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第一部 再会
63、飴
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宮殿の廊下で、一際元気な大声が響き渡った。
「お前達! 並べ! 菓子を配るぞ!」
赤薔薇公ローザが、手にしたものを掲げながら自分の侍従達を呼び寄せている。息を切らして集まってくる赤薔薇の侍従の子らは、今日も走り回る主人に振り切られてしまっていたのだろう。
階下の賑やかな光景に、リーリヤと歩いていたジェードは足を止めた。どこか不思議そうにローザ達の方を見下ろしている。
「菓子と言ったな」
「ええ。ローザは自分が食べるより、侍従に与えるのが好きなのですよ」
「しかし、お前達花の子は、ものを食べないのではなかったか?」
ふんぞり返るようにして立つローザは、きちんと並ぶ侍従達に一つ一つそれを手渡している。
「あれは、飴なのです。仰る通り、私達は光と水しか必要としませんが、嗜好品のようなものはあるのですよ。よく茶を飲むでしょう? あれも本来であれば真水で構わないわけですが、それではあんまり味気がなさすぎますからね」
やはり、楽しみというものは必要なのである。
花の子も、食べようと思えば固形物を食べられないわけではない。よく噛んで飲み込むことは可能だ。ただし、体がかなり重くなり、体内で分解するのに相当な時間と力を要してしまうので、すすんでそういった食事をとる花の子はまずいない。
菓子といったら、もっぱら飴である。砂糖に果汁、花の蜜などが材料で、溶かして固める。今ローザが配っているのは、棒つき飴だ。
凍らせたものもあるのだが、それは氷の魔術を使う待雪草(スノードロップ)公の力が必要で、彼は非常に気紛れで面倒くさがりなので滅多に皆の口には入らなかった。
ローザは様々な色のついた飴を偉そうに配っている。侍従達は行儀良く受け取って、その後、嬉しそうに舐めていた。
赤薔薇公ローザは傍若無人に見られるが、侍従のことはよく気にかけているので彼らからは慕われている。
皆に配り終えたローザは、「どうだ、美味いだろう!」と言うと、しばらくはそれを食べて好きに休憩しろと言い置いて大股で歩き出した。
主人を放置して休むわけにもいかない侍従達だったが、ああして命令されてしまったので顔を見合わせながら飴を食べていた。どの道、飴を片手に追いかけるのでは行儀が悪い。
階段を上がったローザは、リーリヤとジェードの前までやって来た。
「そうだ、まだ余ってるから、お前達にもやろう」
ローザは手にした袋の中に手を突っ込むと、ふと動きを止めてリーリヤとジェードの顔を見比べていた。悩むように眉間にしわを寄せている。
二本出した飴の一つを、袋に戻した。
「一本で良さそうだな」
などと不可解なことを口にすると、ローザはリーリヤに一本押しつけて通り過ぎていく。
二人いて、見たところ二本あるのにどうして一本だけ渡そうと決めたのか、リーリヤには理解不能であった。
(ジェード様は大人の男性の方で、王族だから、菓子など渡すのは失礼だと思ったのだろうか。甘いものがお好きなようにも見えないし)
しかし、そういった類の常識をローザは持ち合わせていないはずなのだが。
「食べます?」
とリーリヤが飴を持ち上げると、ジェードは「いや」と断る。やはり、飴を食べるなど子供っぽいことだからだろう。
リーリヤはそんなことに頓着しないので飴を口に含んだ。ほんのりと苺の味がして、優しい甘みが広がる。
「甘いものはお嫌いですか」
「嫌いでもない。普通だ」
「美味しいですから、味見をしてみてはいかがです? 王子が飴を舐めてもここでは誰も馬鹿にしませんよ」
「お前が食べ終わった後に口づけをすれば味がわかる」
リーリヤは動きを止めてジェードに眼差しを注ぐ。
「……冗談ですよね?」
「冗談だ」
良かった。こんなところで深い口づけなどしていたら、誰に見られるかわかったものではない。それにあんまり熱中しすぎると、そこで終わらない可能性もある。この後いくつかやるべき仕事があるので、昼間から享楽に耽っている暇はない。
ジェードがやや身をかがめ、リーリヤが持っている飴を口に入れた。
目の前で、軽くしゃぶって顔を離す光景が妙に艶めかしく、リーリヤは一瞬どぎまぎする。
どうということはない動作で、もっと淫らな面を知っているのに、こういうふとした行動に時折目を奪われてしまう。彼が容姿も仕草も綺麗だからだろう。
「甘いな」
「でしょう?」
ジェードは軽く唇を舐めると、真顔で続けた。
「しかし、お前との口づけの方がもっと甘い」
「…………」
どう返していいかわからず、リーリヤはわずかに赤らめた顔を歪めて飴を口に入れた。
