Buuuuuutaaaaaaaa-dooooooooooooon!!

ごったに

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表題作以外の小説

大陸の超人

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「そういえば昔はさ」
 生センマイの小鉢にドレッシングを馴染ませていると、女影おなかげが箸で俺の頭上を指した。
 首だけで振り向くと、天井近くに作られた棚にテレビが置かれていた。
 流れているのは、ネットの動画を適当に引っ張ってきただけの衝撃映像特集番組。
「大陸の超人みたいな人が、あの手の番組によく出ていたよな。ホラ、空手チョップじゃなくて額で大量の瓦を割ったり、燃える地面を裸足で歩いたりするやつ」
「あぁ、そうだな。最近は、出ないのか」
 同意し、会話を広げようとしてやったのに女影の野郎は、おかみさんに生ビールのおかわりを注文しやがった。厨房から、おかみさんの酒焼けした元気な返事が返ってくる。
「出ないね。なんか、車が突っ込んできたとか、電柱が倒れてきたとか、爆発したとか水が噴き出したとか、そんなのが多い」
 まさに今流れている動画のジャンルを、女影は解説した。
「へぇ」
 店員さんが早くもキンキンに冷えたジョッキを持ってきてくれて、女影は小さく礼を返すや、喉を鳴らして三分の二ほどビールを飲んだ。
 絶妙に見ていて気持ちよくない飲み方をしやがる。
 ちょっとだけ口を付けるとか、半分くらい残すとか、一気に飲み干すとかでなく、三分の二飲むんだよなぁ、こいつ。
 うしろのテレビをまた振り返ると、動物のマヌケで可愛い動画の特集のコーナーに切り替わっていた。いいなぁ、この番組でワイプに映ってリアクションするだけの仕事。俺もその仕事で大量のギャラをもらいたい。
「テレビのコンプラが厳しくなって、超人は放送できなくなったのかね」
 つまらなくなるわけだ、テレビなんて。
 生センマイを口に運び、しみじみしながら噛みしめる。
 うねった形状の生センマイ、その表面のツブツブにドレッシングが絡んでいて、うまい。
 焼いてないコレのコリコリの食感が、クセになるんだよなぁ。無限にいけそうだ。
「今は何してるんだろうな、大陸の超人」
 俺が生センマイを堪能しているうちに、頼んでいた唐揚げが提供された。女影は、俺が制する間もなく全体にレモンの絞り汁をかけやがった。こいつめ。

 衝撃映像特集が終わる頃に居酒屋を出て、女影が熱を上げている女のいるラウンジへ行った。
 お気に入りのために女影が高い酒を頼むのが聞こえる度、俺はやつの席に冷ややかな視線を注ぐ。
 何やってんだか。
「でね。初めてしゃべってくれた言葉がね────────」
 一方の俺は、自分についてくれた女の子の話をいかにも親身になって聞いているかのように振る舞いつつ、その実聞き流していた。
 掃いて捨てるほどいるんだよ、バツイチ子持ちの夜職女なんて。
 いかにシングルマザーとして苦労し、また子供をどれだけ大切に想っているかなんて話を情感たっぷりにされてもなぁ。面白くない、新鮮味もない。
 どうせ、俺がテキトーな格好で来たから足下を見て、こういう女つけてるんだろ。
 サシ飲みの誘いにしては、妙に女影がカッチリした格好で来たと思ったら、こういうことかよ。
 奢りで飲ませてもらうだけの男、店に俺のことをそう判断させたかったってわけか。
 実際、その女がトイレに立った時にママに一番高い酒を頼んで「チェンジで」と言ったら、明るい大学生風の女の子が付いてくれたし、女影のお気に入りも時々会話に入ってきた。
 目を剥く女影に鼻で笑って返したのが、よくなかった。
 二人とも酔いが回っていたのもあって、競うように酒を頼み、ムキになって飲み、女の子にも酒を飲ませた。
 帰るときには、背筋の凍る請求をされる羽目になった。
