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43.宰相?!誤解されますよ?!

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突然宰相に抱き込まれ、驚いて身動ぎすることが出来ない。
ギュッと強く抱き込まれた身体が驚き過ぎて鼓動を上げていく。
正直内心パニック状態だった。
けれど何故か宰相はわずかに震えているようだし、先程自分の名を呼んだ時も不安そうな顔をしていたことを思うに何かあったということだけは確かだろうと思えた。

(落ち着け!落ち着くんだ!)

きっと他意などはないはずだ。
もしかしたらまた変態にでも遭遇してしまったのかもしれないし、それで自分を探していたのかもしれない。
それとも仕事の方で何かあって不安にでもなったのかもしれない。
行方不明者の遺体が発見されたとかそう言った悲しい出来事があった可能性だってある。
動揺している場合ではないだろうと自分を叱咤し、大きく深呼吸をして息を整える。

「さ、宰相?何かありましたか?」

取り敢えず事情を聞こうとそう声を掛けるが、宰相はそのまま動こうとはしてくれない。
「また変態でも出ましたか?」
仕方がないので可能性がありそうなことを一つ一つ確認していくことにする。
「……出ていない」
「では仕事の方で何かトラブルでも?」
「特にはない」
「行方不明者の捜索に進展があったとか?」
「……そちらも特には何も」
ゆっくりとではあったが何とか返ってきた返答の数々にホッと息を吐く。
この様子なら一先ず大きな問題が起こったとかではなさそうだ。
けれどそれならどうして自分はこうして抱き込まれることになったのだろうという疑問が出てくる。
「宰相?」
そろそろ何か具体的にこうなった訳を話してくれないかなと思いながらそっと身を離そうと宰相の腕に手を添えたのだが、宰相は何故か離そうとはしてくれなくて困惑してしまった。
(困ったな……)
人が少ないとはいえここは公の場所だ。
人目もあるし、いつまでも理由なく抱き合っていてはあらぬ噂が流れて結果的に宰相が困ったことになるのではないだろうか?
自分はここでは嫌われ者だから別にどんな噂が広まっても今更だが、宰相はノーマルなのだからそんな噂は迷惑でしかないだろう。
となれば変な噂を立てられる前に誤解されない言葉を口にするしかない。
「宰相。何か俺に聞いてほしい悲しいことがあったんですね?婚約破棄からまだひと月ですし、まだまだ傷心なんですよね?他にも色々あって仕事のストレスだって溜まってるでしょうしね。そうだ!仕事も少し落ち着いてきたことですし、たまには思い切りお酒でも飲みませんか?愚痴でも何でも聞きますよ?」
これなら抱き合っているというよりは励ましているというように周囲には捉えられるのではないだろうか?
そっと周囲に目をやると思った通り、何事だとこちらを向いていた視線がそっと逸れていくのを感じて安堵の息を吐く。
そして宰相の方もできるだけ優しい声で宥めるように声を掛けたのが功を奏したのか、少しだけ腕の力が弱まるのを感じた。
これなら無事にこの状況から脱出できそうな気がする。
やはり何かしらのストレスですっ飛んできたというのが正しかったのだろう。
(本当、すぐに無理してため込む人だからな)
そう思ったところで宰相がポツリと言葉を溢した。

