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第二部 新婚生活の騒動
If they chould see me now(3)
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「おや、まさか殿下までお越しいただけるとは。お目にかかれて光栄です」
再び姿を現したルセルに対し、アンバーは優雅にお辞儀をした。
「いや、堅苦しいことは良い。それより我が妃と何ぞ取引の話でも?」
ルセルの後ろで、リリーは必死に首を振った。アンバーは赤い唇の端が美しく上がった。
「そんな大げさなお話でもないのですが。ご結婚のお祝いに、私が描いた絵を差し上げようと思って、参ったのです」
「ほう、どのような絵だ」
アンバーが後ろにおいている絵の包みをほどいた。
(ああああーーーーーーっ!!!やめてぇーーーー!!私の、人としての、尊厳がっっ!!!)
あまりの事に、リリーは目を押さえた。
「ほう・・・これは・・・・見事ではないか。そなたが描いたのか」
「お褒めいただき嬉しいです。これは2年ほど前、彼女をモデルに書いた作品で」
「良いな!リリーの魅力がよくあらわれている!余は気に入ったぞ。執務室にでも飾ろうか」
執務室に飾るような絵では、断じてない。リリーはいぶかしく思いそっと目から手を下ろした。
キャンバスの中には、肩だしの華奢なレースドレスをまとって微笑む自分の姿があった。
(あ・・・なんだ、別の絵か。よかった・・・・)
リリーはこれ以上ないほどほっとした。
しかし、アンバーは付け加えるのを忘れなかった。
「他にも数枚、絵を保管してありますので・・・いつかお渡しに参りますね。私はこれで失礼いたします」
アンバーはルセルには礼を、リリーには母のように軽く頬にキスをして退出した。抜け目のない彼女は、そのすきにリリーの手にメッセージを託した。
あとでそっとその紙を開くと、そこにはこうあった。
「例の絵は、とりあえず持ち帰ります。困ったことがあれば、いつでも相談にいらっしゃいね。力になるから。 愛をこめて」
また、心配ごとが一つ増えた。リリーは深夜、ふかふかのベッドに腰かけてはぁとため息をついた。
(いずれあの絵もなんとかしなければ)
アンバーの言う通り、お城での生活は気苦労が絶えない。
まず后とその周りに快く思われていないから、スタート時点でマイナスなのだ。ルセルの立場を悪くしないためにも非の打ちどころのない良い妃でいなくてはいけないが、あちらはリリーの欠点をあげつらおうと鵜の目鷹の目でこちらを見ている。
そんな中で毎日ぼろを出さないようふるまうのは、リリーであっても厳しいものがある。
(ただでさえ厳しい状況なのに、昨日はあのクソ父が来襲して騒ぎになるし、今日はあの絵が…)
リリーはもう一度ため息をついた。はぁ。
(…でも。それでもルセル様と一緒にいるって決めたのは、自分だからな)
彼と一生一緒にいる。ルセルの居場所はリリーの隣で、リリーの居場所もルセルの隣。だから…
(このくらい、乗り越えて見せなきゃね。ルセル様も頑張ってることだし)
その時。こんこんと部屋をノックする音が聞こえた。
「リリー様、入ってよろしいですか」
リリーはまたため息をついた。三度目だ。
「リチャードね、どうぞ」
「リリー様、ルセル様からご伝言が…」
「今日は帰れないって?」
「そ、そうでございます。客先の任務が思いのほか時間がかかっておりますようで…悪いと何度もおっしゃっておりましたようですが…」
恐縮して頭を下げる彼にリリーは肩をすくめた。
「いいのよ別に。そんなことだろうと思ってたから。深夜にご苦労様」
パタンと戸が閉じ、リリーはどさりとベッドに横になった。
(いいんだ別に。本当。だって仕事だものね…)
こんなことで落ち込む自分ではない。そう言い聞かせつつも、やはり肩が落ちてしまうリリーだった。
一人大きなベッドで夜を明かし、リリーは早朝の日課の化粧室へと向かった。化粧瓶を手にいつもの作業にかかっていると、突然バンと扉が開いた。リリーはふくれっ面をしようとしたが思わず笑顔になってしまって振り向いた。
「もう、ルセル様!こんな早朝に帰ってらしたんで…」
