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22.長い長い空白
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氷上が一気に詰めに掛かる。
「総都大の食堂であんたの息子に接触して、揺さぶってみたら、おかしいくらいに慌てた反応を見せてくれたぜ」
土橋孝治は沈黙し、鍋谷が声を上げた。
「息子? 青陽寮の事件のとき、俺も会ったあの小僧か? 勇太だっけか?」
誰ともなしに発せられた鍋谷の質問は、しばらくの間、宙をさまよい、ついに土橋孝治によって答を与えられた。
「ええ、そうです。親である僕の、十七年前の犯罪のせいで、息子を、勇太を殺人者にしてしまうとは……僕は最低だ」
たがが外れたように喋り始めた土橋。彼自身、そのことを自覚していたが、もはや止められはしない。
「全て、僕が殺したんだ。勇太は悪くない。たまたま、あのとき僕がいなくて、勇太が渡さんから話を持ちかけられ、我を忘れて殺してしまったんだ。僕さえ国内にいれば、僕が渡さんを殺していた。勇太は罪を犯さなかったんだよ。ねえ、分かるでしょう、刑事さん?」
結局、土橋孝治は野崎殺しを含めて全ての罪を認めた。息子の勇太も警察に呼ばれ、退職刑事の渡幸司郎殺害を認めた。
「氷上君の提案が、あれほどうまく行くとは思わなかったぞ」
事件解決後、氷上と再会した鍋谷刑事は、連れ立って喫茶店に入った。話がしたかった。
「私も、あそこまで成功するとは思っていませんでした」
お冷やとイタリアンスパゲッティを交互に口に運びながら、氷上はにこやかに答えた。中国拳法の達人が食事をしているみたいだ。これでメニューがラーメンなら、言うことなし。
「こちらで野崎の別宅を用意した甲斐があったというものです」
土橋孝治を逮捕した日の午前中、大学の研究室で鍋谷が土橋に聞かせた、野崎の別宅云々の話は、全くのでたらめであった。土橋に行動を起こさせるための罠が、見事に作動した。
「それにしても、よく土橋勇太にまで着目したな。俺は奴が小さいときに二度ほど会っとるせいで、全然及びもつかなかった」
「逆を言えば、私は四歳の土橋勇太に会ったことがなかったおかげで、気が付いたんでしょう、多分」
「名探偵でも謙遜するのか」
「私は探偵じゃありません。職業冒険家です」
「隠すなよ。あとで知ってたまげたぞ。今年の二月、O県で起きた資産家殺し、世間で言う城西寺家殺人事件を実質的に解決したのは、氷上哲也という名の男だと聞いた。君のことだな」
「ばれましたか」
スパゲッティを片付けると、ピラフに移る氷上。一口含み、味が気に入らなかったか、塩を振った。
「十七年間あれば、色んなことが変化します。ゴールデンウィーク一つ取っても、祝日が増えて連休になりやすくなりました。覚えてます? 一九八二年には五月四日は平日だったんですよ。それが今は『国民の休日』と定められた。天皇誕生日だって、四月二十九日から八ヶ月近くも後ろにずれたんですよねえ。その十七年間で、土橋孝治は助教授から教授になっていた。十七年前はピアスで赤い髪だった草島が、普通のサラリーマン役をやれるようになった。四歳の小僧が二十一歳の殺人者になっても、あまり不思議ではありません」
氷上は「あまり」にアクセントを置いて、微笑した。
「とにかく、解決できたきっかけは、君がアルバイト中に例のアクセサリーを発見してくれたおかげだな。どうしてまた、青陽寮の解体工事のアルバイトなんかをやろうと思ったんだ? 肉体労働が好きなのか」
「それもありますが、知り合いが次々と総都大に入るから、興味を覚えたんですよ。もう一つ、ニュースでちょっとした話題になっていたでしょう。寮の取り壊しに反対する運動が大きくなって」
スプーンを軽く振り、記憶を呼び起こすかのように天井を見た氷上。
「二月半ばに始まった寮の取り壊しが、寮生のみならず、在学生やOB、OGまで加わっての反対の声が上がり、中断。話し合いがこじれる最中、とうとう篭城を始める学生まで出て来る始末。あの騒動が四月末に収まり、工事再開と聞いて、一丁やってみるかとね、思った次第ですよ」
「興味を持つのは分からんでもないが、力仕事をしようとまでは思わんだろう、普通は。ああ、これは氷上君が普通じゃないという証拠だな」
「普通でないからこそ、探偵をやるとうまく行くのかもしれないな」
職業冒険家は寂しそうに言い、大口を開けてピラフを載せたスプーンにぱくついた。演技なのか本気なのかは、当人にしか分からないだろう。
「それにしても、ほんと、人間の考えてることなんて分からないですねえ。一見、生真面目な学者風だった土橋孝治が四人も殺してたとは。おお、恐い。私は総都大に入らなくてよかった。入っていたら、きっと土橋教授の外見と肩書きに騙されていたに違いない」
「……」
氷上の言を聞き流そうとした鍋谷だったが、相手の顔を見ている内に、言葉がぽつりとこぼれた。
「俺には君の方がよっぽど恐いわい!」
「どうして?」
「土橋孝治を捕まえたときの、あの豹変ぶりだよ」
