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恋か愛か、欲か願いか

貴女となら全てが ②

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「ノア」
「サラ姉、ごめんね。待たせたかな」
『よっ! 久しぶりだな!』
「っ……! どういう事⁈」
「まあまあ、手短に済ますから……」

 ノアが宥めるとサラは大きなため息を吐き、椅子へと座る。姿を現したナールは大人しくノアの後ろに続いた。

(今日は約束通り、後ろで見ててくれる?)
『はいはい、刺激しねーよ。すげぇ不機嫌じゃん……折角の再会なのによォ……』

 ナールの予想に反して。そしてノアの予想通りに、サラは難色を示している。
 萎れた様子の悪魔にサラは気付く様子もなく、真下の床を指さしながら艶やかなダークブロンドをかきあげた。

「で? あの男、どうするの?」

 不快さを素直に表していた美しい顔から感情が消え、隙のない金の瞳がノアを射る。

 あの男とは昨晩保護した商家の次男、フェリクス・ベークマンの事だ。彼の処遇と今後については今日ここでサラと相談し、決断しなくてはならない。

「同行して貰おうかと。僕の代わりに」
「はぁ?」

 余程納得いかなかったのか。令嬢らしからぬ声を上げ、サラは眉をひそめる。

「……貴方が言うなら従うけれど。足手まといになったら、黙らして良いのかしら?」
 彼女らしい荒っぽい案にノアは苦笑し許可を出す。信頼を置いての許可である。

「それから……」

 深く息を吸い、ノアは一息に告げた。

「エリスも計画に組み込む事にした」
「えっ、ちょっと待ってよ。エリスは一般人なのよ?」

 フェリクスの時とは打って変わって、サラは引かない。

(知ってる……僕だって、できることなら巻き込みたくない。でも……)

「万が一でも、サラ姉なら二人を守れる。参加者も五十人弱なら……」
「屋敷に居る人間がどうして参加者だけなのよ! 私みたく訓練も受けてない、特別な魔法も使えない。殺気も嘘も、男の下心でさえ全く気付かない子なの! 気付かれたらいいカモ……って貴方……」
「僕の代わりになり得るでしょう? エリスなら」

 自分でも驚くほどに、乾いた唇から冷たい声が出た。

 殴られるとノアは覚悟していた。それ程の事をノアは世話になった義姉のサラに提案している。
 そして愛するエリスにも、全て伝え、願うつもりだ。

 危険を承知で囮となり、敵陣に飛び込んで欲しいと。

 少なくとも両頬と頭は差し出すつもりで衝撃を待っていたノアに、頭上から大きなため息と。

「…………理由は?」
 先を促す冷酷な声が続いた。

「……まずエリスが代わりに出席すれば僕が動ける。エリオット君一人よりは助けやすくなる。それに万が一サラ姉の素性が知られていた場合……」
「ないわ。伝わっていても、落ちぶれた騎士の娘くらいの認識よ」

 言い切るサラに、ノアも断言する。

「うん。だからちょっとお転婆なオルコットの縁者だと知られていたら、もう少し回りくどい方法で接触してくるかもしれない。少なくとも僕が相手だったら警戒する。まずは絶対に監視対象でないエリスを利用してサラ姉の自由を奪って、陛下からの使者らしき僕の利用も考える。魔法がちょっと使えるだけの文官なら都合も良いはずだ。その為にも、すぐにはエリスに危害を加える事はしない」

「……ばらまき過ぎじゃない? そんな美味しい話」

 サラの言う通りだ。全て把握されずとも、何かあるとは思われるかもしれない。しかし。
「薄々気付いていたとしても、男爵家だ。リスクを差し引いても有り余る。乗ってくる」

 晩餐会を主催する男爵家の内情は調査済みだ。世間知らずな男爵夫人の浪費により、男爵家は火の車。妻を止められぬ男爵は、エーミール卿と特別に親しい関係にあるバルト卿にどうにか取り入ろうと必死だ。

 それに必要な情報はもう幾つか流してある。

「なら、対処法は? まさか私だけが保険、なんて馬鹿な事考えてないでしょうね?」

 ノアは首を振る。床を見つめたまま、サラを正面から見据える事は出来なかった。

「もちろんそこも手は打つ。抑え次第、僕も行く」

 本日何度目かの深いため息に続いて、ドサリと椅子に腰を下ろし直す音が柔らかな日差しの指す室内に響いた。

「もう……今度こそエリスを傷付けたら、事情があろうと容赦しないから」
「ありがとう、サラ姉」
「どうせエリオも乗り気なんでしょ?」

 問いには答えずにノアは困ったように微笑む。

「……それから…………申し訳ない」
「なによ? 改まって」
「これからもお世話になるから?」
「気持ちの悪い疑問形ね……」

 胡乱な眼差しを向けるサラにノアは微笑み返し、真っ直ぐに金の瞳を見つめた。

「どうかエリスを……お願いします」

 そのまま頭を下げ、ノアは瞳を閉じる。既に声に震えはなく。噛み締めた唇からは何度も味わった残酷な紅が滲んでいた。


 ∞∞∞

 
『おい、いくらエリオットでも指示出さねぇと。指輪の魔法、解けない奴が来たら意味ねぇだろ』

 珍しくも、背後の悪魔から先を案ずるような声が上がる。ノアは歩みを緩めることなく淡々と答える。

「もちろん出すよ。でも、今はこっちが先だ」
『どこ行くんだよ』
「君が予想している通りの場所」

 絶句したような息遣いが背後から漏れ聞こえた。そんなに意外でもないだろうと、ノアは頭の片隅で悪魔と己を嘲笑う。

 頻繁に使われるようになった為か、山道は幾分か歩きやすくなっている。暗澹たる心の内とは裏腹にそよぐ風は心地良く、山道に落ちる木漏れ日は美しい。見上げた先には、ぽっかりと口を開けた洞窟が居座る。

「外して欲しいんだろう? それ」

 振り向き、ノアは薄く嗤った。揺らぐ深く暗い青に悪魔はゴクリとつばを飲み込んで、唇の端を上げると肩を竦める。

『どうせタダじゃねぇんだろ?』
「もちろん」

 再びノアは歩み出す。

『どうせならこっちの灰色の方を頼みてぇな』
「どうして?」
『そりゃ……まあ、綺麗な方を残してぇから、じゃねぇの?』
「……」

 悪魔は首を傾げながらも答えを示す。

 暗く、先の見えない洞窟へと一人と悪魔は迷うことなく入っていった。
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