エリート魔術師様に嫌われてると思ったら、好き避けされてるだけでした!

小達出みかん

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私が届けましょうか?

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 通り過ぎた、灯りの落ちたレコード店の巨大な看板に、牙を見せて微笑む優男の顔があった。

『ヴァンパイア出身の貴公子、ジョエル・シュナイザー新曲発売!』 

 窓ガラス越しに雨に濡れてさえ、その笑顔は明るく爽やかだった。彼を見て、わけもなく不愉快になる。

 自分は生まれてから一度も、あんな風に笑えたことなんてない。

(ヴァンパイア……いいご身分だな、どうどうと種族をさらしても、こうして受け入れられるんだから)

 ヴァンパイアは血を吸う生き物だ。けれどもこうして社会で生きていけるのは、数十年前に魔術師が作り上げた、血液薬剤のおかげだった。それを飲んでいれば、飢えて人を襲う事なく、平穏に日常生活を送れる。

 つまり彼らは――血液薬剤がいきわたったおかげで、他の生き物を害さない種族となったのだ。

(けれど――けれど、私は違う)

 この世界には、様々な種族の生き物がいて、共存している。しかし――許されない存在も、中にはいるのだ。

 サイラスは走りながら、ぎゅっと拳を握った。


(私は、この不安定な自作の薬が切れれば――)

 ピカッ、と暗い空に稲妻が走る。思わず目をつぶると。脳裏にあの娘の姿がチラつく。

(きっと、イリス・ラシエルを襲ってしまう)

 体がますます熱くなってきた。いよいよだ。サイラスはやっとのことで自宅にたどり着き、ドアを開けて中へと駆け込んだ。

 その瞬間、まるで罰のように、雷の落ちた音がした。

「は―――っ、はぁ、はぁ……」

 しかし、雷などにかかわってはいられなかった。心拍数が上がり、呼吸が荒くなる。
 発情が起こった時はいつもそうだ。
 やがて自制心がなくなり――発情対象の事しか考えられなくなる。

(くそっ、薬さえ、薬さえまにあえば、この発情もコントロールできるのに……ッ)

 発情を消すことはできない。けれど、期間をコントロールすることが可能になった。だからサイラスは、1か月に一度、休日を狙って発情期が来るように自分に薬を打っていた。

 そうすれば、自室に鍵をかけ、うずくまって発情をやりすごせる。誰にも迷惑をかけず社会生活が送れるーー
 と、思っていたのだが。

(この雨のせいだ……配達が遅れた、から……ッ)

 熱くてまともに立っていられない。全身しとどに濡れたまま、よろよろしながらリビングへと向かう。

 床に手をついて、彼女の事を頭から追い出すよう空しい努力をする。

(そもそも、周期的には、発情はもっと後のはずなのに――なぜ)

 そしてすぐ答えが浮かんで、また自分がいまいましくなる。

(――彼女が今日はそばにいたからだ)

 にこっと微笑む顔。おずおずと窺ってくる目線。患者に向ける、慈愛に満ちた微笑み。そして――今日廊下で転んだ時に見えてしまった、太もも。

 ローブの下に隠れて見えなかった、内ももの白い肌。柔らかそうだった。噛みついたらきっと、綺麗に紅い痕が残るような、そんな皮膚だった。

 ――瞬間、カッと頭に血が上った。

 思えばあの瞬間から、もうよくなかった。
 夕方に届くはずの薬の原料の事を考えて、怯えながら過ごした。もし彼女の前で忌々しい発情がはじまってしまったら、と内心ずっと恐ろしかった。

(それなのにあの院長は、余計な事を……ッ)

 『人と触れ合い、広い世界を知るべきなのだよ』などと、気軽に言う。サイラスの抱えている煩悶に気が付いて、おせっかいで部下を差し向けたりする。

(ランチに誘われたところで、私は……ッ)

 彼女と、普通の男のように仲良くなるなど、できるわけないではないか。

 それなのに、誘われた瞬間に心が躍ってしまった。けれど、おずおずとした彼女の目を見てすぐに気が付いた。誰に言われているのかが。

 ――一瞬でも喜んでしまった自分が、サイラスは憎たらしかった。

(何を期待している? 化け物のくせをして……!)

 自分の正体を知ったら、きっと彼女は自分を毛嫌いするようになるだろう。

(だから、私は彼女とは関わりたくなんてないし……好意など……もって、いない……)

 自分にそう言い聞かせながらも、どんどん息が上がっていく。空しい。バカみたいだ。これではすっぱいぶどうだから、と自分に言い聞かせる狐と同じではないか。

「く、そ……っ、ぁ、はぁ、はぁ……」

 どんどん呼吸が上がっていく。下半身に血が集まって、相手を求めて疼きだす。
 必死に呼吸で熱を逃がそうとしながら、サイラスは自分に言い聞かせた。

(大丈夫、大丈夫だ……! 私はできる……! ちゃんと欲望を、抑えることが、できる……!)

