20 / 26
第二部 新婚生活の騒動
その淑女ふしだらにつき
しおりを挟む
「久しぶりね、カリーナ。ちょっと見ない間に、また綺麗になったわね」
姪娘を前にして、后は微笑んだ。
「お久しぶりでございます、后様。お手紙を、ありがとうございます。父もとても喜んでおりますわ」
この娘、妃候補には入ってはいなかった。なぜなら彼女はその見た目の通り恋多き女で、王太子妃候補にはふさわしいと言えなかったからだ。
だが、側室としてなら。
「ええ、ご存じの通り新しいお妃を迎えて何かと忙しくなったのでね。わたくしのそばで力になってくれるかしら?」
「もちろんですわ。宮中に上がるのが昔からの夢でしたの」
「ありがたいわ。きっとあなたは、わたくしのサロンの華になりましてよ」
抜け目のない彼女は、もちろん后の思惑を察している。カリーナの魅力的な体を前に落ちない男はいないだろう。ましてあのぼんくら王子だ。彼女がルセルの男児を産んでくれれば、自分の地位は安泰だ。
「…きっと、后様のご期待に沿えるようにしてみせますわ」
その赤い唇に、カリーナは余裕の笑みを浮かべていた。
「殿下、殿下。わたくし殿下のこと、ルセル様っておよびしても良いですか?」
后の計らいで、晩餐の席ではルセルの横にカリーナが座っていた。それをはさんで、リリーという形だ。
「…かまわないが」
(私の手前、しかめっつらしくしてるけど…鼻の下のびてる)
美女が好意ありげにしなだれかかってきたら、そりゃあうれしいだろう。たぶん自分だって悪い気はしない。
リリーは他人事のように冷静に観察していた。が、ふと思った。
(もし、もしも…ルセル様が本当に、彼女と関係を持ったら、私はどう思うんだろう)
のんきにもこのことを考えていなかったが、彼女は無論、そのつもりで来ているのだろうから…ありえないことではない。リリーは苦い塊を飲み込んだような気持ちになった。
(ああ、また心配事が増えた…それも大きな)
一気に憔悴したリリーはそうそうに退出した。それをカリーナと后は横目で見送った。
(あら、そんなあっさり引き下がっちゃって…いいのかしら?もらっちゃうわよ)
カリーナはますます饒舌になり、ルセルにしなだれかかった。一方ルセルはリリーの様子が気になっていた。
「すまないカリーナ、先に失礼させてもらうよ」
「まぁどうなさったんですルセル様。お口に合いませんでしたか?」
複雑な駆け引きなどできないルセルはそのままを口にした。
「いや、妃が心配なのでな。御免」
いうが早いがルセルは席を立った。カリーナはあえて追わず見送った。
(まっ、お熱いこと。…でもまだ新婚だものね。当たり前だわ。体のいい当て馬にされちゃたまらない。私も少し、出方を変えようかしら)
「リリー!どうしたんだ、いきなり席を立って」
自室にぽつねんと座っているリリーに、ルセルは声をかけた。
「あら…ごめんなさい。今日はデザートをいただく気がしなくて」
「ふぅん…まぁいいが。余もいらないしな」
「まぁもったいないですよ。ルセル様は甘いものお好きでしょう?どうぞ食べていらして」
リリーはつい強がりを口に出してそういった。ルセルはリリーの隣に腰かけた。
「先に言っておくが…あの女は好かん」
「まぁ、誰のことです」
リリーはとぼけた。彼とちがって、自分はどこまでも素直になれなくて、醜いなと内心思いながら。
「わかっているだろう、カリーナ嬢のことだ。彼女はお后の差し金だ」
「あら…そんな率直な。私もそうは思っていましたが」
「だろう?自分の力を保つための一手に、わざわざ余が乗ってやろうとは思わん。それに…リリー以外の女に興味はない」
うれしく思いつつも、そのせりふにリリーはふきだしてしまった。
「ふふ、ルセル様らしくないお言葉」
ルセルはぷうとむくれた。
「なんだ、バカにして」
「バカにしてなんか。…ありがとうございます」
最近はルセルのこの素直さに救われてばかりだ。だから、頑張ることができる。リリーは心から礼を言った。
「それよりも…」
ルセルはちらとリリーを見た。
「リリーは余がカリーナと一緒にいるのを見て、なんとも思わなかったのか?ん?」
「…いやだ、そんなこと言わせないでくださいよ」
