ヒのないところに

崎田毅駿

文字の大きさ
1 / 3

1.あの日からくすぶっている

しおりを挟む
 たばこをやめて一年が経った。
 娘の晴菜はるなは、まだ口を利いてくれない。
 たまに家で顔を合わせると、何も言わずに、じろりと僕をひとにらみしてどこかに去って行ってしまう。
 右の目元に、泣きぼくろのように残る火傷の痕を見せつけ、満足したかのように。

 特に気が重くなるのは、食事時だった。
 今も夕食の時間が近付いてきているが、憂鬱になる。キッチンの方から流れてくる味噌汁の匂いが、その合図になる。禁煙をしたせいか、色んな匂いが鋭く感じられるようになった気がする。
 食事でどこに座るかは、いつも決まっている。晴菜は僕の真向かいの席に座るものの、食卓を囲んだ家族の輪の外にいるようだった。
 いや、輪の外にいるのは多分、僕の方なんだろう。その証拠に、娘と母親――妻の澄江すみえとの間には、ぽつりぽつりとではあるが会話が成立する。僕だけがのけ者、という訳でもない。僕は僕で妻と言葉を交わすし、時々ではあるけれども食卓には笑いが生まれるのだから。

 晴菜はどうして僕の前に座り続けるんだろう。口をきくつもりがないのであれば、やはり、見せつけるため、そうとしか思えなくなる。
 この子は決して傷を隠そうとしない。前髪を伸ばして目元を隠せばいいのに、それすらしない。むしろ、視線を感じるたびに、顎を引いて傷を露わにする。その意図を直に聞くことは、僕にはまだできなかった。はっきり言われるのを、僕は恐れているのだ。
 ああ、今日のところはもうやめよう。考え過ぎないようにしなくては。
 今言える確かなことは、一年という時間は、僕の罪を軽くはしてくれなかった、それだけだ。 

「ごちそうさま」
 晴菜が言うなり席を立ち、食器を持って台所の流しに向かう。その「ごちそうさま」と食事前の「いただきます」は、僕に向けられた言葉でないことは分かっていても、僕にも言ってくれたのだと思いたくなる。
 そんな希望を持つのは、まだ早いんだろうか。

 洗い物を終えた晴菜が部屋を出て行く。僕は彼女の背中を見送った。ダイニングを出て行くときは、娘の右目元にある火傷跡が僕からは見えない。
 それでも、あの日のことがしばしば頭をよぎる。

「晴菜、電子たばこを持ってきてくれないか?」
 僕の何気ない一言が、彼女の運命を変えた。
 一年と少し前の休日。僕ら一家三人は、愛車でドライブに出掛けるところだった。運転席に座り、シートベルトをした折、上着のポケットにいつもの感触がないことに気が付いた。何年か前から愛用するようになっていた電子たばこ、その本体がない。居間のテーブルに忘れてきたのだと思い当たる。
 妻はお弁当など荷物を載せるのに掛かり切りだったので、僕は晴菜に頼んだのだ。
「しょうがないなー、あんまり吸わないようにしてよね、電子でも」
 そんな台詞を口にしながらも笑顔で彼女は取りに行ってくれた。
 そのあとの出来事は、実際に目にした訳ではない。が、充分に思い描くことができる。
 晴菜が手にした瞬間、電子たばこのバッテリーが火を噴いた。
 彼女の悲鳴が今でも耳にこびりついている。

 行き先は変更になった。
 病院の白い壁の前で、僕はただ呆然と立ち尽くしていた。

 電子たばこは海外製で、日本でも使える正規品ではあったのだが、不良品率が比較的高い商品だったとあとで知った。そのメーカーは治療費を含む、金額的には充分な見舞金を素早く用意した。僕らも外国の企業とやり合う手間や煩わしさを思うと、示談に応じて早めにけりを付けることを選んだ。
 晴菜の右手及び右腕は火傷を負ったが、手術により痕跡はほぼ分からなくなった。不幸中の幸いで、当日晴菜が着ていた服の袖が、三つのパーツを紐でつないだような特殊な形状をしていたおかげだった。偶然にも、袖だけが焼け落ちて娘の肌への炎の影響をかなり防いでくれたらしい。
 それでも、消せない傷はあった。
 火花が飛んだのだろう、右目元にできた火傷の跡は、いつまでもそこにあった。手術で消せるものなのかどうか、僕は担当医にいずれ聞こうと思っていたのに、結局聞けず仕舞いでいる。確かめる前に、娘の意思をそこに感じるようになったから。
 以来、その涙ぼくろのような痕は、僕の軽率な行為の証であり、戒めでもあると思うようにした。密かに見つめるたびに、胸が締め付けられる。
 これが恐らく、晴菜が望む罰なんだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サウンド&サイレンス

