洋墨人形

古郷智恵

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 ガラテアと暮らして数年経ったある日のことである。アルフォンソは【マリア】という女性と文通をしていた。

 マリアと出会ったのは近場の屋敷で行われた舞踏会でのことである。アルフォンソは舞踏会には乗り気でなく、ただそれなりの身分を持つ者の義務として参加していた。そうして、気だるげに舞踏会に参加していると、ある女性を見つけた。マリアである。
 マリアは舞踏会の花であった。美しく長い栗毛を持ち、自信に満ち溢れた者だけが持つ淀みない黒目が印象的な美女である。彼女は教養高い才女であり、その偏屈さから凝縮された他者への蔑視感を持つアルフォンソでさえ、彼女の博学さには舌を巻いた。
 アルフォンソは彼女に興味を持った。そうして、彼女と話し、すぐに親しくなった。アルフォンソの偏屈な心を溶かしたのは、彼女の博学さだけが理由ではない。次のようなマリアの言葉が理由である。

 『あら、あなたは『さまよえる者』をお書きになった、アルフォンソさん? 私、興味深く。それで――――』

 アルフォンソはマリアの住所を聞き、文通するようになった。

――――――

 そうしてアルフォンソはマリアと文通をする内、彼女にだんだんと異性としての興味を持つようになった。それは彼女も同じのようで、文面上から彼に気が合るようにアルフォンソには見えた。マリアの想いが分かると、彼はますます彼女への想いが募っていった。

 アルフォンソはマリアとの文通に幸せを感じていた。若い日の純なる青春を思い出させるようだった。彼は毎日筆を取り、マリアへふみを書いていた。時には、精読するとようやく読み取れるような、ひそやかな愛の言葉も書いていた。



 ――もちろん、【ガラテア】を使いながら、である。



 ガラテアへの愛着も日に日にマリアに盗られていった。以前ならば、ガラテアを使う際は、丹念に、彼女の体を味わうようにペン先をへそに入れていたのだが、今ではもうただのインクケースのように、さっとペン先を臍に入れて終わりである。以前のようにガラテアを味わうのは、ふとマリアへの熱情が落ち着いて、目先にガラテアを見つけ、手慰みに使うときだけだった。 


 この日も、アルフォンソはいつも通りガラテアを使って手紙を書いていた。
 アルフォンソのマリアへの恋はもう抑えることができなくなった。彼はついに思い立ち、密やかな思わせぶりな愛の言葉でなく、はっきりとマリアへの愛を伝えようと決意した。

 ――そうして、彼はペンを持ち、傍らのガラテアの腹にペンを入れ……

 ……彼は彼自身の持つ才能を惜しみなく用い、かのドン・ファンもかくやというほどの、愛の言葉を紡いだ。彼の内にある愛の奔流は、塞もなく頭から手へと流れ込み、神の御霊に啓示された聖者の自動書記の如く、迷いなく流麗に、時折インクがなくなってガラテアの臍へとペンを動かしながら書き記した。

 彼は書き終わった。小説を執筆し終えた後とは違う、心が満たされる幸福感を彼は感じた。
 ――大いなる主よ!! 祝福あれ!!――これまで彼は神を信じはせず、むしろ小馬鹿にさえしていたが、この時ばかりは身に余る幸福感を他者に分け与えたい感情を抑えきれず、神へ感謝の祈りを捧げていた。――愛は神から生まれている――幼少期に神父から聞いた言葉を彼は思い出していた。

 そうして完成した手紙を郵便へ投函した後、もう外も暗く、寝るのによい時間になっていたため、アルフォンソは寝室に向かった。

 手紙を書いていた仕事机は、彼の熱が残っているように、道具はそのまま残っていた。彼は執筆しごとが順調に進むと片付けをせずガラテアだけ持ち、そのまま寝床へと向かうのが習慣であったが、いつもとは違って、部屋にはガラテアが残っていた。いままでにはなかった愛の充足感が、彼の頭からガラテアを放り出してしまい、机へと置き忘れてしまっていた。

 ガラテアは一人、客から打ち捨てられた娼婦の様に寂しく、机の上で仰向けに寝ていた。

 アルフォンソはそんなガラテアをつゆ知らず、一人ベッドで充足感に包まれながら寝に入った。
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