竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜

レイ

文字の大きさ
9 / 28

第九話

しおりを挟む
 その日の正午。エリアンは背負い籠をしっかりと背負い、頑丈な革のブーツの紐を締め直した。
 目的地は、城から徒歩で一時間ほどの場所にある『焦熱の湧泉(しょうねつのゆうせん)』だ。火山の地熱が最も強く噴き出すその場所には、特殊な薬効を持つ水生植物が自生しているという。

「エリアン様、本気で行かれるのですか? あそこは熟練の騎士でも根を上げる熱さですわよ」

 マリスが心配そうに、保冷剤代わりの『氷晶石』を詰めた水筒を差し出す。

「大丈夫ですよ。昨日、陛下にいただいた治癒の滴のおかげで、肌のバリアも強くなっている気がします。それに、どうしてもあの『焔溶岩の雫(ほむらようがんのしずく)』が必要なんです」

 エリアンが笑って城の門を潜ろうとした時、背後から影が差した。
 振り返るまでもなく、空気の密度が変わる。

「……一人で行かせるわけにはいかん」

 正装を脱ぎ、動きやすい黒の薄衣を纏ったヴァレリウスが立っていた。
 彼の腰には、戦場を幾度も駆け抜けたであろう黒金(くろがね)の長剣が帯びられている。

「陛下!? お忙しいのでは……」
「演習は終わった。ゼフィールに後の報告は任せてある。それに、その湧泉の近くには『火喰いトカゲ』の巣がある。お前のような非力な人間が一人で行けば、一呑みにされるぞ」

 ヴァレリウスは有無を言わさぬ足取りで、エリアンの先を歩き始めた。
 エリアンは一瞬呆気に取られたが、すぐに小さな歩幅でその後ろを追いかける。

「ありがとうございます。護衛が陛下なんて、世界一贅沢な薬草採取ですね」

 ――ガリ、ガリ。
 乾いた岩肌を踏みしめる音が、静かな山道に響く。
 標高が上がるにつれ、周囲の景色は生命を拒絶するような荒野へと変わっていった。あちこちからシューッという音を立てて、白い蒸気が噴き出している。
 鼻を突くのは、卵が腐ったような強い硫黄の匂いと、焼けた石の香ばしい匂いだ。

「暑いですね……」

 エリアンは早くも息を切らし、水筒に手を伸ばした。
 一方、ヴァレリウスは涼しい顔で歩き続けている。いや、涼しいというより、彼自身の熱量が周囲の気温を上回っているため、外気の影響をほとんど受けていないようだった。

「……苦しいなら、私の腕に捕まれ。私の周囲は、竜の加護で空気が一定に保たれている」

 ヴァレリウスが立ち止まり、太い腕を差し出した。
 エリアンは遠慮なく、その逞しい二の腕にしがみつく。
 
「わあ、本当だ。陛下のすぐ隣だと、風が吹いているみたいに楽になります」

 エリアンの指先がヴァレリウスの肌に触れる。
 熱い。けれど、この熱さは不思議と不快ではない。むしろ、激しく鼓動するヴァレリウスの心音を間近で感じることで、エリアンの心も不思議と落ち着きを取り戻していった。

 やがて辿り着いた『焦熱の湧泉』は、幻想的な光景だった。
 コバルトブルーに透き通った熱水の池が点在し、その中心からは、煮えたぎる飛沫が花火のように打ち上がっている。池の縁には、クリスタルのように透き通った赤い花――『焔溶岩の雫』が、揺らめく陽炎の中でひっそりと咲き誇っていた。

「綺麗……。マリス様に見せてあげたかったです」

 エリアンは目を輝かせ、慎重に池の縁へ膝をついた。
 岩場は焼けた鉄板のように熱いが、ヴァレリウスがその背後に立ち、巨大な体で日差しを遮ってくれている。

「陛下、そのまま動かないでくださいね。影が一番の助けになります」
「……ああ」

 エリアンは採集用の小刀を使い、熱水に浸かった茎を丁寧に切り離した。
 熱い水飛沫が頬をかすめる。チリリとした痛み。けれど、目的の花を手中に収めた喜びの方が勝った。

「捕りました! 見てください、この瑞々しさ」

 エリアンが嬉しそうに振り返った、その時だった。
 池の奥から、ガサリと大きな音が響く。
 
 赤黒い鱗に包まれた、体長三メートルほどの巨躯。
 『火喰いトカゲ』が、その長い舌をチロチロと出しながら、獲物を求めて現れたのだ。

「下がっていろ」

 ヴァレリウスの声は低く、そして冷徹だった。
 彼がエリアンの前に一歩踏み出した瞬間、大気が爆ぜるような衝撃が走る。
 
 シュラァッ!!
 
 トカゲが唸り声を上げ、弾丸のような速さで飛びかかってくる。
 ヴァレリウスは剣を抜くことさえしなかった。彼はただ、迫りくるトカゲの顎を素手で掴み取ると、そのまま地面へと叩き伏せたのだ。

 ドォォォン!!
 
