10 / 28
きれいなもの
しおりを挟む
(まったく、欲深なのはどちらだが)
先ほどシャーウッド卿から聞いた事柄を頭の中で整理しながら、宰相バーンズはふっ、とため息をついた。最初は渋っておきながらも、ずいぶんたくさんの仲間を売ってくれた。これでまた改革を一歩先に進めることができる。そう思いながら時計に目をやると、深夜をだいぶ回っていた。
(そうだ、あの娘)
ふいにその事を思い出して、宰相は仮眠室のドアをあけた。
――しかし、誰もいない。
宰相はばっと部屋を見渡した。この部屋に窓はないし、ドアから出ていけばすぐに気が付く。となると。
「……こんなところに」
ベッドの下を覗いて、さすがに驚いてそうつぶやく。板張りの床の上で、身体を丸めた娘がすうすうと寝入っていた。
――この自分のベッドの下で、こうも無心に寝入っているとは。
そう思うとにわかにおかしくなって、その頬に笑みが上った。あまりにも無防備だ。この城ではまずお目にかかれないタイプの無邪気さだ。
(この娘――大胆なのか? それともただ単に頭が弱いのか)
最初、路地裏で起こされた時もそう思った。この自分を、ただの親切で助ける人間など、この都にはいない。そう思っていたのに、彼女は善意しかない目で言い切った。『ふつうは助けます』と。
実は、あれからずっと、気になっていた。喉にひっかかった小骨のように、彼女の存在を降りに触れて思い返していた。たとえば同じような下働きの娘が視界に入った時。たとえば仕事と仕事の合間、息をつくとき。あの娘は今頃どうしているだろうか、またあざを増やしてはいないかと。
(だがまさか――今日この城で会うとは)
当然『情け』とやらをかける気はない。バックの貴族が喜ぶだけだからだ。しかしこの娘本人に、薄汚い計算はないだろう。命じられて、無理やりこさせられただけ。
だからハンカチの借りを返す意図もあり、バーンズは彼女の事情を聞き、出ていく手助けをした。体のいい厄介払いと言ってもいい。
しかし――あんなに手放しで喜ばれるとは。
――こんな恐ろしい男に対して、心底から礼を言うなんて。
先ほどのキラキラ輝く目を、『宰相様のためにお祈りします』という声を思い出すと、笑みは苦い笑いに代わる。
(やはり頭が弱いな。今はいいかもしれないが――)
きっとこれから、この娘は不幸になるだろう。こんな無防備のまま、この汚い世界に一人出ていけば。
その事に思い当たると、どうも胃のおさまりが悪かった。
(ふ、どうでもいいじゃないか、こんな娘、どうなろうと)
しかし、この娘を見送る事を考えると、さらに胸の底がざわざわするような、落ち着かない心地になる。
金時計を拾ってくれたあざだらけの手、子猫を入れていた洗濯籠、似合わない夜会服。
――なぜだろう、彼女が不幸になるところを、見たくない。
その思いに、さらに苦笑が深まる。
(今更何を?――私はさんざん、人を不幸にしておいて)
しかしそう思いながらも、宰相は手を伸ばして、娘――ヘンリエッタを起こしていた。
「おい、起きろ。風邪をひくぞ」
「ふぁ……あっ!? すみません!」
慌ててベッドの下からはい出した彼女は、ほこりまみれで髪も崩れていた。
「行くぞ。もう仕事は終わったから帰る」
「えっ……お、お疲れ様でした。ありがとうございます、おかげでよく眠れました」
まだ寝ぼけているのかそんな事を言う彼女の手を掴んで引く。
「さっさと馬車まで歩け。これから帰るぞ」
「……………え?」
先ほどシャーウッド卿から聞いた事柄を頭の中で整理しながら、宰相バーンズはふっ、とため息をついた。最初は渋っておきながらも、ずいぶんたくさんの仲間を売ってくれた。これでまた改革を一歩先に進めることができる。そう思いながら時計に目をやると、深夜をだいぶ回っていた。
(そうだ、あの娘)
ふいにその事を思い出して、宰相は仮眠室のドアをあけた。
――しかし、誰もいない。
宰相はばっと部屋を見渡した。この部屋に窓はないし、ドアから出ていけばすぐに気が付く。となると。
「……こんなところに」
ベッドの下を覗いて、さすがに驚いてそうつぶやく。板張りの床の上で、身体を丸めた娘がすうすうと寝入っていた。
――この自分のベッドの下で、こうも無心に寝入っているとは。
そう思うとにわかにおかしくなって、その頬に笑みが上った。あまりにも無防備だ。この城ではまずお目にかかれないタイプの無邪気さだ。
(この娘――大胆なのか? それともただ単に頭が弱いのか)
最初、路地裏で起こされた時もそう思った。この自分を、ただの親切で助ける人間など、この都にはいない。そう思っていたのに、彼女は善意しかない目で言い切った。『ふつうは助けます』と。
実は、あれからずっと、気になっていた。喉にひっかかった小骨のように、彼女の存在を降りに触れて思い返していた。たとえば同じような下働きの娘が視界に入った時。たとえば仕事と仕事の合間、息をつくとき。あの娘は今頃どうしているだろうか、またあざを増やしてはいないかと。
(だがまさか――今日この城で会うとは)
当然『情け』とやらをかける気はない。バックの貴族が喜ぶだけだからだ。しかしこの娘本人に、薄汚い計算はないだろう。命じられて、無理やりこさせられただけ。
だからハンカチの借りを返す意図もあり、バーンズは彼女の事情を聞き、出ていく手助けをした。体のいい厄介払いと言ってもいい。
しかし――あんなに手放しで喜ばれるとは。
――こんな恐ろしい男に対して、心底から礼を言うなんて。
先ほどのキラキラ輝く目を、『宰相様のためにお祈りします』という声を思い出すと、笑みは苦い笑いに代わる。
(やはり頭が弱いな。今はいいかもしれないが――)
きっとこれから、この娘は不幸になるだろう。こんな無防備のまま、この汚い世界に一人出ていけば。
その事に思い当たると、どうも胃のおさまりが悪かった。
(ふ、どうでもいいじゃないか、こんな娘、どうなろうと)
しかし、この娘を見送る事を考えると、さらに胸の底がざわざわするような、落ち着かない心地になる。
金時計を拾ってくれたあざだらけの手、子猫を入れていた洗濯籠、似合わない夜会服。
――なぜだろう、彼女が不幸になるところを、見たくない。
