花の貴人と宝石王子

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第二部 旅

80、王の私室

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 * * *

 王の私室の扉の前で待っていたのは、宰相だった。短い銀髪の初老の男で、この城へ来た当日に第三王子オニキスと面会した際、横に控えていた。

「ノイン」

 呼びかけるジェードの声は柔らかくない。城にいる者誰に対しても大抵そうであったのだが、宰相には冷たい態度を強調しているようであった。オニキス王子にも冷淡であった彼だが、それを上回る。

 ノインと呼ばれた宰相は、薄笑いでジェードを迎えて礼をした。笑みの種類はテクタイトと同じで、要するに、上辺だけである。敬意も恐れも親愛もない。どこか猛禽を思わせる目つきであった。
 宰相はリーリヤの方へも体を向け、慇懃に挨拶をした。先日は言葉を交わす時間がなかったのだ。

「ユウェル国の宰相を務めさせていただいております、ノイン・ソルムと申します。光の子、花の君、白百合公に祝福を。人の国と花の国の盟友としての関係が、常しなえに続きますように」

 恭しく胸に手を当てて頭を垂れる。静かだがよく通る声をしており、いかにも要職に就く者らしい威厳が滲んでいる。
 リーリヤも貴人として型通りの挨拶をしつつ、宰相の顔を改めてよく見た。長く生きる花の貴人は危機を察知する能力が高いというか、人の子に比べれば相手の本性を見極めることに長けている。

 この男は油断ならない相手だな、とリーリヤは判断した。暗黒の気配がする。呪術を使う魔術師はよくこんな空気をまとっており、花の子はそういう気配に敏感だった。ジェードがことさら警戒するのも無理はなさそうである。

 思った通り魔術師であるらしい宰相は、魔術によって扉の鍵を解錠した。普段は封鎖されているようだ。
 宰相が先に中へ入り、ジェードとリーリヤが続いて扉をくぐる。
 意外にも、広い部屋ではなかった。書室と寝室の二間が続いており、寝室の方が広い。飾り物の類はほとんど見られなかった。

 個性や好みといったものがあらわれていない、無味乾燥とした空間である。
 ジェードは父王が亡くなった時のことを説明し始めた。宝玉王は病死であり、一ヶ月ほど伏せっていて、己の死期を予言していた。ジェードは蛮族の鎮圧と虫の駆除などで城を出ていたため、父とは顔を合わせておらず、葬儀にも戻っていない。

「陛下は新たな王やご自身の死後について、何かお考えを口になさったり、文書で残したりはしておられなかったのですか」
「自分の葬儀は派手にやってくれるなと、それくらしか言わなかったそうだ」

 丸投げというやつだろうか。
 宝玉王は絶対的な力を持ち、裁可に関してなど一応は職責を果たしてはいたのだが精力的に国政に取り組んではいなかったと聞く。要するに存在感は圧倒的なものの実際国を回していたのは彼ではないということだ。

 無気力ゆえに多くの仕事を放擲し、そのままこの世を去ったのか。後のことは後の王に任せればいい、と。しかし、肝心の王の証となる王冠はどこへいったのか。
 なくしたのではないとすると、宝玉王は当然在処を知っているはずである。その重要性も。王冠に関して一言もなかったのがおかしいというか――。

 わざと隠した可能性すらある。だとしたら、何故そのようなことをするのかが理解し難いが。
 臣民の宝玉王に対する評判は悪くない。そもそもよく知らないのだろう。人前にあまり現れない宝玉王は肖像画を描かれるのも嫌い、よって広く顔は知られていない。だが特に国が乱れていなかったのもあり、彼は比肩する者なき雲の上の存在、神秘的な、神のようなものとして捉えられていたのだ。

 ある時期からやたらと息子をもうけ、死期を悟っていたのに必要な遺言も伝えず、城に混乱だけを残して去った宝玉王。花の貴人が聞けば誰しも「無責任な男だ」と評するだろう。
 リーリヤもそう思う。そもそも、息子が生まれ始めた辺りで次期君主については当然話し合われるべき事柄だったはずである。

