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6話:俺は転生者だったのか(レオン視点)
しおりを挟む暗闇の中、冷たい雨が降っている。黒い雲が空を覆い尽くし、月明かりさえも遮っていた。雨粒は容赦なく地面を叩き、泥濘と化した道を滑りやすくしている。
「急げ! 早くここから離れろ!!」
俺は叫びながら、村人たちを山のふもとへと走らせていた。松明の光が雨に濡れて弱々しく揺れ、避難する人々の影を不安定に映し出している。老人は杖にすがりつき、母親は子供を抱きかかえ、男たちは重い荷物を背負って必死に足を動かしていた。
地面が揺れるたびに、山の上から轟音が響く。岩が崩れる音、木々が倒れる音、そして大地そのものが唸るような不気味な音が雨音に混じって聞こえてくる。
崩れてくるのは時間の問題だった。
(あと数人……全員避難させるまでは、俺は倒れられない)
額に滲む血を手で拭い、必死に走る。頭上の傷口から流れ出る血は雨水と混じり合い、頬を伝って顎から滴り落ちる。
生温かい泥水が靴の中に流れ込み、足を重くする。靴底は泥で滑りやすく、一歩一歩が不安定だった。それでも俺は立ち止まらない。後ろを振り返れば、まだ数人の村人が遅れをとっている。
視界の端に、逃げ遅れた老婆の姿が見えた。白髪の老婆は道端にうずくまり、痛みに顔を歪めている。
「おばあさん! 俺の手を掴め!!」
老婆は足を痛めているのか、思うように動けないようだった。彼女の足首は異様に腫れ上がり、立つことさえままならない状態だった。
俺はすぐに駆け寄り、その腕を引いた。老婆の体は予想以上に軽く、まるで枯れ木のように細い。雨に濡れた彼女の着物は泥で汚れ、震える手が俺の腕にしがみついた。
「大丈夫だ、俺が支えるから……!」
老婆を抱き上げるように支えながら、俺は避難場所に向かって歩き始めた。彼女の呼吸は浅く、体温は雨で冷え切っている。
次の瞬間。
山が、崩れた。
轟音が、世界を満たす。まず空気が震え、次に地面が大きく揺れ、そして巨大な音の壁が俺たちを襲った。振り返ると、山の斜面が崩れ落ちる様子が見えた。巨大な岩塊が転がり落ち、立木をなぎ倒し、すべてを呑み込んでいく。
土砂が波のように押し寄せ、俺の体を呑み込んでいく。茶色い泥流が津波のように迫り、俺と老婆の足元から全てを奪い去った。体が浮き上がり、回転し、何かに激突する。老婆の手が俺の腕から離れていく。
(──ああ、俺は……)
意識が、暗闇に沈んでいく。肺に泥水が入り込み、呼吸ができなくなる。体が重い土砂に押しつぶされ、光が遠ざかっていく。
──そして、目が覚めた。
◇◇◇
「…………」
どこか遠くで、鳥の鳴き声が聞こえる。窓の外からは車という乗り物の音も聞こえ、都市の朝の喧騒が始まっている。
まだぼんやりとした意識のまま、俺はゆっくりとまぶたを開けた。天井には今はもう見慣れ始めた照明器具がある。白い壁、木製の机、本棚に並んだ教科書。
窓の向こうには、穏やかな朝の光。住宅街の屋根が連なり、線のようなものが規則正しく張り巡らされている。遠くにはとても高い建物も見える。
目の前に広がるのは、いつもの風景だった。自分の部屋、カンザキレオンの部屋。
「……夢、か」
そう呟いた途端、体の内側に、冷たいものが広がった。布団の中で手を握りしめると、確かに温かい。心臓も規則正しく鼓動している。
(いや……違う)
これは夢なんかじゃない。
俺は確かに、あの場所で死んだ。山崩れの現場で、土砂に呑まれた。
土砂の中に沈み、意識が途切れた。
あのとき感じた、肌を押しつぶすような重みも、息ができなくなる苦しさも、鮮明に覚えている。泥の味、岩にぶつかる痛み、そして最後に訪れた静寂。
「……俺は、死んだのか?」
自分の声が、ひどく遠く聞こえる。部屋の中に響く声は、間違いなく俺の声だった。
これまでずっと、「異世界に飛ばされた」と思っていた。
けれど、それは違った。現実はもっと単純で、もっと残酷だった。
──俺は、転生したのだ。
◇◇◇
それに気づいた瞬間、全身の血が冷えていくようだった。ベッドの上で体を起こすと、手が小刻みに震えている。
俺は、元の世界の常識で生きていた。
この世界の文化や規則を知ろうともせず、ただ「自分の知る世界のやり方」を押しつけていた。コンビニという店の使い方も、電車という巨大な乗り物の乗り方も、スマートフォンという光る板の操作も、すべて手探りで覚えてきた。それでも、心のどこかで「いつかは元の世界に帰れる」と思っていた。
「……馬鹿か、俺は」
レオンという名前も、この体も、今の俺にとっては「自分のもの」であるはずなのに。
