ドローピクチャー

くろねこ

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第3話 事故

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 父との目立った思い出は特にない。
 ただひとつだけ、鮮明に覚えているものがある。
 父は厳格な人だった。
 だから、僕のことも一流の画家に育て上げるつもりだったのだろう。
 おそらく、父と交わした最後の会話だ。
 外に2人で出かけた帰り道の車。
 父はバックミラー越しに僕を見て言った。

『死んでも筆を止めるな』

と。

 *

『今、斗真さんが交通事故に遭って病院にいます』
 いつもより斗真が帰ってくるのが遅いと思っていたら、担任の室井先生から直接家に電話が入ってきた。
 何事かと思えばそう言われた。
 私は夕飯の支度の手を止め、急いで車を走らせた。
 帰ってくる途中に車に轢かれたとのこと。
 車の運転手はアルコールが入っていたそうだ。
 私が病院に行くと室井先生と運転手さんがいて、私を見るなり青ざめた顔をして運転手さんが土下座してきた。何度も頭を下げて謝ってきた。
 数分待つと斗真を診たであろう医師の先生が私を呼びに来た。
「赤井斗真くんのお母様でお間違い無いでしょうか」
「あ、はい...赤井咲良です...」
「赤井咲良さま、こちらへ...」
と言われて私は個室に案内された。

「まず、残念ながら斗真さんは腕を切断することになります」
 個室に入って椅子に座るなり先生からそう言われた。
 その瞬間真っ先に思い浮かんだ考えがあった。
「どっちの...腕ですか...?」
 冷や汗が頬に伝った。
 右腕だったらどうしよう。
 斗真は右利きで、右腕がなくなったらあの子は絵が描けなくなる。
 心の中で神に願った。
 どうか右腕だけは切断しないでください。
「...右腕です」
 その言葉を聞いた途端、世界から音が消えたような気がした。
 先生が何か説明しているけど全く耳に入らなかった。
 右腕です。
 み、ぎ、う、で、で、す。
 確かにそう言ったのだ。
 それがわかった途端目の奥が熱くなって、涙が溢れ出してきた。
「先生...お願いします...!右腕を...右腕を取り戻す方法はないんですか...!!」
 私は涙ながらに先生に懇願した。
「残念ながら...」
 先生はそう言うだけだった。
 それからというもの、先生の話はうろ覚えでしかない。右腕は車に轢かれて潰れてしまったこと、義手適合困難であること、それ以外は特に覚えていなくて、終始魂が抜けたようにぼーっとしていた。
 話が終わって、待合室で待っている間に室井先生がお茶を買ってきてくれた。温かいお茶。私がこうしている間にも斗真は右腕を切断していて、もう一生戻らないと考えると涙が止まらなくて、室井先生にずっと宥めてもらっていた。
 手術は5時間にもおよび、終わる頃には夜中の1時を過ぎていた。
 右腕は綺麗さっぱりなくなっていて、斗真が起きた時にどう説明しようと思った。きっと悲しむだろう。苦しむだろう。悔やむだろう。私はその全てに共感してあげたい。それぐらいしか私にできることはないのだ。