 お見送りに女影のお気に入りと大学生風と、あとなぜかシングルマザーも来てくれたが、シングルマザーの子はまさに目は口程に物を言うって感じの顔をしていた。
 知るか。ママとお前は、ひとの足下を見る下品なマネを金輪際やめろ。
 二度とこのラウンジに俺を連れてくるなと女影に釘を刺して別れ、家に帰ったのは丑三つ時に差しかかる頃。
 それから着替えもせずに寝て、目が覚めたのは世間的には出勤ラッシュと言われる時間帯。
 俺はそれとは縁のない生活なので、昼まで二度寝を決め込もうとして、はたと気が付いた。
「……今日は、ジムの日か」
 せっかく仕事の進行には余裕があるのに、編集から健康管理の大切さを説かれて気が付いたら入会していたそれのせいで、俺の二度寝は次の機会に持ち越された。
 前向きに考えれば、曜日感覚を失わずに済むし、編集以外のカタギの人間とコミュニケーションが発生する日でもある。
 だが俺は、身なりを整えて外に出ることが苦手だ。
 ちなみに時間の把握も苦手だ。
 小学校一年の算数でアナログ時計の読み方を習ったときから時間の計算や感覚に納得がいかなかった。それがキッカケで「将来は漫画家か小説家か社長になろう」と硬く決意したのだった。エッセイか講演の仕事が来たらそのへんの話はネタにできる。
 
 奇跡的なことに、俺は時間に余裕を持って車に乗り込むことに成功した。
 国道を走りながら、ひとりごちる。
 平日昼間でも、こんなに交通量が多いの、なんでだろ~。
 もしかして、この街には小説家が一〇〇人くらい暮らしているのだろうか。
 んなわけ。
 代わり映えしない街の、代わり映えしなくて面白くないいつもの道。
 なんて思っていたけど、道路沿いの小さな店舗や民家がいつの間にか太陽光パネル敷き詰めスペースに変わっていることはある。
 環境問題への意識が高まると政府は経済よりも環境を重視し、不況が加速する。
 不況が加速すると、体力のない小さな店は畳まざるを得なくなり、空きスペースは太陽光パネル置き場になる。
 店がなくなって太陽光パネルが増えていくと、最後には街はゴーストタウンと化す。
 書き入れ時と思われがちな夏場にろくに発電もせず、ただ光を反射するだけの迷惑な板が並ぶ不気味な土地ができる。
 面白くねぇな。
 事故らない程度に太陽光パネル置き場を横目で睨んだ、その時だった。
「えっ、何、今の!?」
 一瞬の出来事だったが、俺は確かに見た。
 視界の隅で、谷折りにされて台座から崩れ落ちる太陽光パネルを。
 路肩の広くなっているところへ急いで車を滑り込ませると、残暑長引く外へと飛び出した。
 走って太陽光パネル置き場の向かいまで戻ると、また太陽光パネルが折れた。
 もちろん、ひとりでに太陽光パネルが折れる超常現象が起きているわけではない。
 在りし日のカンフー映画に出て来そうな、大陸風の服に身を包んだ老人が掛け声とともに太陽光パネルに手刀を振り下ろしているではないか。
 結構な速度で振り下ろされているが、よく見れば老人は耳にイヤホンを挿している。
 まさか、音楽に合わせてノリノリで破壊活動に勤しんでいる!?
 何を聞いているのかはわからないが、老人が太陽光パネルを叩くリズムにはどこか聞き覚えがある。
 唯一の太陽の眩しさよりも無限の闇を讃える歌詞や、混沌を英語ではなくドイツ語に訳した歌詞がサビにある、あの曲だ。
 老人の飼い犬だろうか。
 太陽光パネル置き場の入り口には犬が繋がれて「うー」と唸っている。
 何を唸っているのかと思って見れば「にゃー」と猫が犬の近くで鳴いている。
 リードを繋がれて動ける範囲が制限されている犬を、猫がおちょくっているのだ。
「うー」
「にゃー」
「うー」
「にゃー」
「うー」
「にゃー」
 犬と猫の合唱。
 物凄くどこかで聞いた記憶があるが、俺は犬と猫を同時に飼ったことがない。
 一体どこで聞いたのか、どうしても思い出せないがコズミック!