気恥ずかしさを誤魔化すために、飴を舐め続ける。
(あなたが変なことを言うから、飴の味に集中できないではないですか……)
ジェードの発言と、ちらりとのぞいた舌を見たせいで、昨晩の交わりと口づけを思い出し、リーリヤは落ち着かない気持ちになるのだった。
風を切るようにして大股で歩く赤薔薇公ローザは、廊下でばったり出くわした男を見て足を止める。
桜公サクヤが扇を開いて顔の半分を隠し、ローザをじっと見つめている。ローザも無言で視線を返し、しばらくは睨み合いのような時間が続いた。
サクヤはにやついていたが、ローザの顔はどんどん険しくなっていく。ローザが一歩踏み出す様子は、今にも殴りかからんとする気迫すらあって、サクヤは眉を上げた。
ローザは袋に手を突っ込んで、飴を一本取り出すと、サクヤに突きつける。
「余っているから、お前にもやろう」
不意をつかれたサクヤは、目を丸くしながらも、勢いに押されて思わず飴を受け取った。
「……何だって、こんなモン俺に渡すんだ?」
「余っていると言っただろう」
「お前はてっきり、俺に腹を立てていて、どうやり返そうか考えてばかりいると思ったがな」
サクヤは淡紅色の透き通った飴を眺めながら言った。
ふん! とローザは盛大に鼻息を吐くと、胸を張って見せる。
「僕は寛大な貴人になったんだ! サクヤみたいな失礼な相手だって、許すことができる度量の広い男というわけだ! 僕に感謝するんだな!」
「許してくれなんて頼んでねェが……」
サクヤの呟きをローザは無視する。
「お前はとっても意地悪だし、すぐ僕に失礼なことを言ってくる。何でそんなことをするのだか、僕にはさっぱりわからない。だが、大目に見よう」
「忘れてるようだが、俺を散らせたのはお前ェだぜ」
「それに関してはそっちが先に悪口言ってきたんだから、サクヤが悪いだろうが! 僕は謝らないぞ!」
きっと睨んだローザは、口を尖らせ、拗ねたように尋ねてくる。
「体はもう大丈夫なんだな?」
そんな心配の仕方があるか、とサクヤは笑い始めた。笑われるのに納得がいかないらしいローザは、むくれ顔をしたままサクヤの横を通り過ぎて行った。
芳しい赤薔薇の香りがふわりと漂う。きらきらと輝く目映い深紅の美髪に、サクヤは目を細めた。
遠ざかる赤薔薇の背中を、サクヤは見つめ続けていた。
「……本に、美しい薔薇だ」
その美貌は、サクヤが散る前よりも際だっている。
幼稚なのは相変わらずだが、言動にやや変化が見られた。あれを、成長と言うのかもしれない。
いくつかの経験が、あの未熟な薔薇を変えたのだろう。
一抹の寂しさを覚えながら、サクヤは手渡された飴に目を落とす。口の端に浮かべた笑みには、先ほどよりも苦いものが混ざっていた。
「サクヤ様」
侍従の一人がサクヤに近づいてくる。サクヤは歩き出して、彼に飴を押しつけた。
「イチカ。お前にやろう。赤薔薇公からの贈り物だ。食え」
侍従のイチカは黙ってそれを受け取った。
廊下の角を曲がったところで、突然サクヤの足下がふらつく。それに気づいたイチカが、慌ててサクヤの体を支えた。
「サクヤ様!」
立っていられなくなったサクヤはそのまま膝をつく。額には脂汗が浮かび、両手を床についた。
「ちくしょうめ」
サクヤは震える手を上げ、目の前で手のひらを上にする。力を集中させると、そこに炎が生まれた。ごく小さいそれは――黒い、不吉な色をしている。
「あの王子が使う炎は、黒いときてやがる。縁起でもねェ」
吐き捨てて、炎を握り潰した。
テクタイトとの交わりの度に、少しずつ魔力を盗んでいる。その量は確実に増えてきているが、体に合う魔力とは言えず、近頃負担がかかっているのを強く感じていた。
――かといって、今引くわけにはいかん。
ここでやめては全てが無駄になってしまう。どうにか力を制御しなければならないだろう。出来ないことではないはずだ。全ては気力次第である。
自分には可能だし、誰かに譲ろうとも思わない。
俺は強い。やり遂げる。
イチカが気遣わしげな目をしてこちらを見ているから、サクヤは「大丈夫だ」と苦笑して頭をなで回した。
この忠誠心の強い侍従が、言いたいことをたくさん飲み込んでいるのを知っている。その心配はもっともであったし、申し訳ないとも思っている。
けれど考えなしに暴走しているわけではない。限界を踏み越えて破滅する気はなかった。
「人の子に、桜の意地を見せてやらねばな」
準備など、いくらしてもし足りないくらいなのである。
サクヤは汗を拭って深呼吸すると立ち上がり、いつもの涼やかな顔つきをすると、背筋を正して前方を見据えた。
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