飛び出しそうになるのを寸前で堪える。もっと機械的に考えるのだ。自分の意思ではなく、感情を切り離して、一人でも多くの人間が幸福になれる選択肢を。

「……」

 ティーアは息を吸った。どれだけ考えても、合理的な結論は一つしかなかった。感情を捨てる。私情は考えずに目の前の状況を客観的に見つめることにだけ集中する。

「わかりました」

 ティーアはハデスの目をまっすぐに見つめ、感情のない目をハデスに向けて、そう答えた。
 ティーアの答えを予想して……いや、覚悟していたのだろう。ハデスも淡々とした様子で頷いた。

「では、最後に何か言いたいことはありますか?」

 最後。その響きが胸に痛かった。しかし、それを悟られまいと表情を殺す。
 ありません。そう答えようとして、喉の奥に何かが引っかかった。そういえばアルバートはどうしているのだろう。彼は無事なのだろうか。

 願ってはいけない。彼のことを想うのであれば、人知れず死ぬほうが良いはずだ。そう思ったが、心に宿った感情は消せなかった。気がつけばティーアの口から言葉が紡がれていた。

「……アルに……会えますか?」

 ハデスは驚いたような顔をした後、首を横に振った。

「残念ですが、アルはアレスタとマリカとともに、雪華の祈りのために北部のダーハート教会に赴いています。まだしばらくは戻らないでしょう」

「そう……ですか」
 ティーアは顔を俯けた。

「アルに会いたいのですね」
 ハデスの言葉に、ティーアは小さく頷く。

「わかりました。では、浄化はアルが戻り次第執り行います。それまでなら、私でも魔族の力を抑えることくらいはできるでしょう。それでも良いですか」

 それはハデスができる最大限の譲歩なのだろう。譲歩するようになった。それだけでもハデスは以前より優しくなったなとティーアは場違いなことを考えた。ティーアが幼い頃のハデスは、感情の起伏が少なく、自分の感情より立場としての役割を優先するような人だった。怖いとは思わなかったが、冷たい人という印象だった。それがこの数年でほんの少しだけ印象が変わって見えた。

 ティーアは涙を浮かべて微笑んだ。

「いいえ、ハデス様。アルがここにいないのは、きっと神龍様がそのように思し召したからだと思います。だから、終わらせてください。私が私であるうちに」

 ハデスはティーアの覚悟を汲み取ったように頷いた。彼は神聖魔法で生み出された空間の中に入ってくると、その両腕でティーアを抱きしめた。

「力のない、無力な私をどうか許してください」

 初めて抱きしめられた気がした。ずっと冷たい人だと思っていた。アルバートが現れて、彼の無垢な姿が、その氷のような心を溶かしたのだろうか。父親とは……こういうものなのだろうか。

「ハデス様は無力なんかじゃありません。だって……ハデス様は孤児だった私を拾って育ててくれたんだもの」

 ティーアはハデスに抱きしめられながら、彼の胸に顔をうずめた。
 そして、その背中に手を回すと、そっと力を込める。

「ありがとう……」

 ハデスの震える声が耳元をくすぐると同時に、神聖魔法の光の中に溶けていくような心地がした。それはとても暖かくて優しい光で、まるで親の胸に抱かれているような安心感があった。

「さようなら」

 そんな声が聞こえた気がしたが、ティーアの意識はそこで途切れた。
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