崎田毅駿
青春
女子小学生の倉越正美は勉強も運動もでき、いわゆる“優等生”で“いい子”。特に音楽が好き。あるとき音楽の歌のテストを翌日に控え、自宅で練習を重ねていたが、風邪をひきかけなのか喉の調子が悪い。ふと、「喉は一週間あれば治るはず。明日、先生が交通事故にでも遭ってテストが延期されないかな」なんてことを願ったが、すぐに打ち消した。翌朝、登校してしばらくすると、先生が出勤途中、事故に遭ったことがクラスに伝えられる。「昨日、私があんなことを願ったせい?」まさかと思いならがらも、自分のせいだという考えが頭から離れなくなった正美は、心理的ショックからか、声を出せなくなった――。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

観察者たち

崎田毅駿
ライト文芸
 夏休みの半ば、中学一年生の女子・盛川真麻が行方不明となり、やがて遺体となって発見される。程なくして、彼女が直近に電話していた、幼馴染みで同じ学校の同級生男子・保志朝郎もまた行方が分からなくなっていることが判明。一体何が起こったのか?  ――事件からおよそ二年が経過し、探偵の流次郎のもとを一人の男性が訪ねる。盛川真麻の父親だった。彼の依頼は、子供に浴びせられた誹謗中傷をどうにかして晴らして欲しい、というものだった。

神の威を借る狐

崎田毅駿
ライト文芸
大学一年の春、“僕”と桜は出逢った。少しずつステップを上がって、やがて結ばれる、それは運命だと思っていたが、親や親戚からは結婚を強く反対されてしまう。やむを得ず、駆け落ちのような形を取ったが、後悔はなかった。そうして暮らしが安定してきた頃、自分達の子供がほしいとの思いが高まり、僕らはお医者さんを訪ねた。そうする必要があった。

籠の鳥はそれでも鳴き続ける

崎田毅駿
ミステリー
あまり流行っているとは言えない、熱心でもない探偵・相原克のもとを、珍しく依頼人が訪れた。きっちりした身なりのその男は長辺と名乗り、芸能事務所でタレントのマネージャーをやっているという。依頼内容は、お抱えタレントの一人でアイドル・杠葉達也の警護。「芸能の仕事から身を退かねば命の保証はしない」との脅迫文が繰り返し送り付けられ、念のための措置らしい。引き受けた相原は比較的楽な仕事だと思っていたが、そんな彼を嘲笑うかのように杠葉の身辺に危機が迫る。

集めましょ、個性の欠片たち

崎田毅駿
ライト文芸
とある中学を中心に、あれやこれやの出来事を綴っていきます。1.「まずいはきまずいはずなのに」:中学では調理部に入りたかったのに、なかったため断念した篠宮理恵。二年生になり、有名なシェフの息子がクラスに転校して来た。彼の力を借りれば一から調理部を起ち上げられるかも? 2.「罪な罰」:人気男性タレントが大病を患ったことを告白。その芸能ニュースの話題でクラスの女子は朝から持ちきり。男子の一人が悪ぶってちょっと口を挟んだところ、普段は大人しくて目立たない女子が、いきなり彼を平手打ち! 一体何が?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ゼロになるレイナ

崎田毅駿
児童書・童話
お向かいの空き家に母娘二人が越してきた。僕・ジョエルはその女の子に一目惚れした。彼女の名はレイナといって、同じ小学校に転校してきて、同じクラスになった。近所のよしみもあって男子と女子の割には親しい友達になれた。けれども約一年後、レイナは消えてしまう。僕はそのとき、彼女の家にいたというのに。

処理中です...