【完結】予想外の異世界で俺は第二の人生を生きることになった

オレンジペコ

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44.その視線に覚えたのは―宰相視点―

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「ヴェル?そろそろ仕事の時間ですよ?」

その言葉は心ここにあらずな自分の耳に吹き込まれると同時に胸を思い切り一突きにしてきた。
トスッと刺さった矢のその攻撃力の高さに全身が真っ赤に染まるのを感じ、これまでの暗い思考が全部吹き飛ぶのを感じた。
低く囁かれたその声音には仄かな色気が混じっていて、言っている内容は全く違うのにまるで耳を犯されたようなおかしな気持ちが込み上げてきたのだ。
それなのに妙に言われている内容は心に響いてくるからたまらない。

「宰相、今度は聞こえました?そろそろ仕事に行かないと他の人が困るでしょう?俺は何か酒のつまみでも用意しておくので、また仕事が終わったら迎えに行きますね!」

名前呼びがまた宰相という役職名に戻ってしまっているが、先程の声が耳に残っているせいか全く気にならなかった。
それよりも────。
(仕事の時間…仕事、仕事。うん。仕事を頑張ったら何かしらご褒美が貰えそうな気がするな)
そんな気持ちまで込み上げてくるのだからどうしようもない。
酒のつまみを用意するということからもこの後の二人飲みはまず約束されたも同然だろう。
迎えに来るとも言ってくれているし、夕餉の後二人で飲もうとわざわざ付け加えてくれたのだから逃げるための方便でないのは確かだろうと思えた。
それならそこでマナを独り占めできるのは確実だ。
そう考えるだけで思わず頬が緩んでしまう自分がいた。
そんな考えに浸っている間にマナはするりと自分の腕の中から脱出し、鮮やかに図書室から去っていってしまう。
その頬が心持ち赤く染まっているような気がするのはきっと公衆の面前で抱きしめてしまったことによる羞恥ゆえの事なのだろう。
衝動的に抱きしめてしまったとは言え少し申し訳ないことをしてしまったと反省する。

「愚痴聞き役しっかり頑張りますので、残りの仕事頑張ってくださいね!」

そんな風にいつだって自分の仕事を応援してくれるマナが愛しくて仕方がない。
とは言え彼は勇者のものなのだ。
浮かれてばかりはいられない。
これからどう自分の方に目を向けてもらえばいいのかしっかり考えるべきだろう。
本来であれば諦めるべきなのだろうが、諦められそうにないのなら努力くらいはしてみるべきだろうと開き直ることにした。
それほど────初めて抱いたと言っていいほどの強い恋心だったからだ。

これまで恋をしてこなかったとは言わない。
けれどそれはどこか憧憬の想いが強いものばかりで、想いを伝えようと思ったこともなければ、何が何でも欲しいと強く願ったものでもなかった。
婚約者としてハイジとの婚約が決まった時もそれは同じだった。
素晴らしい女性が自分の婚約者になってくれた。
これからは彼女と一緒に信頼関係を築き上げ、普通に互いに尊敬しあいながら一生を送るのだと信じて疑わなかった。
そこに強い想いや愛があったかと言われたらなかったと言えるかもしれない。
ハイジのことは信用していたし信頼もしていたが、そこにあったのは愛情ではなかった。
だからこそハイジとの婚約解消に至った今、全く引きずっていないのだろうと思う。
けれど今回のこの想いは別だ。
誰にもマナを渡したくない。
そんな思いばかりが込み上げてくる。
未だかつてこんな強い気持ちを抱いたことなど一度としてなかったように思う。
だからこそ初めて衝動的に動いてしまったのだろうし、手を伸ばして手に入れたいと渇望してしまうのだろう。

(……どうすればいい?)

どうすればマナは自分の方を見てくれるだろうか?
年下に対抗するならここは年上なのを上手く利用すべきだろうか?
普通に考えれば年上なりの包容力などをアピールすべきではあるのだろうが、マナを見ていると明らかに自分よりも余裕がある気がする。
恐らく恋愛上級者だと思われる。
あの更に上の余裕を自分が見せるのには少し無理があるような気がする。
まあそんな相手だからこそ年下を可愛がるといった傾向にあるのかもしれない。
それならば少々頼りない年上である面を押し出した方が有効な気がするが、仕事ができる上司が好きだと以前言っていた気もするのでそれも両刃の刃な気がしてきた。