 などと見守っていると、ふいに老人の手が止まる。
 手刀として振り下ろしていた右手を、水を切るように振っている。
 無理もない。
 とんでもない速さで太陽光パネルを叩いていたのだ、痛みを感じて当然だ。
 不快なオブジェクトの破壊が終わってしまうのを残念に思っていると、何を思ったのか老人は神前であるかのように深々と礼────────ではなく額で太陽光パネルを叩きだした。
 こ、腰が逝ってしまうぞ、ご老体!!
 バンギャ顔負けの激深ヘッドバンキングで、老人はバンバン太陽光パネルを割っていった。
 呆気に取られていた俺の脳裏に、昨晩の女影との会話がフラッシュバックする。
 ────────今は何してるんだろうな、大陸の超人
「居たあああああああああああああああああっ!! 大陸の超人だああああああああああああっ!!」
 何枚も重ねられた瓦に額を打ち付けると、一発でそのすべてを割る大陸の超人。
 硬気功の存在を確信してしまうような鮮やかなその技は、令和のコンプライアンスによって衝撃映像番組から姿を消した。
 しかし、テレビで取り上げられなくなったとしても、達人にして超人であるその人が消え去るわけではない。
 額を使いだしたが老人のイヤホンは、なにげに当世流のワイヤレス。
 スマートフォンが道に飛び出すようなアクシデントもなく、手刀の時と同じリズムを刻んでいる。
「いやいやいやいや! なんで手刀と同じリズム刻めるの!?」
 人間に不可能はない。
 老人はまさに無限大の可能性を体現したような存在として、俺の前に在った。マジパネェ。
「HOW DARE YOU !!」
 リズムも刻んでくれるし、ずっと見てられるなぁと。
 汗を拭きながら老人による破壊を眺めていたら、突如としてヒステリックな叫びが耳に飛び込んできた。
 目を瞬きながら辺りを見回すと、俺の車に横付けされたトレーラーから不遜なおみこしが現れた。
 二本の棒を数人の女たちが担ぎ、その上には玉座に深々と腰かけた不機嫌そうな西洋人の女。
 くすんだ金髪を伸び放題にし、平安美人のような輪郭の生白い顔を怒りで真っ赤に染めている。
 叫んだことで消費してしまったカロリーを補充するように、小脇に抱えた紙袋から取り出されるのは砂糖で真っ白になった脂でギトギトのドーナッツ。亜熱帯になった日本の昼の日差しを受けて、ギラギラと輝く脂が目に眩しい。
「あっ! あれは!」
 時代遅れの中卒環境テロリスト、モレク・ドーン・ペリーだった。
「懐かしい~。まだいたんだ」
 世界は脱・脱炭素のトレンドへ邁進し始めたため、西洋に居場所がなくなったようだ。でも日本でならチヤホヤしてもらえると思ってノコノコとやってきた、ってところか。
 実際、信者はモレクを文字通り担ぎ上げているわけだし……嘆かわしい、日本の恥だね。
「HOW DARE YOU !!」
 ドラレコ対策だろうか。
 モレクに続いてトレーラーから降りてきた、顔をすっぽりと覆い隠す三角形の仮面を被った信者たちが、車道に飛び出した。
 けたたましく鳴らされる、クラクション。
 窓から顔を出して怒鳴る、ドライバー。
 しかし、信者たちは断固としてその場を動かず、身を挺してご主人様のおみこしが道を渡れるよう車を止め続けた。
 おみこしが車道を渡る合間に砂糖で真っ白なドーナッツがモレクの腹に収まり、今度は紙袋から水色のチョコレートのかかったやはり脂でギトギトのドーナッツが出てきた。
 大口を開けたモレクはそれに齧りつくと、咀嚼もそこそこにくぐもった声で叫ぶ。
「HOW DARE YOU !!」
 口角泡と一緒に、ドーナッツの欠片がモレクの口から飛び出した。
 そこで初めて世間知らずの娘が自分に話しかけていることに気が付いた老人が、モレクと対峙する。
 大陸の言葉で老人が何やら言ったようだが、俺に大陸言葉の素養はない。
 しかもモレクも感情任せに「HOW DARE YOU !!」とがなり立てるだけだから、まるで会話になっていないのが道の反対側からでもわかる。
 対話は不要。
 対話は無益。
 大陸の超人たる老人は腰を落とし、左の掌を天に向けてモレクに手招きした。
 一方でモレクを担ぐ女たちは、怒号やクラクションでうるさい中でもはっきりと聞こえる低音による怪しい詠唱を始めた。
 詠唱が進むにつれて、モレクの日焼けで赤くなりつつあった肌がアスファルトのように黒変しはじめた。くすんだ金髪の内より頭皮が隆起し、猛牛のそれのような角となって伸びる。
 双方の見解が一致したらしい。
 この場で言語と呼べるものは、拳のみであると。
 モレクは身の丈五メートルは下らない、二足歩行の邪悪な牛に変じた。
「でっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっかぁ!?」
 見上げるような巨体に俺はデカい声を出したが、老人は腰を落としたままぴくりとも動かない。
 わずかに老人を中心に上昇気流が発生しているように見えるが、気のせいだろうか。
 いや、気のせいじゃないなぁ!?
