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第8章 俺たちは『悲しい話』じゃなくて、『いつもの冒険』がしたい
第58話 クライス家の真実と、暴走する不死身計画
しおりを挟む「良い頃合いなのでしょう。旦那様にも、そして奥様にも、お話しせねばならないことがございます」
セバスチャンは淹れたての紅茶をテーブルに置くと、いつもの穏やかだが隙のない所作で、居住まいを正した。
湯気の向こうにある老執事の瞳は、どこか哀愁を帯びていた。
「クライス家のことです。……どうかお二人とも、落ち着いて私の話をお聞きください」
俺とオルドリンは顔を見合わせ、それから黙って頷いた。
オルドリンの腕は、まだ俺の腰に回されたままだ。その体温が、今は少しだけ頼りなく感じる。
「先ほど旦那様は、『家族はルシアンだけだ』と仰いました。それは言葉の綾でも、比喩でもございません。……文字通りの事実なのです」
セバスチャンは淡々と、しかし重い口調で語り始めた。
「クライス家は代々、強大な魔力を有する血筋です。ですが、神は二物を与えず……いえ、与えすぎたと言うべきでしょうか。その膨大すぎる魔力に、人の肉体という『器』が耐えきれないのです」
「……器が、耐えきれない?」
「はい。歴代の当主たちは皆、若くして魔力暴走を引き起こし、あるいは自身の魔力に身体を蝕まれ、短命でした。旦那様のお父上も、先代の皆様も」
俺は息を呑んだ。
オルドリンのお父さんが早くに亡くなったとは聞いていたが、流行り病か事故だと思っていた。
それが、逃れられない血の宿命だとしたら。
「さらに、その魔力は周囲にも牙を剥きます。強すぎる冷気は、そばにいる伴侶の生命力すら徐々に奪っていく……。ゆえに、クライス家との婚姻は『生贄』と同義と恐れられ、親族も寄り付かず、結果として血縁は絶え、旦那様は天涯孤独となられたのです」
部屋に重い沈黙が落ちた。
「……なんだと?」
オルドリンの顔色がサァッと青ざめた。
彼が自身の短命さについて反応したのではないことは、俺にも分かった。
彼は、自分の愛が俺を殺すかもしれないという事実に、戦慄したのだ。
「ルシアン、離れてくれ! 今すぐ私から半径五キロメートル以上離れるんだ! 息もするな、私の呼気は毒だ!」
「待て待て、おちつけ! 話が飛躍しすぎだ!」
本気で窓へ飛び退こうとするオルドリンの腕を、俺は必死で掴んで引き留める。
どうにか彼をソファに押し留めたものの、俺の頭の中では、それとは別の嫌なパズルが組み上がっていく。
歴代当主は短命。
そしてオルドリンは、歴代でも突出した「過去最強」の魔力を持っている。
「……それよりさ、オルドリン自身のことはどうなんだよ?」
声が震えた。オルドリンの暴走を止めながらも、俺自身の恐怖がせり上がってくる。
「魔力の強さが寿命を縮めるなら……世界一強いオルドリンは、あとどれくらい生きられるんだ?」
俺の問いかけに、オルドリンはわずかに視線を彷徨わせ、口を閉ざした。
否定してほしかった。「そんなことない」と笑い飛ばしてほしかった。
けれど、その沈黙こそが何より雄弁な答えだった。
俺の背筋を、冷たいものが這い上がっていく。
俺たち、これからもずっと一緒だと思ってたのに。
「約束、したじゃん……。おじいちゃんになっても、一緒に冒険しようって……。杖をついてでもダンジョンに行こうって……」
恐怖が一気に溢れ出した。
俺は前世での経験から、人生が突然断ち切られるものだと知っている。
昨日と同じ明日が来るとは限らない。一生一緒にいるという約束だって、絶対の保証にはならないのだ。
いくら強い彼でも、明日ふらりと倒れてしまうかもしれない。
俺を置いて、一人でいなくなってしまうかもしれない。
そんなの、嫌だ。
俺の目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「ルシアン……?」
オルドリンが目を見開いた。
俺の涙を見た瞬間、彼のその大きな瞳が、見たこともないほど激しく揺れ動いた。
「な、泣かないでくれルシアン! 君の瞳から涙が落ちるたびに、私の心臓は千切れそうだ!」
「だって……オルドリンが死ぬなんて……絶対嫌だよぉ……」
「死なない! 死ぬものか! 君一人を残してこの世を去るなど、私がするはずがない! どんなことをしてでも、いつも君の側にいるだろう?」
オルドリンは再びガバッと立ち上がると、狂気を帯びた目で虚空を睨みつけた。
「そうだ……君を悲しませる事象など認めない。寿命ごときが私の愛を脅かすなど、言語道断だ。世界の理がおかしいのなら、理の方をねじ伏せて書き換えればいい」
ブワッ!!