その思いに、さらに苦笑が深まる。
(今更何を?――私はさんざん、人を不幸にしておいて)
しかしそう思いながらも、宰相は手を伸ばして、娘――ヘンリエッタを起こしていた。
「おい、起きろ。風邪をひくぞ」
「ふぁ……あっ!? すみません!」
慌ててベッドの下からはい出した彼女は、ほこりまみれで髪も崩れていた。
「行くぞ。もう仕事は終わったから帰る」
「えっ……お、お疲れ様でした。ありがとうございます、おかげでよく眠れました」
まだ寝ぼけているのかそんな事を言う彼女の手を掴んで引く。
「さっさと馬車まで歩け。これから帰るぞ」
「……………え?」
3
あなたにおすすめの小説
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜
咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。
もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。
一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…?
※これはかなり人を選ぶ作品です。
感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。
それでも大丈夫って方は、ぜひ。
前世の記憶しかない元侯爵令嬢は、訳あり大公殿下のお気に入り。(注:期間限定)
miy
恋愛
(※長編なため、少しネタバレを含みます)
ある日目覚めたら、そこは見たことも聞いたこともない…異国でした。
ここは、どうやら転生後の人生。
私は大貴族の令嬢レティシア17歳…らしいのですが…全く記憶にございません。
有り難いことに言葉は理解できるし、読み書きも問題なし。
でも、見知らぬ世界で貴族生活?いやいや…私は平凡な日本人のようですよ?…無理です。
“前世の記憶”として目覚めた私は、現世の“レティシアの身体”で…静かな庶民生活を始める。
そんな私の前に、一人の貴族男性が現れた。
ちょっと?訳ありな彼が、私を…自分の『唯一の女性』であると誤解してしまったことから、庶民生活が一変してしまう。
高い身分の彼に関わってしまった私は、元いた国を飛び出して魔法の国で暮らすことになるのです。
大公殿下、大魔術師、聖女や神獣…等など…いろんな人との出会いを経て『レティシア』が自分らしく生きていく。
という、少々…長いお話です。
鈍感なレティシアが、大公殿下からの熱い眼差しに気付くのはいつなのでしょうか…?
※安定のご都合主義、独自の世界観です。お許し下さい。
※ストーリーの進度は遅めかと思われます。
※現在、不定期にて公開中です。よろしくお願い致します。
公開予定日を最新話に記載しておりますが、長期休載の場合はこちらでもお知らせをさせて頂きます。
※ド素人の書いた3作目です。まだまだ優しい目で見て頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。
※初公開から2年が過ぎました。少しでも良い作品に、読みやすく…と、時間があれば順次手直し(改稿)をしていく予定でおります。(現在、146話辺りまで手直し作業中)
※章の区切りを変更致しました。(9/22更新)
悪役令嬢と氷の騎士兄弟
飴爽かに
恋愛
この国には国民の人気を2分する騎士兄弟がいる。
彼らはその美しい容姿から氷の騎士兄弟と呼ばれていた。
クォーツ帝国。水晶の名にちなんだ綺麗な国で織り成される物語。
悪役令嬢ココ・レイルウェイズとして転生したが美しい物語を守るために彼らと助け合って導いていく。
美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ
さくら
恋愛
会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。
ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。
けれど、測定された“能力値”は最低。
「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。
そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。
優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。
彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。
人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。
やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。
不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。
婚約破棄された王太子妃候補ですが、私がいなければこの国は三年で滅びるそうです。
カブトム誌
恋愛
王太子主催の舞踏会。
そこで私は「無能」「役立たず」と断罪され、公開の場で婚約を破棄された。
魔力は低く、派手な力もない。
王家に不要だと言われ、私はそのまま国を追放されるはずだった。
けれど彼らは、最後まで気づかなかった。
この国が長年繁栄してきた理由も、
魔獣の侵攻が抑えられていた真の理由も、
すべて私一人に支えられていたことを。
私が国を去ってから、世界は静かに歪み始める。
一方、追放された先で出会ったのは、
私の力を正しく理解し、必要としてくれる人々だった。
これは、婚約破棄された令嬢が“失われて初めて価値を知られる存在”だったと、愚かな王国が思い知るまでの物語。
※ざまぁ要素あり/後半恋愛あり
※じっくり成り上がり系・長編
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる