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路地裏の似合わない人
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(ごろつき……じゃ、なさそう)
こんな裏路地に身体を放り出しているにも関わらず、ヘンリエッタはその人から目がはなせなくなった。
路地の埃をかぶってはいるが、一部の隙もなく着こなされた真っ黒な上着もベストも、すべて上等の絹で仕立てられている。靴も上物だ。そして何よりもヘンリエッタの目を引いたのは、その顔だった。
すこし癖のある、艶やかな黒髪は少し乱れており、その下の閉じられた目のまわりには、黒々としたクマが浮いていた。すっと通った鼻梁に、そげた頬が、この男性の心労の深さを物語っている。義兄、バートの苦労などしたことのない、緩んだいやらしい顔とは正反対にあるすごみのある顔だ。
(――本当は恵まれた顔立ちだろうに、すごく疲れてる感じがする)
打ちのめされているその雰囲気に、不思議とヘンリエッタは惹かれた。
親近感に似た気持ちに誘われ、ヘンリエッタは彼に声をかけていた。
「あの、大丈夫ですか。落とし物ですよ」
小さな声で呼びかけても、眠っているか相手は気が付かない。子猫は彼の足の間にまわって何やらカリカリしはじめた。どうも、残飯が落ちているようだ。
ヘンリエッタは軽く男性の肩をトントンとたたいた。
「あの、ここで寝ないほうがいいですよ。凍えてしまいます」
すると次の瞬間、がしっとヘンリエッタの手首は掴まれていた。
「ひっ……!?」
抵抗する間もなく、ヘンリエッタは彼の腕の中に拘束されていた。目を覚ましたのか、男は鋭い声で詰問した。
「何者だ。誰の差し金だ――言え」
警戒されているのかもしれない。そう思ったヘンリエッタは瞬時に言った。
「わ、私、そこを通りかかったものです。これを……」
ヘンリエッタはびくつきながら、拾った時計を差し出した。それを見て、男は少し腕をゆるめた。その鋭い黒い目が、じっとヘンリエッタの顔をのぞきこむ。ヘンリエッタはおもわずぱちくりと瞬きをした。
「あの……こんなところで寝ていたら、危ないですよ」
それを見て、男の顔から鋭さが消え――素の表情に戻った。腕の力が緩んで、男がヘンリエッタの手から金時計を受け取る。
「そうか――悪かった。少し思い違いをしてしまったようだ」
その声は、まるでチェロの響きのように低かった。顔色は悪い。ヘンリエッタは立ち上がった。
「具合が悪いんですか? 大丈夫ですか?」
すると男は首を振った。
「いや……少し休んでいただけだ」
その声は小さく、ため息まじりのつらいものだった。ヘンリエッタは膝をおって彼に再び目線を合わせた。
「立てそうですか? 人を呼んできましょうか?」
あたり前のようにそう聞くヘンリエッタに、男はわずかに顔をしかめた。
「どうして……私を助けるんだ? 私を知っているのか?」
その言葉に、ヘンリエッタは少し考えたあと、言った。
「道端に人が倒れていたら、普通声をかけますよ。それに……」
言い淀んだヘンリエッタを、男は目線で促した。
「あの、なんだか、疲れているようだったので。」
「……疲れている? 私が?」
「ええと、はい。それに、この路地の人でもなさそうだし。こんなところで貴重品を落として寝ていたら、身ぐるみをはがれちゃいますよ?」
「私を心配した、と?」
男の人は、ヘンリエッタをねめつけるような上目遣いをした。
「え? はい、まぁ……」
倒れている人を心配するのは、そんなにいけないことだろうか。首をわずかに傾けるヘンリエッタを前に、男の人はうつむいて、肩を震わせた。
「っく、く……」
「だ、大丈夫ですか?」
まさか泣いてるのか、と思ったヘンリエッタは思わず手を差し出した。すると男の人は、その手をきゅっとつかんで顔を上げた。
――泣いているのではない。彼は笑っていた。
けれどその笑顔は、まだ泣いているほうがましな、くしゃくしゃの紙みたいに疲れた悲し気なものだった。ヘンリエッタはどきりとした。自分がいつも抑え込んでいる感情が、刺激されるような気がして。
もしかして目の前の男の人は、自分と同じように、虐げられている人なのかもしれない。
「あの……ほんとうに、平気ですか? 帰るところはありますか?」
すると男の人は立ち上がり、握ったヘンリエッタの手のあざを見た。
「この手は――もしかして、今私が掴んだせいか」
ヘンリエッタは首を振った。
「いいえ。もとからです」
するとうにゃんと声がして、男の足のかげから、子猫が魚の骨をくわえて顔を出した。
「なんだ、猫か……」
男の人はそう言って、ちょろちょろ動きまわる子猫を踏まないようにそっと足をどけた。それを見て、ヘンリエッタははっとした。
そもそも、子猫を連れ戻すためだけに、ここには入ったのだ。ヘンリエッタは子猫をさっと抱き上げた。
「お前は、ここの路地のものなのか?」
その言葉に、ヘンリエッタは首を振った。
「いいえ。私はただの下働きです。この子を追って入っただけで――本当に、人を呼ばなくて大丈夫ですか?」
首をかしげたヘンリエッタに、男はうなずいた。
「大丈夫だ。帰る場所も、ある」
その表情は、先ほどよりかはましだったので、ヘンリエッタは少しほっとして軽く会釈した。
「それでは失礼しますね。あ……これ、よかったら使ってください」
なけなしのハンカチを渡して、子猫を洗濯かごにいれ、ヘンリエッタは路地を出た。
