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詠嘆編
第100話 神在り史
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夢幻の狭間 斎ノ宮
「はぁ、はぁ、はぁ…」
「サクヤ…お姉ちゃん」
「どうやら、全て終わったようですね…はぁ、はぁ、うっ」
倒れそうになるサクヤを、クロとシロが支える。サクヤの体は薄くなり始め、先が長くないことを暗示していた。
「サクヤ様!クロ!シロ!」
「郭お兄ちゃん⁉︎」
「はぁ、はぁ…」
夢幻の狭間の回廊にいた郭がサクヤ達のもとへとやってくる。
「郭お兄さん、サクヤ様が…」
「サクヤ様…」
「どうやら、あなたの子や仲間達は、無事に因縁を断ち切ったようです…、郭さん、この子たちを、後を任せましたよ」
「サクヤお姉ちゃん‼︎」
神器を失い、神性が尽きたサクヤが目を閉じると、懐かしい声が響いてくる。
「サクヤ」
「この声…お姉様?」
目を開けて頭を上げると、そこにはかつて姉のように慕っていたカミコが立っていた。彼女の表情は、全てを優しく包み込むような笑顔に溢れていた。
「長い間、お勤めご苦労様」
「いえ…私は、最後まで皆さんに苦労をかけてばかりでした」
「そんなことないわ」
カミコはサクヤの手を握ると、自らの元に引き寄せて抱きしめる。サクヤはその抱擁に身を委ねる。
「お姉様の中、暖かいです」
「少し、休みなさい」
「はい、お姉様。おやすみなさい」
「おやすみ、サクヤ」
◇
「終わったのか…?」
「えぇ、そのようですね…」
「お兄さん!」
ミィアンが宙へと飛び上がり、落下する御剣を受け止める。瑛春が完全に滅されたことの知らせか、先ほどまで黒い雲に覆われていた空に光が差し始め、やがて澄んだ青空が広がる。
「御剣!」
私はミィアンに抱き抱えられ、気を失う御剣の元へと駆け寄る。
ぐったりとする御剣を抱き起こし、何度も声をかけた。何度も何度も、手を握り、体を揺さぶり、声を掛け続けた。
「御剣!御剣!」
「み…ず、ほ?」
「御剣、良かった…」
その時、私は抱き抱えていた御剣に異変を感じる。
その身体は、まるで人形のように軽くなっていた。
私は、その理由が分かっていた。御剣の体から、呪力が完全に消えた。それは、神器として、否、御剣の人としての命の灯火が消え掛かっているということだった。
「終わったんだな…」
「うん、終わったよ」
いつもはどれだけ怪我をしようが、弱音を吐かなかった御剣が、今はとても弱々しく見えた。
「御剣」
「喋るのが精一杯、だな。動けない。これが最後になりそうだな…」
「最後って、御剣、あなた」
彼をずっと支えてきた千代が駆け寄る。
「御剣、さま…」
「千代」
「………」
「千代、すまなかった。ずっと、俺が、支えられて、ばかりだった」
「………」
「斎ノ巫女、俺にとって、とてもかけがえのない、存在だった。千代が、いなければ、今の俺は、恐らくいなかった…」
「何を仰いますか。私が御剣様に仕えていたのは、決して私が斎ノ巫女だった訳ではございません。私は、私が心から愛した人のために、仕えた次第でございます」
「…ありがとう」
「御剣様、ううん、御剣くん。私は、いつまでも、御剣くんの帰りを待っているから」
御剣の体は徐々に薄くなり、目は白濁し始めた。
「藤香」
「………」
「お前と過ごした日々、本当に幸せだった。今まで、ありがとう」
「うん……」
「また、一緒にお茶でも飲もうな」
「うん…うん…」
語らずとも、御剣と藤香は心が通じ合っている。
私は最後の最後に、彼を名一杯抱きしめた。
「瑞穂…」
「………」
「どうやら、約束は守れそうにない」
「馬鹿」
「酷い言われ様だな」
「不器用で、堅物のくせに、無茶して。挙句に最後だ、別れの言葉だ、後を頼むとか。ほんと、どうしようもない人ね」
「ふっ、主なら別れ際くらい、頑張ったことを褒めてくれても、いいだろう…」