 *

 16時15分、俺は部活を休んで病院に自転車を走らせていた。
 今日の朝、朝の会の時間に斗真が来ていなくてどうしたのだろうと思っていると、目の下にクマを作った室井先生から斗真は車に轢かれて入院することになったと聞かされた。
 俺は今すぐにでも病院に行きたいと思った。が、そんなことはできるはずがないため学校が終わった今、急いで帰りの支度をして急いで自転車に乗った。
 道に迷いながらも病院について、受付に駆け込んで斗真の病室はどこか聞いた。驚きながらも対応してくれて、そこに向かって走った。途中、院内は走らないでくださいとか言われたけど、そんなのどうでもいいほどにひたすら走った。
「斗真っ!!」
 息を切らしながら病室に入ると既に室井先生と七海さんと斗真のお母さんがいた。七海さんがいることに少し心が浮ついたが、今はそれどころではない。
「斗真は...どういう状況なんですか...?」
 肩で息をしながら聞くと室井先生が
「右腕を切断した状態だよ」
と答えてくれた。そこで俺は思い出した。
 あれ、こいつ右利きだよな?
 いや、でも義手はつけるはずだろ。まさかな。
 そう思い毛布を捲ったが斗真の右腕はなかった。義手すらなかった。
「嘘だろ...」
 嘘だろ。冗談...だよな。なあ。
「絵は...どうするんだよ...」
 考えていることが真っ先に出た。
「だって...右利きですよね...?」
 室井先生も七海さんもお母さんも俯いたまんまで誰も答えなかった。
 その瞬間、全てを理解した。
 斗真の右腕は、もうない。
 天才少年画家は利き腕を失ったのだ。
 目頭が熱くなって涙が止まらなかった。
 斗真が眠るベッドに突っ伏して泣きまくった。身体中の水分がなくなるくらい泣いて、泣いて、泣きまくった。
 どうするんだよ、斗真。なあ。

 2日後の土曜日、朝からお見舞いに行った。今日は友達と遊ぶ予定があったのだが、そういう気分になれなくてドタキャンしてしまった。向こう側も納得してくれて送り出してくれた。
 病室に行くと相変わらず斗真がベッドで寝ていた。夜は病室に泊まったのか、お母さん...咲良さんがすでにいた。
「おはようございます」
「おはよう。今日もありがとうね」
と言って優しく微笑んでくれたが、いつもみたいな明るい笑顔じゃなかった。それに、相当疲れているのか、髪は整ってなかったし目の下には濃いクマができていた。
「咲良さんも、あまり無理しないでください」
「いいのよ。自分の息子のことだし」
と、咲良さんは言った。
 少し遅れて七海さんが来ると、それからは他愛のない話をした。お互いの不安や悲しみを埋め合わせるようにして場を和ませていった。いつか斗真に辛い現実を突きつけなければならない。その時が来るまで、こうやってお互いの心の欠陥を埋めるしかないと思った。

 俺と斗真は中学3年生の時に出会った。
 初めて同じクラスになって、その頃はまだ面識はなかった。赤井と長谷川、出席番号は大きな差があったし、当然席が隣になるなんてことはなかった。
 進級して3ヶ月ほどたった頃、中学校の文化祭の準備が始まる時期になった。俺は文化祭の実行委員に立候補し、同じように斗真も実行委員に立候補した。そこが、俺と斗真の出会いだった。
 最初はただの仕事仲間だった。でも、ともに作業をこなしていくうちに友達として見るようになり、最終的には親友と呼べる距離感にまで近づいた。恥ずかしいけど、俺たちのおかげでクラスの出し物は大盛況。売り上げは学校一となった。
 クラスの装飾で黒板アートをすることになったとき、初めて斗真の絵を見た。線に迷いがなくて、脈を感じた。色の混ざり合いが美しく、どれをとっても美しいように見えた。俺は斗真に言った。
「お前...絵めっちゃ上手いな」
 すると斗真は言った。
「俺が上手いんじゃなくて、お前が下手なんだよ」
って、笑いながら。
 覚えてるか斗真。
 こんなどうでもいいことだけど。
 俺はあん時から絵に関してはお前を尊敬してたんだよ。
 だから、右腕を失ったなんて未だに信じられない。信じたくない。
 お前の絵を、また見たいんだよ。

 そんなことを思ったのを知ってのことか、それは突然やってきた。
 斗真の瞼が微かに動いた気がした。
 俺と七海さんと咲良さんはその瞬間を見逃さなかった。
 目を...覚ますのか?
 俺は、斗真が目を覚ます喜びと同時に、心の中で決心した。
 これから俺らは斗真に事実を突きつけなければならない。彼はどんな顔をするだろうか。
 そして、斗真は、目を開けた。
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