4 / 43
普通の男ではない
しおりを挟む
すると、突然パリンと音がして、サイラスが持っていた試験管が割れた。
ぴしゃっ、と中の薬剤が床に広がる。
「わわっ⁉」
考えるより前にイリスは手袋をつけ直し、布をもって彼のもとへ駆け付けた。
「先生、ガラス大丈夫ですか?」
すると彼は、一瞬呆然とした顔をしたが、すぐにいつものように顔をしかめた。
「別に……平気です。処理も私がするので」
「いえいえ、割れたガラスはちゃんと集めないと。二人でした方が早いですよ」
薬剤を拭き、ガラスを拾い始める。
一緒に破片を拾っていると、ふと彼が言った。
「……すみません。残業扱いにしてください」
珍しい、彼が謝るなんて。イリスはにこやかに言った。
「別に大丈夫ですよ、このくらい」
サイラスはしばらく沈黙した後、重々しく言った。
「なぜ……私と昼食を? 今日食べないと言ったのに」
「えっ? そ、それは……ま、毎日昼食抜きなんて体によくありませんよー」
院長の指令とは言わない方がいい気がする。しかし、しどろもどろになったイリスを、サイラスは鋭い目で見た。
「……誰かに言われて、私を誘っていますか」
「え゛……と、その……」
「……院長ですか」
鋭い。その眼つきのあまりにもの鋭さに、イリスは何も答えられず黙った。
(ひ、ひぃぃぃ、怖い……! 今までで一番きつく睨まれてる、なんで⁉)
サイラスはふっとその視線をイリスからはずし、吐き捨てるように言った。
「私に気を使ってもらわなくとも、結構です。昼食は一人でとりますので」
「す、すみませ……」
「謝るくらいなら、今後そういった事は二度としないでください」
(二度と……ですか)
なんでここまで。そんなに気に障ってしまったのだろうか。でももし、誘ったのがイリスでなければ――彼はここまで怒らなかったんじゃないだろうか。そんな思いがふとよぎる。
「私のこと……そんなに嫌、ですか」
「は?」
イリスははっと口を押さえた。こんな事、職場でいうべき事ではない。
「ご、ごめんなさい、なんでもな――」
慌てて目を向けると、彼はぎゅっと唇をかんで、イリスをにらんでいた。
まるで、傷ついた少年のような表情だった。
(えっ……?)
けれどその表情は一瞬で、すぐに凍てつく氷のような、冷たい目に戻っていった。
「ええ、その通りですよ。鈍いあなたにもやっと伝わったようでありがたい。なのでどうか、必要以上に私に関わらないでください」
そう言って、彼はイリスに背を向けて、あとは何も言わなかった。
――その背は明らかに、イリスを拒絶していた。
◆
「……ってことがあったんだよぉ……」
退勤後、イリスはカフェでミリアムに愚痴っていた。
雨があんまりにも強かったので、持っている傘では間に合わず、二人ともたまらず帰り道のいきつけのカフェ、「ミニュイ」に駆け込んだのだ。
ふんわり泡立てられたミルクが浮かんだカフェラテに口をつけながら、ミリアムはちょっと顔をしかめた。
「えぇ~、それはさすがに、傷つく」
「だよねぇ。わ、私そんなに、嫌われるようなことしちゃったのかなぁ……」
ミリアムはうーんと首をかしげた。
「でも、スノウ先生がそんな感情的になるなんて意外な感じするな。レミングス先生ならともかく」
――西棟のレミングスは、助手や患者によく怒鳴る、典型的な魔術師をかさに着た自己中心男であった。
イリスは苦笑した。魔術師は、院長のような立派な人もいるが、癖のある人間も多い。
「まぁ……そうかも」
「そうよ。たとえば私が院長に頼まれて誘ったとしても、スノウ先生はそんな怒らない気がする……なんていうか『院長が余計な事をしたようですみません』くらい言いそう。あの無表情な顔で」
それを聞いて、イリスは落ち込んだ。
「えええ……じゃあやっぱり私、めちゃくちゃ嫌われてるってことじゃん……」
「いや、なんだろう、スノウ先生は興味ないんだよね、助手の子にも誰にも。だから私たちが何か言ってもどうでもいいっていうか。だけど……イリスにだけなんか、過剰反応してる気がする」
もはや捨て身でイリスは聞いた。