「本当に…あなたって人は」
「こうしてみると、言葉が、思い浮かんで、こないな…」
「………」
「あの時、川で瑞穂と、出会ったのは、運命だったのかもな…」
私は、御剣を思いっきり抱きしめる。
すると、弱々しいながらも、抱き返してくれた。
涙が、止まらない。
「ッ⁉︎」
すると、すでに動けないはずの御剣から、口付けを受けた。初めて、自分からではなく、彼自身が、彼自身の意思でしてくれた。
「想いは、伝わった、か」
「うん…」
「愛してる、瑞穂、いつまでも」
「私も、ずっとあなたの事を、愛してる」
「とても、楽しい人生だった。じゃあ、またな…」
その言葉を最後に、私を抱きしめていた御剣の手がゆっくりとずれ落ちていった。やがて、その身体は灰になって消え、私の胸の中に残っていたのは、御剣という存在を創り出していた一振りの無銘の刀だけだった。
その瞬間、私は泣き崩れた。
ずっと、ずっと、声を出して泣いた。
◇
後に、この書を手にする者が現れる事を信じ、筆を手にする。
災厄の日から半年以上が経った。
瑛春がタタリを取り込み、夢幻の狭間と現世の境界を破り、妖を解き放った。僕たちは勝利したが、戦いの末に瑞穂帝の従者である御剣が犠牲となった。
まさに、落日という言葉が相応しい状況であった。
しかし。
生き残った皇民による先の見えない復興が進む中、一筋の希望が現れた。
瑞穂帝の子が生まれたのだ。
その事実は瞬く間に皇国中に広まり、落ち込んでいた皇国の人々は歓喜に満ちた。
こうして書を書いている間も、壁の向こうから赤子の泣き声と、それをあやす声が聞こえてくる。
瑞穂帝と、今は亡き御剣様の子だ。
赤子は瑞穂帝と、その周囲の者たちによって大切に育てられている。
遅かれ早かれ、皇国は元どおりの姿に戻り、この赤子が二代目の皇国帝になるだろう。
まだ名は決まっていないらしい。
それなら、翡翠という名を推す。
翡翠は宝石の一種で、美しいのは勿論であるが、なおかつ頑丈。
美しさを兼ね備えた、芯の強いお方になってほしい、そんな意味がある。もうすぐ生まれてくる異母姉妹たちが、彼女を支えてくれるだろう。
さて、その後皆がどうしているか。
皇を支える任につく者。
新たなる責任を帯びた者。
後進の育成に精を出す者。
自身を見つめなおす為に旅に出た者。
様々だ。
僕相変わらず、皇宮の書斎で執筆に耽る毎日を送っている。書斎から城下や山々に咲き誇る満開の桜を眺めつつ、お茶を嗜みながら筆を取るのも、中々に乙なものだ。
「阿礼! 皇様が呼んでいるわよ!」
「分かった分かった!」
僕が建国の歴史として記せるのはここまで。これからはこの国の成長の歴史を記すことにしよう。
これからは新たな時代がやってくる。
どうか、新たな時代が平和でありますよう。
皇国史記
著 稗田阿礼
◇
私は、命日の日に明風神社へ足を運んだ。
ここには、墨染お祖母様を初めとする多くの人々が、安らかに眠りについている。ようやく暖かくなり始め、明後日には桜花祭も控えている。
「お祖母様、みんな、報告に参りました。翡翠はみんなに可愛がられながら、すくすくと成長しています」
私は抱きかかえる翡翠を見る。
翡翠は気持ちよさそうに寝息を立てて眠っていた。
「いずれ、この子が私の跡を継いでこの国を纏めてくれるでしょう。その時は、皆でこの子を見守ってください」
私は片手で1つ1つのお墓に供え物を置く。すでに、お墓には先に来た皆んなが供えた物が所狭しと並べられていた。
「どうやら、私が最後みたいね」
墓地の一画、眼下に葦原村が見える場所に、一つだけ墓石が立っていた。その墓石には、他に比べて多くの花や供え物が供えられている。
「あれから一年、心配しなくてもみんな元気にしているわ。あなたが残した子も、みんな元気に育っているわ。ふふ、そっちは相変わらずかしら」
私は、墓石の前に彼の好物だった大福とお酒を置く。
「慕われているのね、あなた…」
その時、どこからともなく鈴の音が聞こえる。