 リーリヤがその点を口にすると、宰相のノインが説明をした。

「それについて話す、あるいは陛下にお尋ねすることは、千晶城で御法度だったのです。陛下が一切応じないので不機嫌になられているのだと我々臣下は恐れました。二代目の陛下は初代宝玉王より遙かに長く在位されておりましたし、次代の話をするのは今代の終焉がいずれ来ると信じている、不敬であるとの認識が広まりましたので」

 宝玉王は特殊な存在であり、もしかすると彼が永遠に君臨することになるのではとも考えられた。譲る時が来たなら宝玉王本人が言明するであろうと皆が問題を先送りした結果がこれである。

「お前の兄は父上に進言したがな」

 ジェードが低い声で言うと、宰相は涼しい顔で笑みを浮かべた。

「ですから我が兄は陛下の不興を買ったのでございましょう」

 しばし無言で宰相に視線を投げていたジェードだったが、宝玉王が使っていた机へと歩み寄った。

「見つかったというのはこれか?」
「ええ。日記というよりは覚え書きに近いでしょうな。寝台の裏に貼りつけられておりました。陛下がお隠れになった直後に発見されてはいたのですが、当初は文字が隠されているのに誰も気がつきませんでした」

 一冊の書物で、豪華な装幀などは施されていない。何の変哲もないが、かなり古びたものに見受けられた。
 各頁に黒いインクで書き付けられているのは、政務に関する報告などであった。余白がやけに多く、贅沢な使い方ではある。
 宰相が手をかざして魔力をそそぐと、その空白に文字が浮かび上がった。

「こちらは特殊なインクで書かれています。書物の古さに比べて黒いインクで書き留められている内容が新しいのでこれは妙だと調べてみて、判明しました。先に透明なインクで文字が書かれ、黒いインクの方は偽装のために後に書かれたもののようです」

 どちらも同一人物の流麗な筆致である。
 当時城に勤めていたと思われる人物の怪しい動きや発言内容、他国からもたらされた貴重な情報が簡単にまとめて走り書きされていた。確かに大っぴらにされるべきではない事柄が多かったが、国がひっくり返るほどの内容でもなかった。

「ここです」

 宰相が紙をめくって、ある部分を指さす。魔力に反応して光る文章の中に、リーリヤは「花」という文字を見つけた。

 ――今宵も、花来る。
 ――おとない人は花の貴人。約束は違えぬと誓う。

 他にもこれに関する記述らしいものは「花とは考え方が違う」「花の子の美しさは真実である」などがあった。
 宰相が宝玉王の寝室を指さした。

「その花の子が現れるのは主に陛下の寝室だったそうです。城の中を歩くのを見た者はおりません」

 これが宝玉王の妄想ではないとする根拠は、他の者の証言である。城に保管されている古い書物や資料の一部は何度かあった小火ぼやで消失してしまっているのだが、千年前に文官を務めて途中で退官した一人の貴族の自伝が発見されている。

 彼は由緒正しい大貴族の一員であり、王族ではないがそれなりの大きさの石持ちであったそうだ。確かに花の貴人が何度も王の私室にいたのを目撃していると書かれてある。
 宝玉王以外に見られたり知られたりした場合、その花の子は記憶を消す術を使うそうで、詳しい姿形は記憶に残っていない。だがこの文官は石持ちであったために、朧気ながら覚えていたのだった。

 他には女官達が、王の臥所で世にも芳しい花の香りを嗅いだという話が伝わっている。白い花が床に散っているのも見た、と。
 言うまでもなくそれは、交合の花だろう。
 リーリヤには信じられないことだったが、そのような嘘をこさえる理由は人の国側にないはずだ。

 リーリヤとジェードは王の寝室に足を踏み入れた。窓かけが引かれたままの室内は薄暗い。主のいない寝台は寝具が片づけられ、寒々しい光景だった。
 ここで宝玉王は最後の眠りについた。オニキスやマラカイト、テクタイト、カーネリアンなどの息子達に見守られ。そのまま肉体は消えて骨だけが残り、その骨すらも消滅したという。

 リーリヤは目をつぶり、気配を探るように集中した。だが、目を開けてジェードに首を振って見せる。
 リーリヤは元々魔力を多く保持しておらず、その上ほぼ枯渇してしまった。とはいえ、同族の力を感じ取る力は衰えていない。ここを訪れたとされる花の貴人の残り香のようなものがないかと一応調べに来たのだが。