リリーは首を振った。ルセルはリリーに迫った。
「言わせたいのだ」
「そりゃあ…」
リリーは恥ずかしくて目をそらしながら言った。
「そりゃあ、いい気持ちはしませんよ。もし、お2人が…と考えると」
「考えたのか?」
「…少しは」
ルセルは腕の中にリリーを閉じ込めてははと笑った。
「やったぞ!初めてリリーが、やきもちを焼いた!」
「まぁ、バカにして」
今度はリリーがむくれた。
「そう怒るな。リリーも案外、余のことをわかっておらぬな。さんざん地位目当ての女たちと付き合ってきた余が、お前を得た今わざわざその手の女になびくと思うか?」
「…そうはおっしゃいましても。殿方は美人に良くされると断れない生き物でしょう」
「疑い深いな」
「ごめんなさい。こういう性格なんです」
ルセルはうつむくリリーについばむようなキスをした。
「そなたは実は、意地っ張りだからな。だけどそなたがそう意地を張るのは、余のことくらいであろう?」
その自信満々だがまっすぐな言葉に、ついリリーも微笑んだ。
「ええ…その通りです。私が意地になってしまうほど心にかけるのは、ルセル様だけです」
ルセルはリリーにもう一度唇を重ねた。今度は深く甘い口づけだった。
「リリー…もう我慢できない、今するぞ」
「えっ、ここでですか?ベッドに…」
「前はよくソファでしたじゃないか」
それもそうだと思いなおして、リリーは彼の腕に身を任せた…が。
「すみません、殿下はこちらですか」
ドアの向こうからチャールズの声がした。
「なんだ、チャールズ。今取り込み中だ」
「…申し訳ございません。陛下がおよびです」
チャールズの申し訳なさそうな声に、ルセルは深いため息をついた
「はぁー…。」
「…仕方ありませんわ。大事な御用かもしれませんし。どうぞ行ってらして」
「どうせ今日招いた客たちとの与太話だ…」
そうは言いつつも、ルセルは立ち上がって扉へ向かった。
「すぐ戻る!待っててくれ」
「はい、ルセル様」
リリーは微笑んで彼を見送った。が、おそらく今夜はもう、二人の時間はないだろう。
賓客のもてなしも、彼の大事な仕事だ。というか本来リリーもその場にいなければならない類のものだ。
(だけど…今日はもう、いいか…いいよね)
今日は事件が起こりすぎて、もうくたくただった。いつしかリリーは眠りについていた。
翌日早朝、いつも通りリリーは目を覚ました。ベッドは一人で、ルセルが戻ってきた形跡はない。わかっていたことだが、少し胸がざわざわした。
(昨日はさぼってしまったから、今日はしっかりしないと)
リリーは気合を入れるべく化粧室に移動した。するとトントンとノックの音がした。
「チャールズ?どうかしたの」
が、扉から入ってきたのは思いもかけない人物だった。
「おはようございます、リリー様」
リリーはめんくらった。そこには完ぺきに身支度を整えたカリーナが立っていた。
「あら、カリーナさん?困りますわ、こんな狭いお部屋にいきなりいらっしゃるなんて」
カリーナは赤い唇をゆがめて嗤った。
「申し訳ありません、リリー様は今お起きになったのかしら?そんなお顔をしてらっしゃるわ」
くすくすと彼女はなおも笑っている。すっぴんを彼女に見られるのはかなり不愉快だ。だが令嬢相手に怒鳴って追い出すわけにもいかない。
「ええ、むさくるしい顔でごめんなさいね。カリーナ様はずいぶん早起きでいらっしゃいますのね」
彼女は優雅に小首をかしげた。
「実は昨日寝ておりませんの。ずっと皆様をお話ししていましたもので。ルセル様はお酒が弱くていらっしゃるのね」
つまり一晩中一緒にいたということか。だが動揺を顔に出すわけにはいかない。
「あら、それはお疲れでしょう。朝ですが、少しお休みになってはいかがですか?」
「いえ、わたくしたちいったんお暇しますの。だからリリー様にご挨拶をと思って」
何もこんな朝早くに。と思ったが彼女がいなくなるのはありがたい。
「もうお帰りになるんですか?少し寂しいですわ」
「いえ、いったん私の父の領地を、ルセル様にも見学していただこうと、ご一緒することになったのです」
彼女の勝ち誇った様子はそういうことか。
「あら…そうなんですの」