 そうだ。自分は汚らわしい本能に負けたりなんかしない。この欲に打ち勝って、まともな生き物になってみせるのだ。

(禁欲を果たす――そのためなら、何でもする……ッ!)

 サイラスは仕事鞄の奥から、小さなピルケースを取り出した。

 その中の小さな丸薬を取り出して、飲み込む。およそこの世界に存在する中でも、最も強力な睡眠薬だった。飲めばまず抗えず、眠りに落ちる。発情の最中に寝落ちすれば、発情の熱が体を食い荒らす日数が延び、眠った体は高熱に達し危険な状態にはなるが、それでも。

(寝てしまえ……そうすれば、彼女を襲いにいくことはない)

 早く早く、意識をなくすのだ。もどかしい思いで、サイラスはその丸薬を飲み下した。





(ああ~~~~気が重いなぁ……!)

 次の日の朝。ずーんとした重たぁい気持ちで、イリスは職場に出勤した。

(『必要以上にかかわらないでください』、かぁ……)

 思い出すと、しくっと胸が痛む。

(そんなに嫌われてるなんて、な……)

 そんなに嫌われているサイラスと、今日また顔を突き合わせて仕事しなくてはならない。

(うぅぅ~~~! 仕事はつらいよ!)

 もういっそ、他の先生に相談して、彼の担当を外してもらおうか。けれどイリスはうつむいた。

(でも、まだぺーぺーの下っ端の私がそんなこと希望したら……)

 おこがましいよなぁ。イリスははぁとため息をついた。

(うぅう……またキツイ態度取られるのかなぁ……嫌いってハッキリ言われたようなもんだし)

 良くて嫌味、悪くてシカトされるかもしれない。イリスははぁぁぁと深いため息をついた。が。

(た、たとえ冷たく当たられても、仕事はしなくちゃっ)

 今日もロディが、他の子どもたちが、患者が――イリスの仕事を待っているのだ。
 それに、いくらサイラスが冷酷な性格でも、彼の作る薬は一級品だ。サポートする意義は十分にある。

 そう気もちを奮い立たせて、イリスは研究室に向かった。が――

「あっ、スノウ先生ですか⁉」

 前かけをし、帽子をかぶった年若い配達員が、研究室の前に立っていた。
 イリスはあれ、と思いながら対応した。

「いえ、私は助手です。スノウ先生は、中にはいませんか?」

「それが、いらっしゃらないようで……」

 ドアにはたしかに、まだ鍵がかかっていた。

「おかしいなぁ。先生が遅刻なんて、めったにないんだけど」

 イリスはポケットから伝言メモを出し、さらさらとサイラスの出欠確認をしたいと書き記して、紙飛行機の形にして飛ばした。
 するとすぐに本部事務所から返信が戻ってきた。

「ありゃ……スノウ先生、本日有休……?」

 そういえばサイラスは、月に数日、かならず休みを取る。それが今日だったとは。配達員は困った様子だった。

「そんな……この荷物は厳重物で、絶対に所定の日時に本人に手渡さないといけない手筈で……」

 まだ少年のようなあどけなさが残る配達員は、泣きださんばかりの声で言った。

「本当なら昨日の夜お届けのはずなんですが、雨で足止めを食ってしまい……」

 その言葉に、イリスはあれっと思った。

(てことはもしかして、これって…)

 昨日先生が待ちわびていた荷物ではないのか。先生は受け取れずに、休暇に入ってしまったということか。

「それは大変だわ」

「ああどうしよう、お昼までに中央にもどらないといけないのに」

 配達員は困ったように言った。中央と言えば都だ。ここから汽車に乗っても数時間はかかる。

「うーん、どうしましょう。とりあえず院長のところに案内しますね」

 イリスは彼を連れて院長室にまで行ったが――あいにく彼は、出張中でいなかった。

(不運が重なるわね……)

 イリスは判断を仰ぐため、助手主任のもとへと向かった。助手を統括する立場の彼女は、忙しく手を動かしながらも、配達員の荷物を見て目を丸くして言った。

「あらまぁ、それって確か、昨日スノウ先生が深夜まで粘って待っていたものですよ。中身は知りませんが、相当重要なものであることはたしかですね」

 すると配達員が言い募った。

「そ、それなら僕が先生のご自宅まで届けますから、ご住所を教えていただけませんか」

 すると主任は、渋い顔をした。

「うーん……残念ながら、それは……スノウ先生の住所は、私も知らないのですよ」

 驚いたイリスは聞いた。

「えっ、名簿とかに書いていないんですか? 提出義務がありますよね?」

「それが……」

 主任は声を低くして言った。

「院長の決めたことなのです。彼の住所は、トップシークレット扱いで、おそらく院長しか知りません」

 それを聞いて、イリスはどきっとした。

(嘘……私、たぶん住所、知ってる)