「えっ?」
辺りを見渡しても、そこには私と翡翠以外いない。でも、確かに聞こえた。
「嘘、でしょう…」
いつの間にか、墓石に備えられていた桜の枝に私が贈った鈴が結び付けられていた。
「そっか。ずっと、私たちを見守ってくれているのね」
私は鈴を手に取ると、翡翠の髪の毛に括り付ける。すると、不思議と翡翠が喜んでくれた。
「ありがとう、御剣」
そして散りゆく者への鎮魂歌を、私は口ずさんだ。
亡き命が常世を彷徨わぬ様に。
舞い落ちた桜の花弁が、翡翠の額にゆっくりと落ちた。翡翠は、柔らかな笑顔を浮かべた。
◇
「今日、皇国は新たな節目を迎えることになる。これより、大御神であり、そして皆の皇であるこの瑞穂之命が娘、翡翠之命の正冠の儀を執り行う!」
皇都の中心、皇宮。広間は皇民たちで溢れかえり、登壇する2人の周囲には、皇国を形成する国の皇たちがその凛々しい姿を見守っていた。
皆の視線を集めるのは、激動の時代を皇国の皇として戦い抜き、民を守り、大神への信仰を取り戻し、そして国を一つにまとめる事で神州に真の平和を実現させた大御神瑞穂之命。
その横に立ち皇民たちを見据えるは、皇国皇の正統なる後継者。そして、これより正統な皇国皇となるその娘、翡翠之命であった。
「我は今この時を持って、皇国皇を退位し、我が血を受け継ぐこの翡翠之命にその任を受け継ぐ」
正装に身を包んだユーリが、盆に桜吹雪と桜の花びらが描かれた鉄扇を運んでくる。そして、一人前の女性となった小夜が共に瑞穂の元へと歩み寄る。
瑞穂が屈むと、小夜は瑞穂が被っていた太陽の紋章の髪飾りをゆっくりと外し、振り返る。
今度は翡翠が屈み、小夜に髪飾りを被せられる。そして立ち上がると、ユーリの盆から桜吹雪を手にして帯剣し、最後に扇を手にする。
「御立派でございます。かつての瑞穂様を見ているようですよ、翡翠様」
「さぁ、翡翠」
瑞穂は、翡翠の背中を優しく押す。
「はい。お母様」
翡翠はユーリから離れ、改めて皇民たちへと向き直る。
「我は翡翠、皇国皇、翡翠之命である‼︎」
◇
この年、新たな皇国皇の誕生を祝ってか、国中の桜は一段と花を咲かせたような感じる。
「もう、そんな時期かぁ…」
私が書斎から外を見ると、中庭に生える墨染の桜は、今年も満開になり、綺麗に彩っていた。
翡翠に皇位を継承した後は、故郷である葦原に戻り、またこの村の村長として静かに余生を過ごすことにした。
とは言っても、皇位を退いたというものの、若年の翡翠に任せきれない政も多々あり、瑞穂が政務からは逃れることができず、毎日ユーリから送られてくる書簡に目を通しては、皇都に送り返す日々が続いていた。
「瑞穂様、お茶が入りました」
そう言って書斎に入ってきたのは、私の唯一無二の親友であり、斎ノ巫女である白雪千代。千代の子である舞もやがて次の斎ノ巫女となるのだろう。
私は、盆に載せられた湯呑みが3つある事に気付く。
「ありがとう」
「瑞穂、茶菓子を持ってきた」
「なるほど、そういう事ね」
千代の後ろから現れたのは、もうひとりの親友藤香。彼女の子、穂花を含め、3人は皇国三姉妹と呼ばれ、次代の皇国を担う存在となっている。
「こうして3人でお茶をするのも、なんだか久しぶりね」
「ようやくひと段落ですね」
「本当に忙しかった」
茶菓子を口にする。聞けば、この桜餅は私のために皇都の珠那さんが作ってくれたらしい。懐かしい味に、思わず笑顔になってしまう。
「さてと、美味しいものも頂けたし、残りの仕事も片付けちゃいましょうか」
「手伝いますよ、瑞穂様」
「3人でやれば、すぐに終わるし」
◇
しばらくした後。
「よっと。全く、次から次へと書簡を送ってきやがって。処理するこっちの身にもなってもらいたいもんだ」
屋敷の廊下を、山積みになった書簡を持って歩く日々斗は、瑞穂のいる書斎へと向かっていた。
「瑞穂ぉ、追加の書簡だぞっ…と」
「すぅ、すぅ」
日々斗が書斎を尋ねると、そこにはすでに頼んでいた書簡を全て片付け、机に持たれて眠る3人の姿があった。