「わ、わ、私の何がいけない⁉ ミリアム、わかる⁉」
ミリアムはさらにう~んと考え込んだ。
「私はイリスと一緒にいると楽しいけどなぁ。いつもニコニコしてるし、ときどきおっちょこちょいで面白いし。先生を患者と間違えるなんて。ふふっ」
ミリアムはざっくばらんに言ってくれたが、イリスはかえって不安になった。
「そ、そういうとこがこう、不真面目な奴だと……思われちゃってるのかな……?」
「うーん、いやでも、もっと不真面目なコは他にもいるわけで。ベッキーは遅刻の常習犯だし、ジョディとかめちゃくちゃ患者さんによって態度変えるじゃん?」
助手は9割が女の子で、まぁ、こちらもいろんな子がいる。
「う~ん、そうかぁ……」
「イリスのそのカンジ、私は好きだけどね。イリスは同僚でも上司でも患者でも、誰に対してもニコニコするじゃない。たとえ自分の得にならなくても、皆に親切に接してるのがえらいよ」
さすがのイリスも照れ笑いした。
「いやぁ、そんな褒められても何も出ませんよぉ~」
「褒めてないよ。ちょっと抜けてるトコもあるくせに、意外と中身は頑固だし」
「頑固……かなぁ?」
「たとえ彼氏に言われようと、自分の生活スタイル曲げなかったじゃない」
いたずらっぽくそう言われて、イリスは苦い気持ちになった。
「うぅ……彼氏じゃなくて元カレ、ね……」
彼の事を思い出すと、いまだにもやっとした気持ちになる。
彼の別れ際の言葉は『こんなずぼらな女の子とは思わなかったよ! 治療助手だから、面倒見がいい子かと思ったのに!』だった。
――たしかに、病人の世話や魔術師のサポートをするのが仕事の治療助手は、面倒見がいいように思えるだろう。
だけど、それは仕事の話であって。
(プライベートの休みの日は、できるだけ朝寝したいし、手の込んだ自炊なんてめんどくさいよ~~!!)
しかし、できる子は息をするように、当たり前にやっている事でもある。ミリアムなんて、よく手作りのお菓子を同僚にふるまっている。
そう思うと、なんだか気持ちが落ち込む。自分のダメさを、突き付けられているようで。
「や、やっぱり、そういうだらしないところ、良くない、よね。それが勤務態度にも出ちゃってるのかも」
そんなイリスを尻目に、ミリアムは微笑みながら肩をすくめた。
「なんかねー、スノウ先生はね……そういうんじゃない気がする。なんだろう、上手く言えないけど。今回の件も、院長に言われて誘った、と見破って怒ったわけでしょ?」
イリスはミリアムの言葉を待った。彼女はいつも、人間観察に関して鋭い一言を口にするのだ。
「もしかして、院長の手回しなしに、イリスから自発的に――誘ってほしかった、とかじゃなくて?」
にやっと笑った彼女に、イリスはアイスココアを吹き出しそうになった。
(そ、そんなわけ、ないじゃん……!)
でも、もし、彼にそう思われているのだとしたら――。
あの美しい顔立ちがふと頭に浮かんで、ドキリとしてしまったのは確かだった。
(や、やだ、何トキメいちゃってるの! ありえない、ありえないから、やめなさい)
そういう事を考えてると、明日顔を合わせた時に、きまずいではないか。
(勝手に相手の気持ちを勘違いしている、痛いやつになっちゃうよっ……!)
内心煩悶するイリスを尻目に、ミリアムはふと窓を見た。
「あーあ、雨止まないねぇ……」
外はいまだバケツをひっくり返したように、ざぁざぁ雨が降っている。しかも、なんだかゴロゴロ、遠くから聞こえて来そうな気配だ。
「もういっそ、濡れて走りながら帰るか……」
イリスが言うと、ミリアムは覚悟を決めたようにうなずいた。
「そうね、一晩中ここにいるわけにもいかないし……水も滴るいい女になってやろうじゃないの」
二人の女は、意を決して席を立ったのであった。
◆
「くそっ……もう始まった……」
草木も眠る、丑三つ時。
サイラス・スノウは雨にずぶぬれになって、焦りながら通りを歩いていた。
大量の雨に濡れているにもかかわらず、頬が熱い。体も熱い。早く家に帰りつかないと――
(薬が切れたせいで、今、発情期を迎えてしまう……ッ!)