彼から凄まじい魔力が噴き上がり、屋敷の窓ガラスが一斉にビリビリと悲鳴を上げた。
「今すぐ『不老不死の秘薬』を精製する! あるいは『賢者の石』を錬成し――」
「旦那様、早まりすぎです。そもそもその必要は――」
「黙っていろセバスチャン! 屋敷の地下にある禁断の書庫を開けろ! 竜の肝とフェニックスの尾羽を触媒にし、私の血で術式を強制連結すれば理論値はクリアできるはずだ!」
セバスチャンの制止も聞かず、オルドリンが亜空間から巨大な大鍋と怪しい素材を次々と取り出し始めた。
普段なら「やめろ!」と止める場面だろう。
だが、今の俺はそんなことを言っていられない状態だった。
彼がいなくなる。その恐怖だけで、思考が焼き切れそうだったのだ。
「俺も手伝う! 実家の裏山に自生してた『叫ぶマンドラゴラ』なら、気絶させずに引っこ抜ける! あと何がいる!? 何でも言ってくれ、俺にできることなら何だってする!」
俺も弾かれたようにソファから立ち上がり、彼に駆け寄ろうとした。
「ルシアン、君は座っていてくれ! 君の手を汚すわけにはいかない! 私が三日三晩不眠不休で魔術を行使し、神の領域を侵犯してでも解決してみせる!」
轟々と燃え盛る魔法の炎。怪しく泡立つ大鍋。
屋敷のリビングが、一瞬にしてマッドサイエンティストの実験室と化した。
「ですから旦那様! 私の話を最後まで――」
セバスチャンが声を張り上げるが、俺たちの叫びにかき消される。
「――いい加減になさいませッ!!」
ヒュンッ。
風切り音と共に、セバスチャンが動いた。
目にも止まらぬ早業で、オルドリンの杖を取り上げ、大鍋を氷漬けにし、俺たちの肩をポンポンと叩いて強制的にソファへと座らせた。
「す、座っている場合ではないぞセバスチャン! 一刻も早く不死にならねば、ルシアンが悲しむ!」
「落ち着いてください、旦那様。そして奥様。……私の話には『続き』がございます」
セバスチャンは呆れたようにため息をつくと、氷漬けにした大鍋を異空間へ放り投げ、再び優雅に紅茶を注ぎ直した。
「先ほど申し上げたのは、『歴代の』話です。旦那様に関しては、その限りではありません」
「……え?」
俺は涙を拭いながら顔を上げた。
「どういうことだ?」
「旦那様には、歴代の当主にはなかった『決定的な要素』があるからです」
セバスチャンは眼鏡の位置を直し、俺を真っ直ぐに見つめた。
「それは、ルシアン様。貴方様です」
「俺……?」
「はい。歴代の当主たちは、その強大すぎる力ゆえに孤独でした。発散する場もなく、心を許せる相手もおらず、ただ内側に魔力を溜め込み、自壊していったのです」
セバスチャンは、まるで聖母のような優しい目で俺たちを見た。
「ですが、旦那様はどうでしょう? ルシアン様と共に過ごすようになってから、週末のたびに冒険に出かけ、呆れるほどの規模で魔法を乱発しておられます」
「あ……」
思い当たる節がありすぎる。
森を凍らせ、山を削り、ダンジョンを更地にするあの大魔法の数々。
「あのような過剰な魔力放出は、本来なら無駄遣いですが……」
「無駄遣いではない! ルシアンに『すごい』と言ってもらうための愛の示威行為だ!」
「はいはい。その『情熱の対価』が、結果として旦那様の命を救っていたのです」
「……旦那様にとっては、これ以上ない『魔力抜き』となっていたのです。おかげで体内の魔力循環は、過去類を見ないほど正常かつ健全です」