「……飲むのなら二人きりがいい」

その言葉に思わず目を丸くしてしまう。
まあ職場関係及びストレスの一端となった婚約破棄の当事者であるハイジは元々呼ぶ気はなかったが、愚痴を聞くのならヒロくらいは一緒にと思っていたからだ。
自分としては宰相と二人きりだとそわそわしそうだからその方が有難いと思ったのだが、二人きりと指定されてしまってはそれはできない。
けれどよくよく考えてみれば宰相から見たらヒロは10歳ほど離れたお子様だ。
そんな相手に弱音など吐きたくないのだろうと考え直した。
まあ自分も宰相より年下なのであまり人のことは言えたものではないが……。
「わかりました。じゃあ夕餉が終わったら俺の部屋で一緒に呑みましょうか。それとも宰相の部屋にします?」
部屋の広さで言えば宰相の部屋の方が広いが、二人で飲むのならどちらでも特に問題はない。
だからそう言ったのに、そう口にした途端何故か宰相の身体がビクッと震えてしまった。
「…………部屋で…か」
「えっと…」
もしかして部屋呑みを口にしたことで変態と同列に思われてしまったのだろうか?
別に下心があるとかではなかったのだが、そんな風に誤解されるのはなんだか悲しい。
「あの、大丈夫ですよ?俺は別に宰相を襲ったりしませんし、そういう目で宰相を見たことは一度も、本当に一度もありませんから!」
『安全です!』と全力で前面に押し出してはみたが、宰相は心なしか沈んでいるように見えた。
やはりいきなり二人きりの部屋呑みを提案してしまった自分を信用できなくなったのかもしれない。
「やっぱりやめておきます?言い難いかもしれませんけど、イシュカさん達と数人で飲んだ方がいいなら俺から提案しておきましょうか?」
だからそう言ってみたが、それに対して宰相はフルフルと首を横に振ってきたのでやはり職場関係者は避けたいのだなと思った。
それならば場所を変えればいいだろうか?
いつも夕餉を食べているスペースを借りて飲むのなら大丈夫だろうか?
そうして思考をそちらへと傾けていると、そっと宰相が身を離して何故か暗い声で言葉を紡いできた。
「……勇者トモとは二人で……仲良く部屋で過ごしているのか?」
「え?」
ヒロと?
何故ここでヒロの名が出てくるのかさっぱりわからなかったが、旅の間なら兎も角普段は特に一緒に部屋で過ごす仲でもないのではっきりと「ない」と答えておく。
「ないですよ?愚痴をこぼすだけならいつも夕餉の時に溢してるでしょう?その後にまで付き合ったりはしませんよ」
そもそも愚痴を聞くのは兎も角として、酒を飲むのに二人で部屋呑みする可能性はゼロだ。
もしや未成年の飲酒の方を心配したのだろうか?
そんなことを心配するなんて宰相はどこまでも真面目だなと思わず苦笑してしまう。
けれどそれを聞いた宰相は何故か小さくヒロの名を口にして、傷ついたような表情を浮かべた。
「宰相?」
その姿に疑問を覚え一体どうしたのかと思いながらそっと顔を覗き込むと、宰相はどこか縋るような目をこちらへと向けて思いがけないことを口にしてきた。
「ヴェルガーだ」
「は?」
それは宰相の名だ。言われなくてもとっくに知っている。
知っていることを改めて言われてもどうしていいのかわからず首を傾げるほかない。
「ええっと…知っていますよ?」
もしや名前を忘れたとでも思われたのだろうか?
先程からよくわからない話の飛び方が続いてどう対処していけばいいのかさっぱりわからない。
宰相は俺に何を求めているのだろう?
そうしてグルグル考え込んでいると、宰相はどこか乞うような眼差しでこちらを見つめてきた。
「私の名も…マナの良いように呼んで欲しい」
「……え?」
「勇者トモの名はヒロと愛称で呼んでいるだろう?ハイジもそうだ。二人とも愛称で呼んでいるのに私だけはずっと職名だ。それは……すごく悲しい」
(え~……)
二人で飲もうという話からどうして愛称の話に繋がったのかがさっぱりわからないが、どうやら宰相的には切実な問題だったようだ。
とは言えヒロは本来の名を呼んでいるだけだし、ハイジも最初にそう名乗られたからそう呼んでいただけだったのだが、確かに言われてみれば宰相の名だけ呼んでいなかった。
けれどここに来てそれを改めて悲しいと口にされてしまうとは思ってもみなかった。
それならばまあ別に拘りがあるわけでもないので呼んでみようかなと乞われるままにその名を口にしてみる。
「…じゃあヴェルガー様で」
これで何の問題もないだろうと宰相に目をやるが、どうやらこれではダメだったらしい。
「様はいらない」
眉間に皺を寄せながらやけにはっきりと言い切られ正直反応に困る。
宰相を呼び捨てにするなんてジフリートあたりに思い切り睨まれる案件ではないだろうか?
(困ったな…)
けれど宰相は譲る気がなさそうで、思わず大きな溜息が口から洩れてしまう。
「じゃあ選んでください。ヴェルかカティーで」
呼び捨てにし難いなら愛称の方がまだいいかもしれないと考え、今度は二択で提案してみた。

