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第B章:何故異世界飯はうまそうに見えるのか
技術と素材/3:そのおにぎりと有り金と身ぐるみ全部をこのチューリップの球根を交換しないかと持ちかけられたカニは喜んで全裸になる
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知識では勝てない。技術では勝てない。アイディアでも勝てない。これらがわかった上で、改めて料理の味を構築するものを考え直し、ひとつの勝機となる可能性に至る。
「そうだ。同じ食材でも、他の人よりも良い食材を使うってのはある種料理漫画のお約束だよね」
「そうかもしれんが、ならそれはどうやって手に入れるんだ?」
「そこはほら、異世界なんだから、そういうダンジョンとないの?」
普段は異世界だからと言って都合が良いこと考えないのに、こういうことが口から出てしまう程度には困り果てているらしい。これがダメならダメで新しい切り口を考えるのだろうが、もしもあるなら面白そうな話ではある。ダンジョンに眠る最高の食材で最高の料理を作るなんて、いかにも異世界にありがちな冒険で少しわくわくしてしまう。
「そう都合がいいものかあるかわからないが、調べてみるよ。面白そうだしな。騎士団とかギルドとか回ってみる。ただ、自分でもわかってると思うが期待していいような話じゃない。お前はお前で別の切り口を探ってみるといいだろうな」
そうだねと頷いたところで、リンネとレーヌが連れ添って歩いてきたことに気付き、ここからは二人に任せて独自行動を開始するリク。合流した二人にここまでの流れを説明すると、リンネが「そういえば」と切り出す。
「100年ほど前に、オランダであるブームが起きていたことを思い出しましたわ」
「リンネ先生が言う100年前っていうと、17世紀かな。その時代のオランダっていうと、東インド会社が出来た絶頂期だよね。なんだろう、スパイスかな?」
「えぇ、もちろんスパイスのブームがすごかったらしいですが、こちらのブームは一過性。ある意味でオランダの黄金時代を象徴していたような狂乱と突然の終わりを迎えたそのブームの中心にあったのは、チューリップですわ」
オランダのチューリップバブル。16世紀後半にオスマン帝国から持ち帰られたことから始まったその流行は、1ギルダーでワイン20リットルが買える時代にチューリップの球根1つが200ギルダーで飛ぶように売れていたとし、これは現在の価値に換算すればおおよそ100万円前後にあたるだろう。歴代最多金をつけた球根に関しては3000ギルダーとも呼ばれ、もはや現在における金やダイアモンド以上の扱いだ。
これは言うまでもなくチューリップの花がその美しさから価値があるとされた故であり、球根を買えばそのチューリップの花を量産できるためだ。まさにそれは金のなる木の種だったということだ。
「ヨーロッパ人のそういう狂気はたまに聞くけどすごいよねぇ。でも、チューリップってユリ科だし、食べられないよね?」
「そうですわね。私が言いたいのは、食べ物としての話ではなく、チューリップの品種改良の話ですわ。人間は自然由来の植物や動物をかけ合わせ、その生産性や見た目や味などの価値を高めてきた歴史があったことを思い出しましたの」
「なるほど。確かにそのとおりだね。私の時代の食べ物はどれも生産性がリンネ先生の時代の10倍以上になっているものもあるし、当然味も良い。小麦とか、リンネ先生の時代では1粒から5粒が収穫できるくらいの生産性だったんでしょう?」
「そうですわね。100年前には3粒だったことを考えれば素晴らしい進歩ですが。って、シズク先生の時代にはまさか1粒から50粒の小麦が実るんですの?」
「いや、流石に30粒くらいかな」
「それでも信じられない世界ですわね……それで味も落ちるどころか良くなっているのでしょう?」
「当然。それどころか、連作障害も軽減されている」
「そこまで行くとイエス様が人の子に与えたと言われても信じてしまいそうですわね」
ちなみにそのイエス様本人の時代の小麦は1粒あたり1~2粒しか収穫できなかったらしいので、こうなると逆にパンの貴重さが別の意味でイエス様の神聖に寄与していそうである。
「さておき。流石に半年じゃそのレベルの品種改良は無理だよね」
「それはそうですわ。でも、シズク先生なら私やこの時代の人たちが知らない作物を育てることも可能なのではないかと思いまして」
うーん、と唸る。肥料の素材や養殖の技術は確かに知っているが。
「基本的に、新しい技術の作物の栽培方法や家畜の飼育方法というのは少人数で安定した生産性を確保する手法に進化していて、品質、ここで言う味を簡単に向上させる手法はそうないんだよね。成長の過程で毒を取り込んでしまう食材に毒を作らせないように育てる方法とかがかろうじて味に関する技術かなぁ。ただ、これに関しては失敗すると人を殺すことになっちゃうし、出来るか以前にやりたくないね。知識はあっても経験のない素人なわけだし」
「それはそうですわね……やはり簡単には行きませんわね」
「いや、それどころか逆に再認識したよ。私の知る食べ物は、素材の時点でこの世界のものよりも美味しい。ジャガイモ1つを取っても、この世界で手に入るジャガイモと、私が元の世界で使っていたジャガイモとでは味に差があるんだ。そう考えると、この世界の料理を私がいまひとつに感じてしまうのは、料理人の知識と技術以外に根本的な理由があったんだなって。そしてそれは、未来の知識を持ってしても一朝一夕で向上させられるものじゃない。10年か、それこそ100年単位の時間が品種改良には必要。私が当然と思って食べていた味は、料理人の技術と生産者の努力だけじゃない。人類の歴史の味だったんだ」