 老人の白い髭や髪の先っちょが、わずかに浮かび上がっている!!
「HOW DARE YOU !!」
 モレクは自らを担ぎ上げた信者たちを蹄で踏み潰し、踏み躙り、地面に赤い染みが広がった。
 あたかもそれが老人のせいであるかのように、老人を指差す。
 眉一つ動かさない老人の堂々とした佇まいが、よほど気に入らなかったのだろう。
 モオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッンンンッ!!
 癇癪で上げられたのが丸わかりの野太い咆哮が、天地を揺るがした。
 俺も驚いているが、もっと驚いたのが不当に車を止められていたドライバーたちだ。
 たとえ信者たちを轢いたとしても我が身が大事、我先にと車を走らせ始めた。
 だがそれはいくつかの玉突き事故を起こし、事故に遭ったドライバーたちは愛車を乗り捨てて蜘蛛の子を散らすように自分の足で逃げ出した。
「HOW DARE YOU !!」
 割られた太陽光パネルを指差して、モレクが叫ぶ。
「貴様!! 日本経済破壊計画の一環である太陽光パネルを破壊するとは何事だ!! 世界を裏切るつもりか!!」
 まったくモレクの鳴き声にリアクションを返さない、大陸の超人。
 ご主人様の意を汲まない老人に業を煮やしたのか、モレク信者の日本人女がモレクに負けじと声を張って非難した。
 何気にとんでもないことを言っているが、今は平日の昼間。
 しかも悪魔としての正体を現したモレクの威容に恐れおののいて、誰もこの場に近寄って来ない。
 ────────ただ一人、小説家の俺を除いてな!
 なるほど、なるほど。
 世界に根を張る悪魔崇拝者は、環境テロリストの顔で日本にコスパの悪いカーボンフリーをゴリ押しし、神の国である日本を貶めようというのか。
 こいつぁ、ドエラいド陰謀を耳にしちまったもんだぜ!
 しかし、老人は大陸の人間だ。日本語はわからない。
 依然としてノーリアクションで、モレクを睨みつけている。
 モレクが勘違いするならともかく、日本人なら日本人と大陸の人間の区別は付くだろ。
 というか、信者の日本人女の声、どっかで聞いた気がするな。
「HOW DARE YOU !!」
「きゃあっ!! おやめください、モレク様!! どうか、お慈悲を!!」
 役立たずには死、あるのみ。
 身を屈めたモレクは、踏み潰された同胞を省みずご主人様のスピーカーに徹した信者を鷲掴みにした。モレクの掌の中で暴れた信者の頭から、三角仮面が落ちる。
 声に聞き覚えがあったため、俺はその顔を確認しようと目を凝らした。
「あっ、あの女!」
 昨晩、人の足下を見て俺にシングルマザーの辛さと子煩悩ぶりを湿度たっぷりにまくし立てた、ラウンジの女じゃねぇか!
 なーにが、子供を愛してるだよ。
 子供を供犠として要求する悪魔を崇拝しておいて、子供をいかに愛しているかを客に語ってんじゃねぇよ!