この自分が、そんな無様を晒すなど、許せない。
(だから、研究所を離れて治療院に来るのは嫌だったのに……!)
サイラスはもともと、山深い辺境の地にある研究所で、一人で研究を行ってきていた。他の人間とかかわることなく研究に集中できるし、薬の材料も豊富だったからだ。
しかし、サザフィールドは彼に言ったのだ。
『そう、自分の未来を狭めることはない。人とは違う君が、人を恐れる気持ちはわかる……が、それでも森から出なくては。君はもっと、人と触れ合い、広い世界を知るべきなのだよ』と。
だが、今のサイラスはただただ、その言葉を信じた自分が忌々しかった。
(彼の口車に乗って、あそこから出てこんなところに来たせいで……)
頭の中に、あの娘が浮かぶ。
今朝、サイラスはずっと、あの娘が来るのを待っていた。今月の助手の当番が組まれ、スケジュールが配布されたその時から、ずっと、待っていた。
彼女は元気よく、同僚に手を振りながらやってきた。その笑顔を見ると、サイラスの胸の奥は何者かの手で掴まれたように、ぎゅっと切なく痛んだ。
――こんな気持ちになるのは初めてだった。
ここ数カ月、ずっとこうだった。自分でも、混乱していた。どうしたらいいかわからない。
いや、まったくわからないわけではない。もし、自分が普通の男なら――彼女と会話をし、食事に誘うのだろう。
けれど……。静まり返った夜の街を走りながら、サイラスは自分を嗤った。
(残念ながら、私は『普通の男』ではない)
ぴしゃっ、と中の薬剤が床に広がる。
「わわっ⁉」
考えるより前にイリスは手袋をつけ直し、布をもって彼のもとへ駆け付けた。
「先生、ガラス大丈夫ですか?」
すると彼は、一瞬呆然とした顔をしたが、すぐにいつものように顔をしかめた。
「別に……平気です。処理も私がするので」
「いえいえ、割れたガラスはちゃんと集めないと。二人でした方が早いですよ」
薬剤を拭き、ガラスを拾い始める。
一緒に破片を拾っていると、ふと彼が言った。
「……すみません。残業扱いにしてください」
珍しい、彼が謝るなんて。イリスはにこやかに言った。
「別に大丈夫ですよ、このくらい」
サイラスはしばらく沈黙した後、重々しく言った。
「なぜ……私と昼食を? 今日食べないと言ったのに」
「えっ? そ、それは……ま、毎日昼食抜きなんて体によくありませんよー」
院長の指令とは言わない方がいい気がする。しかし、しどろもどろになったイリスを、サイラスは鋭い目で見た。
「……誰かに言われて、私を誘っていますか」
「え゛……と、その……」
「……院長ですか」
鋭い。その眼つきのあまりにもの鋭さに、イリスは何も答えられず黙った。
(ひ、ひぃぃぃ、怖い……! 今までで一番きつく睨まれてる、なんで⁉)
サイラスはふっとその視線をイリスからはずし、吐き捨てるように言った。
「私に気を使ってもらわなくとも、結構です。昼食は一人でとりますので」
「す、すみませ……」
「謝るくらいなら、今後そういった事は二度としないでください」
(二度と……ですか)
なんでここまで。そんなに気に障ってしまったのだろうか。でももし、誘ったのがイリスでなければ――彼はここまで怒らなかったんじゃないだろうか。そんな思いがふとよぎる。
「私のこと……そんなに嫌、ですか」
「は?」
イリスははっと口を押さえた。こんな事、職場でいうべき事ではない。
「ご、ごめんなさい、なんでもな――」
慌てて目を向けると、彼はぎゅっと唇をかんで、イリスをにらんでいた。
まるで、傷ついた少年のような表情だった。
(えっ……?)
