竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜

レイ

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第七話

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 翌朝、エリアンは約束通りゼフィールに伴われ、城の最上階に近い一角にある図書室を訪れた。
 重厚な観音開きの扉を押し開けると、そこには床から天井まで届く巨大な書架が、迷路のように立ち並んでいた。窓から差し込む陽光に、無数の塵が宝石のようにキラキラと舞っている。

「うわあ……。これは、一生かかっても読みきれませんね」

 エリアンは感嘆の声を漏らし、一番近い棚へ駆け寄った。
 指先で背表紙をなぞる。羊皮紙の乾いた感触と、古いインクの匂い。実家の図書室とは比較にならないほどの蔵書量に、彼の心臓は期待で高鳴った。

「気に入ってくれたようで何よりだよ。ここは昔から『竜の知恵』が眠る場所と言われていてね。魔導書から歴史書、中には君の好きな変な草の本もあるはずだ」

 ゼフィールは窓際に寄りかかり、ひらひらと手を振った。

「僕はこれから陛下の演習に付き合わなきゃいけないから、ここで失礼するよ。マリスに言ってお茶の用意はさせてあるから、ゆっくりしていなよ」
「ありがとうございます、ゼフィール様。あ、あの……! これ、お礼に」

 エリアンはポケットから、小さな紙包みを取り出した。

「中身は『眠り除け』の干し草です。演習で疲れた時に、少しだけ火に焚べると頭がすっきりしますよ」
「……君は本当に、隙あらば草を勧めてくるね。まあ、ありがたくもらっておくよ」

 ゼフィールが去った後、エリアンは一人、静寂に包まれた書庫の探索を始めた。
 彼が真っ先に探したのは、この地域の植生に関する古い文献だ。火山の熱と強酸性の土壌で生きる植物には、王都では見られない独自の進化を遂げたものが多い。それらを知ることは、ヴァレリウスの「熱」を抑えるための新たな手がかりになるはずだった。

「……あった。『ソルスティス北境植生録・改訂版』。まさか、実物があるなんて」

 棚の最上段、今にも崩れそうなほど古い皮装丁の書物を見つけ、エリアンは手を伸ばした。
 しかし、小柄な彼では、爪先立ちをしても指先がわずかに届かない。

「……あと少し」

 台座を探そうと周囲を見回した時、背後から音もなく伸びてきた大きな手が、目的の書物をひょいと抜き去った。

「これか」

 地響きのような、けれど耳に心地よい低音。
 振り返るまでもない。エリアンの背中を包み込むような圧倒的な熱量と、鉄の匂い。
 ヴァレリウスが、エリアンを背後から囲い込むような格好で立っていた。

「……陛下! 演習に行かれたのでは?」
「ゼフィールに押し付けた。……それより、こんな埃っぽい場所の、しかもそんな高いところにある本をどうするつもりだったのだ」

 ヴァレリウスは手に持った本を、エリアンの目の前に差し出した。
 近すぎる。
 エリアンの後頭部がヴァレリウスの胸板に触れそうな距離だ。見上げれば、整った顎のラインと、自分をじっと見つめる金の瞳がすぐそこにある。

「ありがとうございます。……この本、ずっと探していたんです。ここの火山の地下にしか咲かない『氷焔花(ひょうえんか)』についての記述があるはずで」
「氷焔花? ……ああ、あの地獄の釜の底に咲くという、忌まわしい草か」

 ヴァレリウスは鼻を鳴らしながらも、本を持ったままエリアンを促すように窓際の机へと歩いた。

「あれはただの迷信だ。そんな場所に行けば、人間など一瞬で灰になる」
「迷信かどうかは、調べてみないとわかりません。もしその花があれば、陛下の夜の熱をもっと劇的に下げられる可能性があるんです」

 エリアンは机に広げられた本を夢中で捲り始めた。
 ヴァレリウスは、自分の隣で熱心に文字を追うエリアンを、黙って見下ろしていた。
 普通なら、自分のような「化け物」の隣に座るだけで、人間は恐怖に震え、逃げ出したくなるはずだ。しかし、この青年は、竜の血が発する熱を「有益なデータ」として扱い、あまつさえその苦痛を取り除こうと、泥にまみれ、埃にまみれて奔走している。

「……エリアン」
「はい?」

 顔を上げたエリアンの鼻の頭に、黒い煤がついていた。
 ヴァレリウスは無意識に指を伸ばし、その煤をそっと拭った。

「ひゃっ……」

 指先から伝わる熱に、エリアンが肩を竦める。
 ヴァレリウスはその拍子に、エリアンの細い首筋に刻まれた小さな赤い跡に気づいた。昨日の作業で作った、草負けの跡だ。

「……傷が増えているな」
「あ、これは大丈夫です。少し痒いだけですから」
「……座れ。動くな」

 ヴァレリウスは、有無を言わさぬ口調でエリアンの肩を押し、椅子に座らせた。
 彼は懐から、小さな金細工の小瓶を取り出した。

「陛下、それは?」
「竜の血を引く者に伝わる、治癒の滴だ。……お前のような、もろい生き物にはこれくらいが丁度いい」

 ヴァレリウスは、エリアンの首筋に指先で液体を塗り込んだ。
 熱い。けれど、昨日のような暴力的な熱さではなく、体の芯まで温まるような、不思議と落ち着く熱。
 塗り込まれた場所から、痒みがすうっと消えていく。

「……冷たい薬を作るのは上手いくせに、自分を癒すのは下手なようだな」

 至近距離で囁かれた声が、エリアンの耳たぶをかすめた。
 エリアンは、自分の心臓が少しだけ早く跳ねるのを感じた。
 それは恐怖ではない。今まで感じたことのない、奇妙な高揚感だ。

「……ありがとうございます、陛下。お優しいのですね」
「……黙れ。勘違いをするな。お前に倒れられては、今夜のハーブ水が出てこなくなる。それだけだ」

 ヴァレリウスは乱暴に立ち上がると、足早に書庫の出口へと向かった。
 扉を閉める間際、彼は一度だけ振り返った。

「……今夜は、昨日の水に少しだけ、その……苦くない実でも入れておけ。許可する」

 言い残して、今度こそ彼は去っていった。
 残されたエリアンは、首筋に残る温もりを指でなぞり、ポカンと扉を見つめていた。

「……ツンデレ、というのでしょうか。面白い方ですね、陛下は」

 エリアンはふふっと笑うと、再び『植生録』に目を落とした。
 彼の頬は、少しだけ、西日のせいか、あるいは別の理由か、赤らんでいた。

 その日の夜、約束通り届けられたハーブ水には、甘い野苺がたっぷりと浮かんでいた。
 ヴァレリウスがそれを、一滴も残さず飲み干したことを、エリアンは翌朝マリスから聞かされることになる。
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