「あああああああああああああああああああああああっ!!」
 大口を開けたモレクの口に放り込まれる、シングルマザー。
 否。
 俺は、とんでもない光景を目撃した。
 気合一閃、強く地を蹴った老人が上昇気流に乗って、大ジャンプ。
 身を捩って反動をつけた蹴りで、モレクの下顎を蹴り上げたのである。
 よだれを垂らした迎え舌でシングルマザーに食らいつこうとしていたモレクは、その寸前で力いっぱい己の舌を噛んでしまった。
 鼻から火を噴きながら、仰向けに倒れるモレク。
 ズシーン、と響く重量感のある音と、地を伝う震動。
 それから一拍遅れて落下する、巨大な牛タン!!
 うーん、なぜか食欲が湧かない!!
 シングルマザーはというと、老人にキャッチされて無事だった模様。
 いや、あの爺さんの腰はどうなってんだ!?
 一般的には良かった、と胸をなでおろすところだろう。俺も小説家の端くれ、それくらいはわかる。
 でも小説家は奇人変人なので、俺にはそんなことはどうでもよかった。
 これに懲りたら、もうモレク崇拝なんてするんじゃあ、ないぜ!
 もちろん、悪魔崇拝が世界中に根を張るってことは十字教を隠れ蓑にしているってことだ。
 聖職者の児童への性的加害が多発しているのは、連中がその実モレク崇拝者だってことだからな。
 宗教なんかに頼らない、強い母になって子供を守れ。それがお前の生きる唯一の道だ。
「HOW DARE YOU !!」
 舌を噛み千切ったはずなのに、流暢に英語を話しながらモレクが立ち上がる。
 両手を組んでスレッジハンマーにすると、それを大上段に振り上げた。
 アスファルトを割るほどの力強い足運びを以って、老人へと肉薄。
 老人は自分のうしろへとシングルマザーを庇うと、さっきまで割っていた太陽光パネルの残骸をモレクへと投げつけた。
 二枚、三枚と飛ぶそれが腕に当たってもモレクは動じない。
 無力感を味合わせるように、ニタニタと笑うのみ。
 だが、それがモレクの失敗だった。
 投擲される太陽光パネルの破片など効かない、と驕ったモレク。
 しかし、それは老人も織り込み済みだったのだ。
 馬鹿の一つ覚え、と言わんばかりにモレクが侮蔑的に鼻息を吐いたときだった。
 真打と呼ぶべき、老人の太陽光パネル投擲がモレクの右肘に突き刺さる。
 一瞬にしてモレクの目が点になり、スレッジハンマーを解いて左手で右肘を押さえたではないか。
 痺れた、とばかりにモレクの右手はヒラヒラと動かされ、まるで魚の尾ひれだ。
「あれは、ファニーボーン!!」
 知っているのか、俺!!
 説明しよう!!
 ファニーボーンとは、肘にある打つとなんか腕が痺れる部位だ。
 机の角や通路に置かれた障害物に肘をぶつけて、ビイイイイン、と腕が痺れたような感覚に陥ったことが誰しも一度くらいはあるだろう。あれがファニーボーンを打ったときの感覚だ。
 見方によっては太陽光パネルでツボを突いたみたいで、めっちゃ大陸っぽいぞ、老人!!
 再び老人の足下から上昇気流が発生し、老人が人間離れした跳躍をする。
 まだ痺れの取れていないモレクは、肘を押さえてたたらを踏んでいる。
 つまり、隙だらけだった。
 跳躍の際に身を捩り、その身に螺旋のエネルギーを宿したらしい老人は、モレクの鼻先へと勢いよく回し蹴りを叩き込んだ。
 頭を仰け反らせる、モレク。
 攻撃の手を(足を?)止めない、老人。
 空中にも拘わらず老人は高度を維持したまま、二発、三発、いや目にも止まらぬ速さで十発、ニ十発と機関銃の如く前蹴りを炸裂させる。
 高速であるのに、その一撃一撃はしっかり重いのが、下から見ていてもわかった。
 水溜まりを踏むかのように気が、いや視覚化された氣が蹴りの突き刺さる毎にモレクの顔面で弾けていたからだ。
 ただ、モレクも強大な悪魔だけはある。
 猛攻撃を受けている最中でも、老人を掴もうと腕を伸ばし、あわよくば叩き潰そうとさえした。
 そう、ファニーボーンを打っているのに、だ!!