けれどその表情は一瞬で、すぐに凍てつく氷のような、冷たい目に戻っていった。
「ええ、その通りですよ。鈍いあなたにもやっと伝わったようでありがたい。なのでどうか、必要以上に私に関わらないでください」
そう言って、彼はイリスに背を向けて、あとは何も言わなかった。
――その背は明らかに、イリスを拒絶していた。
◆
「……ってことがあったんだよぉ……」
退勤後、イリスはカフェでミリアムに愚痴っていた。
雨があんまりにも強かったので、持っている傘では間に合わず、二人ともたまらず帰り道のいきつけのカフェ、「ミニュイ」に駆け込んだのだ。
ふんわり泡立てられたミルクが浮かんだカフェラテに口をつけながら、ミリアムはちょっと顔をしかめた。
「えぇ~、それはさすがに、傷つく」
「だよねぇ。わ、私そんなに、嫌われるようなことしちゃったのかなぁ……」
ミリアムはうーんと首をかしげた。
「でも、スノウ先生がそんな感情的になるなんて意外な感じするな。レミングス先生ならともかく」
――西棟のレミングスは、助手や患者によく怒鳴る、典型的な魔術師をかさに着た自己中心男であった。
イリスは苦笑した。魔術師は、院長のような立派な人もいるが、癖のある人間も多い。
「まぁ……そうかも」
「そうよ。たとえば私が院長に頼まれて誘ったとしても、スノウ先生はそんな怒らない気がする……なんていうか『院長が余計な事をしたようですみません』くらい言いそう。あの無表情な顔で」
それを聞いて、イリスは落ち込んだ。
「えええ……じゃあやっぱり私、めちゃくちゃ嫌われてるってことじゃん……」
「いや、なんだろう、スノウ先生は興味ないんだよね、助手の子にも誰にも。だから私たちが何か言ってもどうでもいいっていうか。だけど……イリスにだけなんか、過剰反応してる気がする」
もはや捨て身でイリスは聞いた。
「わ、わ、私の何がいけない⁉ ミリアム、わかる⁉」
ミリアムはさらにう~んと考え込んだ。
「私はイリスと一緒にいると楽しいけどなぁ。いつもニコニコしてるし、ときどきおっちょこちょいで面白いし。先生を患者と間違えるなんて。ふふっ」
ミリアムはざっくばらんに言ってくれたが、イリスはかえって不安になった。
「そ、そういうとこがこう、不真面目な奴だと……思われちゃってるのかな……?」
「うーん、いやでも、もっと不真面目なコは他にもいるわけで。ベッキーは遅刻の常習犯だし、ジョディとかめちゃくちゃ患者さんによって態度変えるじゃん?」
助手は9割が女の子で、まぁ、こちらもいろんな子がいる。
「う~ん、そうかぁ……」
「イリスのそのカンジ、私は好きだけどね。イリスは同僚でも上司でも患者でも、誰に対してもニコニコするじゃない。たとえ自分の得にならなくても、皆に親切に接してるのがえらいよ」
さすがのイリスも照れ笑いした。
「いやぁ、そんな褒められても何も出ませんよぉ~」
「褒めてないよ。ちょっと抜けてるトコもあるくせに、意外と中身は頑固だし」
「頑固……かなぁ?」
「たとえ彼氏に言われようと、自分の生活スタイル曲げなかったじゃない」
いたずらっぽくそう言われて、イリスは苦い気持ちになった。
「うぅ……彼氏じゃなくて元カレ、ね……」
彼の事を思い出すと、いまだにもやっとした気持ちになる。
彼の別れ際の言葉は『こんなずぼらな女の子とは思わなかったよ! 治療助手だから、面倒見がいい子かと思ったのに!』だった。
――たしかに、病人の世話や魔術師のサポートをするのが仕事の治療助手は、面倒見がいいように思えるだろう。
だけど、それは仕事の話であって。
(プライベートの休みの日は、できるだけ朝寝したいし、手の込んだ自炊なんてめんどくさいよ~~!!)
しかし、できる子は息をするように、当たり前にやっている事でもある。ミリアムなんて、よく手作りのお菓子を同僚にふるまっている。
そう思うと、なんだか気持ちが落ち込む。自分のダメさを、突き付けられているようで。
「や、やっぱり、そういうだらしないところ、良くない、よね。それが勤務態度にも出ちゃってるのかも」
そんなイリスを尻目に、ミリアムは微笑みながら肩をすくめた。
「なんかねー、スノウ先生はね……そういうんじゃない気がする。なんだろう、上手く言えないけど。今回の件も、院長に言われて誘った、と見破って怒ったわけでしょ?」
イリスはミリアムの言葉を待った。彼女はいつも、人間観察に関して鋭い一言を口にするのだ。
「もしかして、院長の手回しなしに、イリスから自発的に――誘ってほしかった、とかじゃなくて?」
にやっと笑った彼女に、イリスはアイスココアを吹き出しそうになった。
(そ、そんなわけ、ないじゃん……!)
