竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜

レイ

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第十九話

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 窓から差し込む朝日は、いつもより柔らかく感じられた。
 ヴァレリウスはゆっくりと瞼を持ち上げる。
 視界に飛び込んできたのは、見慣れた天蓋付き寝台の風景。けれど、身体の感覚は、これまでの人生で一度も経験したことがないほど澄み渡っていた。
 
(……身体が、軽い)

 いつもなら、目覚めと共にドロリとした熱が脳を焼き、鈍い頭痛が這いずり回るはずだ。
 けれど今朝は、血管の中を流れる血が心地よく脈打ち、指先の一本一本までが自分の意のままに動く。
 ヴァレリウスは身体を起こし、隣に置かれたサイドテーブルに視線を落とした。
 そこには、空になった銀の杯と、エリアンが置いていったであろうハーブの香りが微かに残るリネンが。

 昨夜、自分の髪を避けてくれた、あの小さな手のひらの感触。
 ヴァレリウスは無意識に自分の額に触れた。肌はまだ高い熱を帯びている。けれど、それは「暴走」ではなく、生命としての「活力」に近い熱だった。

「……エリアン、か」

 独り言がこぼれる。その声には、昨夜までの刺々しさが消えていた。

---

「……本気ですか、陛下」

 大食堂に現れたヴァレリウスを見て、マリスが手にした銀のトレイを落としそうになった。
 そこにいたのは、いつもの不機嫌な黒い塊のような皇帝ではない。
 軍服のボタンを一つ外したまま、どこかゆったりとした足取りで歩き、あろうことか給仕の者に「おはよう」と短く声をかけた男だ。

「マリス。朝食の量を増やせ。それと、あの酸っぱい果実のタルトも用意しろ」
「……陛下が、甘いものをおかわりされるなんて。天変地異の前触れでしょうか」
「失礼な。……余は、腹が減っているだけだ」

 ヴァレリウスは豪快に椅子を引き、テーブルに座った。
 そこへ、少し遅れてエリアンがやってくる。
 彼は大きな背負い籠に、朝一番で摘んだハーブを山積みにして、鼻歌混じりに現れた。

「あ、陛下。おはようございます! よく眠れましたか?」
「…………」

 エリアンの顔を見た瞬間、ヴァレリウスの心臓が不規則なリズムを刻む。
 快眠のおかげで研ぎ澄まされた五感が、エリアンの纏う「雨上がりの森」のような匂いを鮮明に捉えた。
 ヴァレリウスは乱暴にフォークを手に取ると、差し出されたパンを大きな口で頬張った。

「……おかげさまでな。あの二倍の水とやらは、悪くなかった」
「良かったです。今日はいつもより魔力の波形が綺麗ですよ。やっぱり睡眠は一番の特効薬ですね」

 エリアンはヴァレリウスの隣に座り、自分の分のスープを一口飲んだ。
 
「あ、そうだ。陛下。今日は中庭の奥にある『古い温室』を掃除しようと思うんです。カイル君が、あそこならもっと珍しい冬の草が育てられるって教えてくれて」
「温室か。あそこは二十年以上、誰も立ち入っていないはずだ。蛇や害虫の住処になっているぞ」
「だから掃除するんです。陛下、もしお時間があれば……」
「……行こう。ちょうど身体を動かしたいと思っていたところだ」

 ヴァレリウスの即答に、ちょうど部屋に入ってきたゼフィールが「ぶっ」と吹き出した。

「陛下、本気ですか? 十時から軍議ですよ。辺境領主たちが集まっているはずですが」
「……延期だ。奴らには、余の体調管理も皇帝の公務だと伝えておけ」
「ひどいなあ。あーあ、領主たちが泣いちゃうよ。……エリアン君、君の薬、もしかして陛下の性格まで変えちゃう成分入ってない?」

 ゼフィールが呆れ顔でエリアンの肩に手を置こうとした。
 瞬間、ヴァレリウスのフォークが、ゼフィールの指先から数ミリの場所にあるテーブルに突き刺さった。

「……ゼフィール。貴様、その指を肥料にされたいのか」
「ひいっ、すみません! 性格は変わってないみたいだ、安心したよ!」

 ゼフィールは慌てて両手を挙げて退散する。
 エリアンはそんなやり取りを気に留める様子もなく、山盛りのサラダをヴァレリウスの皿に分け与えた。

「はい、陛下。ビタミンを摂らないと、せっかくの快眠効果が切れちゃいますよ」
「…………。多い。……だが、食えんことはない」

 文句を言いながらも、ヴァレリウスは素直に野菜を口に運ぶ。
 その様子を、マリスは眼鏡を押し上げながら、深い感慨を持って見つめていた。
 
「エリアン様。陛下のあのような『食欲』、私がここに来てから初めて拝見しましたわ」
「えっ、そうなんですか? 陛下、もっとたくさん食べてくださいね。お肉も焼きたてですよ」

 エリアンがニコニコと笑い、甲斐甲斐しく世話を焼く。
 ヴァレリウスは顔を背けながらも、差し出されたものをすべて胃に収めていった。
 
 食堂を満たすのは、香ばしいパンの匂いと、明るい話し声。
 これまでの黒鱗宮には存在しなかった、穏やかな朝の光景。
 
「よし、お腹いっぱいですね。では、陛下! 温室へ行きましょう!」
「……ああ。カイルという小僧も呼べ。荷物持ちが必要だろう」

 ヴァレリウスは立ち上がると、無造作にエリアンの手を取った。
 掴まれたエリアンは少し驚いたように瞬きをしたが、すぐにその熱い掌を握り返す。

「はい! 今日は大掃除ですから、覚悟してくださいね」

 銀髪の青年が先を歩き、その後ろを漆黒の皇帝が、誇らしげに、そして一歩一歩踏みしめるように付いていく。
 二人の繋いだ手から伝わる熱は、火山のそれよりもずっと優しく、城全体の空気を春の色に変えようとしていた。

 温室の扉を開けた先に待っているのは、埃と、そして新しい「発見」。
 エリアンの薬師としての好奇心が、ヴァレリウスという孤独な竜を、少しずつ外の世界へと連れ出していた。
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