「ええ。リリー様には申し訳ありませんが、しばらくルセル様をお借りしますね。ところで…リリー様はお后さまのサロンはご存じで?」
突然話題が変わったのでリリーはうろたえた。
「ええ、もちろん知っておりますが…なにか」
「わたくし昨日、とっても面白いお話聞きましたの。サロンに『素敵な』おじさまがいらしていてね…お名前は秘密なのだって。リリー様なら何かご存じかと思って」
あいつ、クソ父だ。リリーは必死に何気ない顔を作って返した。
「あら、そうなんですの?あいにくわたくし、あまりサロンには顔を出さないもので」
「もったいないですわ。ぜひリリー様も彼と会うことをおすすめしますわぁ」
「そうですね。ご忠告、ありがとう」
リリーはにっこり笑って返した。
「また戻った際には、ご挨拶にうかがいますわ」
そして彼女も、笑顔を見せて去った。
(ああ、朝から全く…)
リリーは崩れ落ちるように椅子に座った。
じわじわと外堀を埋めるように、真綿で首を絞めるように、后はあらゆる手を使ってリリーを追い詰めようとしている。
領地の視察ももちろん大事な王太子の仕事だ。だが今回の突然の出発は后が仕組んだものであるに違いない。彼女も、カリーナも、その父も、ルセルがカリーナの色香にグラついて「お手」を付けることを望んでいるはずだ。だから完璧にそのお膳立てがされたいわゆる…
(据え膳不倫出張…)
いくらルセルを信頼しているとはいえ、こんなあからさまに自分を無視した策謀は腹が立つ。加えて「あの父」のこともちらつかせて、リリーを間接的に脅しているのだ。
(視察だと。体のいい不倫旅行じゃないか。無理やりついていってやろうか…)
が、リリーが邪魔しようものなら即座にあの父の軽い口が開くのだろう。
(くっっそ…)
リリーはドンとこぶしをテーブルにたたきつけた。が、手が痛くなっただけだった。ものにあたってもしょうがない。リリーはいら立ちを紛らわすかのようにもくもくと化粧をした。
その時、ルセルがバタバタと部屋へ駈け込んできた。
姪娘を前にして、后は微笑んだ。
「お久しぶりでございます、后様。お手紙を、ありがとうございます。父もとても喜んでおりますわ」
この娘、妃候補には入ってはいなかった。なぜなら彼女はその見た目の通り恋多き女で、王太子妃候補にはふさわしいと言えなかったからだ。
だが、側室としてなら。
「ええ、ご存じの通り新しいお妃を迎えて何かと忙しくなったのでね。わたくしのそばで力になってくれるかしら?」
「もちろんですわ。宮中に上がるのが昔からの夢でしたの」
「ありがたいわ。きっとあなたは、わたくしのサロンの華になりましてよ」
抜け目のない彼女は、もちろん后の思惑を察している。カリーナの魅力的な体を前に落ちない男はいないだろう。ましてあのぼんくら王子だ。彼女がルセルの男児を産んでくれれば、自分の地位は安泰だ。
「…きっと、后様のご期待に沿えるようにしてみせますわ」
その赤い唇に、カリーナは余裕の笑みを浮かべていた。
「殿下、殿下。わたくし殿下のこと、ルセル様っておよびしても良いですか?」
后の計らいで、晩餐の席ではルセルの横にカリーナが座っていた。それをはさんで、リリーという形だ。
「…かまわないが」
(私の手前、しかめっつらしくしてるけど…鼻の下のびてる)
美女が好意ありげにしなだれかかってきたら、そりゃあうれしいだろう。たぶん自分だって悪い気はしない。
リリーは他人事のように冷静に観察していた。が、ふと思った。
(もし、もしも…ルセル様が本当に、彼女と関係を持ったら、私はどう思うんだろう)
のんきにもこのことを考えていなかったが、彼女は無論、そのつもりで来ているのだろうから…ありえないことではない。リリーは苦い塊を飲み込んだような気持ちになった。
(ああ、また心配事が増えた…それも大きな)
一気に憔悴したリリーはそうそうに退出した。それをカリーナと后は横目で見送った。
(あら、そんなあっさり引き下がっちゃって…いいのかしら?もらっちゃうわよ)
カリーナはますます饒舌になり、ルセルにしなだれかかった。一方ルセルはリリーの様子が気になっていた。
「すまないカリーナ、先に失礼させてもらうよ」
