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第一部 馴れ初めから結婚まで
ここでキスして
しおりを挟む朝の早い時間。リリーはスノウよりも召使いよりも早く起き出して鏡台の前に座る。
身繕いのためだ。
今日のドレスは、薄いベージュ色の絹に繊細なレースがあしらわれているものだ。一見して地味だが、見ごろの真珠色のリボンからのぞくデコルテが美しく見えるのでお気に入りだった。
服に合わせて、化粧もする。あっさりした色のドレスなので、自然な色の白粉をはたき、オレンジ色に近い頬紅をふわりと乗せる。目の周りにも明るい影を作り、器具で睫毛をカールさせれる。
最後に香水を選ぶ。
蓋付きの色とりどりの瓶がならんでいるが、リリーが一番好きなのはひとつだった。
ーーその香水は、昔ある人がリリーのために調香してくれたものだった。
「花やお菓子の甘い匂いも、石鹸の爽やかな匂いもだめ。あなたにはもっと奥深くて、刺激的な香りが似合うわ」
その匂いは、切なく甘辛い不思議な香りだった。
夏の夕暮れを惜しむオレンジ。ふと夜の木陰からただよう東洋のお香。迷子になってもぐりこんだ納屋の香ばしいおがくず。ひっくり返したラピスラズリのインクの壺。
かぐとむずむずして駆け出したくなるようなその香りを、リリーは気に入っていた。
本当なら夜の香りだ。この間ルセルも反応していたように、男を幻惑するのにちょうどいい香りでもある。
だがふと魔が差して、その朝リリーはその香りを纏ったのだった。
あれからちょくちょく、ルセルはリリーたちの部屋に遊びにくるようになった。
リチャードの入れ知恵によるものだった。
(いいですか殿下、女性の心をつかむには、1にも2にも会話です!気の利いたことは言わなくていいのです、ただ、リリ・・・いえ、女性のいいところを見つけてあげて、褒めまくるんです!!)
そんなわけで、今日もルセルはテーブルを囲んでリリーとスノウとお茶を飲んでいた。
「お前は何か特技はないのか?歌とか、ダンスとか」
「いや私はそういうのはまったく・・・」
「あら、リリーは絵が上手なんですよ、ねっ?」
スノウが目をきらきらさせながら言ったが、リリーは苦笑いした。
「いや、上手といっても一つのものしか描いていませんし・・・」
「ごらんに入れますよ、殿下」
「あっ、ちょっと待っ・・・」
リリーの返事も聞かずスノウはスケッチブックを持ってきた。
(あー・・・下手だからいやなのになぁ)
「ほう、これか。どれどれ」
恥ずかしがるリリーを見て、上機嫌でそれをめくり始めたルセルだったが、次第に不機嫌になった。
「これは・・・スノウではないか」
そう、全てのページが、美しいスノウで埋め尽くされていた。
「あっ、わかってくれました・・・?えへへ。画才はないのですが、彼女の美しさをとどめておきたくて。下手の横好きってやつですね。本当は本格的な油絵とかにも挑戦してみたいんですが・・・」
「やだ、リリーったら。殿下の前で・・・」
頬を染めるスノウに、てれてれとノロケ(?)るリリー。イライラしたルセルは言い放った。
「ならお前、油絵を描け」
「はっ?」
「いますぐだ」
そんなわけで、リリーはご立派な筆に絵の具を持って戸惑っていた。
白いキャンパスの向こうには、ルセル殿下。
(う~~~~~ん)
今までリリーは、スノウ以外のものを描いたことはない。
絵を描くことがすきなわけではなく、スノウをただ描きたくて、描いていたからだ。
なのでそれ以外のものは、棒人間レベルでしか、描けない。
(でもさすがに棒人間じゃな・・・うーん)
やたらでかい真っ白なキャンパスが、リリーにプレッシャーを与える。
(とりあえず何か書こう。下手なのはしょうがない、私はアマチュア以下なんだから・・・)
リリーは何も考えず下書きの黒炭の手を動かした。
「おおっ、描けたか描けたか?余に見せてみろっ!」
ちょっと描いただけですぐルセルが寄ってきた。
「ちょっと、ダメですよ殿下、モデルがそう動いちゃ」
「そんなのよいではないか」
ニコニコとキャンバスを覗いた殿下はしかし、次の瞬間無表情になった。
へ へ
の の
も
へ
不気味な沈黙のあと、ルセルはしぼりだすように言った。
「なんだ・・・これは」
「なんだって、殿下のつもり・・・ですが」
「こ、これがか?!この間抜けた文字列がか?!」
「だから私、画才はないって言ったじゃないですか。スノウ以外は描いたことないんですよ。だから上手に描いてほしいならもっとプロに・・・・」
「リリーの馬鹿!!不感症女め!!!!もう知らぬっ!」
ルセルは怒って部屋を飛び出した。
「あ、ちょっと・・・!あ~あ」
まあ、すぐ忘れてもどってくるだろう。そう楽観的に見たリリーは絵の道具を片した。
ところが、夕刻になってもルセルの姿は見当たらなかった。
青い顔をしたリチャードがリリーとスノウの部屋にやってきた。
「おふたりとも、殿下はこちらにきていませんか?」
「きていませんけど・・・」
「まさか、飛び出してから戻ってない・・・?」
リチャードはうなだれた。
「そうなんです、あれからお姿が見えなくて・・・」
「あら・・・」
事の次第を聞いていたスノウは気の毒そうな顔をリリーに向けた。
「はぁ・・・わかりました。探すの手伝いますね。どこから行けばいいでしょう?」
まったく、あのバカ殿は。リリーはやれやれと首を振った。
「あ~~~~!!見つけたっ!こんな所にいるなんて」
リリーは息を切らせながら声を上げた。ここまで階段を登って、足が痛い。
ルセルはお城の塔のてっぺんの部屋に隠れていたのだ。
「まったく、みんな心配してますよ、帰りましょう」
ところがルセルは首を振った。
「いやだ」
「もう。怒ってるんですか?私のこと」
「そうだ。余をあんなふざけた絵にして。せっかく絵の具もキャンパスも用意させたのに」
そういわれるとリリーも申し訳なく、謝った。
「ごめんなさい。殿下はこんな素敵なお顔なのにね。私の絵が下手すぎて表現できなくて・・・。でも、いつかちゃんと仕上げられるよう、がんばりますから」
「本当かっ?」
「ええ。だいぶ・・・時間はかかりそうですけど。さあ、戻りましょう」
少し機嫌が直ったらしく、ルセルは顔をリリーのほうへ突き出した。
「わかった。では余にキスをしろ。そしたら戻る」
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