当たり前のものが、実は当たり前でなかったとわかる体験は生きていれば何度でも遭遇するだろう。そんな知識は少し踏み込んで学ばねばわからないものばかりであり、それは結果的に学ぶことによってわからないものが増えるという矛盾を発生させる。改めて、シズクは世界のことがちょっとだけしかわからないと実感するのだった。
「そうだ。同じ食材でも、他の人よりも良い食材を使うってのはある種料理漫画のお約束だよね」
「そうかもしれんが、ならそれはどうやって手に入れるんだ?」
「そこはほら、異世界なんだから、そういうダンジョンとないの?」
普段は異世界だからと言って都合が良いこと考えないのに、こういうことが口から出てしまう程度には困り果てているらしい。これがダメならダメで新しい切り口を考えるのだろうが、もしもあるなら面白そうな話ではある。ダンジョンに眠る最高の食材で最高の料理を作るなんて、いかにも異世界にありがちな冒険で少しわくわくしてしまう。
「そう都合がいいものかあるかわからないが、調べてみるよ。面白そうだしな。騎士団とかギルドとか回ってみる。ただ、自分でもわかってると思うが期待していいような話じゃない。お前はお前で別の切り口を探ってみるといいだろうな」
そうだねと頷いたところで、リンネとレーヌが連れ添って歩いてきたことに気付き、ここからは二人に任せて独自行動を開始するリク。合流した二人にここまでの流れを説明すると、リンネが「そういえば」と切り出す。
「100年ほど前に、オランダであるブームが起きていたことを思い出しましたわ」
「リンネ先生が言う100年前っていうと、17世紀かな。その時代のオランダっていうと、東インド会社が出来た絶頂期だよね。なんだろう、スパイスかな?」
「えぇ、もちろんスパイスのブームがすごかったらしいですが、こちらのブームは一過性。ある意味でオランダの黄金時代を象徴していたような狂乱と突然の終わりを迎えたそのブームの中心にあったのは、チューリップですわ」
オランダのチューリップバブル。16世紀後半にオスマン帝国から持ち帰られたことから始まったその流行は、1ギルダーでワイン20リットルが買える時代にチューリップの球根1つが200ギルダーで飛ぶように売れていたとし、これは現在の価値に換算すればおおよそ100万円前後にあたるだろう。歴代最多金をつけた球根に関しては3000ギルダーとも呼ばれ、もはや現在における金やダイアモンド以上の扱いだ。
これは言うまでもなくチューリップの花がその美しさから価値があるとされた故であり、球根を買えばそのチューリップの花を量産できるためだ。まさにそれは金のなる木の種だったということだ。
「ヨーロッパ人のそういう狂気はたまに聞くけどすごいよねぇ。でも、チューリップってユリ科だし、食べられないよね?」
「そうですわね。私が言いたいのは、食べ物としての話ではなく、チューリップの品種改良の話ですわ。人間は自然由来の植物や動物をかけ合わせ、その生産性や見た目や味などの価値を高めてきた歴史があったことを思い出しましたの」
「なるほど。確かにそのとおりだね。私の時代の食べ物はどれも生産性がリンネ先生の時代の10倍以上になっているものもあるし、当然味も良い。小麦とか、リンネ先生の時代では1粒から5粒が収穫できるくらいの生産性だったんでしょう?」
「そうですわね。100年前には3粒だったことを考えれば素晴らしい進歩ですが。って、シズク先生の時代にはまさか1粒から50粒の小麦が実るんですの?」
「いや、流石に30粒くらいかな」
「それでも信じられない世界ですわね……それで味も落ちるどころか良くなっているのでしょう?」
「当然。それどころか、連作障害も軽減されている」
「そこまで行くとイエス様が人の子に与えたと言われても信じてしまいそうですわね」
ちなみにそのイエス様本人の時代の小麦は1粒あたり1~2粒しか収穫できなかったらしいので、こうなると逆にパンの貴重さが別の意味でイエス様の神聖に寄与していそうである。
「さておき。流石に半年じゃそのレベルの品種改良は無理だよね」
「それはそうですわ。でも、シズク先生なら私やこの時代の人たちが知らない作物を育てることも可能なのではないかと思いまして」
うーん、と唸る。肥料の素材や養殖の技術は確かに知っているが。
「基本的に、新しい技術の作物の栽培方法や家畜の飼育方法というのは少人数で安定した生産性を確保する手法に進化していて、品質、ここで言う味を簡単に向上させる手法はそうないんだよね。成長の過程で毒を取り込んでしまう食材に毒を作らせないように育てる方法とかがかろうじて味に関する技術かなぁ。ただ、これに関しては失敗すると人を殺すことになっちゃうし、出来るか以前にやりたくないね。知識はあっても経験のない素人なわけだし」
「それはそうですわね……やはり簡単には行きませんわね」
「いや、それどころか逆に再認識したよ。私の知る食べ物は、素材の時点でこの世界のものよりも美味しい。ジャガイモ1つを取っても、この世界で手に入るジャガイモと、私が元の世界で使っていたジャガイモとでは味に差があるんだ。そう考えると、この世界の料理を私がいまひとつに感じてしまうのは、料理人の知識と技術以外に根本的な理由があったんだなって。そしてそれは、未来の知識を持ってしても一朝一夕で向上させられるものじゃない。10年か、それこそ100年単位の時間が品種改良には必要。私が当然と思って食べていた味は、料理人の技術と生産者の努力だけじゃない。人類の歴史の味だったんだ」
当たり前のものが、実は当たり前でなかったとわかる体験は生きていれば何度でも遭遇するだろう。そんな知識は少し踏み込んで学ばねばわからないものばかりであり、それは結果的に学ぶことによってわからないものが増えるという矛盾を発生させる。改めて、シズクは世界のことがちょっとだけしかわからないと実感するのだった。
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