ねえ、センセ。―粘着系年下男子の憂鬱

ゴトウユカコ

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忍びよる不穏な気配_4

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「こんなところで何を油売ってるんだ」

 少し言いにくそうにしながら厳しい声で、橘先生は米川さんたち3人の生徒の名前を順番に咎めるように呼んだ。

「別に、片桐先生と話してただけです」

 一瞬見せた険しい表情なんて私の目の錯覚だったみたいに、米川さんたちはうっすらと微笑んだ。
 どこか相手を軽蔑したような冷えた目線だった。
 でも橘先生もまたそれを平然と受け止めて、眼鏡の奥の目つきを鋭くしただけだった。

 何かあったのか、米川さんたち3人と橘先生の間には、異様に張り詰めた緊張感が漂っていた。
 まるでわかっていないのは着任したばかりの私だけのように取り残されている。

「さっさと教室戻れ。受験生だろう?」

 わずかに吐き捨てるような物言いに、米川さんのきれいな眉がまたかすかに動いた。
 でも特に口答えせずに、彼女たちは無言で歩き出した。
 橘先生の言葉に答える必要などないかのようにむしろ胸を張って、決して弱い部分など見せまいと去っていく。

 私も関わりあいになどなりたくない。
 出遅れつつも、私も軽く会釈して脇を通り過ぎようとした。

「片桐先生」

 無視して歩いた。
 すぐに橘先生が後をついてくる。

「あれからスマホがなくて困ってるんです。成瀬先生に伝えてくれませんか? 返してくれと。あそこには仕事の大事な資料もありますし」

「ご自分で直接おっしゃってはどうですか?」

 振り返りもせずに吐き捨てると、橘先生が小さく笑った。

「片桐先生って本当にかわいい人ですね。どんなに動画や写真を消したところで、ぼくの目ははっきりと先生の美しい姿を見てしまった。忘れられるものじゃない」

 カッと顔から火が出そうになった。
 あの姿をためらいもなく美しいと表現した男に、生理的な嫌悪感で吐きそうになった。

「仕事が残ってるので」

 相手にすればするほど、自分が汚されていきそうで足を早めた。
 その瞬間、橘先生がさっと私の腕を掴んだ。
 反射的に振り払う。でも離してもらえない。

「何するんですか、離してください!」

 強い口調にも動じず、むしろ私を廊下の壁の方へ押しつけるようにした。
 なりふりを構っていられず、「離して!」と悲鳴をあげた口を塞がれた。

「叫べばいいですよ。そのかわり、どこまでも追いかけます」

 恐怖がこみあげ、ぞわっと鳥肌が立った。
 言葉を失った私に、橘先生がわずかに口を塞いでいた手を離した。

「ただ僕はお願いしてるだけです。一度、もう一度でいい、僕にも見せてください、淫らな片桐先生を。本当に忘れられない」

 熱心に懇願する口調は、口説いているんじゃない。
 むしろ自分の欲望にただ従っているだけだ。
 でなければ、舐め回すようにメガネの奥で私を見る目がそんなにぎらついているわけがない。

「ご自分で何言ってるかわかってます……!? 冗談やめてください、これ、りっぱなセクハラですよね!?」

「心外ですね。ただ僕の想いをわかってほしいだけです」

 さらに橘先生の体が近づいて、その体で壁に押しつけられる形になる。
 全身が橘先生の体と重なってるような気持ち悪さに、何度も身をよじった。

「いい加減離れてください、人呼びますよ!」
 
 そうは言っても、この先、何をどうされるのか怖くてうまく叫べそうにはなかった。
 なにより恐怖のあまり、体はこわばって冷静な判断さえとれない。
 
「わかってほしいだけです。忘れられないんだ、本当に。寝ても覚めても、先生の喘いだ、あの、」

 言いながら興奮してきたらしい橘先生のマスク越しの荒い息遣いが耳にかかった。
 そのこもった熱から逃れるようにさらに顔をそむけた。

「あの男といいなら、僕もいいですよね? 先生、」

 限界だ。
 上擦った声に必死で恐怖を抑え込んで、「だれ――」と大きく口を開けた。

 その瞬間、校内放送のチャイムがひときわ大きく響いた。

「橘先生、橘先生。至急職員室にお戻りください」

 びくっとした橘先生が動きを止めた。
 その一瞬を突いて、橘先生を思いきり突き飛ばした。
 よろけて腕をつかむ力が緩んだ。
 それを振り払って逃げ出した。
 呼び出しの放送が橘先生を引き止めるうちに、一刻も早く立ち去りたかった。
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