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第1章 西挟の砦
第80話 えっ!? そんなにいってるのですか!?
しおりを挟む彫刻像のような微笑みを向けられて、不用意に踏み込み過ぎたと気付いても遅え。
まんまと姫さんたちの策に嵌っちまったってことか。
「はあ~。それで? 訊きたいことっていうのは?」
「初めは、ハクトさんたちを怪しんでいたのですが、そうでは無さそうなので安心しました」
「まあ、リリーにも刺客と勘違いされて斬られそうになりましたからね。そう思われたとしても、何ともありませんよ」「ちょっとっ!」
チラッと狼娘に視線を送って肩を竦めて見せると、見事に釣れた。
「「リリー!」」
「申し訳ありません」
エレンさんとヨハンナさんが同時に窘めた。見事にハモったせいで吹き出しそうになったが、何とか堪える。これで場は和んだか……。
右手の掌を上に見せるように動かして、姫さんに話を促す。
「この凪の公国は絞め殺しの無花果みたいに、ヒュドラと言う組織がゆっくりと国に入り込んでるのです」
絞め殺しは判るが、アンジールってなんだ? 何かの植物か?
何となくだが、身動き取れなくなるってことが言いたいんだろう。
「その証拠は?」
被害妄想は幾らでも膨らませることが出来る。証拠がなければただの茶番だ。
悪いが付き合うつもりはねえ。
「ある貴族の屋敷から手の者が集めてきてくれた証拠の1つです」
そう言って、姫さんはエレンさんから巻物を1巻受け取ってテーブルの上にぽんと置き、俺を見詰めた。紙じゃねえな。革っぽい……。ああ、あれか、これが羊皮紙ってやつか。
羊皮紙の巻物を取り上げて広げてみる。
……読めん。
まだ字の1文字や単語は書けても、読むまでは程遠い事を思い出した。
いや、現実を突き付けられたと言ったほうが良いな。
「 」
覗き込んでくるヒルダに小声で耳打ちする。文盲がこんなに恥ずかしいとはな。
本腰入れて勉強しねえとダメだな、こりゃ。
長々と書かれた文章の最後には、7頭の蛇の刻印が押してある。ああ、ヒュドラか。
「ふむ。没落貴族が高利貸から金を借りて、案の定、期日までに返せなくなった口のようだな。借金が返せなければ、こちらから紹介する人物を雇い入れるようにという話になってるぞ。15日に1人とは随分乱暴な話ではないか」
ヒルダの抜粋した要約を聞いて、ピンと来るものがあった。
「まさか、乗っ取り!?」
「そうなのです。調べてみた所、この契約書はこの周辺に領地を持つ騎士爵の領主が、ヒュドラと交わした契約だと判明しました」
「で、ノコノコと都から視察に来た姫様がぶら下げた餌に食いついたもんだからと、潰しに来たって訳ですか。話に聞くと、ここは凪の公国の辺境のようだし、深淵の森に近い。事故死の報告を上げるには持って来いという訳だ。で、砦も信用できないから、宿を貸し切りにした……。候爵もグルだと思ってるんです?」
「尊師? 候爵は尊敬に値しません。 」
何か単語の意味が違う方向に解釈された気がするぞ?
しかも、小声で蔑んでやがる。ありゃ、何かやられたな。
「いや、グルというか、候爵もヒュドラに取り込まれてるって思ってるのかって話ですよ」
「判りません。そうでないと願うばかりです。それにしても、ハクトさんは聡明なのですね。ほんの少しの情報から、わたしの言わんとしてる事を洞察されるなんて。驚きです」
「そりゃどうも。こんな見た目でも50のおっさんですからね。それなりに、経験則から推察しただけですよ。ただ、結果として乗っ取りが進んでいたとしても、書面を見る限りは契約事項を守っているだけ。これだけでは随分弱い証拠ですよ?」
肩を竦めながら、好評価に礼を言っておく。
けど、これじゃジリ貧だ。契約上間違ったことは言ってねえ。悪いのは金を借りて返さなかった貴族の方なんだから、多少の融通を利かせてもらうのに1人雇入れるくらいは道理の範囲だろう。
これを手に乗り込めば吊るしあげられるのは、姫さん側で間違いない。契約書を何処で手に入れたかという逆尋問が待ってるはずだ。
用意周到に計画を進める組織だってことは、少し考えただけでも見えてくる。廃墟に居た盗賊は、素行が悪いからこっちを釣る餌代わりに切り捨てたってことだろう。簡単に掴める尻尾は囮だと考えた方が良さそうだな。
「えっ!? そんなにいってるのですか!?」
「えっ!? 何歳に見えてたんですか!?」
「に、20代だと……。プルシャンさんもお若いですし……」
姫さんの答えにちょっとクラッとした。いやいや、30も鯖読んでどうする。
まあ、プルシャンを基準に考えたらそうなるわな。ただ、獣人になったせいか、向こうに居た時よりも活力も体力もあるのは人感してる。動きのキレも人間の比じゃない。
「あ~リリーさんや、お前さんから見て俺はどう見えるんだい?」
助け舟を狼人族のリリーに求める。黙ってたら、こいつ何も言わねえだろうからな。
「ん? ハクトはおっさんだよ? 髯の張りが無くなってるし、耳の毛も薄くなってるし、尻尾の毛並みも悪いからね。わたしたち獣人から見たら、50前後のおっさんだよ」
「だそうですよ?」
「そ、そうなのですか。勉強になります」
「誤解が解けて何よりです。で、どうするおつもりで?」
「ご協力願えませんか?」
「は?」
「ですから、わたしたちには若さはありますが、老獪さはありません。父はわたしが独自で動いていることを、知っているかも知れませんが何も言ってきません。静観です。今は信頼できる協力者が1人でも欲しい時なのです。この通りです」
姫さんと、後ろに立つ騎士団長さんが頭を下げるのを見て、面食らう。
姫と言われてチヤホヤされ、常識が抜け落ちてる勝手なイメージを持ってたが、この娘に関しては、好感が持てた。信用できるかどうかは別問題だが……。
普通に考えたら、遇って数時間で信頼関係は築けんだろう?
ヒルダとプルシャンに視線を向けると、頷いてくれた。好きにしていいってことか。
まあ、ヒルダの家のこともあるし、渋々協力という態で行くかな。
「……ふぅ。やれやれ。上の者がそんなに頭を下げて良いんですかねぇ? 最初にこの国に入ったというのも何かの縁はあるんでしょう。政に絡む気は更々ありませんが、わたしたちの行動を束縛しない、政治利用しない、自主性に任せると一筆認めて、姫様の刻印でも押してくださるなら考えましょう」
「まあっ! それは本当でございますか!? エレン!」
「はいっ!」
嬉しさ一杯で破顔する姫さんに、「俺も娘には甘かったよな」と懐かしみながら、目の前で羊皮紙に書かれていく文章に目を落とす。俺にはまだ理解できん分野だから、チェックはヒルダに任せた。
適材適所だな。
船を漕ぎ始めたプルシャンの頭を肩に寄せてから、明日以降のことを打ち合わせることにする。基本別行動だ。回らなきゃいけねえ場所もあるし、気になることもある。会話が熱を帯び始めたことに気付かないまま、俺たちの夜が更けていったーー。
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