しかし、その笑顔は真夏の雪のように一瞬で消えた。
そこに立っていたのはあろうことか、ドーヴァー子爵だったのだ。
「で、出て行ってください!人を呼びますよ…!」
リリーは化粧台から立ち上がって後ずさった。こんな不審人物を奥まで通すなんて、使用人たちはいったい何をしているんだとリリーは内心憤った。
「いやいや、父親に対してずいぶんな挨拶だな」
神経を逆なでする言葉を無視し、リリーは言った。
「誰の許可を得てこの部屋に?ここは殿下しか立ち入りを許されない部屋です」
そもそも、もうとっくに帰っていたとばかりリリーは思っていた。なんでこの男がまだ城にいるのだ。
「まさか、泥棒よろしく隠れ潜んでいたのですか?私に金をせびるために…」
リリーはぞっとして廊下へ出ようと走り出た。使用人を呼んで、即刻立ち去ってもらわねば。
「いやいや、勘違いしてもらっちゃ困るな。私は今、城のれっきとした客だよ。ある方にお部屋を賜ったのでね」
得意そうなその様子に、リリーの動きはピタリと止まった。
「誰ですか?まさか…」
賓客に自分の差配で城内の部屋をあてがう。そんなことができる人物は、そう多くない。そう、おそらく…
「いや、誰とは明かせないのだがね。ただ事情を話したら、解決するまで滞在するといいと快く言っていただけてね」
「事情…?私を脅して金をせびることがですか」
容赦なく問い詰めるリリーに、子爵はひらひらと笑って手を振ってみせた。
「人聞きの悪い。まっとうな淑女はそんな言葉づかいをしないものだし、年上の貴族には敬意を払って接するものだよ」
「ええそうですね。子爵は大変ごりっぱな殿方ですものね」
リリーは皮肉で返した。が、通じなかったのか聞く気がないのか、うんうんと彼はうなづいて見せた。
「それに淑女は、困っている肉親を見捨てたりはしないものだよ」
「困っている?どうせ借金、身から出たさびでしょう。なんといわれても、お金はあげませんから。だいたい私にそんな自由にできるお金なんてありません」
皮肉が通じなかったのでリリーはきっぱりと言った。
「若い者はこれだから…。領地を運営していくのは、実に難しいのだよ。私の土地はここのところ天候に恵まれず不作続きでね…赤字が重なって、このままだとにっちもさっちもいかないのだよ。私も努力はしているんだが。そこで、恥を忍んで娘に助けてもらいにきたのだよ。見事玉の輿にのって、幸せのただなかの娘にね。あなたとあなたの母には悪いことをしたと思っている。人助けをすると思って、どうか哀れな父親に手を差し伸べてはくれないかね?幸せは、人にわけてこそのものだよ」
その長い口上を、リリーはむかむかしながら黙ってきいていた。
「…言い分はわかりました。もし私が1000ミラ渡したら、子爵はどうなさるんですか。またそれを使い切ったら、私にせびりにくるのでしょう」
彼は首を振った。
「いやいや、とりあえずそのお金があれば首が回る。もう二度とお前に迷惑はかけないと誓うよ」
この男の『誓い』など、まったく信用できない。そう言って母や、他の大勢の人をだましてきたに違いないのだ。
「あなたと本当に縁が切れるなら喜んでお渡しするでしょうね…ですが、今の私にそんな大金、用意できません。私はここへ来たばかりの、いわば新入りです。新入りが城のお金を自由にできるとお思いで?」
「そこが、あなたの腕の見せ所だろう。あなたは自由にできなくとも殿下に頼めば1000リラなどすぐ出るはずだ。殿下に悪いなら、そのドレスやお綺麗な宝石も金になるはずだろう」
あまりの言葉にリリーは歯を食いしばりそうになった。良い王になろうと今必死に頑張っているルセルに、そんな汚い事をさせるわけにはいかない。そしてリリーがたった一つだけ持っている本物の宝石は、ルセルが結婚の記念にと作らせたものだ。それは大事にしまいこんである。手放すことなどとてもできない。リリーはドレッサーの上のアラバスタの小さな宝石箱を開いて見せた。
「そこまでおっしゃるなら、この宝石、すべてお持ちになります?」
子爵はいそいそとその中を覗き込んだ。
「…なんだ、全部偽物じゃないか。もっといいのがあるはずだ」
リリーは首を振った。
