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解呪・外法式

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 マダラ薬草と紫胡桃を混ぜ合わせ、すり鉢で粉々に潰す。
 更に牙蜥蜴の黒焼きを加え、干したネムリコオロギの煮汁と一対一で割る。

 あとは数種類ブレンドした香辛料入りの蜂蜜と一緒に捏ねて、捏ねて、捏ね回す。
 上手く全体の色合いが均等になったら、五分ほど寝かせる。

 そして最後の仕上げ。銀のナイフで指先を切る。
 溢れた血を器の縁に伝わせた後、音を立てないよう静かに素手で掻き混ぜる。

 曽祖母の研究書によれば破瓜の血が最も効果的らしいが、生憎そこまでする気は無い。
 如何な形であれ、ザナドゥ家の女が処女を失くせばその先は只管な堕落。呪いが加速度的に進行し、遠からず廃人と化す。
 母の終わりを目の当たりとしたお陰で、私はそれをよく知ってる。あんな末期を迎えるなど、真っ平だ。

 ――出来たわ。

 借りていたキッチンを出て、今か今かと待っていた奥方に告げる。
 彼女はパッと表情を華やがせ、私に駆け寄ると、器を大事そうに両手で抱えた。

「ありがとうございますっ……この薬を、どうすれば……!?」

 胸に塗ればいい。出来るだけ余らせないで。
 そう答えると、奥方は急ぎ寝室へと飛び込み、言われた通り夫の胸板に塗りたくり始めた。

 張り詰めた、必死の様相。夫を目覚めさせるためなら、冗談抜きで腕の一本くらい躊躇わず捧げよう切迫具合。
 自分すら顧みず、誰かを心底より愛する。今の私には理解出来ない感情。
 もし呪いから解放されたその時は、私もこんな風に、形振り構わず一人を想えるのだろうか。

 試しに考えてみる。どこかの町の一軒家で、鼻歌交じりに夕食を作りながら、夫の帰りを待つ己が姿を。
 ……ちょっと、想像し難い光景だ。正直かなり気持ち悪い。

「しかし、呪いってのは案外簡単に解けるんだな」

 ふと、やや拍子抜けした風にローガンが呟く。
 何を言ってるんだと私は振り返るが、そう言えば、まともに説明などしていなかったことを思い出す。
 長々喋るの、面倒だったし。口無精なんだ。一から十まで懇切丁寧な解説を求めないで欲しい。

 ――解けないわよ。

 あんな、十五分あれば誰でも作れる薬で呪いが断てれば、世にまじない師なんか無用。
 そもそも、あの薬で直接問題が解決すると言った覚えは無い。あれは単なるの代物だ。

 此方の台詞に目を瞬かせるローガンを捨て置き、私はコート裏のポケットから目当ての物を取り出し、ちょうど薬を塗り終えた奥方に手渡した。
 夫の手首にでも巻けと、短く言い含める。

「綺麗な黒……なんの糸ですか?」

 私の髪で編んだミサンガだ。色々使い道があるから、幾つかストックしてある。
 他所の女の髪で作ったアクセサリーを旦那に付けるなど愉快な心持ちじゃないだろうから、わざわざ説明はしないけど。

 兎に角、この先は少し急ぐ。
 塗り薬の効果は短い。もたついていれば、折角開いたが失われてしまう。

 ……私が今からしようとしていることは、眠る彼との精神の同調。
 呪いと呪いを重ね合わせ、弱い方を食い潰させるという一種の共食い、或いは蠱毒に近いもの。
 夢魔を討ち果たした後、血族を救うべく研究に生涯を費やし、けれども志半ばで倒れた曽祖母が残した経過のひとつ。

 正味、お世辞にも穏便な手立てとは呼べない、強引極まる力業。
 出来れば避けるべき外道であり、外法。

 とは言え、本来の解呪には膨大な知識と複雑怪奇な手順が求められる。
 比較的単純な呪いを解く術を学ぶだけでも、一年二年の修練は当たり前だ。

 そんな面倒を悠長に重ねる時間は無い。第一、高名なまじない師ですら私達ザナドゥ家の呪いには手も足も出せず、匙を投げた。
 呪われた当人どころか血族総員に至るまで強く影響を及ぼし、六十年の歳月を経ても全く劣化の兆しすら見せない埒外な深度。
 まともなアプローチでは解呪不可能。そう結論したからこそ、私はこうやって旅などしているのだ。
 無駄と分かってるまじないの術理など、修めてる道理が無かった。

 ――そろそろ始めるから、貴方達は別室に居て。

 同席したいと渋る奥方を、半ば無理矢理に追い立てる。
 寝室に施錠させ、ローガンにも決して彼女に覗かせぬよう見張れと命じた。

 人目があれば気が散るし、外法を使うところなんて見られたくないし、外法が使えるということを知られたくもない。

 何より、今から私がこの男にする行いは、心から夫を愛する妻にはショックが強過ぎる。
 無論、現実では指一本触れないし触れたくもないが、彼女がどう受け取るかは別の話だろう。故、敢えて解呪手順の詳しい説明は避けた。
 不要な恨みなんて買いたくない。好きこのんで悪役を買って出る偽悪趣味など、私には無い。
 そもそも此方だって気が進まないのだ。精神を同調させるということは、つまり……ああ、最低。

 ――はぁっ。

 加減を間違えると、被施術者側に後遺症が残ることもある。
 まるで憂鬱を畳み掛けるように、曽祖母の研究書末尾に記された但し書きを、ここに至って思い出した。

 加減って曖昧な。私もこれを試すのは初めてなんだ。その塩梅が分からない。
 が、今更止めるという選択肢も無い。日を改めようにも、この薬は一度使うと耐性がついて効かなくなるのだ。
 時間的な余裕も無く、私は最後にひとつ溜息を吐いて、施術に移った。

 ――――。

 眠る男の耳元に口を寄せ、囁くように呪言を唱う。
 僅かでも耳にした者全てに影響を与えてしまうため、なるべく小声で早口に繰り返す。

 七度、三度、八度、四度、十一度。
 区切り、紡ぎ、意識を鋭く研ぎ澄ます。

 やがて私と男との間に、不可視の糸が繋がっているような感覚を覚えた。
 少しずつ手繰り寄せるイメージで、深く呼吸する。

 そうして――私の意識は、どこか深くへと潜り込んで行った。




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