「参ったなぁ…俺がやるか」
頭を掻いた日々斗は、3人に羽織を被せて自室へと向かう。
「平和だねぇ」
「はぁ、はぁ、はぁ…」
「サクヤ…お姉ちゃん」
「どうやら、全て終わったようですね…はぁ、はぁ、うっ」
倒れそうになるサクヤを、クロとシロが支える。サクヤの体は薄くなり始め、先が長くないことを暗示していた。
「サクヤ様!クロ!シロ!」
「郭お兄ちゃん⁉︎」
「はぁ、はぁ…」
夢幻の狭間の回廊にいた郭がサクヤ達のもとへとやってくる。
「郭お兄さん、サクヤ様が…」
「サクヤ様…」
「どうやら、あなたの子や仲間達は、無事に因縁を断ち切ったようです…、郭さん、この子たちを、後を任せましたよ」
「サクヤお姉ちゃん‼︎」
神器を失い、神性が尽きたサクヤが目を閉じると、懐かしい声が響いてくる。
「サクヤ」
「この声…お姉様?」
目を開けて頭を上げると、そこにはかつて姉のように慕っていたカミコが立っていた。彼女の表情は、全てを優しく包み込むような笑顔に溢れていた。
「長い間、お勤めご苦労様」
「いえ…私は、最後まで皆さんに苦労をかけてばかりでした」
「そんなことないわ」
カミコはサクヤの手を握ると、自らの元に引き寄せて抱きしめる。サクヤはその抱擁に身を委ねる。
「お姉様の中、暖かいです」
「少し、休みなさい」
「はい、お姉様。おやすみなさい」
「おやすみ、サクヤ」
◇
「終わったのか…?」
「えぇ、そのようですね…」
「お兄さん!」
ミィアンが宙へと飛び上がり、落下する御剣を受け止める。瑛春が完全に滅されたことの知らせか、先ほどまで黒い雲に覆われていた空に光が差し始め、やがて澄んだ青空が広がる。
「御剣!」
私はミィアンに抱き抱えられ、気を失う御剣の元へと駆け寄る。
ぐったりとする御剣を抱き起こし、何度も声をかけた。何度も何度も、手を握り、体を揺さぶり、声を掛け続けた。
「御剣!御剣!」
「み…ず、ほ?」
「御剣、良かった…」
その時、私は抱き抱えていた御剣に異変を感じる。
その身体は、まるで人形のように軽くなっていた。
私は、その理由が分かっていた。御剣の体から、呪力が完全に消えた。それは、神器として、否、御剣の人としての命の灯火が消え掛かっているということだった。
「終わったんだな…」
「うん、終わったよ」
いつもはどれだけ怪我をしようが、弱音を吐かなかった御剣が、今はとても弱々しく見えた。
「御剣」
「喋るのが精一杯、だな。動けない。これが最後になりそうだな…」
「最後って、御剣、あなた」
彼をずっと支えてきた千代が駆け寄る。
「御剣、さま…」
「千代」
「………」
「千代、すまなかった。ずっと、俺が、支えられて、ばかりだった」
「………」
「斎ノ巫女、俺にとって、とてもかけがえのない、存在だった。千代が、いなければ、今の俺は、恐らくいなかった…」
「何を仰いますか。私が御剣様に仕えていたのは、決して私が斎ノ巫女だった訳ではございません。私は、私が心から愛した人のために、仕えた次第でございます」
「…ありがとう」
「御剣様、ううん、御剣くん。私は、いつまでも、御剣くんの帰りを待っているから」
御剣の体は徐々に薄くなり、目は白濁し始めた。
「藤香」
「………」
「お前と過ごした日々、本当に幸せだった。今まで、ありがとう」
「うん……」
「また、一緒にお茶でも飲もうな」
「うん…うん…」
語らずとも、御剣と藤香は心が通じ合っている。
私は最後の最後に、彼を名一杯抱きしめた。
「瑞穂…」
「………」
「どうやら、約束は守れそうにない」
「馬鹿」
「酷い言われ様だな」
「不器用で、堅物のくせに、無茶して。挙句に最後だ、別れの言葉だ、後を頼むとか。ほんと、どうしようもない人ね」
「ふっ、主なら別れ際くらい、頑張ったことを褒めてくれても、いいだろう…」
「本当に…あなたって人は」
「こうしてみると、言葉が、思い浮かんで、こないな…」
「………」
