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穏やかな日々の終わり

誓い ②

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「エリス。寒かった、ね」

 ノアの家に入り、扉を閉めたエリスにノアは一言そう告げた。

 その言葉に答える前に、繋いでいた手を引かれる。ふわりと彼の柔らかい匂いがして。あっという間にエリスは扉とノアの間に捕らわれる。

「お疲れ様」
 ノアは真っ赤になってしまったエリスの頬に触れ、もう片方の手で腰を引き寄せた。青い瞳の色に反し眼差しは熱い。真っ白な肌の彼だが、今その頬はエリスのものと同じ朱に染まっている。

「の、ノアもお疲れ様。寒いから、中にね? 入ろうか!」
 近づくノアの顔を両手で押し返す。不服そうな了承の声が彼から漏れて、腰に回った腕が解かれた。
「今温かいお茶入れるよ。座って待ってて」

 居間の暖炉に火を入れ、ノアは台所へと向かう。エリスは言われた通り上着を脱ぐと、暖炉の前、定位置であるソファーに座った。

 まだ心臓がばくばくと早鐘を打っている。今日もだが、昔からノアは距離が近かった。それは一緒に育った家族と言う関係性だけではなく、物理的にもそうであった。

 しかし彼はきっと誰にでもそうなのだと、エリスは思い込んでいた。また、そう思っていたかったのかもしれない。

 家族や姉、或いは妹のようなエリスが、ノアに特別な感情を抱いていると知ったら。きっと気持ち悪いと思われる。そこまでいかなくとも、距離を置かれてしまうはずだ。

 そう思ったからこそ、想いを伝えられなかったし、ノアが学校の卒業と薬局への就職を機に家を出ると告げた時は正直ホッとした。

 距離を置けばきっと家族や友人として、彼の幸せを祈れると思ったから。端から自分と特別な関係になりたいとは願ってはいなかった。願ってはいけないとさえ思っていた。

 なのに。

 エリスの思惑を知ってか知らずか、ノアは少しも離れなかった。引っ越した意味があったのかと疑うくらい、毎日のようにエリスとサラの家に来ては夕飯を一緒に食べて帰っていく。

 休日は手土産を持って必ず会いに来る。食卓の席は幼い頃から変わらないエリスの左隣。そこそこ大きなテーブルなのに、毎回三人分の食器は中央に寄せられている。

 しかもノアは引っ越しても、甲斐甲斐しくエリスの世話をすることをやめなかった。

 食事を作ったり、洗濯をしたり。自分の家があり、仕事をしているというのにエリスの家の家事をすすんで請け負うことを辞めない。
 大丈夫だからと断っても、心配だからついていっては駄目かと、手伝っては迷惑かと寂しそうに聞いてくる。無論、そこまで言われては強く言うことも出来ない。ノアが傍にいては駄目な明確な理由もない。
 
 彼は決して断行はしない。しかし薬草採取の時も、買い物の時も、足を痛めているキハおばさんの手伝いに行く時も、必ずエリスに聞き許可を得られればついてくる。

 友達と遊びに行く時はさすがにノアも申し出なかったが、帰宅すると顔を明るくさせたノアと、疲れた顔のサラが待っていた。
 その日は何故か散々サラに小言を言われて。何となくエリスは気まずかったことはよく覚えている。

 まさかノアが自分なんかを好きな訳がない。きっと余程心配性か、或いはエリスが心配をかけさせてしまう人間か、その両方なのだろうと思いたかった。平凡な自分は身の程をわきまえるべきだ。勘違いしないためにも、周りに誤解されないためにも、距離を置こうとノアを避けた末。ノアとサラ、それぞれを悩まし、大変な迷惑をかけることとなった。

 結局、鈍い自分にもわかるくらい、ノアはエリスにはっきりと好意を伝えてきた。

 先程と同じように壁や扉との間に閉じ込められ、額がついてしまいそうな程近づかれて「好きだ」と伝えられれば、その『好き』が姉弟のように思っている友人に対する『好き』ではないことを認めない訳にはいかない。
 切なげに揺れる瞳は真剣で。エリスは自分の想いから逃げることも、ノアの好意から目を背けることも、無理だと悟った。

 ノアが一体自分のどこを好きになったのか、未だにエリスにはわからない。ミニアム村最大の謎だろう。

「エリス、お茶入ったけど……どうしたの?」

 上から気遣うようなノアの柔らかい声が聞こえ、エリスは我に返った。

「ううん。なんでもない」
 ぶんぶんと首を横に振り、差し出されたカップを受け取る。サラにも言われているが、考え事をしだすとエリスは表情が険しくなってしまうらしい。

 ノアが望んでくれていることは真実だ。それにお互いどう想っているのかが大切なのだ。

 悩んで答えが出るならばまだしも、それでノアやサラに心配をかけてしまうのは良くないと思い直す。
「そう……? お茶、熱いから気を付けて」
 不安げに揺れた瞳のままノアは左隣に腰を下ろした。

 湯気の出るカップから、ふわりと林檎のような甘い匂いがする。エリスの大好きなカモミールティーだ。口を付けるとほんのりと甘い。エリスの好みを知って蜂蜜を入れてくれたのだ。

「熱っ……! でも美味しいね、エリス」
「ただ舌は痛いや」と続けながらもノアは嬉しそうに瞳を細める。
 エリスもつられて「毎回慌て過ぎだよ」と笑った。

「エリス、また取りに行きたいね」
「うん。でもしばらくは季節的に難しいと思うなぁ」
「じゃあ春になったら、一緒に行こう?」

 そう言ってノアはエリスの手に自分のものを重ねる。眉をはの字にさせ微笑むと、エリスの頬に軽く口付けた。

「……良い?」

 ノアが甘えるように耳元で囁く。それが春の話をしているのではないことは、この一年でエリスにもわかるようになった。

 こくりと頷けば彼は「ありがとう」と顔をほころばせる。エリスもまた同じ言葉を返したかったが、今からすることへの羞恥でうまくそれは表せなかった。

「エリス……」

 焦がれるように名前を呼ばれ、ぎゅっと胸が締め付けられる。ノアの端整なつくりの顔が近付き、唇が重なった。大切なものを扱う時のように、そっと、何度もそれは繰り返される。

「んっ……ノア、」
「っエリス、……っん……」

 腰に回った左手も、肩を抱く右手も、病弱なノアからは考えられない程力強く、熱い。
 唇が離れた時に見える彼の瞳は、今も胸元にあるペンダントと同じ澄んだ青色だ。しかし涼し気な色の双眸も、今は甘く熱を孕んでいる。

「っ……もっとしたいけど……それはお祝いが終わったら」
 そう呟いたノアの顔は林檎のように赤い。エリスの頬もまた同じ色に染まっていた。

「うん……お誕生日おめでとう。ノア」
「ありがとう。エリスも十八歳おめでとう。生まれてきてくれて、ありがとう」

 見つめ合い、笑い合える人が居て。それがノアであることが堪らなく嬉しい。出来ることなら、ノアとずっと一緒に居たい。

 そう願ってしまうのは欲張りなのだろうか。
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