 二人のやり取りを聞いて、配達員は途方に暮れた声を出した。

「それじゃあ僕はどうすれば……」

「うーん……院長に伝言メモを飛ばしたいところですが、出張なのでつかまるかどうか」

 頭を抱える二人に、イリスは提案した。

「あの、私が届けましょうか。住所、知ってるので……」

 すると主任は目を丸くした。

「まぁ。なぜあなたが」

 イリスは恥ずかしく思いながらも白状した。
「先生がこの街にいらしたとき、患者と間違えて、私が駅から病院まで案内しちゃった事が……あったじゃないですか」

 主任は厳格な顔をしてうなずいた。

「ええ。知っていますよ。まさかその時に?」

「はい。先生は家の住所もわからないようだったので、住所を見せられて、道を教えてあげた……ので、覚えています」

 主任はぎゅっと目をつぶって一瞬考えたのち、配達員に向き直った。

「わかりました。とりあえず荷物は、主任である私の名前で、責任をもって受け取ります。本人の受け取り印はあとで送付しますから」

 配達員がほっとして去ったのを確認して、主任は低い声で言った。

「……住所を知っているのなら、あなたにお願いしたほうがよさそうですね」

 その顔がちょっと深刻だったので、イリスは怖気づいた。

「トップシークレットなら、しゅ、主任がいかれたほうが」

「いいえ。あの院長が言わなかった以上、私も知らないほうがいいのでしょう。私も詳しくは知らないし、内密に願いたいのですがーー」

 主任がじっとイリスを見たので、イリスは背筋を正した。

「スノウ先生には、どうやら持病があるらしいのです。それで、定期的に有休をとってらっしゃる。おそらく荷物も、それに関係しているのでしょう」 

 主任はさらに、低い声で指示した。

「本来なら、院長の指示を仰ぐべきですが――万が一、ということになっては遅いので、私の責任であなたに頼みます」

 そう言われて、イリスは1も2もなくうなずいた。

「では速やかに行ってきます。患者さんの薬もありますし、できるだけすぐに戻ります!」

「西棟の患者は、今朝は私が看ることにします。気を付けて行ってらっしゃい」

 たのもしい主任に見送られ、イリスは出発した。





今来たばかりの道を、イリスはえっさほいさと急いで引き返した。

「えーっと、先生の家は、たしかラベンダー通り17番地……いいところに住んでるじゃない、って思って、覚えてたんだよね……」

 記憶をたどりながら、石畳の道を小走りでゆく。ラベンダー通りは、駅から伸びるメインストリートで、病院からも歩いてすぐだ。
 すると途中でマーケットの前を通ったので、イリスはぱっと中に入った。

(持病がどんなものかわからないけど……とにかく栄養補給は基本よね)

 万が一、脱水症状や栄養不足になっていたりしたら。イリスは素早く飲み物と栄養ゼリーを買った。

(昨日は関わるな、って言われちゃったけど……嫌われてる相手だからって、しんどい時に水ひとつ差し入れないのは、なんか違うと思うし)

 困った時は、お互い様。情けは人のためならず。そう胸の内で復唱しながら、イリスはラベンダー通り17番地に到着した。サイラスの家は、茶色いレンガ造りのメゾネットタイプの住居だった。大家さんの趣味なのか、入り口の花壇にはスミレやマーガレットが咲いていた。

 緊急事態だということも忘れ、イリスは一瞬見とれてしまった。

(いいなぁ、おしゃれ……1階も2階も自分の部屋なんだぁ……)

 四畳半のごとき狭いアパート住いの自分とは大違いである。年齢はそう変わらないだろうに、その差にちょっととほほ……と思いながらも、イリスは呼び鈴をおした。

 ジジ、と鳴って3秒……10秒……ついに1分ほどたったが、応答はない。

(う~~ん、どうしよう……)

 もう一回押しても、出ない。イリスは恥を忍んでドアをドンドン叩いた。

「あの! お休みのところすみません! お届け物です!!」

 大声を張り上げてみても、ドアはしん……としたままだった。

「参ったなぁ……ちゃんと伝えたって確認がないと、主任に報告できないよ」

 ただでさえ、主任はイレギュラーな決断をしてイリスを送り出したのだ。ここできちんと確認を取らないと、あとで大惨事になる。まだ治療院助手ぺーぺーのイリスであったが、職業柄それは深く身に染みていた。

(伝えたはずが、聞いてないよー! なんてなって、大失敗に発展、命にかかわる件だった場合、遺恨も残る……ごめんなさいじゃ済まない)

 治療院マニュアル、ホウレンソウは確実に、の巻である。

(こ、ここでまた私がしでかしたなんてことになったら目も当てられないや! なんとかしてコンタクト、取らないと!)

 イリスはさらにドンドンとドアを叩いた。

「スノウ‼ 先生‼ 返事してください‼」

 …………しーーーーん…………

(んもう!)

 頭にきて、イリスは拳を握った。ドアをたたきすぎたせいで手が若干ヒリヒリする。
 ……通行人の目線も痛い。

(く……。まったくもう、もしかして寝てるとか?)

 イリスはため息をついたが、そこでふいにヒヤリとした。

(待って……もし、倒れてるとか……し、し、死んでる……とかだったら?)

 もし喘息のような発作だった場合、息ができなくて窒息死ーーなんてよくある話だ。

(せ、生存確認しないと……!)

 ドアはダメだ。鍵がかかっている。イリスはワンチャン、建物の裏に回ってみる事にした。

(裏側なら、窓が開いてるかも……ッ)

 通りからの目隠しのようにぐるりとうえてある生垣の下をごそごそくぐると、そこは2つに区切られたささやかな庭の中だった。これも大家さんの趣味なのか、芝生にぽつりぽつりと敷石が置かれ、その間からビオラが顔をのぞかせていた。

 泥棒よろしく、イリスは玄関の反対側――おそらくリビング側に位置すると思われる窓に近づいた。幸いにして、光がいっぱい入るような、大きなガラス窓であった。

(人の家を覗くみたいで気が引けるけど――命にはかえられない。ごめんなさいっ)

 イリスは窓に張り付いて、中を覗き込んだ。すると――

「わ、わッ」

 なんと床に、サイラスが倒れていた。昨日みたままの服装である。

「す、スノウ先生ッ」

 イリスは窓ガラスをたたいて呼びかけた。
 サイラスはうつぶせに倒れていて、表情はわからない。けれど、ピクリとも動かない。

「どうしよう……! 持病で倒れて意識不明、ってこと⁉」

 治療院に戻って、応援を頼むか……が、それでもし手遅れになったら。

(わ、私のせいだって……一生寝覚めが悪くなる……!)

 こういう時は、やらないより、やって後悔だ。
「ええい、ままよ!」

 掛け声とともに、イリスは手頃な庭の石を拾って、ガラス窓の鍵の部分を狙って振り下ろした。

 ガシャン、と音がして、ガラスの一部分が砕けた。割れた部分に慎重に手を差し入れ、中の鍵を外す。

 一応靴を脱ぎ――イリスは倒れたサイラスに駆け寄った。
「スノウ先生!」 

 慌てて手首を取って、指先で脈を確認する。
 イリスは胸をなでおろした。

(よかった……脈はある。でも、体がすごく熱い……)

 濡れたせいで高熱が出たのか、それとも発作とやらのせいなのか。とにかくあまり良い状況ではなさそうだ。

イリスは冷静さを失わないよう気を付けながら、次は顔を近づけて、呼吸を確認した。そして眼鏡をはずした彼の顔を――初めて至近距離で、まじまじと見た。

(う、うぉお……)

 雨に濡れて帰ったのか、彼は全体的に濡れていた。そのミルクティ色の髪の先から、頬や首筋に雫が滴っていた。いつもぎゅっと真一文字に結ばれている唇は、意識がないせいか、軽く開いていて――。

 そんな場合ではないというのに、イリスは圧倒されてしまった。

(ひ……す、すごい、これっ……目に毒!)

 ただサイラスは濡れているだけである。濡れているだけ、なのだが……。

 ――いつも、一筋の乱れもない彼の髪が濡れ、首元が緩んで、唇が軽く開いている。それだけで、見てはいけない物を見てしまったような、でも目が離せなくなるような、名状しがたい誘引力があった。

(く~~~、こ、これが、水もしたたるいい男、ってやつなのかぁ……負けた……って、アホなこと考えてる場合か、私!)

 目に毒なので、イリスは目をつぶって、呼吸の確認に集中した。

(呼吸も……あり! でも、意識がない、やっぱり治療院に連絡しないと) 

 イリスが身を起こそうとした、その時。
 ふっ、とサイラスの目が開いた。紫色の目が、イリスを映す。

「イ……リス?」
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