 地響きと共に、トカゲの周囲の地面が陥没する。
 ヴァレリウスの拳から放たれた金色の魔圧が、一瞬にしてトカゲの戦意を喪失させた。トカゲは悲鳴のような声を上げ、這う這うの体で岩陰へと逃げ去っていく。

「……無事か」

 ヴァレリウスが振り返る。
 その瞳はまだ金色の炎を宿しており、凄まじい威圧感を放っていた。
 普通の人間なら腰を抜かす場面だろう。だが、エリアンはトコトコと彼に歩み寄ると、彼の拳をそっと両手で包み込んだ。

「陛下、すごいです! でも、素手で触るなんて危ないですよ。ほら、鱗で少し擦り傷ができています」
「……これしきの傷、傷のうちに入らん」
「ダメです。放置すると火山の細菌が入ります。……ちょっと失礼しますね」

 エリアンは採りたての『焔溶岩の雫』を一枚千切り、その切り口をヴァレリウスの拳に押し当てた。
 ジュッ、と微かな音がし、花の粘液が傷口に吸い込まれていく。

「……温かいな」

 ヴァレリウスが呟いた。
 自分の熱とは違う、他者の体温。
 そして、傷を癒そうとする、ひたむきで優しい熱。

「このお花は、熱を吸収して癒しに変えるんです。陛下にぴったりだと思いました」

 エリアンは微笑み、傷が塞がったのを確認すると、満足げにヴァレリウスの手を離した。
 
 ふと、視線が交差する。
 湯気の向こう側、ヴァレリウスの瞳に宿る熱が、先ほどの戦いのものとは違う色に変わっていく。
 彼は何かを言おうとして口を開き、けれど結局何も言わずに、不器用な手つきでエリアンの背負い籠を代わりに肩へ担いだ。

「……帰るぞ。日が暮れると、ここはさらに冷え込む」
「はい! 帰ったらすぐに、この花で特別なポーションを作りますね。陛下も一緒に飲んでください」
「……苦くないなら、考えてやる」

 並んで歩く二人の影が、西日に長く伸びる。
 不毛の荒野を吹き抜ける風が、今日は少しだけ、花の香りを運んできたような気がした。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【本編完結】断罪される度に強くなる男は、いい加減転生を仕舞いたい

雷尾
BL
目の前には金髪碧眼の美形王太子と、隣には桃色の髪に水色の目を持つ美少年が生まれたてのバンビのように震えている。 延々と繰り返される婚約破棄。主人公は何回ループさせられたら気が済むのだろうか。一応完結ですが気が向いたら番外編追加予定です。

【完結】第三王子、ただいま輸送中。理由は多分、大臣です

ナポ
BL
ラクス王子、目覚めたら馬車の中。 理由は不明、手紙一通とパン一個。 どうやら「王宮の空気を乱したため、左遷」だそうです。 そんな理由でいいのか!? でもなぜか辺境での暮らしが思いのほか快適! 自由だし、食事は美味しいし、うるさい兄たちもいない! ……と思いきや、襲撃事件に巻き込まれたり、何かの教祖にされたり、ドタバタと騒がしい!!

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

将軍の宝玉

なか
BL
国内外に怖れられる将軍が、いよいよ結婚するらしい。 強面の不器用将軍と箱入り息子の結婚生活のはじまり。 一部修正再アップになります

王命で第二王子と婚姻だそうです(王子目線追加)

かのこkanoko
BL
第二王子と婚姻せよ。 はい? 自分、末端貴族の冴えない魔法使いですが? しかも、男なんですが? BL初挑戦! ヌルイです。 王子目線追加しました。 沢山の方に読んでいただき、感謝します!! 6月3日、BL部門日間1位になりました。 ありがとうございます!!!

バイト先に元カレがいるんだが、どうすりゃいい?

cheeery
BL
サークルに一人暮らしと、完璧なキャンパスライフが始まった俺……広瀬 陽(ひろせ あき) ひとつ問題があるとすれば金欠であるということだけ。 「そうだ、バイトをしよう!」 一人暮らしをしている近くのカフェでバイトをすることが決まり、初めてのバイトの日。 教育係として現れたのは……なんと高二の冬に俺を振った元カレ、三上 隼人(みかみ はやと)だった! なんで元カレがここにいるんだよ! 俺の気持ちを弄んでフッた最低な元カレだったのに……。 「あんまり隙見せない方がいいよ。遠慮なくつけこむから」 「ねぇ、今どっちにドキドキしてる?」 なんか、俺……ずっと心臓が落ち着かねぇ! もう一度期待したら、また傷つく? あの時、俺たちが別れた本当の理由は──? 「そろそろ我慢の限界かも」

契約結婚だけど大好きです!

泉あけの
BL
子爵令息のイヴ・ランヌは伯爵ベルナール・オルレイアンに恋をしている。 そんな中、子爵である父からオルレイアン伯爵から求婚書が届いていると言われた。 片思いをしていたイヴは憧れのベルナール様が求婚をしてくれたと大喜び。 しかしこの結婚は両家の利害が一致した契約結婚だった。 イヴは恋心が暴走してベルナール様に迷惑がかからないようにと距離を取ることに決めた。 ...... 「俺と一緒に散歩に行かないか、綺麗な花が庭園に咲いているんだ」  彼はそう言って僕に手を差し伸べてくれた。 「すみません。僕はこれから用事があるので」  本当はベルナール様の手を取ってしまいたい。でも我慢しなくちゃ。この想いに蓋をしなくては。  この結婚は契約だ。僕がどんなに彼を好きでも僕達が通じ合うことはないのだから。 ※小説家になろうにも掲載しております ※直接的な表現ではありませんが、「初夜」という単語がたびたび登場します

【完結】選ばれない僕の生きる道

谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。 選ばれない僕が幸せを選ぶ話。 ※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです ※設定は独自のものです ※Rシーンを追加した加筆修正版をムーンライトノベルズに掲載しています。

処理中です...