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1 出会い

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 はー、疲れた。

 凝り固まった肩をほぐすために両手を組み、肘を曲げないよう頭上へと伸ばす。途中、ばきりと体の中から音が聞こえた。
「うっ。凝ってるなぁ」
 長時間、パソコンに向かっていた為に体中が固まっている気がする。多少の痛みを感じつつ、伸ばしたことに気持ちよさを感じ大野紬(おおのつむぎ)は更に天井へと両腕を伸ばした。

「んーっっ」
 事務所に誰もいないことをいいことに声も一緒に出した。数秒だけ腕を伸ばしただけなのに、思いっきりやった結果、すっと血のめぐりが良くなり肩と背筋がすっきりしたのを感じた。

 紬が勤めている「手塚製作所」は日本海側に面した北陸にあり、10人にも満たない小さな会社。主にステンレスを使った文房具の製造をしている。そこで事務員として雑用もこなしている。勤め始めてまだ一年未満。転職したばかりの時は不安がいっぱいだったが、今ではここに就職出来て良かったと心から思えるぐらいに日々働いている。少人数だからこその仲の良さがあり、職場の雰囲気がとてもいい。

 正月休みが終わり、昨日が仕事始め。だというのに明日からはまた3連休。今年は中々いい具合に連休がやってくる。休み明けに加え、明日からも休みとなれば仕事に実が入らないというか。
 まだ正月の連休明けで仕事が忙しくないということと、午後から社長は昨日行けなかったお得意先の挨拶周りへと出かけ、もう一人の女性事務員の滝田さんは買い物へと行ってしまい、現在事務所に偶々一人でお留守番状態。なので紬は比較的どころか、誰もいないことをいいことにかなりのんびりと仕事をしている。

 午後の仕事を始めてから二時間近く経つ。眠気を感じ始めていた頭もすっきりし、暖房で少し曇った窓から外を見る。外はポカポカと暖かい部屋とは打って変わって天気は荒れ始めてきた。まあ、一月の天気ではよくみられる風景の一つだ。特に珍しくはない。
 暫く止んでいたと思っていた雨がまた激しく降り始めてきた。強風と呼べるほど斜めに振る雨と一緒に白いものも混ざって見えた。みぞれなのかもしれない。
 今朝、出がけに見たテレビの天気予報では日中は曇り時々雨、夕方からからは雪という予報が出ていた。
 それを裏付けるように今朝から強い風と共に雨は降ったり止んだりを繰り返している。それだけでなく、午前中は数度雷も鳴っていた。

 荒れ始めた天気を見て、今朝の会話を思い出す。
「いよいよ、鰤(ぶり)起こしだねぇ」
 地震か!?と思うくらいに鳴り響いた雷に飛び上がった紬とは真逆に、窓際に立っていた社長は細い眼をさらに細めながら実にのんびりとした口調で言った。日本海側でよく言われる言葉だ。紬も小さな頃から何度も聞いた。北陸で寒鰤が良く採れる時期に鳴る雷のことを差す。
 鰤起こしの雷は夏のものとは規模が全然違う。まさに荒ぶる神々のごとく雷鳴がとどろく。回数も多ければ、音量が半端なく大きい。夏と比べれば何十倍、何百倍もの威力があるらしい。恐ろしい。
 鰤起こしと言われている雷が鳴り始めると、次第に雪を伴い大荒れとなることが多く積雪も運ばれることが多い。発達した冬型の気圧配置で注意が必要ですとニュースでよく言われる。
 稼働中のパソコンにとって雷は大敵。仕事中に発生するたびに慌てて保存をかけ、出来るだけ電源を切るようにしている。この会社がある地域は昔から何故か雷が落ちやすいと言われている。今のところ過電流がもとで故障したことはないが気を付けている。

 幸いにして朝は数度鳴っただけで雷は止んだ。午後からはやれやれと思いながらのんびりとパソコンに向かいデータ入力を続けていたのだが、このままだと予報通りに雨から雪へと変わるのかも知れない。雨で荒れた天気も困るけど、雪が積もるのも困る。
 数分もしないうちにみぞれかと思っていた白いものは、あっという間に確実に雪へと姿を変えていた。
 窓から見えていた山や近場の建物の景色は、みるみる色彩をほぼ白一色といっていい程に塗り替えていた。

「あー・・・」
 暖房が効いた室内から空模様を見ながら降り積もらなければいいんだけど・・・と呟きながら、このぶんじゃ積もりそうだなと今までの経験から紬はそう思った。

 軽いストレッチで気分転換が終えたが多少うんざりとなったところで、丁度事務所前の駐車場にウチの社用車ではないワゴン車が停まるのが見えた。
 紬は緩んでいた気を慌てて入れると、背を正し座りなおした。外を気にしつつパソコンに向かっていると、停まった車からドアが開閉された音が聞こえ、やがて二人の男性が降りてくると玄関へとやってくるのが見えた。
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