「そんなわけないでしょう。王室だって、湯水のようにお金があるわけではないのです。特に私は、そう言った贅沢は遠慮しております。国民のためにも、良き妃になりたいので。唯一持っている値打ちのものは、結婚記念の指輪だけです。私と殿下の名前がしっかり彫ってありますから、売ることなど考えられませんわ」
子爵はうなった。
「では他に金策を考えておくれ」
「だから、無理なんですってば。私に自由にできるお金など、ないのです。ここで粘るだけ時間の無駄ですよ。領地にお帰りになることをお勧めしますわ」
リリーは取り付く島もなくきっぱりと言った。すると子爵の顔にぬうっと君の悪い作り笑いが浮かんだ。
「ふむ…なら、あなたがその気になるまでここに滞在させてもらうより他ないなぁ…そうそう、言い忘れていたが私はさる方のサロンにも出入りしていいと許可をもらっているのだよ」
その言葉に、リリーの断固たる表情は崩れた。それを見て子爵はさらに畳みかけた。
「さる方のサロンでは、毎日様々な方をおよびしておしゃべりに花を咲かせているとか…。人気の音楽家や、やんごとない方々や学者様だとかね。このような華やかな場所に顔を出すのは久々なのでねぇ。うれしくてつい、うっかり言わなくてもよい事を言ってしまうかもしれないな」
今度こそ、リリーは歯を食いしばった。そうだ、そんな汚い男なのだ。この男、私の父親は。
自分にこの男の血が半分流れていることが、おぞけを振るうほど嫌だ。リリーはこぶしを握った。
「で?どうするかね。王太子妃殿下?私を助けてくれるか?くれないのか?」
子爵はそうリリーに迫った。はらわたが煮えくりかえるのを感じながら、リリーは言葉をしぼりだした。
「…少し、時間をください。すぐには…」
「いいとも。できる限り待とう。ただしあまり待たせてくれるな。こちらにも支払いの期限があるのでね…」
子爵はにんまりと笑い、去っていった。
リリーはどっと疲れて椅子に座り込んだ。
(1000ミラ…どうしよう)
自分の持ち物の値段などたかが知れている。ルセルに言うわけにもいかない。となると頼れる先は限られる。
(実家か…いや、モーセット家も裕福ではないし…)
せんだってのスノウの結婚にも、リリーの結婚にも金がかかった。今は苦しいはずだ。となると頭に浮かぶのはたった一人。
(アンバー…彼女なら)
だがリリーはためらった。彼女ならきっと金を貸してくれる。いや、くれさえするかもしれない。だが。
(こんなしょっぱなから、あの人に大きな貸しを作るのは、危険だ…)
彼女がリリーに好意を持っていることは事実だろう。だがそれは無償の愛などではない。彼女に寄りかかってばかりいれば、いずれ痛い目を見るだろう。
(ああもう!)
混乱する頭を抱えて、リリーは結局午前中いっぱいを化粧室にこもって過ごした。ものを食べる気にも、仕事をする気にもなれなかったのだ。
そこへ、ルセルの帰宅が知らされた。
(…出迎えに、いかなきゃ)
リリーは鏡で己の顔を見た。ルセルにこのことを悟られたくはない。やりかけだったメイクを完成させ、香水で気合を入れ、鏡の前で微笑みを作った。
(よし、大丈夫。いつもの私だ)
広間へ出ると、客を連れ帰ったのか賑やかな一行が到着していた。少し遅れてルセルが入ってきた。が、リリーは目を疑った。
(あ、あれは…いったい?)
ルセルの隣には、まぶしい金髪の美女がいたのだ。ルセルは彼女に肘を貸し、エスコートしている。
(と、言うことは…どこぞの令嬢かな)
このくらいのことでうろたてどうする。リリーは自分を叱咤し2人に近づいた。
「お帰りなさいませ。ルセル様。そちらの方は…?」
金髪の令嬢はちらりとリリーを見た。くっきりとした目鼻立ちに、艶のある妖艶な唇。豊満な胸の下にはミツバチのようにくびれた腰がつづく。まぎれもない美人だ。そのまなざしから、リリーは自分が彼女に軽んじられたことがわかった。
「ああ、こちらはオルラント伯令嬢の、カリーナだ。このたび王宮に出仕したいということなので、お連れした」
「お初にお目にかかります、リリー様。どうぞよろしくおねがいいたしますね」
「え、ええ。こちらこそ」
オルラント伯。リリーはピンときた。后の実家の、たしか分家だったはずだ。ということはこの肉感的な美女は。
(后の差し金で…?)