「まぁどうなさったんですルセル様。お口に合いませんでしたか?」
複雑な駆け引きなどできないルセルはそのままを口にした。
「いや、妃が心配なのでな。御免」
いうが早いがルセルは席を立った。カリーナはあえて追わず見送った。
(まっ、お熱いこと。…でもまだ新婚だものね。当たり前だわ。体のいい当て馬にされちゃたまらない。私も少し、出方を変えようかしら)
「リリー!どうしたんだ、いきなり席を立って」
自室にぽつねんと座っているリリーに、ルセルは声をかけた。
「あら…ごめんなさい。今日はデザートをいただく気がしなくて」
「ふぅん…まぁいいが。余もいらないしな」
「まぁもったいないですよ。ルセル様は甘いものお好きでしょう?どうぞ食べていらして」
リリーはつい強がりを口に出してそういった。ルセルはリリーの隣に腰かけた。
「先に言っておくが…あの女は好かん」
「まぁ、誰のことです」
リリーはとぼけた。彼とちがって、自分はどこまでも素直になれなくて、醜いなと内心思いながら。
「わかっているだろう、カリーナ嬢のことだ。彼女はお后の差し金だ」
「あら…そんな率直な。私もそうは思っていましたが」
「だろう?自分の力を保つための一手に、わざわざ余が乗ってやろうとは思わん。それに…リリー以外の女に興味はない」
うれしく思いつつも、そのせりふにリリーはふきだしてしまった。
「ふふ、ルセル様らしくないお言葉」
ルセルはぷうとむくれた。
「なんだ、バカにして」
「バカにしてなんか。…ありがとうございます」
最近はルセルのこの素直さに救われてばかりだ。だから、頑張ることができる。リリーは心から礼を言った。
「それよりも…」
ルセルはちらとリリーを見た。
「リリーは余がカリーナと一緒にいるのを見て、なんとも思わなかったのか?ん?」
「…いやだ、そんなこと言わせないでくださいよ」
リリーは首を振った。ルセルはリリーに迫った。
「言わせたいのだ」
「そりゃあ…」
リリーは恥ずかしくて目をそらしながら言った。
「そりゃあ、いい気持ちはしませんよ。もし、お2人が…と考えると」
「考えたのか?」
「…少しは」
ルセルは腕の中にリリーを閉じ込めてははと笑った。
「やったぞ!初めてリリーが、やきもちを焼いた!」
「まぁ、バカにして」
今度はリリーがむくれた。
「そう怒るな。リリーも案外、余のことをわかっておらぬな。さんざん地位目当ての女たちと付き合ってきた余が、お前を得た今わざわざその手の女になびくと思うか?」
「…そうはおっしゃいましても。殿方は美人に良くされると断れない生き物でしょう」
「疑い深いな」
「ごめんなさい。こういう性格なんです」
ルセルはうつむくリリーについばむようなキスをした。
「そなたは実は、意地っ張りだからな。だけどそなたがそう意地を張るのは、余のことくらいであろう?」
その自信満々だがまっすぐな言葉に、ついリリーも微笑んだ。
「ええ…その通りです。私が意地になってしまうほど心にかけるのは、ルセル様だけです」
ルセルはリリーにもう一度唇を重ねた。今度は深く甘い口づけだった。
「リリー…もう我慢できない、今するぞ」
「えっ、ここでですか?ベッドに…」
「前はよくソファでしたじゃないか」
それもそうだと思いなおして、リリーは彼の腕に身を任せた…が。
「すみません、殿下はこちらですか」
ドアの向こうからチャールズの声がした。
「なんだ、チャールズ。今取り込み中だ」
「…申し訳ございません。陛下がおよびです」
チャールズの申し訳なさそうな声に、ルセルは深いため息をついた
「はぁー…。」
「…仕方ありませんわ。大事な御用かもしれませんし。どうぞ行ってらして」
「どうせ今日招いた客たちとの与太話だ…」
そうは言いつつも、ルセルは立ち上がって扉へ向かった。
「すぐ戻る!待っててくれ」
「はい、ルセル様」
リリーは微笑んで彼を見送った。が、おそらく今夜はもう、二人の時間はないだろう。
賓客のもてなしも、彼の大事な仕事だ。というか本来リリーもその場にいなければならない類のものだ。
(だけど…今日はもう、いいか…いいよね)