でも、もし、彼にそう思われているのだとしたら――。
あの美しい顔立ちがふと頭に浮かんで、ドキリとしてしまったのは確かだった。
(や、やだ、何トキメいちゃってるの! ありえない、ありえないから、やめなさい)
そういう事を考えてると、明日顔を合わせた時に、きまずいではないか。
(勝手に相手の気持ちを勘違いしている、痛いやつになっちゃうよっ……!)
内心煩悶するイリスを尻目に、ミリアムはふと窓を見た。
「あーあ、雨止まないねぇ……」
外はいまだバケツをひっくり返したように、ざぁざぁ雨が降っている。しかも、なんだかゴロゴロ、遠くから聞こえて来そうな気配だ。
「もういっそ、濡れて走りながら帰るか……」
イリスが言うと、ミリアムは覚悟を決めたようにうなずいた。
「そうね、一晩中ここにいるわけにもいかないし……水も滴るいい女になってやろうじゃないの」
二人の女は、意を決して席を立ったのであった。
◆
「くそっ……もう始まった……」
草木も眠る、丑三つ時。
サイラス・スノウは雨にずぶぬれになって、焦りながら通りを歩いていた。
大量の雨に濡れているにもかかわらず、頬が熱い。体も熱い。早く家に帰りつかないと――
(薬が切れたせいで、今、発情期を迎えてしまう……ッ!)
この自分が、そんな無様を晒すなど、許せない。
(だから、研究所を離れて治療院に来るのは嫌だったのに……!)
サイラスはもともと、山深い辺境の地にある研究所で、一人で研究を行ってきていた。他の人間とかかわることなく研究に集中できるし、薬の材料も豊富だったからだ。
しかし、サザフィールドは彼に言ったのだ。
『そう、自分の未来を狭めることはない。人とは違う君が、人を恐れる気持ちはわかる……が、それでも森から出なくては。君はもっと、人と触れ合い、広い世界を知るべきなのだよ』と。
だが、今のサイラスはただただ、その言葉を信じた自分が忌々しかった。
(彼の口車に乗って、あそこから出てこんなところに来たせいで……)
頭の中に、あの娘が浮かぶ。
今朝、サイラスはずっと、あの娘が来るのを待っていた。今月の助手の当番が組まれ、スケジュールが配布されたその時から、ずっと、待っていた。
彼女は元気よく、同僚に手を振りながらやってきた。その笑顔を見ると、サイラスの胸の奥は何者かの手で掴まれたように、ぎゅっと切なく痛んだ。
――こんな気持ちになるのは初めてだった。
ここ数カ月、ずっとこうだった。自分でも、混乱していた。どうしたらいいかわからない。
いや、まったくわからないわけではない。もし、自分が普通の男なら――彼女と会話をし、食事に誘うのだろう。
けれど……。静まり返った夜の街を走りながら、サイラスは自分を嗤った。
(残念ながら、私は『普通の男』ではない)
173
あなたにおすすめの小説
ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました
大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――
脅迫して意中の相手と一夜を共にしたところ、逆にとっ捕まった挙げ句に逃げられなくなりました。
石河 翠
恋愛
失恋した女騎士のミリセントは、不眠症に陥っていた。
ある日彼女は、お気に入りの毛布によく似た大型犬を見かけ、偶然隠れ家的酒場を発見する。お目当てのわんこには出会えないものの、話の合う店長との時間は、彼女の心を少しずつ癒していく。
そんなある日、ミリセントは酒場からの帰り道、元カレから復縁を求められる。きっぱりと断るものの、引き下がらない元カレ。大好きな店長さんを巻き込むわけにはいかないと、ミリセントは覚悟を決める。実は店長さんにはとある秘密があって……。
真っ直ぐでちょっと思い込みの激しいヒロインと、わんこ系と見せかけて実は用意周到で腹黒なヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真のID:4274932)をお借りしております。
冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎
王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。
……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。
追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。
無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」
騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜
放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!?
「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」
不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる