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番外編
「希望の人」
しおりを挟む「ゲルト、まあそう気を落とすなよ」
村に戻ったゲルトは、エデル・フォルハインを連れて帰れなかったことに気を落としてため息ばかりついていた。
そんな若いゲルトを、周りの男達は肩を叩いて励ましている。
「後少しというところだったんだがなぁ」
「本人が拒まれるなら仕方ない」
男達は集会所として使われている大きな一軒の家に集まり、報告会を兼ねて酒を酌み交わしていた。
かつての辺境伯がその身を犠牲にして助けた生き残り達は、それ以降全く魔人達に無視される形となった。ベルクフェン王国以外にも生き残りはいくらかおり、各地の人々は連絡を取り合って細々と暮らしていた。少しずつ生活を立て直し、安定させていかなければならない。
人間達は穏健派と強硬派で別れており、穏健派はとにかく波風を立てたがらず、今の静かな生活を守りたいと主張していた。
一方、ゲルトが支持しているのは強硬派である。屈辱の日々に一刻も早く終止符を打ち、地上をこの手に取り戻したいと息巻いている。一人でも多くの魔人を手にかけて、いずれは滅ぼすのが目標だ。
出来ないことではない、とゲルトは信じている。復讐心が生きる糧にもなっていた。だから、どんな危険なことにも身をさらせるのだ。
ひとまず情報収集が先決だということで、ゲルトは魔の国に潜入した。逸る気持ちはあったが、現実を見て少々落ち込んだのも事実である。
魔族が地上を占領してから十数年。大した暮らしはしていないのではないかと想像していたが、彼らは魔術を使うこともあり、見事な速度で建築を進め、安定した生活を送っている。その強大な力をまざまざと見せつけられた。
人間が十年かかることを、数日でやってのけてしまうのである。
エデルに言われた、時期尚早だというような言葉の数々がのしかかった。
話し合いは何度も行われた。初めのうちは、とにかくどこかを占拠してそこから土地の奪還を目指すという方針だったが、やはり現実的ではないという結論に落ち着いた。
魔人は気合いで倒せる相手ではなく、入念な計画と準備が必要なのだった。
ゲルトはこの意見を否定し続けていたが、今夜はそれを受け入れるしかないという気分になっていた。
「俺が思うに、潜入するのはさほど難しいことではないと思うんだ。だから、こういうのはどうだろう」
ゲルトの意見に皆が耳を傾けた。
「奴らは俺達のことを警戒などしていない。そこを逆手にとるんだよ。商売となれば、話に応じるみたいだから……」
現にツァイテールが絡んだ奴隷商売は、ゼルガーダン卿が絡んでいるというのもあるがさほど訝られていなかった。
過去の威光にすがるツァイテールは、生来の尊大さをそのまま暴力的に人々に降り注ぎ、皆に言うことを聞かせていた。魔人に保護されているというのもあって、手を出したくても出せなかったのだが、ようやく最近天罰が下って消えたそうである。助けようと意見する者は当然だがいない。
「俺達が力をつければ勘ぐられるかもしれないが、それが商売だと思わせたらどうだろう。奴らは小競り合いをしているだろう? 俺達は傭兵として雇われるんだよ。時間をかけて、内部から崩壊させるんだ」
そう簡単に実現できる案とは言い難かったが、ゲルトの意見は一考する価値があると仲間内で評価された。
どの道、時間はかけた方がよさそうであった。
「あの方がいてくださったらなぁ……」
酒を飲みながら一人の男がため息をつく。
あの方というのはもちろん、エデル・フォルハイン辺境伯である。英雄であり、偉大なる犠牲者。皆を救った悲劇の人だ。
全員がエデルに罪悪感を抱いており、そして感謝の念も持っていた。エデルは生き残りの人々にとって、救うべき囚われ人、生ける神なのである。
ゲルトも戦争中に父を救われていて、その後父は亡くなったが、エデルは恩人であった。が、幼かったこともあって当時の記憶があまりなく、エデルがどのような人物であるか聞いて知っているだけだ。
恐れ多くも彼に挑み、その強さを知り、頼りになる人だと実感した。
だからこそ、取り戻したかった。
「助けられなかった……」
ゲルトは呟いて、酒をあおる。