今日は事件が起こりすぎて、もうくたくただった。いつしかリリーは眠りについていた。
翌日早朝、いつも通りリリーは目を覚ました。ベッドは一人で、ルセルが戻ってきた形跡はない。わかっていたことだが、少し胸がざわざわした。
(昨日はさぼってしまったから、今日はしっかりしないと)
リリーは気合を入れるべく化粧室に移動した。するとトントンとノックの音がした。
「チャールズ?どうかしたの」
が、扉から入ってきたのは思いもかけない人物だった。
「おはようございます、リリー様」
リリーはめんくらった。そこには完ぺきに身支度を整えたカリーナが立っていた。
「あら、カリーナさん?困りますわ、こんな狭いお部屋にいきなりいらっしゃるなんて」
カリーナは赤い唇をゆがめて嗤った。
「申し訳ありません、リリー様は今お起きになったのかしら?そんなお顔をしてらっしゃるわ」
くすくすと彼女はなおも笑っている。すっぴんを彼女に見られるのはかなり不愉快だ。だが令嬢相手に怒鳴って追い出すわけにもいかない。
「ええ、むさくるしい顔でごめんなさいね。カリーナ様はずいぶん早起きでいらっしゃいますのね」
彼女は優雅に小首をかしげた。
「実は昨日寝ておりませんの。ずっと皆様をお話ししていましたもので。ルセル様はお酒が弱くていらっしゃるのね」
つまり一晩中一緒にいたということか。だが動揺を顔に出すわけにはいかない。
「あら、それはお疲れでしょう。朝ですが、少しお休みになってはいかがですか?」
「いえ、わたくしたちいったんお暇しますの。だからリリー様にご挨拶をと思って」
何もこんな朝早くに。と思ったが彼女がいなくなるのはありがたい。
「もうお帰りになるんですか?少し寂しいですわ」
「いえ、いったん私の父の領地を、ルセル様にも見学していただこうと、ご一緒することになったのです」
彼女の勝ち誇った様子はそういうことか。
「あら…そうなんですの」
「ええ。リリー様には申し訳ありませんが、しばらくルセル様をお借りしますね。ところで…リリー様はお后さまのサロンはご存じで?」
突然話題が変わったのでリリーはうろたえた。
「ええ、もちろん知っておりますが…なにか」
「わたくし昨日、とっても面白いお話聞きましたの。サロンに『素敵な』おじさまがいらしていてね…お名前は秘密なのだって。リリー様なら何かご存じかと思って」
あいつ、クソ父だ。リリーは必死に何気ない顔を作って返した。
「あら、そうなんですの?あいにくわたくし、あまりサロンには顔を出さないもので」
「もったいないですわ。ぜひリリー様も彼と会うことをおすすめしますわぁ」
「そうですね。ご忠告、ありがとう」
リリーはにっこり笑って返した。
「また戻った際には、ご挨拶にうかがいますわ」
そして彼女も、笑顔を見せて去った。
(ああ、朝から全く…)
リリーは崩れ落ちるように椅子に座った。
じわじわと外堀を埋めるように、真綿で首を絞めるように、后はあらゆる手を使ってリリーを追い詰めようとしている。
領地の視察ももちろん大事な王太子の仕事だ。だが今回の突然の出発は后が仕組んだものであるに違いない。彼女も、カリーナも、その父も、ルセルがカリーナの色香にグラついて「お手」を付けることを望んでいるはずだ。だから完璧にそのお膳立てがされたいわゆる…
(据え膳不倫出張…)
いくらルセルを信頼しているとはいえ、こんなあからさまに自分を無視した策謀は腹が立つ。加えて「あの父」のこともちらつかせて、リリーを間接的に脅しているのだ。
(視察だと。体のいい不倫旅行じゃないか。無理やりついていってやろうか…)
が、リリーが邪魔しようものなら即座にあの父の軽い口が開くのだろう。
(くっっそ…)
リリーはドンとこぶしをテーブルにたたきつけた。が、手が痛くなっただけだった。ものにあたってもしょうがない。リリーはいら立ちを紛らわすかのようにもくもくと化粧をした。
その時、ルセルがバタバタと部屋へ駈け込んできた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
87
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる