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1.再会と回想

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 人混みの中、その姿を認めた私は、懐かしさでいっぱいになった。
北川きたがわ君じゃないか?」

           *           *

 私が北川君と初めて出会った季節は、三月の終わり頃だったと記憶している。
 当時の私は、今のように花粉症に悩まされるようなことはなく、いくら杉花粉が飛び交おうが、平気に外を出歩けていた。
 私は公園を散歩するのが好きだ。いや、実際に公園内を歩くことは滅多にない。たいていは、指定席のつもりのベンチに腰を下ろし、ぼんやり、公園の中、あるいは外の様子を眺めているだけである。
 これがまた、何とも言えず、平和でよろしい。大学での人間関係の煩わしさや、遅々として進まぬ研究のことを忘れ、実にのんびりできる。
 花粉症なんかお構いなしなのは、子供も同じらしい。春休みに入ると特に、小さな子供の姿を、たくさん見かける。あの喧騒には辟易することもあるが、屈託のない笑顔、つまらない理由による喧嘩、大人には思いも寄らぬ奇想天外な遊びなんかを見せられると、楽しくなってくる。
 目の前で、また何か、子供達が始めた。
「始めるから、よく見てろよ」
 小柄で、すばしっこそうな子供が言うのが聞こえた。無論、私に言ったのではなく、彼の周りにいる仲間の子供らに聞いているのだ。
 小柄な子供はしゃがみ込んでおり、その手前の地面には、どこから持って来た物か、三つのマッチ箱が置いてあった。三つとも同じデザインだ。どれも空箱であることを示すと、子供はその一つに、ガムの包み紙の切れ端を入れた。これが目印になるらしい。
 次に、その子供は、手を素早く動かし始めた。手の動きに合わせて、三つのマッチ箱は位置を変えていく。間近で見ていても、とても追いきれるものでなく、でたらめに当てるのと同等である。それほど、子供の手つきはうまかった。
「さあ、どーれだ?」
 手を止めると、子供は顔を上げ、目の前にいた、今一人の子供に聞いた。額にかかる程度に髪の長い、男の子にしては生白い肌をしている子供だった。尤も子供は段々と外で遊ばなくなっているらしいので、これぐらいは普通なのかもしれないが。
「ちょっと待ってよ」
 色の白い子は、軽く目をつむったらしかった。
 今さら、目を閉じて当てる気なのか――私は興味を持った。
「本当に当たるのか?」
 二人を囲むように立っている子供の一人が、冷やかすように言った。でも、色白の子供は、意に介していない様子。ただ、じっと目を閉じている。
 やがて、何度かうなずいた。かと思うと、目を開くと同時に言った。
「これ」
 彼の手は、真ん中のマッチ箱を押さえていた。
 演技者――最初の小柄な子供が目を丸くしているのが、私のところからでもよく分かった。
「……当たり」
 真ん中の箱を開けると、中から緑色の紙切れが出てきた。
 一斉に、奇妙な歓声が起こる。ため息と驚きと疑いが入り交じったような。
「偶然だよ」
「違うったら。百発百中なの」
 今、気が付いたが、子供の輪の中には、一人だけ女の子がいた。大柄な男の子の影になって、見えなかったようだ。その女子だけは最初から、色白の男の子の味方らしい。紫色のリボンを結んだポニーテールを揺らして、必死に主張している。
 わいわいと、声が一際、高まった。それを収めるべく、何度でもやって見せようとなったらしい。小柄な子供は、またあの見事な手つきを始めた。
 しかし、何度やっても、色白の子は、確実に当てる。正しく、百発百中だ。
 その内、小柄な子の方が疲れてきたのか、やめてしまった。
 私の記憶では、色白の子は都合、二十回連続して当てたはずである。でたらめに答えるのだとすれば、二十回連続で当たる確率は、三の二十乗分の一……。あとで計算したところ、およそ三十四億八千万回に一度だった。とにかく、相当に低い確率である。
「ね、すごいでしょう? 本当にできるんだから」
 女の子は嬉しそうにしている。
 それに対して、注目の男の子の方は、かすかに笑っている程度。
「考えられるとしたら」
 懐疑派の男の子達の中で、一番賢そうなのが言った。単に、眼鏡をかけており、髪がきれいに切り揃えられているというだけで、賢そうというのは私の勝手な判断なのだが。
「北川君は、すごく目がいいか、とんでもなく運がいいかの、どちらかじゃないかなあ」
 色白の子は、北川という名字らしい。その彼に代わって、女の子が抗弁する。
「そんなのじゃないって」
「他に何があるんだい? まさか、『ぐる』じゃないだろうし」
 眼鏡の子は、小柄な子供の方をちらりと見た。それにしても、子供の口から、『ぐる』なんていう単語が飛び出すとは、違和感を覚える。
「違うさ!」
 大声で、小柄な子供は否定。
「疑うなら、自分でやってみたらいいだろ」
「ようし」
 眼鏡が乗ってきた。小柄な子と場所を交換。
 眼鏡の子も、さっきと同じようにやろうとした。ただし、その手つきは、比べ物にならないぐらい、ゆっくりだ。
 ところが、私は北川なる男の子の方を見て、首を捻ってしまった。マッチ箱の動きを、目で追っているのだ。ずっと動きの早い、小柄な子が相手のときは、そんなことはしていなかったのに。
「さあ」
 挑むかのような眼鏡の子に対し、北川君はすぐさま、向かって右端のマッチ箱を示した。
 眼鏡は慎重な手つきでそれを取り上げ、中身を確かめた。
「当たってる……」
 呆気に取られた声。だが、さっきの手つきでは、当てられて当然だと思うのだが。
「ね、本当だったじゃない」
 女の子は、くどいぐらいに念押ししている。
 彼女の横に、北川君が立ち上がった。もういいよという風に、女の子の肩に手をかけた。
「だめよ。約束、守ってもらわなきゃ」
 女の子の台詞に、北川以外の男子が反応する。
「分かったよ。明日、学校でな」
 そう言い残すと、みんな、逃げるように公園から出て行ってしまった。
 二人だけが残った。何やら、女の子の方が耳打ちしているが、その内容は聞き取れるはずもない。
 私は興味を引かれていた。女の子の内緒話に、ではない。無論、北川という少年の、あの力のことだ。
「ちょっと」
 立ち上がりながら、私は声をかけた。
 二人の子供は、びくっとしたようにこちらを振り向いた。
「怪しい者じゃないよ」
 恐がられないよう、無理にでも笑顔を作って、二人に近付いてみる。
「さっきのを見せてもらっていたんだが」
 しかし、女の子の方が恐がって、少年の背中に身を隠すような格好をする。
 このまま近付いても、警戒されるだけだと思い、私は立ち止まった。
 ところが、どうしたのか、北川少年が一歩、私の方に足を踏み出してくる。そう、大股で一歩だけ。
「……分かりました」
 おもむろに、少年は口を開いた。声変わり前の、子供特有の声。それがやけに丁寧な言葉遣いなものだから、おかしくなってくる。
 それにしても、私はその一瞬、彼の言葉の意味が理解できないでいた。何が、分かったというのだろう?
「おじさんが怪しい人じゃないって、分かりました」
 北川少年はにっこりと笑い、女の子へ、
「この人、悪い人じゃないよ」
 と説明した。
 女の子は、それだけのことで、全てを信用してくれたらしい。元のように、少年の横に並ぶ。
「……もしかして……」
 私は、閃きをそのまま口にした。
「……君は、人の心を読めるのかい?」
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