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1.長い助走の始まり
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背中に視線を感じる。まるで、無数の槍でチクチクつつかれている感じだ。
傍聴席は満席だった。世に知られた名探偵タイタス・カラバンの筆頭助手にして記述者、いわゆるワトソン役が裁かれようとしているのだから、世間から注目されるのはある程度予想されていただろうが、ここまで耳目を集めようとは当事者の僕にも驚きだった。
「静粛に」
裁判長のヤズンが重々しく述べた。法廷内は別にさほどうるさくなってはいなかったのだが、静粛にと言ったのはいつもの癖か儀式のようなものなのだ、きっと。
「被告人は一歩前へ」
言われた通り、前に出た。証言台の際に立つ。ああ、厳密には二歩を要したので、言われた通りじゃないけれども。
何がどうなってこんな目に遭っているんだっけ……思い返すと視線が自然に下がった。自分の手を見下ろす。左右の手首は枷を填められ、不自由極まりない。その金属製の枷に、茶色がかった毛髪が一本、はらりと落ちた。僕の前髪のようだ。ストレスで抜けているのかもしれない。
「判決を言い渡す」
普段はしわがれ声のヤズン裁判長だが、今は張りのある声に転じている。この人がこの声を出せるとき、それは下す刑罰がある特定のものであるときのみだ。今までヤズンの裁く事案を何度か傍聴したことがあるのでよく知っている。
「主文。被告のカール・ハンソンを死刑に処する」
ま、裁判長の声がどうこう言う前に、死刑判決は分かり切っていた。これまでの審理の流れを振り返れば、僕がとうに絶望しているのは当たり前だとだれもが理解しよう。
* *
僕、カール・ハンソンに掛けられた嫌疑は殺人。とある名家の男とその恋人、さらに使用人の合わせて三名を殺害したとされた。
先に断っておくと、僕はやっていない。身に覚えのない犯行の濡れ衣を着せられた。冤罪ってやつだ。
元はといえば、僕は探偵側の一人として、この事件に関わった。依頼されたカラバン探偵の助手を務める形でだ。ただし、依頼のきっかけは僕にあった。というのも僕は被害者カップルの女性の方と昔、小学校と中学校が同じだった時期があって、それなりに親しかったのだ。そのよしみで彼女から「婚約者が脅しの手紙を受け取って悩んでいる様子だから、差出人を突き止めて欲しい」と連絡があった。
彼女、キール・プラッシーにおてんばのイメージを持っていた僕は、十年ぶりぐらいに再会して、驚いた。すっかりお嬢様然としていたのだ。ただし肌は昔のように日焼けしていたから、深窓の令嬢って感じは皆無だったけれども。
「わざわざ来てくれてありがとう。早速なんだけど時間がないから紹介するわ。こちらが私の婚約者」
キールの付き合っているのはタスク・ゴールデンという男で、キールよりも六つ年上、ゴールデン家の長男だった。ゴールデン家は何代か前の当主の散財により、お家が傾いたこともあったが、タスクの母親に当たる女性が立て直した。商才とセンスがあり、辣腕をふるった結果、わずかな資金を元手に始めた衣料販売が、今やファッションを発信するデザイナーブランドの一つになっていた。
「すまないね。こんな些末な事件で名探偵カラバン氏のお弟子さんを煩わせるとは、心苦しい」
そんな成金まがいの名家だから、その家の者達はさぞかし鼻持ちならない人が揃っているんだろうな、特にお家再興の立役者を母に持つ長男たるや、威を借りて権勢を振るっているに違いない……などと勝手な想像を膨らませていた僕は、出鼻を挫かれた。タスクは探偵というある意味うさんくさい人種を嫌悪するでなし、威圧的なところもなく、かといって馬鹿丁寧で腰が低いというほどでもない。至って常識的な、一般人という雰囲気をまとっていた。
なので僕も警戒を解き、受け答えをしたものだった。
「お気になさらないでください。カラバンの方針は身体さえ空いていれば、どのような事件でも引き受けるというもの。発端はたとえ小さくても、後々いかなる事態につながるかは分かりません。あ、脅かすつもりはなくて、あくまで一般論ですが」
「それでは、場合によってはカラバン氏が出て来ることもあると仰る?」
「その点につきましては、調査をしてみないことには何とも言えません。文字通り、場合によってはとなります」
実のところ、この段階ではタイタス・カラバンは別個の事件を抱えており、解決の目処こそついていたものの、犯人が罠に掛かるのを待っている状況だった。だからタイミングが合わなければ、タスクへの脅迫事件の進展次第では、僕が孤軍奮闘するか、やむを得ず警察に通報することも大いにあり得た。
こうして僕はカラバン探偵の威光もあって、歓迎されてゴールデン家に足を踏み入れた。
……今になって振り返ると、このときの依頼に応じなければ、僕は冤罪判決を下され、極刑を食らうようなことにはならなかっただろうか。