「どうしたらマナに好かれると思う?」

仕方なくおとなしく仕事に戻って執務机で仕事を捌きながら何気ない様子でそう口にしてみたのだが、問われたイシュカは笑顔でサラリと流してきた。
「そのままのヴェルガー様で十分好かれておられると思いますが?」
そうだろうか?
そう思いながらふと振り返り、そう言えばいつだったか大好きだと言ってもらえていたなと思い出した。
先程は恋愛対象として見たことは一度もないとこれでもかと主張されて物凄く凹んだが、人としては好かれていると思ってもいいのだろうか?
そうして考えながら手を止めているとイシュカは少し困ったような顔をしながらも言葉を続けた。
「彼は仕事に真摯に向き合い真面目に打ち込む貴方のことを本当に好ましく思っているようですし、そのままの貴方を応援したいと思っている様子。ですからそのままの貴方でいれば、彼から離れていくということもないのでは?」
「そう…だろうか…?」
けれどそれはあくまでも恋愛関係というものとは程遠い距離感なのではないだろうか?
「もっと腹を割った関係になれればいいと思うのだが…」
欲を言えば勇者トモと同じように気さくに笑い合えるような関係になりたい。
あんな風にじゃれ合うような関係になりたい。
もっと────近くで触れ合いたい。
そんな邪な考えが浮かんでハッと我へと返る。
一体自分は何を考えているのだろう?
先程のマナの身体の温もりが思い出されて思わず赤面してしまう。
「宰相。このままでは仕事に集中できなさそうですし、賢者殿をお呼びしてきましょうか?」
そんな自分を前に、いっそのこと本人を連れてこようかと気遣ってくれるイシュカに慌てて断りを入れる。
さっきの今で呼び出したら流石に気まず過ぎるではないか。
「……イシュカ。仕事のストレス発散に庭で剣を振る行為をどう思う?」
仕方がないので代案を出してみることにした。
「…はい。ストレス発散にも心身の鍛錬にもよろしいかと」
これにはイシュカもどこかホッとしたように賛同してくれる。
「明日から始めるから休憩はまとめてとるよう調整してもらえないか?」
「かしこまりました」
そうしてあっさりと許可を出してくれたイシュカに感謝して大きく息を吐き、気を取り直して新たな書類へと手を伸ばした。
こんな心を抱えていたらいつかマナを傷つけてしまいそうだと自分で自分に呆れながら、そこからは仕事に集中することにしたのだった。




それから終業時間になり、いつも通り皆を送り出す。
先程ハイジに様子を見に行ってもらったので、後はマナが自分を呼びに来るのを待つだけだ。
いつもと同じならジフリートに管理人夫妻の食事を持たせたらすぐにこちらへと来てくれるだろう。
そう思っていたところでコンコンと軽いノックの音が聞こえてきた。
「マナか?」
そう声を掛けながらそっと扉を開くとそこに立っていたのはジフリートだった。
「ジフリート?」
「はい。賢者様のご指示でヴェルガー様をお迎えに参りました」
マナの指示と言うのが若干引っ掛かるが、にっこりと笑みを浮かべながらそう告げるジフリートはいつも通りのはずだった。

それなのに────悪寒がするのはどうしてだろう?

「そう…か」
辛うじてそう声を出すことには成功したが、それ以上何も言うことが出来ない。
何がそうさせるのかはわからない。
けれど自分の中で何かが警報を鳴らしている気がする。

危険だ────と。

「あまりお待たせするのも良くありませんし、早速向かいましょう」
自分を促すようにいつもと変わらずにこやかにそう言ってくるジフリートだが、本当について行っても大丈夫なのだろうか?
「その…場所はいつものところだろう?食事前に手洗いに行っておきたいのだ。だからお前は案内よりも塔の管理人夫妻の食事を優先してくれ」
ジフリートを信用していないわけではないが、どうしても別行動をとりたい気持ちになり思わずそう口にしてしまう。
けれどジフリートの笑みは崩れることはなかった。
「ああ、私も今日は皆様に大切な話があるので同席させて頂くことにしたのですよ。だからそちらの管理人夫妻の食事提供は別の者に頼んでおきましたのでご心配には及びません。それに手洗いでしたら私もちょうど行きたいと思っていたところなのでご一緒させて頂きますよ?」
そんな風にあっさりと逃げ道を塞がれてジワリと嫌な汗が噴き出してくる。
どこかねっとりとした視線がまとわりつくように自分へと向けられ、不快すぎて気持ち悪い。
この感覚には覚えがある。
(そうだ…これは────)
まだ勇者一行が旅に出ていた頃、二人で残業をしている時に時折感じた視線だ。
ずっと気のせいだと思っていた。
けれどそれは気のせいなどではなかったのではないか……?

「ジフリート……?」

そうして目の前に立つ男に初めて薄気味悪さを感じ、得体のしれない恐怖心に襲われることになった。
ジフリートは…こんな男だっただろうか?
ジフリートはいつも仕事に励む自分を支えてくれる、有能な男だ。
仕事に不慣れな自分を時に叱咤し、励まし、仕事を補助してくれていた。
だから信用しているし、重用してきたつもりだ。
マナとはそりが合わないようだから嫌味を言ったり嫌がらせをしてしまう所はあったが、自分に対してこれまで嫌なことをしてきたことなど一度としてなかったし、敵意や悪意を向けられるようなこともなかった。

悪意───?

いや、違う。
これは悪意などというものではない。
ジフリートから感じるこの異様な空気は一体どう言い表せばいいのだろうか?
その正体が全くつかめなくて、困惑ばかりが湧き上がる。
悪意でないなら怖がる必要などないはずなのに、自分の中にある警鐘はどんどん大きくなるばかり。
そうして動くことも、何かを問うこともできぬまま固まっていたその時、ジフリートの方から動いた。

そっと腕を取られ身を寄せられて、自分の身体がビクッと大きく跳ねる。
それは半ば恐怖からだったと思えるのに、ジフリートはそんな自分を見てクスリと笑った。

「ヴェルガー様。もしや私を意識してくださっているのですか?もしそうであれば、これ以上ないほど嬉しいのですが…」

その言葉に背筋がゾクッと震え、次いで何かされるのではないかと蒼白になってしまった。
けれどジフリートは意外にもそのままあっさりと身を引いて、先程と同じように柔らかな笑みを向けてきた。
「さあ、いつまでも賢者様方をお待たせするわけにもいきませんし、参りましょうか」
そんなジフリートに何も言うことが出来ず、体は一切言うことを聞いてくれない。
それだけ怖かったのだ。
そんな自分に、ジフリートが楽し気に口を開く。
「僭越ながら私が抱き上げてお連れ致しましょうか?」

その言葉にザッと血の気が引くのを感じた。

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