「何せ、千年以上前ですからね……」

 以降はぱったりと現れなくなったそうだ。魔力の残滓が消えているのも当然である。訪問していたという貴人の身につけているものや持ち込まれたものがあればまだ調べようがあったのだが、今のところそれらしきものは見つかっていない。

「陛下と花の貴人は、どのような関係だったのでしょうか」

 寝台を見下ろしながらリーリヤが呟く。花が散っていたのなら、肉体的に結ばれていたのは間違いない。

「誰かに情合を傾けるような人間ではなかった」

 ジェードの独り言に近い言葉は微かに非難がこめられている気がした。女は子供を産ませるためだけに利用し、すぐに突き放した宝玉王。息子の誰一人として愛情をそそがなかった。
 だとしたら、花の子と通じ合ったのは何らかの取り引きのためだったと考えるのが自然である。

 王の元に通っていた花の貴人は誰なのか。そしてその誰かは当然現在の騒動を知っていて黙っている。まさか宮殿で一人一人を問いつめるわけにもいかないだろう。
 どちらの国の王も、何を考えているのかさっぱりわからない。


 ジェードの部屋に戻ったリーリヤは、あのノインという宰相はどのような人物なのか尋ねてみた。返ってくる言葉はおおよそ見当がついていたが。

「油断のならない相手だ」

 この城に油断していい人物がいるなら、そちらを先に教えてもらう方が早いかもしれない。

「ソルム家は高位貴族で、代々王家に仕えている。現在はあのノイン・ソルムが宰相だが、前任は奴の兄のアルト・ソルムだ」

 ジェードに言わせると、兄弟王子の中では第一王子のルビーが、重臣の中では宰相アルト・ソルムが一番まともだったそうだ。
 アルトは国王陛下に恐れず意見を申し述べていたという。王子達の結束力のなさも叱り、この国の未来を憂いていた一人だ。

 そのせいで追放されたのかと思いきや、体を悪くして職を辞する羽目になったのだった。

「表向きはそうだが、毒を盛られたのだろうな。弟のノインは敏腕だが、テクタイト側と見て間違いない」

 ノインは問題なく職務をこなしているように見えるが、裏で糸を引き数々の陰謀に関わっているという疑惑がある。表向きはオニキス支持だ。けれどオニキスは信じておらず、ノインを失脚させるよう動いているのだが上手くいっていない。テクタイトに邪魔をされている。

 不埒な輩が反乱を起こさないとも限らない、と言いながらオニキスがノインを一瞥していたのはそういう事情があったようだ。

 オニキス王子も敵が多くて、相当気の抜けない日々を送っているのだろう。オニキスにしてみれば、フローライトは発狂手前の爆発物、宰相ノインは裏切りの兆候あり、テクタイトは言わずもがなの危険人物、マラカイトは神経質で精神脆弱、ジェードは考えがよくわからず、カーネリアンは調子がいいだけの頼りない弟、とろくな者がいない。その上現在の緊張状態がどうなるか見通しが立たず、苛ついているはずだ。情など持っている余裕はない。

 問題の深刻さは花の国の代理候補の件を上回っているだろう。王城の不穏な空気が民へ伝播していけば取り返しのつかない状態になるかもしれない。

「私がお役に立てればよかったのですが……」

 無理とは知りつつ、宝玉王の寝室で愛人とされている花の貴人が誰だかリーリヤが突き止められたら、それを取っかかりとして一歩前に進めたかもしれないのだ。

「お前が責任を感じることではない。そもそもこちらの国で解決すべき話だったのを、花の国に持ち込んでしまった。悪いのは宝玉王だ。すまなかった」

 正直、花の国にいた際、宝玉王に花の子の愛人がいると聞いた時は半信半疑であった。だが、どうやら真実らしいとわかってくると不安が募る。
 様々な理由から人間と適度な距離を保とうと決めた貴人達。個人で接触すれば、しかも相手が強大な力を持つ宝玉王であるなら尚のこと、危険であるのを承知していたはずである。

 花の貴人が宝玉王と契った理由とは何なのだ?
 晩年の宝玉王の様子からして、心温まる物語の予感はしない。
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