 しかし、老人の方が一枚も二枚も上手だった。
 蝶のように舞い、蜂のように刺すとはこの大陸の超人のためにあるような言葉だ。
 蹴りの最中でもふわりと宙を舞ってモレクの腕をかわし、即座に踵落としでモレクの手を払いのけたのだ。
 俺の目には、踵落としは一度しか極まっていないように見えた。
 しかし、モレクは左右の手に踵落としが突き刺さったと言わんばかりに、掲げた両手をぶるぶると震わせている。
 もちろん、その好機を逃す老人ではない。
 モレクの鼻先に着地した老人はモレクの顔を素早く駆け、弾丸となってその額へと飛び膝蹴りを見舞った。
 瞬間、モレクの手の震えが止まる。
「うっわぁ、こっちくんなよ!!」
 傍観者に徹していた俺に覆い被さる、影。
 慌てて愛車のある方へと走った。
 そりゃあもう、編集者から逃げるときよりも本気で。
 どう────────と、大きな音を立て倒れる巨体はアスファルトへと沈んだ。
 一方の老人は、空中で何度もバック宙した末に、スーパーヒーロー着地を決めた。
 駆け寄るシングルマザーを胸で受け止め、満足そうに、しかし鼻の下は伸ばさずに頷く老人。
 俺? 俺は間一髪、モレクに潰されずに済んだよ。
「怪我はありませんかな、ご婦人」
 うっそ、老人、日本語話せるのかよ!?
 いや、よく見れば老人、耳からワイヤレスイヤホンを取っているじゃないか。
 つまり、日本語がわからないんじゃなくて爆音で音楽を聴いていたから、聞こえてなかっただけかよ!!
 もしかしたら、英語も余裕でわかっていたのかもしれない。
 ずっこけそうになる真実に俺がお口アングリしているうちに、なんかシングルマザーと老人が凄くいい感じになっている。
 これ以上は野暮だぜ、って感じが半端ない。
 デキる小説家はクールに去るぜ……と思ったけど、モレク信者が俺の愛車にトレーラーを横付けしているんだった。壁走りでもしない限り、車を脱出させられそうにない。
「お困りですかな、先生」
「うわっ、びっくりした!?」
 愛車のテールランプを眺めながら途方に暮れていると、老人が背後に立っていた。
 まったく気配を感じなかった。
 そして、日本語にまったく違和感がない。ヤバい。
「ははあ、こちら先生の愛車でしたか。すぐに何とかしましょう」
「えっ?」
 俺が何か言うよりも早く、老人はトレーラーを人差し指でトンッ、と突いた。
 刹那。
 そう、まさに刹那と知覚できるかできないかのわずかの時間の後。
 トレーラーが九〇度回転し、進行方向に乗り捨てされた車両を車道から排除し、進路が開けたのである。
「あぁ、先生。お礼は結構です。ただ、私からささやかなお願いがありまして」
「お願い……?」
 普通に対価を要求してるじゃねぇかと訝しんでいると、老人を追いかけてきたシングルマザーの訝しげな視線とぶつかった。
 声にこそ出さないが「あっ」という顔で俺を指差すシングルマザー。そういうところだぞ。
「孫が先生のファンでしてな」
 どこから取り出したのか、油性マジックと色紙を手に老人は好々爺然とした笑みを浮かべていた。
「あ、ああ、はい。書かせていただきます」
 レッカーサービスを呼ぶよりよほど安い。いくらでも書かせていただきます常識の範囲内で。ちなみに、お孫さんはおひとりで? おひとり? そう。
 ちなみにジムは、ぶっちした。
 今日は休め、ってな。

「小説に大陸人を出してはいけない、って掟は知ってるか?」
 ホッケの身をほぐしていると、女影が水を向けてきた。その手に握っているのはビールジョッキだけど。
「ノックスの十戒だろ? 別に推理小説でもないし、もうそんな時代じゃないだろ」
 酒の肴に大陸の超人に遭遇した話をしてやったのだが、女影は俺の話をホラと決めつけているようだ。
「時代といえば、そのジジイの飼い犬とそれをからかっていた猫はどうなったんだよ」
 映画のエンドロールに撮影で本物の動物に危害を加えていない旨を弁明するメッセージが流れたり、あるいは公開前の予告編や広報のアナウンスで犬猫が死なないことが発信されたりする。
 女影のいう時代、とはそういうことを言っているのだろう。
 いやはや、大衆とはクリエイターになれなさそうな感性をたいそう大事にしたがるものだね。
「猫はソッコーで逃げたし、犬もモレクが暴れたときにリードが切れたから逃げた。どっちも死んでない」
「バカ。そういうのはな、ツッコミを受けないように作中で提示するんだよ」
「どうでもいい描写はカットするのも、技術でありサービスだろうが。お前はヒーロー番組でヒーローが便所に行く描写がないことを不思議がるガキか」
 反論していると、おかみさんが牛タン焼きを運んできてくれた。