「殿下、わたくし王宮に入るのは初めてですわ。素敵ですのね。后さまのお部屋って、どちらでしょう。一緒に案内していただけないかしら…?」
「ああ、わかった」
甘えるような上目遣いでカリーナはルセルにしなだれかかった。何も言えず固まるリリーをおいて、2人は廊下の向こうへと消えた。
(まぁあれも…仕事の一環よね)
リリーはそう自分に言い聞かせた。少なくとも、夜になれば2人の時間が持てるはず。
再び姿を現したルセルに対し、アンバーは優雅にお辞儀をした。
「いや、堅苦しいことは良い。それより我が妃と何ぞ取引の話でも?」
ルセルの後ろで、リリーは必死に首を振った。アンバーは赤い唇の端が美しく上がった。
「そんな大げさなお話でもないのですが。ご結婚のお祝いに、私が描いた絵を差し上げようと思って、参ったのです」
「ほう、どのような絵だ」
アンバーが後ろにおいている絵の包みをほどいた。
(ああああーーーーーーっ!!!やめてぇーーーー!!私の、人としての、尊厳がっっ!!!)
あまりの事に、リリーは目を押さえた。
「ほう・・・これは・・・・見事ではないか。そなたが描いたのか」
「お褒めいただき嬉しいです。これは2年ほど前、彼女をモデルに書いた作品で」
「良いな!リリーの魅力がよくあらわれている!余は気に入ったぞ。執務室にでも飾ろうか」
執務室に飾るような絵では、断じてない。リリーはいぶかしく思いそっと目から手を下ろした。
キャンバスの中には、肩だしの華奢なレースドレスをまとって微笑む自分の姿があった。
(あ・・・なんだ、別の絵か。よかった・・・・)
リリーはこれ以上ないほどほっとした。
しかし、アンバーは付け加えるのを忘れなかった。
「他にも数枚、絵を保管してありますので・・・いつかお渡しに参りますね。私はこれで失礼いたします」
アンバーはルセルには礼を、リリーには母のように軽く頬にキスをして退出した。抜け目のない彼女は、そのすきにリリーの手にメッセージを託した。
あとでそっとその紙を開くと、そこにはこうあった。
「例の絵は、とりあえず持ち帰ります。困ったことがあれば、いつでも相談にいらっしゃいね。力になるから。 愛をこめて」
また、心配ごとが一つ増えた。リリーは深夜、ふかふかのベッドに腰かけてはぁとため息をついた。
(いずれあの絵もなんとかしなければ)
アンバーの言う通り、お城での生活は気苦労が絶えない。
まず后とその周りに快く思われていないから、スタート時点でマイナスなのだ。ルセルの立場を悪くしないためにも非の打ちどころのない良い妃でいなくてはいけないが、あちらはリリーの欠点をあげつらおうと鵜の目鷹の目でこちらを見ている。
そんな中で毎日ぼろを出さないようふるまうのは、リリーであっても厳しいものがある。
(ただでさえ厳しい状況なのに、昨日はあのクソ父が来襲して騒ぎになるし、今日はあの絵が…)
リリーはもう一度ため息をついた。はぁ。
(…でも。それでもルセル様と一緒にいるって決めたのは、自分だからな)
彼と一生一緒にいる。ルセルの居場所はリリーの隣で、リリーの居場所もルセルの隣。だから…
(このくらい、乗り越えて見せなきゃね。ルセル様も頑張ってることだし)
その時。こんこんと部屋をノックする音が聞こえた。
「リリー様、入ってよろしいですか」
リリーはまたため息をついた。三度目だ。
「リチャードね、どうぞ」
「リリー様、ルセル様からご伝言が…」
「今日は帰れないって?」
「そ、そうでございます。客先の任務が思いのほか時間がかかっておりますようで…悪いと何度もおっしゃっておりましたようですが…」
恐縮して頭を下げる彼にリリーは肩をすくめた。
「いいのよ別に。そんなことだろうと思ってたから。深夜にご苦労様」
パタンと戸が閉じ、リリーはどさりとベッドに横になった。
(いいんだ別に。本当。だって仕事だものね…)
こんなことで落ち込む自分ではない。そう言い聞かせつつも、やはり肩が落ちてしまうリリーだった。
一人大きなベッドで夜を明かし、リリーは早朝の日課の化粧室へと向かった。化粧瓶を手にいつもの作業にかかっていると、突然バンと扉が開いた。リリーはふくれっ面をしようとしたが思わず笑顔になってしまって振り向いた。
「もう、ルセル様!こんな早朝に帰ってらしたんで…」