思い出しながら指摘した鍋谷に、氷上は首を傾げた。
「どうして?」
同じことを聞き返しながら。
――終
「総都大の食堂であんたの息子に接触して、揺さぶってみたら、おかしいくらいに慌てた反応を見せてくれたぜ」
土橋孝治は沈黙し、鍋谷が声を上げた。
「息子? 青陽寮の事件のとき、俺も会ったあの小僧か? 勇太だっけか?」
誰ともなしに発せられた鍋谷の質問は、しばらくの間、宙をさまよい、ついに土橋孝治によって答を与えられた。
「ええ、そうです。親である僕の、十七年前の犯罪のせいで、息子を、勇太を殺人者にしてしまうとは……僕は最低だ」
たがが外れたように喋り始めた土橋。彼自身、そのことを自覚していたが、もはや止められはしない。
「全て、僕が殺したんだ。勇太は悪くない。たまたま、あのとき僕がいなくて、勇太が渡さんから話を持ちかけられ、我を忘れて殺してしまったんだ。僕さえ国内にいれば、僕が渡さんを殺していた。勇太は罪を犯さなかったんだよ。ねえ、分かるでしょう、刑事さん?」
結局、土橋孝治は野崎殺しを含めて全ての罪を認めた。息子の勇太も警察に呼ばれ、退職刑事の渡幸司郎殺害を認めた。
「氷上君の提案が、あれほどうまく行くとは思わなかったぞ」
事件解決後、氷上と再会した鍋谷刑事は、連れ立って喫茶店に入った。話がしたかった。
「私も、あそこまで成功するとは思っていませんでした」
お冷やとイタリアンスパゲッティを交互に口に運びながら、氷上はにこやかに答えた。中国拳法の達人が食事をしているみたいだ。これでメニューがラーメンなら、言うことなし。
「こちらで野崎の別宅を用意した甲斐があったというものです」
土橋孝治を逮捕した日の午前中、大学の研究室で鍋谷が土橋に聞かせた、野崎の別宅云々の話は、全くのでたらめであった。土橋に行動を起こさせるための罠が、見事に作動した。
「それにしても、よく土橋勇太にまで着目したな。俺は奴が小さいときに二度ほど会っとるせいで、全然及びもつかなかった」
「逆を言えば、私は四歳の土橋勇太に会ったことがなかったおかげで、気が付いたんでしょう、多分」
「名探偵でも謙遜するのか」
「私は探偵じゃありません。職業冒険家です」
「隠すなよ。あとで知ってたまげたぞ。今年の二月、O県で起きた資産家殺し、世間で言う城西寺家殺人事件を実質的に解決したのは、氷上哲也という名の男だと聞いた。君のことだな」
「ばれましたか」
スパゲッティを片付けると、ピラフに移る氷上。一口含み、味が気に入らなかったか、塩を振った。
「十七年間あれば、色んなことが変化します。ゴールデンウィーク一つ取っても、祝日が増えて連休になりやすくなりました。覚えてます? 一九八二年には五月四日は平日だったんですよ。それが今は『国民の休日』と定められた。天皇誕生日だって、四月二十九日から八ヶ月近くも後ろにずれたんですよねえ。その十七年間で、土橋孝治は助教授から教授になっていた。十七年前はピアスで赤い髪だった草島が、普通のサラリーマン役をやれるようになった。四歳の小僧が二十一歳の殺人者になっても、あまり不思議ではありません」
氷上は「あまり」にアクセントを置いて、微笑した。
「とにかく、解決できたきっかけは、君がアルバイト中に例のアクセサリーを発見してくれたおかげだな。どうしてまた、青陽寮の解体工事のアルバイトなんかをやろうと思ったんだ? 肉体労働が好きなのか」
「それもありますが、知り合いが次々と総都大に入るから、興味を覚えたんですよ。もう一つ、ニュースでちょっとした話題になっていたでしょう。寮の取り壊しに反対する運動が大きくなって」
スプーンを軽く振り、記憶を呼び起こすかのように天井を見た氷上。
「二月半ばに始まった寮の取り壊しが、寮生のみならず、在学生やOB、OGまで加わっての反対の声が上がり、中断。話し合いがこじれる最中、とうとう篭城を始める学生まで出て来る始末。あの騒動が四月末に収まり、工事再開と聞いて、一丁やってみるかとね、思った次第ですよ」
「興味を持つのは分からんでもないが、力仕事をしようとまでは思わんだろう、普通は。ああ、これは氷上君が普通じゃないという証拠だな」
「普通でないからこそ、探偵をやるとうまく行くのかもしれないな」
職業冒険家は寂しそうに言い、大口を開けてピラフを載せたスプーンにぱくついた。演技なのか本気なのかは、当人にしか分からないだろう。
「それにしても、ほんと、人間の考えてることなんて分からないですねえ。一見、生真面目な学者風だった土橋孝治が四人も殺してたとは。おお、恐い。私は総都大に入らなくてよかった。入っていたら、きっと土橋教授の外見と肩書きに騙されていたに違いない」
「……」
氷上の言を聞き流そうとした鍋谷だったが、相手の顔を見ている内に、言葉がぽつりとこぼれた。
「俺には君の方がよっぽど恐いわい!」
「どうして?」
「土橋孝治を捕まえたときの、あの豹変ぶりだよ」
思い出しながら指摘した鍋谷に、氷上は首を傾げた。
「どうして?」
同じことを聞き返しながら。
――終
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