 お礼とともに、女影は生ビールを注文した。俺もそれに便乗して生ビールツー、と伝えた。
「お前のホラ話で、どうも牛タンが食べたくなってね」
「いや、これマジ話だから」
「はいはい。お前の中ではなそうなんだろうな」
 信じろって方が無理なのも、わかる。
 事故で乗り捨てられなかった車のドラレコ、ズームが優秀な最近のスマートフォンによる動画撮影。
 モレクをカメラに収める方法はいくらでもあっただろう。
 だが、そういった動画がネットに拡散されることはなかった。
 撮影をした人自体はいたようだった。
 だがいずれの動画にもノイズが走っていて、モレクの輪郭すら確認できないという。SNSの書き込みでその珍現象を知った。
 俺?
 俺は小説家だから動画に撮るんじゃなくて、脳みそに焼き付けていたさ。
 再生は動画ファイルじゃなくて、文字によるアウトプットだとも。
「そういや、お前のホラ話にも出てきた、あのシングルマザーの子さ。店、やめたんだって」
 一人で牛タン焼きを平らげた女影が、茶化しているのを隠しもしない笑みを浮かべて教えてくれた。
 いらない情報だった。
「ホラじゃねぇし。お前こそまだあの店、行ってんのかよ」
「この後、行かね?」
「行かねぇつってんだろ!」
 語気を強めて拒否したせいで、ちょうど俺と女影の生ビールを運んできてくれた店員さんを驚かせてしまった。
 気まずさから小さく謝って生ビールを受け取り、その様を女影に笑われた。
 何笑ってんだ、このクソ女影がよう!
 腹いせに俺は一気に生ビールを呷るや、即座に店員さんにジョッキを返しておかわりを注文した。
「ははは、もったいない飲み方するなぁ。三分の二ぃ残せば、一気飲み感覚とチビチビ感覚、両方味わえてお得なのに」
「黙れ、変人」
 すぐに提供されたおかわりを受け取ったとき、下半身に寒気が走った。
 あぁ、ビールはすぐお手洗いに行きたくなっちまうのが、いけねぇ。
「よっこいしょ。トイレ、行って来るわ」
 しょうもない女影のダジャレは、武士の情けで聞かなかったことにしてやる。
 立ち上がって振り向いたとき、テレビの画面が目に入った。
 番組と番組の間に流れるストレートニュースで、地域住民の反対を押し切って設置されるはずだった太陽光パネルが何者かによって破壊されたことを報じていた。
「またやってんのか、爺さん」
 小さく呟いて、俺はトイレへ駆け込むのだった。
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【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】 『み、見えるの?』 「見えるかと言われると……ギリ見えない……」 『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』  ◆◆◆  仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。  劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。  ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。  後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。  尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。    また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。  尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……    霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。  3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。  愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー! ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

秘密のキス

廣瀬純七
青春
キスで体が入れ替わる高校生の男女の話

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

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