後少しのところだったのだ。手をのばせば、届くところにいたというのに。
黒角の魔人が村の近くまでやって来た時、誰かを抱えているようには見えたが、まさかそれが彼だとは思いもしなかった。
黒角はどうにも怪しくて、何か話があるらしかったが何にしても追い払わなくてはとみんな躍起になったのだ。抵抗しないので傷つけるのには成功したが、どうも腕の中の何かを守るのに意識が向いている。
そこで、ゲルトは黒角が抱えているのがエデルだと気づいたのだった。
「しかしなぁ、エデル様が嫌だと言うんじゃ」
「黒角の君はエデル様を溺愛しているとの話じゃないか。案外心を許しているのではないかな」
年上の男達がそう言うので、ゲルトは即座に「そんなはずがない」と否定した。
「あの方は性奴隷の淫紋をつけられているんだぞ? これまで奴らにされてきたことを考えれば、魔人に親しんで暮らせるはずがない。洗脳されているんだ。お気の毒だ」
黒角の君は絶対的な力を持っていると聞く。かつての主人だったエデルを支配下に置き、洗脳して言いなりにしているに決まっている。
溺愛? 血も涙もない魔人が、誰かをまともに愛することなどできるわけがないではないか。
黒角の姿を思い出す度にはらわたが煮えくり返りそうだ。
剣を構えるエデルの後ろで横たわっていた黒角。
あの男は、エデルの話を聞いてどんな顔をしていた? 自分に向けられた言葉に満足し、ゲルト達を嘲るように笑ってはいなかっただろうか?
――この人は、身も心も俺のものだ。
あの目がそう言ってはいなかっただろうか?
冗談ではない。エデルは人間なのだ。魔人のものになっていいはずがない。
「エデル様も本心は、我々のところに来たがっているに決まっている」
聞けばエデル・フォルハイン辺境伯は正しき貴族として広く知られていたらしい。そんな人が、同胞を滅ぼした魔人に気持ちがなびくはずがない。必ずや魔人達を断罪してくれる。それが彼の望みのはずだ。
エデルの目を覚まさせてやらなければならない。
「あんな綺麗な人を、薄汚い魔人達の元に置いてはおけないよ。本当に、あんなに美しい人を、俺は初めて見たんだ。早く、俺達のところに帰ってきてほしい……」
銀色に輝く髪。傷も染みもない白磁の肌。赤い唇に、優しげな瞳。
淫紋がついていると、相手の性欲を刺激する物質が常に分泌されているそうで、そのせいかもしれないが触られるとどきりとした。
もっと触れてみたかった。あの時、あの人を抱きしめられたらよかったのに。銀の髪の触り心地はどうなのだろう。肌はどのくらい柔らかいのだろうか。
「ゲルト、まさかエデル様に惚れちまったんじゃないだろうな」
「ばっ……馬鹿なことを言うな!」
ゲルトは顔を真っ赤にして仲間達に背を向けた。仲間達はからかうような笑い声をあげている。
「無理もないな。俺は当時の閣下を知っているが、あの時もお綺麗だった。若くなればさらに美貌は際だっていることだろう。幾人もの男色家の貴族が狙ってたって話だぞ。閣下は生真面目だし腕が立つから、誰も手を出す勇気がなかったそうだが」
そんなエデルが、魔人の慰み者にされてしまったという事実に胸が痛む。
ゲルトは当時幼くて、エデルに何もしてやれなかった。だが自分も罪を背負っていると思っていて、だから罪滅ぼしをしたいのだ。
(エデル様。俺が必ず、あなたを救い出してみせます。何年かかったとしても……)
ゲルトは懐からこっそりと一枚の手紙を取り出した。荒野で拾ったそれは、黒角がエデルにあてたものだった。黒角は人間の中で暮らしていたことがあるからか、人間の言語は堪能らしい。手紙の中に書いてある一文が、ゲルトを激高させた。
――あなたを、心から愛しています。
ゲルトは思わず手紙を握り潰していた。そうやって心にもないことを言い、あの男はエデル様をたぶらかしているんだ。
愛しているわけがない。愛していたら、お前はエデル様を解放するはずだ。
黒角の魔人を絶対にこの手で討つ。そして救い主を取り戻す。
エデル・フォルハインは人間の悲劇の象徴であり、そして未だ希望でもある。
ゲルトは拳を固め、いつかエデルを取り戻す日を夢見るのだった。
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