「あの時、川で瑞穂と、出会ったのは、運命だったのかもな…」
私は、御剣を思いっきり抱きしめる。
すると、弱々しいながらも、抱き返してくれた。
涙が、止まらない。
「ッ⁉︎」
すると、すでに動けないはずの御剣から、口付けを受けた。初めて、自分からではなく、彼自身が、彼自身の意思でしてくれた。
「想いは、伝わった、か」
「うん…」
「愛してる、瑞穂、いつまでも」
「私も、ずっとあなたの事を、愛してる」
「とても、楽しい人生だった。じゃあ、またな…」
その言葉を最後に、私を抱きしめていた御剣の手がゆっくりとずれ落ちていった。やがて、その身体は灰になって消え、私の胸の中に残っていたのは、御剣という存在を創り出していた一振りの無銘の刀だけだった。
その瞬間、私は泣き崩れた。
ずっと、ずっと、声を出して泣いた。
◇
後に、この書を手にする者が現れる事を信じ、筆を手にする。
災厄の日から半年以上が経った。
瑛春がタタリを取り込み、夢幻の狭間と現世の境界を破り、妖を解き放った。僕たちは勝利したが、戦いの末に瑞穂帝の従者である御剣が犠牲となった。
まさに、落日という言葉が相応しい状況であった。
しかし。
生き残った皇民による先の見えない復興が進む中、一筋の希望が現れた。
瑞穂帝の子が生まれたのだ。
その事実は瞬く間に皇国中に広まり、落ち込んでいた皇国の人々は歓喜に満ちた。
こうして書を書いている間も、壁の向こうから赤子の泣き声と、それをあやす声が聞こえてくる。
瑞穂帝と、今は亡き御剣様の子だ。
赤子は瑞穂帝と、その周囲の者たちによって大切に育てられている。
遅かれ早かれ、皇国は元どおりの姿に戻り、この赤子が二代目の皇国帝になるだろう。
まだ名は決まっていないらしい。
それなら、翡翠という名を推す。
翡翠は宝石の一種で、美しいのは勿論であるが、なおかつ頑丈。
美しさを兼ね備えた、芯の強いお方になってほしい、そんな意味がある。もうすぐ生まれてくる異母姉妹たちが、彼女を支えてくれるだろう。
さて、その後皆がどうしているか。
皇を支える任につく者。
新たなる責任を帯びた者。
後進の育成に精を出す者。
自身を見つめなおす為に旅に出た者。
様々だ。
僕相変わらず、皇宮の書斎で執筆に耽る毎日を送っている。書斎から城下や山々に咲き誇る満開の桜を眺めつつ、お茶を嗜みながら筆を取るのも、中々に乙なものだ。
「阿礼! 皇様が呼んでいるわよ!」
「分かった分かった!」
僕が建国の歴史として記せるのはここまで。これからはこの国の成長の歴史を記すことにしよう。
これからは新たな時代がやってくる。
どうか、新たな時代が平和でありますよう。
皇国史記
著 稗田阿礼
◇
私は、命日の日に明風神社へ足を運んだ。
ここには、墨染お祖母様を初めとする多くの人々が、安らかに眠りについている。ようやく暖かくなり始め、明後日には桜花祭も控えている。
「お祖母様、みんな、報告に参りました。翡翠はみんなに可愛がられながら、すくすくと成長しています」
私は抱きかかえる翡翠を見る。
翡翠は気持ちよさそうに寝息を立てて眠っていた。
「いずれ、この子が私の跡を継いでこの国を纏めてくれるでしょう。その時は、皆でこの子を見守ってください」
私は片手で1つ1つのお墓に供え物を置く。すでに、お墓には先に来た皆んなが供えた物が所狭しと並べられていた。
「どうやら、私が最後みたいね」
墓地の一画、眼下に葦原村が見える場所に、一つだけ墓石が立っていた。その墓石には、他に比べて多くの花や供え物が供えられている。
「あれから一年、心配しなくてもみんな元気にしているわ。あなたが残した子も、みんな元気に育っているわ。ふふ、そっちは相変わらずかしら」
私は、墓石の前に彼の好物だった大福とお酒を置く。
「慕われているのね、あなた…」
その時、どこからともなく鈴の音が聞こえる。
「えっ?」
辺りを見渡しても、そこには私と翡翠以外いない。でも、確かに聞こえた。
「嘘、でしょう…」