しかし、その笑顔は真夏の雪のように一瞬で消えた。
そこに立っていたのはあろうことか、ドーヴァー子爵だったのだ。
「で、出て行ってください!人を呼びますよ…!」
リリーは化粧台から立ち上がって後ずさった。こんな不審人物を奥まで通すなんて、使用人たちはいったい何をしているんだとリリーは内心憤った。
「いやいや、父親に対してずいぶんな挨拶だな」
神経を逆なでする言葉を無視し、リリーは言った。
「誰の許可を得てこの部屋に?ここは殿下しか立ち入りを許されない部屋です」
そもそも、もうとっくに帰っていたとばかりリリーは思っていた。なんでこの男がまだ城にいるのだ。
「まさか、泥棒よろしく隠れ潜んでいたのですか?私に金をせびるために…」
リリーはぞっとして廊下へ出ようと走り出た。使用人を呼んで、即刻立ち去ってもらわねば。
「いやいや、勘違いしてもらっちゃ困るな。私は今、城のれっきとした客だよ。ある方にお部屋を賜ったのでね」
得意そうなその様子に、リリーの動きはピタリと止まった。
「誰ですか?まさか…」
賓客に自分の差配で城内の部屋をあてがう。そんなことができる人物は、そう多くない。そう、おそらく…
「いや、誰とは明かせないのだがね。ただ事情を話したら、解決するまで滞在するといいと快く言っていただけてね」
「事情…?私を脅して金をせびることがですか」
容赦なく問い詰めるリリーに、子爵はひらひらと笑って手を振ってみせた。
「人聞きの悪い。まっとうな淑女はそんな言葉づかいをしないものだし、年上の貴族には敬意を払って接するものだよ」
「ええそうですね。子爵は大変ごりっぱな殿方ですものね」
リリーは皮肉で返した。が、通じなかったのか聞く気がないのか、うんうんと彼はうなづいて見せた。
「それに淑女は、困っている肉親を見捨てたりはしないものだよ」
「困っている?どうせ借金、身から出たさびでしょう。なんといわれても、お金はあげませんから。だいたい私にそんな自由にできるお金なんてありません」
皮肉が通じなかったのでリリーはきっぱりと言った。
「若い者はこれだから…。領地を運営していくのは、実に難しいのだよ。私の土地はここのところ天候に恵まれず不作続きでね…赤字が重なって、このままだとにっちもさっちもいかないのだよ。私も努力はしているんだが。そこで、恥を忍んで娘に助けてもらいにきたのだよ。見事玉の輿にのって、幸せのただなかの娘にね。あなたとあなたの母には悪いことをしたと思っている。人助けをすると思って、どうか哀れな父親に手を差し伸べてはくれないかね?幸せは、人にわけてこそのものだよ」
その長い口上を、リリーはむかむかしながら黙ってきいていた。
「…言い分はわかりました。もし私が1000ミラ渡したら、子爵はどうなさるんですか。またそれを使い切ったら、私にせびりにくるのでしょう」
彼は首を振った。
「いやいや、とりあえずそのお金があれば首が回る。もう二度とお前に迷惑はかけないと誓うよ」
この男の『誓い』など、まったく信用できない。そう言って母や、他の大勢の人をだましてきたに違いないのだ。
「あなたと本当に縁が切れるなら喜んでお渡しするでしょうね…ですが、今の私にそんな大金、用意できません。私はここへ来たばかりの、いわば新入りです。新入りが城のお金を自由にできるとお思いで?」
「そこが、あなたの腕の見せ所だろう。あなたは自由にできなくとも殿下に頼めば1000リラなどすぐ出るはずだ。殿下に悪いなら、そのドレスやお綺麗な宝石も金になるはずだろう」
あまりの言葉にリリーは歯を食いしばりそうになった。良い王になろうと今必死に頑張っているルセルに、そんな汚い事をさせるわけにはいかない。そしてリリーがたった一つだけ持っている本物の宝石は、ルセルが結婚の記念にと作らせたものだ。それは大事にしまいこんである。手放すことなどとてもできない。リリーはドレッサーの上のアラバスタの小さな宝石箱を開いて見せた。
「そこまでおっしゃるなら、この宝石、すべてお持ちになります?」
子爵はいそいそとその中を覗き込んだ。
「…なんだ、全部偽物じゃないか。もっといいのがあるはずだ」
リリーは首を振った。