道草を食ってしまった。早く洗濯物を受け取りにいかないといけない。
こんな裏路地に身体を放り出しているにも関わらず、ヘンリエッタはその人から目がはなせなくなった。
路地の埃をかぶってはいるが、一部の隙もなく着こなされた真っ黒な上着もベストも、すべて上等の絹で仕立てられている。靴も上物だ。そして何よりもヘンリエッタの目を引いたのは、その顔だった。
すこし癖のある、艶やかな黒髪は少し乱れており、その下の閉じられた目のまわりには、黒々としたクマが浮いていた。すっと通った鼻梁に、そげた頬が、この男性の心労の深さを物語っている。義兄、バートの苦労などしたことのない、緩んだいやらしい顔とは正反対にあるすごみのある顔だ。
(――本当は恵まれた顔立ちだろうに、すごく疲れてる感じがする)
打ちのめされているその雰囲気に、不思議とヘンリエッタは惹かれた。
親近感に似た気持ちに誘われ、ヘンリエッタは彼に声をかけていた。
「あの、大丈夫ですか。落とし物ですよ」
小さな声で呼びかけても、眠っているか相手は気が付かない。子猫は彼の足の間にまわって何やらカリカリしはじめた。どうも、残飯が落ちているようだ。
ヘンリエッタは軽く男性の肩をトントンとたたいた。
「あの、ここで寝ないほうがいいですよ。凍えてしまいます」
すると次の瞬間、がしっとヘンリエッタの手首は掴まれていた。
「ひっ……!?」
抵抗する間もなく、ヘンリエッタは彼の腕の中に拘束されていた。目を覚ましたのか、男は鋭い声で詰問した。
「何者だ。誰の差し金だ――言え」
警戒されているのかもしれない。そう思ったヘンリエッタは瞬時に言った。
「わ、私、そこを通りかかったものです。これを……」
ヘンリエッタはびくつきながら、拾った時計を差し出した。それを見て、男は少し腕をゆるめた。その鋭い黒い目が、じっとヘンリエッタの顔をのぞきこむ。ヘンリエッタはおもわずぱちくりと瞬きをした。
「あの……こんなところで寝ていたら、危ないですよ」
それを見て、男の顔から鋭さが消え――素の表情に戻った。腕の力が緩んで、男がヘンリエッタの手から金時計を受け取る。
「そうか――悪かった。少し思い違いをしてしまったようだ」
その声は、まるでチェロの響きのように低かった。顔色は悪い。ヘンリエッタは立ち上がった。
「具合が悪いんですか? 大丈夫ですか?」
すると男は首を振った。
「いや……少し休んでいただけだ」
その声は小さく、ため息まじりのつらいものだった。ヘンリエッタは膝をおって彼に再び目線を合わせた。
「立てそうですか? 人を呼んできましょうか?」
あたり前のようにそう聞くヘンリエッタに、男はわずかに顔をしかめた。
「どうして……私を助けるんだ? 私を知っているのか?」
その言葉に、ヘンリエッタは少し考えたあと、言った。
「道端に人が倒れていたら、普通声をかけますよ。それに……」
言い淀んだヘンリエッタを、男は目線で促した。
「あの、なんだか、疲れているようだったので。」
「……疲れている? 私が?」
「ええと、はい。それに、この路地の人でもなさそうだし。こんなところで貴重品を落として寝ていたら、身ぐるみをはがれちゃいますよ?」
「私を心配した、と?」
男の人は、ヘンリエッタをねめつけるような上目遣いをした。
「え? はい、まぁ……」
倒れている人を心配するのは、そんなにいけないことだろうか。首をわずかに傾けるヘンリエッタを前に、男の人はうつむいて、肩を震わせた。
「っく、く……」
「だ、大丈夫ですか?」
まさか泣いてるのか、と思ったヘンリエッタは思わず手を差し出した。すると男の人は、その手をきゅっとつかんで顔を上げた。
――泣いているのではない。彼は笑っていた。
けれどその笑顔は、まだ泣いているほうがましな、くしゃくしゃの紙みたいに疲れた悲し気なものだった。ヘンリエッタはどきりとした。自分がいつも抑え込んでいる感情が、刺激されるような気がして。
もしかして目の前の男の人は、自分と同じように、虐げられている人なのかもしれない。
「あの……ほんとうに、平気ですか? 帰るところはありますか?」
すると男の人は立ち上がり、握ったヘンリエッタの手のあざを見た。
「この手は――もしかして、今私が掴んだせいか」
ヘンリエッタは首を振った。
「いいえ。もとからです」
するとうにゃんと声がして、男の足のかげから、子猫が魚の骨をくわえて顔を出した。
「なんだ、猫か……」
男の人はそう言って、ちょろちょろ動きまわる子猫を踏まないようにそっと足をどけた。それを見て、ヘンリエッタははっとした。
そもそも、子猫を連れ戻すためだけに、ここには入ったのだ。ヘンリエッタは子猫をさっと抱き上げた。
「お前は、ここの路地のものなのか?」
その言葉に、ヘンリエッタは首を振った。
「いいえ。私はただの下働きです。この子を追って入っただけで――本当に、人を呼ばなくて大丈夫ですか?」
首をかしげたヘンリエッタに、男はうなずいた。
「大丈夫だ。帰る場所も、ある」
その表情は、先ほどよりかはましだったので、ヘンリエッタは少しほっとして軽く会釈した。
「それでは失礼しますね。あ……これ、よかったら使ってください」
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道草を食ってしまった。早く洗濯物を受け取りにいかないといけない。
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