ちなみにカティーは完全に冗談の範疇だ。
宰相が最初に苗字の方で俺達にあだ名をつけたので、こういうのもありかなと面白半分に加えてみたに過ぎない。
確か宰相の苗字はカテオンだったと思うので(何故か領地のカテオロスではないらしい)無理矢理二択を作るために入れてみた次第だ。
人は選択肢を与えられると基本的にそこから選ぶため不満が出にくいと昔上司に教えて貰ったので、これなら丸く収まるだろうと思ってのことだ。
なのでここは迷わずヴェルを選んでもらって、カティーを笑い話に持ち込み、和やかに話を進めてそのままここから出て笑顔でスムーズに仕事に送り出そうと思っていたのに……。

(何故悩む?!)

何故か言われた方の宰相は真剣に悩んでいて、今更軽い感じで冗談でしたとは言えない雰囲気が漂っていた。
真面目な人だとは思っていたが、まさかここでそんな風に悩まれるとは思ってもみなかった。
なんだか滅茶苦茶申し訳ない。
「えっと…宰相?」
呼び掛けても宰相はグルグル考えているようで全く反応してくれない。
いつまでもここで無駄に時間を費やし仕事を放棄していて大丈夫なのだろうか?
さすがにそろそろ誰かが探しに来てもおかしくはないだろう。
思惑が外れて段々焦りが出てきてしまう。
ここはなんとか早く決着をつけて宰相を送り出さないと、現在進行形で仕事に励んでくれている面々に申し訳が立たない。
だから仕方なく、そっと耳元に唇を寄せ今度こそちゃんと聞こえるようにその言葉を紡いだ。

「ヴェル?そろそろ仕事の時間ですよ?」

学生の時のバイト先で培った【緊急事態007】!
『困った時の対策は耳元ではっきりとわかりやすく確実に相手に伝わるよう端的に述べよ!』を実行した。
当時は「ちょっと低音にしてゆっくり目に伝えるお前の声って本当最強だな!聞こえすぎて耳が犯されたかと思った(笑)」と褒められていたから、これできっと伝わるはず!
これでどうだと思いそっと宰相の反応を窺ってみると、どうやら今度はちゃんと聞こえたようでそのまま真っ赤になりながら固まってしまっていた。
「宰相、今度は聞こえました?そろそろ仕事に行かないと他の人が困るでしょう?俺は何か酒のつまみでも用意しておくので、また仕事が終わったら迎えに行きますね!」
夕餉はヒロ達も一緒になってしまうが、その後二人で飲みましょうねと言ってそのままするりと腕の中から脱出する。

「愚痴聞き役しっかり頑張りますので、残りの仕事頑張ってくださいね!」
そうして念押しするように周囲にアピールして、そのまま何事もなかったかのように図書室から逃げ出した。

(あ~びっくりした…)

色々な混乱と複雑な心境を抱え、一体何だったんだろうと胸を押さえながら俺はそっと火照る身体を持て余す。
あの腕から逃げ出して改めて冷静になると、思い返すだけで恥ずかしいことばかりだった気がする。
抱きしめられるのも、耳元で宰相の声を聞くのも妙に落ち着かない気持ちにさせられた。
できるだけ平静に振舞ったつもりだが、ちゃんとできていただろうか?
それよりも、なかなか治まらないこの動悸を俺は一体どうしたらいいんだろう?
後で飲む時に思い出したらどうしてくれると思わないでもない。

(本当。責任取ってほしいな)

そして俺は赤くなる顔をパタパタと仰ぎながら大きな溜息を吐いたのだった。
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