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届け物
しおりを挟む面倒臭い。
溜息混じりにそうぼやきながら、ローガンはランプに照らされたエントランスを潜った。
ルシキ島中心街に位置する宿。
入ってすぐの食堂は出稼ぎの宿泊客で賑わっており、まずまずの繁盛が窺えた。
「いらっしゃい! って、なんだいローガンじゃないか。あー全く、声出して損したよ」
「人の顔を見るなりご挨拶だな、婆さん」
鳴り響くドアベルに彼を出迎えたのは、恰幅の良い初老の女性。
この宿屋の女将で、ローガンとは彼が子供の頃からの顔見知りだった。
まあ、元々そう広くもない島。住民の半数は知己なのだが。
見回りによる治安維持が主な仕事の警備隊ともなれば、特に。
「珍しいね。飯でも食べに来たのかい?」
「なら良かったんだけどよ。仕事だ。上役の使いっ走りさ」
ふと騒がしい方に視線を送ると、赤ら顔で酒を呷る数人のグループ。
羨ましげな様子で目を細めつつ、自分も早く終わらせて一杯やりたいと、再度溜息する。
「ここにカグヤって名前の嬢ちゃんが泊まってるだろ。黒髪で、つやつやしたコート着た美人の」
「ああ、あの子。ナンパならやめときなよ、傭兵やってるとかで見た目じゃ信じられないくらい強いんだから。コナかけようとした奴等が私の知ってるだけで、もう五人は叩きのめされてるくらいだしね。大体、あんたにゃ上玉過ぎるよ。身の程を弁えな」
「仕事だっつってんだろ!」
失礼千万な女将に怒鳴り上げ、革鎧の懐を探る。
取り出したのは一通の封筒。金色の封蝋が施された、気品すら見て取れる代物だった。
「おや……そりゃ、領主様の印璽だね。まさか、あの子宛に?」
「ちと、厄介事の種を摘んで貰ってな」
そんなローガンの言葉に、女将が意外そうに首を捻った。
「厄介事、ねぇ。踏み入ったことに首を突っ込むような子には見えなかったけど」
「北の牧場の一件だ。路銀稼ぎの適当な仕事が欲しいってんで家畜狙いの狼退治を頼んだら、思ってたより大事でな。解決してくれた嬢ちゃんに、直々に会って礼をしたいってさ」
軽々しく言うが、領主との拝謁など一般市民においそれと適う話ではない。
素性が知れぬ旅の者、流れ者なら尚のこと。普通なら領内で多少の功を挙げたところで、人伝に金銭なり礼状なりを渡し、それで終わりだろう。
「うちの領主様は本当に律儀者だねぇ」
「俺達下々のことをよーく考えてくれる慈悲深い人だよ。なんで嫁さんが居ないのか分からんくらいだ、俺とそう歳も変わらねぇってのに」
「あんたも嫁は居ないだろうが。いい加減、身を固めな」
「生憎と相手が居ねぇ。警備隊は男所帯だからな」
人格者で知られるルシキ島の領主ならではの名誉ある差配。
ただ、カグヤはそういったものにあまり興味が無さそうだと、彼女の素っ気ない態度を思い返しつつ苦笑いを浮かべるローガン。
「つう訳で渡しといてくれ」
「悪いけど今は忙しいんだよ。部屋は教えるから、あんた自分で渡しに行きなね」
「いや、俺はさっさと帰って残りの仕事をだな――」
「おーい! 頼んだ肉と酒まだかー!?」
「はいはい、すぐ持ってくから待ってな!」
つらつらと言葉を並べるも虚しく、女将はぞんざいにカグヤの宿泊する部屋を伝えると、小走りで厨房に戻ってしまう。
残されたローガンは、ちょうど酔っ払いが大きく笑い声を響かせた一方で、深く肩を落とすのだった。
三階奥の角部屋。
億劫な足取りで辿り着いたその前に立ち、軽くノックする。
「嬢ちゃん。居るかー?」
気の抜けた声を張る。暫し待つ。返答は無い。
再びノックし、少しだけ大きく同じ台詞を繰り返す。
やはり、返答は無い。
「留守か? いや、それなら婆さんが何か言うよな……」
耳を欹てると、微かな人の気配。
居るには居る様子。気付いていないのか、或いは既に寝てしまったのか。
封筒片手、ローガンはどうしたものか考え込む。やはり女将に預けるべきか。
この一時間で何度目かとなる溜息を重ねた後、鈍い所作で踵を返した。
すると、扉越しに床板の軋む音が小さく響いた。
振り返る。取り敢えず、無駄足を踏まずには済みそうだった。
「やれやれ……」
仕事ありきとは言え――否、だからこそ大手を振って夜中に女の部屋を訪ねられる免罪符。
しかも、相手はとびきりの美女。本来なら口に出すのも憚られる妄想で胸踊る筈のシチュエーション。
にも拘らず、何故か邪な念を抱く気にならない。
ほんの数日前、内容を殆ど覚えていない夢で冗談抜きに死ぬかと思った量の夢精をして以来、ずっとこの調子。
男なら目を向けずにはいられぬカグヤの胸元や太腿を盗み見ても、まるで反応しない股間の逸物。
よもや自分が不能になったのではと、ローガンは気が気ではなかった。
「……なに?」
内心、戦々恐々と背筋を震わす最中、隙間を作る程度に開かれた扉。
静かにローガンを覗く、冷めた青色の眼差し。まあ、当然の反応だろう。
「よう嬢ちゃん、さっき振りだな。実はお前さんに届け物を頼まれてな、悪いが少し時間いいか?」
「そう。別に構わないわ」
幾らか警戒を薄れさせ、抑揚無い声音と共に頷くカグヤ。
蝶番を小さく鳴らし、部屋と廊下、そして二人を隔てる扉が退けられた。
「入って」
「あぁ、いや、こいつを渡しに来ただけだから――」
人はあまりにも想定外の出来事に遭遇すると、思考が凍りつくという。
まさしくローガンは、今、そんな状態へと陥っていた。
「は――え、ぇ?」
視界の半ばを塗り潰す、真っ白な肌。
一見、病理を疑うほどの、芸術品が如き、きめ細やかな白皙。
カグヤは服を着ていなかった。
より正しくは、辛うじてショートパンツを穿いただけの半裸。
片手では掴み切れないだろう形の良い豊かな膨らみと、その頂を飾る淡いピンク色の乳首を惜しげも無く晒した姿で、彼女は立っていた。
「ちょ、嬢ちゃん!? ふ、服、服!!」
「……服?」
流石に慌てふためくローガンを怪訝そうに見、自身を見下ろすカグヤ。
だが。
「服がなに?」
「いや、どうしたもこうしたも服着ろよ!」
「着てるわ」
「下はな! 上だよ上!」
「……何言ってるの?」
言葉は通じているのに、話が全く噛み合わない。
どうなってるんだと頭の中で疑問符を踊らせるローガンを他所、カグヤはふらふらと彼に背を向けた。
そんな彼女から、ふと微かに漂う甘い香り。
室内のテーブルを見遣ると、半分ほど空けられたワインボトル。
まさか、一見そうとは思えないが――酔っている、のか。
「用があるなら早く入って」
「え……だ、だけどな……」
混乱で纏まらぬ思考。
けれども何かに突き動かされるように、気付けばローガンは言われるがまま、部屋に足を踏み入れていた。
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