いつの間にか、墓石に備えられていた桜の枝に私が贈った鈴が結び付けられていた。
「そっか。ずっと、私たちを見守ってくれているのね」
私は鈴を手に取ると、翡翠の髪の毛に括り付ける。すると、不思議と翡翠が喜んでくれた。
「ありがとう、御剣」
そして散りゆく者への鎮魂歌を、私は口ずさんだ。
亡き命が常世を彷徨わぬ様に。
舞い落ちた桜の花弁が、翡翠の額にゆっくりと落ちた。翡翠は、柔らかな笑顔を浮かべた。
◇
「今日、皇国は新たな節目を迎えることになる。これより、大御神であり、そして皆の皇であるこの瑞穂之命が娘、翡翠之命の正冠の儀を執り行う!」
皇都の中心、皇宮。広間は皇民たちで溢れかえり、登壇する2人の周囲には、皇国を形成する国の皇たちがその凛々しい姿を見守っていた。
皆の視線を集めるのは、激動の時代を皇国の皇として戦い抜き、民を守り、大神への信仰を取り戻し、そして国を一つにまとめる事で神州に真の平和を実現させた大御神瑞穂之命。
その横に立ち皇民たちを見据えるは、皇国皇の正統なる後継者。そして、これより正統な皇国皇となるその娘、翡翠之命であった。
「我は今この時を持って、皇国皇を退位し、我が血を受け継ぐこの翡翠之命にその任を受け継ぐ」
正装に身を包んだユーリが、盆に桜吹雪と桜の花びらが描かれた鉄扇を運んでくる。そして、一人前の女性となった小夜が共に瑞穂の元へと歩み寄る。
瑞穂が屈むと、小夜は瑞穂が被っていた太陽の紋章の髪飾りをゆっくりと外し、振り返る。
今度は翡翠が屈み、小夜に髪飾りを被せられる。そして立ち上がると、ユーリの盆から桜吹雪を手にして帯剣し、最後に扇を手にする。
「御立派でございます。かつての瑞穂様を見ているようですよ、翡翠様」
「さぁ、翡翠」
瑞穂は、翡翠の背中を優しく押す。
「はい。お母様」
翡翠はユーリから離れ、改めて皇民たちへと向き直る。
「我は翡翠、皇国皇、翡翠之命である‼︎」
◇
この年、新たな皇国皇の誕生を祝ってか、国中の桜は一段と花を咲かせたような感じる。
「もう、そんな時期かぁ…」
私が書斎から外を見ると、中庭に生える墨染の桜は、今年も満開になり、綺麗に彩っていた。
翡翠に皇位を継承した後は、故郷である葦原に戻り、またこの村の村長として静かに余生を過ごすことにした。
とは言っても、皇位を退いたというものの、若年の翡翠に任せきれない政も多々あり、瑞穂が政務からは逃れることができず、毎日ユーリから送られてくる書簡に目を通しては、皇都に送り返す日々が続いていた。
「瑞穂様、お茶が入りました」
そう言って書斎に入ってきたのは、私の唯一無二の親友であり、斎ノ巫女である白雪千代。千代の子である舞もやがて次の斎ノ巫女となるのだろう。
私は、盆に載せられた湯呑みが3つある事に気付く。
「ありがとう」
「瑞穂、茶菓子を持ってきた」
「なるほど、そういう事ね」
千代の後ろから現れたのは、もうひとりの親友藤香。彼女の子、穂花を含め、3人は皇国三姉妹と呼ばれ、次代の皇国を担う存在となっている。
「こうして3人でお茶をするのも、なんだか久しぶりね」
「ようやくひと段落ですね」
「本当に忙しかった」
茶菓子を口にする。聞けば、この桜餅は私のために皇都の珠那さんが作ってくれたらしい。懐かしい味に、思わず笑顔になってしまう。
「さてと、美味しいものも頂けたし、残りの仕事も片付けちゃいましょうか」
「手伝いますよ、瑞穂様」
「3人でやれば、すぐに終わるし」
◇
しばらくした後。
「よっと。全く、次から次へと書簡を送ってきやがって。処理するこっちの身にもなってもらいたいもんだ」
屋敷の廊下を、山積みになった書簡を持って歩く日々斗は、瑞穂のいる書斎へと向かっていた。
「瑞穂ぉ、追加の書簡だぞっ…と」
「すぅ、すぅ」
日々斗が書斎を尋ねると、そこにはすでに頼んでいた書簡を全て片付け、机に持たれて眠る3人の姿があった。
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