「そ、そうなのか……?」
「加えて、心の面の影響です。ルシアン様という『絶対的な精神を安定させる存在』がそばにいることで、旦那様の魔力暴走のリスクは限りなくゼロに等しくなりました。かつての『魔脈の儀式』や『星渡り』の際も、貴方様がいたからこそ、事故は何も起きなかった」
セバスチャンは俺の前に跪き、深く頭を下げた。
「奥様。貴方様はいつまで経ってもご自身のことを『何もできないから』と仰いますが……貴方様がただそこにいて、旦那様を連れ回してくださるだけで、旦那様の寿命は救われているのです。……感謝してもしきれません」
静寂が戻った。
俺は呆然とオルドリンを見た。
オルドリンもまた、自分の手をまじまじと見つめ、それからハッとしたように俺を見た。
「……そうか。私は、君に生かされていたのか」
オルドリンの声が震えていた。
死の恐怖からではない。圧倒的な感動に打ち震えているのだ。
「私の『一緒にいたい』というわがままが、君を余計な危険に巻き込んでいるのだと思っていた。だが違った。君との冒険(デート)こそが、私の生命維持活動だったとは……!」
「……よかった」
俺の目から、また涙が溢れた。今度は安堵の涙だ。
「俺、てっきり役立たずだと思ってた……。俺の『冒険したい』ってわがままが、アンタの休日さえ奪って、身体の負担になってるんじゃないかって……」
「負担なものか! 君のわがままは、私への祝福だ!」
オルドリンは俺に飛びつき、力任せに抱きしめた。
痛い。苦しい。でも、温かい。
この体温が、すぐには消えないものだと分かって、俺は彼の背中に腕を回してしがみついた。
「ルシアン、ルシアン……! やはり君は私の女神だ。いや、私の心臓そのものだ!」
「大袈裟だって……。でも、よかった……本当によかった……」
俺たちが鼻をすすりながら抱き合っていると、頭上から「やれやれ」という声が降ってきた。
「ようやく落ち着かれましたか」
セバスチャンが温かいタオルを差し出してくれた。
「寿命の心配がほぼないと分かったところで、最初のお話に戻りましょう。……ご家族へのご挨拶、でしたね」
「あ、ああ。そうだった」
俺はタオルで顔を拭き、少し恥ずかしくなって姿勢を整えた。
「血縁の方は皆様亡くなっておりますが……せっかくの機会です。墓前にて、ルシアン様を紹介されてはいかがでしょう?」
「墓参り……か」
「はい。歴代のご当主様も、きっと驚かれることでしょう。『生贄』ではなく、最強の魔王の手綱を握る『猛獣使い』の嫁が来たと知れば」
セバスチャンの冗談めかした言葉に、俺たちは顔を見合わせて笑った。
「そうだな。挨拶に行こう、オルドリン。俺、ちゃんと言わないと。……アンタを絶対幸せにするって」
「ルシアン……ッ!」
オルドリンは感極まったように天を仰ぐと、懐からメモ帳を取り出した。
「今の言葉、領地全土に布告しよう。いや、国王にも申請して、今日を『ルシアンが私を幸せにすると誓った記念日』として領民の休日に制定させねば」
「権力の私物化はやめろ」
こうして、俺たちの「噛み合わなかった家族論」は、一つの真実と、未来への約束へと繋がったのだった。
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