「そんなわけないでしょう。王室だって、湯水のようにお金があるわけではないのです。特に私は、そう言った贅沢は遠慮しております。国民のためにも、良き妃になりたいので。唯一持っている値打ちのものは、結婚記念の指輪だけです。私と殿下の名前がしっかり彫ってありますから、売ることなど考えられませんわ」
子爵はうなった。
「では他に金策を考えておくれ」
「だから、無理なんですってば。私に自由にできるお金など、ないのです。ここで粘るだけ時間の無駄ですよ。領地にお帰りになることをお勧めしますわ」
リリーは取り付く島もなくきっぱりと言った。すると子爵の顔にぬうっと君の悪い作り笑いが浮かんだ。
「ふむ…なら、あなたがその気になるまでここに滞在させてもらうより他ないなぁ…そうそう、言い忘れていたが私はさる方のサロンにも出入りしていいと許可をもらっているのだよ」
その言葉に、リリーの断固たる表情は崩れた。それを見て子爵はさらに畳みかけた。
「さる方のサロンでは、毎日様々な方をおよびしておしゃべりに花を咲かせているとか…。人気の音楽家や、やんごとない方々や学者様だとかね。このような華やかな場所に顔を出すのは久々なのでねぇ。うれしくてつい、うっかり言わなくてもよい事を言ってしまうかもしれないな」
今度こそ、リリーは歯を食いしばった。そうだ、そんな汚い男なのだ。この男、私の父親は。
自分にこの男の血が半分流れていることが、おぞけを振るうほど嫌だ。リリーはこぶしを握った。
「で?どうするかね。王太子妃殿下?私を助けてくれるか?くれないのか?」
子爵はそうリリーに迫った。はらわたが煮えくりかえるのを感じながら、リリーは言葉をしぼりだした。
「…少し、時間をください。すぐには…」
「いいとも。できる限り待とう。ただしあまり待たせてくれるな。こちらにも支払いの期限があるのでね…」
子爵はにんまりと笑い、去っていった。
リリーはどっと疲れて椅子に座り込んだ。
(1000ミラ…どうしよう)
自分の持ち物の値段などたかが知れている。ルセルに言うわけにもいかない。となると頼れる先は限られる。
(実家か…いや、モーセット家も裕福ではないし…)
せんだってのスノウの結婚にも、リリーの結婚にも金がかかった。今は苦しいはずだ。となると頭に浮かぶのはたった一人。
(アンバー…彼女なら)
だがリリーはためらった。彼女ならきっと金を貸してくれる。いや、くれさえするかもしれない。だが。
(こんなしょっぱなから、あの人に大きな貸しを作るのは、危険だ…)
彼女がリリーに好意を持っていることは事実だろう。だがそれは無償の愛などではない。彼女に寄りかかってばかりいれば、いずれ痛い目を見るだろう。
(ああもう!)
混乱する頭を抱えて、リリーは結局午前中いっぱいを化粧室にこもって過ごした。ものを食べる気にも、仕事をする気にもなれなかったのだ。
そこへ、ルセルの帰宅が知らされた。
(…出迎えに、いかなきゃ)
リリーは鏡で己の顔を見た。ルセルにこのことを悟られたくはない。やりかけだったメイクを完成させ、香水で気合を入れ、鏡の前で微笑みを作った。
(よし、大丈夫。いつもの私だ)
広間へ出ると、客を連れ帰ったのか賑やかな一行が到着していた。少し遅れてルセルが入ってきた。が、リリーは目を疑った。
(あ、あれは…いったい?)
ルセルの隣には、まぶしい金髪の美女がいたのだ。ルセルは彼女に肘を貸し、エスコートしている。
(と、言うことは…どこぞの令嬢かな)
このくらいのことでうろたてどうする。リリーは自分を叱咤し2人に近づいた。
「お帰りなさいませ。ルセル様。そちらの方は…?」
金髪の令嬢はちらりとリリーを見た。くっきりとした目鼻立ちに、艶のある妖艶な唇。豊満な胸の下にはミツバチのようにくびれた腰がつづく。まぎれもない美人だ。そのまなざしから、リリーは自分が彼女に軽んじられたことがわかった。
「ああ、こちらはオルラント伯令嬢の、カリーナだ。このたび王宮に出仕したいということなので、お連れした」
「お初にお目にかかります、リリー様。どうぞよろしくおねがいいたしますね」
「え、ええ。こちらこそ」
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(后の差し金で…?)
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