でも依頼を受けたのは、正確にはタイタス・カラバンであるし、カラバン探偵が“先兵”として僕を適任だと選ぶのも自然の道理であろう。僕個人の意思ではほとんどどうしようもなかったに違いない。
傍聴席は満席だった。世に知られた名探偵タイタス・カラバンの筆頭助手にして記述者、いわゆるワトソン役が裁かれようとしているのだから、世間から注目されるのはある程度予想されていただろうが、ここまで耳目を集めようとは当事者の僕にも驚きだった。
「静粛に」
裁判長のヤズンが重々しく述べた。法廷内は別にさほどうるさくなってはいなかったのだが、静粛にと言ったのはいつもの癖か儀式のようなものなのだ、きっと。
「被告人は一歩前へ」
言われた通り、前に出た。証言台の際に立つ。ああ、厳密には二歩を要したので、言われた通りじゃないけれども。
何がどうなってこんな目に遭っているんだっけ……思い返すと視線が自然に下がった。自分の手を見下ろす。左右の手首は枷を填められ、不自由極まりない。その金属製の枷に、茶色がかった毛髪が一本、はらりと落ちた。僕の前髪のようだ。ストレスで抜けているのかもしれない。
「判決を言い渡す」
普段はしわがれ声のヤズン裁判長だが、今は張りのある声に転じている。この人がこの声を出せるとき、それは下す刑罰がある特定のものであるときのみだ。今までヤズンの裁く事案を何度か傍聴したことがあるのでよく知っている。
「主文。被告のカール・ハンソンを死刑に処する」
ま、裁判長の声がどうこう言う前に、死刑判決は分かり切っていた。これまでの審理の流れを振り返れば、僕がとうに絶望しているのは当たり前だとだれもが理解しよう。
* *
僕、カール・ハンソンに掛けられた嫌疑は殺人。とある名家の男とその恋人、さらに使用人の合わせて三名を殺害したとされた。
先に断っておくと、僕はやっていない。身に覚えのない犯行の濡れ衣を着せられた。冤罪ってやつだ。
元はといえば、僕は探偵側の一人として、この事件に関わった。依頼されたカラバン探偵の助手を務める形でだ。ただし、依頼のきっかけは僕にあった。というのも僕は被害者カップルの女性の方と昔、小学校と中学校が同じだった時期があって、それなりに親しかったのだ。そのよしみで彼女から「婚約者が脅しの手紙を受け取って悩んでいる様子だから、差出人を突き止めて欲しい」と連絡があった。
彼女、キール・プラッシーにおてんばのイメージを持っていた僕は、十年ぶりぐらいに再会して、驚いた。すっかりお嬢様然としていたのだ。ただし肌は昔のように日焼けしていたから、深窓の令嬢って感じは皆無だったけれども。
「わざわざ来てくれてありがとう。早速なんだけど時間がないから紹介するわ。こちらが私の婚約者」
キールの付き合っているのはタスク・ゴールデンという男で、キールよりも六つ年上、ゴールデン家の長男だった。ゴールデン家は何代か前の当主の散財により、お家が傾いたこともあったが、タスクの母親に当たる女性が立て直した。商才とセンスがあり、辣腕をふるった結果、わずかな資金を元手に始めた衣料販売が、今やファッションを発信するデザイナーブランドの一つになっていた。
「すまないね。こんな些末な事件で名探偵カラバン氏のお弟子さんを煩わせるとは、心苦しい」
そんな成金まがいの名家だから、その家の者達はさぞかし鼻持ちならない人が揃っているんだろうな、特にお家再興の立役者を母に持つ長男たるや、威を借りて権勢を振るっているに違いない……などと勝手な想像を膨らませていた僕は、出鼻を挫かれた。タスクは探偵というある意味うさんくさい人種を嫌悪するでなし、威圧的なところもなく、かといって馬鹿丁寧で腰が低いというほどでもない。至って常識的な、一般人という雰囲気をまとっていた。
なので僕も警戒を解き、受け答えをしたものだった。
「お気になさらないでください。カラバンの方針は身体さえ空いていれば、どのような事件でも引き受けるというもの。発端はたとえ小さくても、後々いかなる事態につながるかは分かりません。あ、脅かすつもりはなくて、あくまで一般論ですが」
「それでは、場合によってはカラバン氏が出て来ることもあると仰る?」
「その点につきましては、調査をしてみないことには何とも言えません。文字通り、場合によってはとなります」
実のところ、この段階ではタイタス・カラバンは別個の事件を抱えており、解決の目処こそついていたものの、犯人が罠に掛かるのを待っている状況だった。だからタイミングが合わなければ、タスクへの脅迫事件の進展次第では、僕が孤軍奮闘するか、やむを得ず警察に通報することも大いにあり得た。
こうして僕はカラバン探偵の威光もあって、歓迎されてゴールデン家に足を踏み入れた。
……今になって振り返ると、このときの依頼に応じなければ、僕は冤罪判決を下され、極刑を食らうようなことにはならなかっただろうか。
でも依頼を受けたのは、正確にはタイタス・カラバンであるし、カラバン探偵が“先兵”として僕を適任だと選ぶのも自然の道理であろう。僕個人の意思ではほとんどどうしようもなかったに違いない。
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