ずっと、傭兵だった頃の自分を基準にしていた。戦場での経験、仲間との絆、そして最後の使命。それらすべてが、もう過去のものになってしまった。
だが、もう終わったのだ。
俺は死んだ。あの山で、土砂に呑まれて。
過去の自分を引きずっていても仕方がない。
(……これからは、この世界で生きていくしかない)
そう決めたはずなのに。
胸の奥に、どうしようもない寂しさが広がっていく。まるで大切な何かを失ったような、空虚な感覚。
もし、誰かに「お前は誰だ」と問われたら俺は何と答えるのだろう。
──このままではいけない。
俺は、この世界に生きる「神崎レオン」なのだから。
◇◇◇
まず、改めてこの世界の常識を知ることから始めた。
授業中、教師の話をこれまで以上に真剣に聞く。黒板に書かれた文字を一字一句見逃さないよう、ノートを取る手にも力が入る。
特に、この世界の歴史や社会の仕組みについては必死に覚えた。年号、政治制度、経済構造。すべてが新鮮で、すべてが重要に思えた。
昼休みには教科書を読み直し、わからない単語は直哉にさりげなく尋ねる。彼はいつも弁当を食べながら、面倒そうな顔をしつつも教えてくれる。
「……なあ、ナオ。『ネンキン』って何だ?」
「……レオン、一緒に頑張ろうな」
俺の無知ぶりに呆れた顔をされながらも、直哉はちゃんと説明してくれる。箸を止めて、時には図まで描いて。
こういうとき、彼の説明は簡潔でわかりやすい。
(──助かる)
異世界での知識は、ここでは通用しない。魔法も剣術も、現代社会では何の役にも立たない。
それを痛感するたび、焦りが募った。
◇◇◇
次に、日常生活の振る舞いを改めることにした。
たとえば、食事の仕方。
俺は無意識に元の世界での戦場飯の癖が抜けておらず、早食いになっていた。皿に顔を近づけ、箸を忙しく動かし、まるで食事を奪われるのを恐れるかのように。
「食えるときに食え」と体に染みついた習慣だったが、この世界では「落ち着いて食べる」のが普通らしい。
だから、意識して箸をゆっくり動かすようにした。一口ごとに箸を置き、よく噛んで味わう。
……が、その結果。
「レオン、お前食べるの遅くね?」
昼食時、友人たちが俺の速さに合わせて待っている。他の生徒たちはとっくに食べ終わって、教室で雑談を始めている。
「味わって食べることを覚えた」
「いや、別に悪いことじゃないけど……どうしたんだよ?」
友人たちに不審がられた。彼らの視線が気になって、結局中途半端な速さになってしまう。
◇◇◇
また、言葉遣いも修正する必要があった。
俺はこれまで、元の世界の言い回しが抜けず、時折「伴侶」だの「契り」だのと言っていた。級友たちは笑って流してくれるが、明らかに浮いている。
だが、この世界ではそういう言葉は使わないらしい。テレビという話す窓やマンガという絵の本、友人たちの会話からこの世界の表現を学ぶ必要がある。
だから、なるべく「ゲンダイ的な」言葉を選ぶようにする。
──とはいえ、直すのはなかなか難しくて。
「ナオ、今日の放課後、マブい感じに遊ばないか?」
放課後、教室で直哉に声をかけた。周りの生徒たちも片付けをしながら、それぞれの予定について話している。
「待て待て待て、どこでそんな言葉覚えた!? あと使い方間違ってる!」
直哉は教科書を落としそうになりながら、慌てて俺を見る。
「……そうか。では、エモいノリで付き合ってほしい」
「いや、余計おかしいから!! どこで学習してんだよ!?」
直哉の突っ込みに、周りの生徒たちも笑い始める。俺の言葉選びが、またしても的外れだったようだ。
どうやら、この世界に馴染むにはまだ時間がかかりそうだ。
◇◇◇
それでも、少しずつ努力を重ねるうちに、違和感は減っていった。食事の速さも自然になり、言葉遣いも改善された。教室での居場所も、以前より安定してきた。
まだ完璧ではないが、少しでもこの世界に馴染めるように。
──そう思っていたのに。
ふと、直哉が不思議そうに俺を見つめる。放課後の教室、夕日が窓から差し込んで、机の上のノートを薄っすらと照らしている。
「……なあ、レオン」
「なんだ?」
「お前、最近ちょっと変わったよな」
その言葉に、俺は思わず動きを止めた。鉛筆を持つ手が宙で止まり、心臓の鼓動が早くなる。
変わった。
それは、俺の努力の成果なのかもしれない。この世界に馴染もうとした結果なのかもしれない。
けれど、胸の奥が妙にざわつくのはなぜだろう。
俺は、何かを「手放して」しまったのだろうか。
──その答えを、俺はまだ知らない。
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