異世界コンシェルジュ ~ねこのしっぽ亭 営業日誌~

天那 光汰

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3巻

3-2

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  ◆  ◆


 アキタリア皇国。大陸を同じくし、オスーディアのほぼ真東に位置するこの国は、オスーディアとは全く別の発展を遂げた大国だ。
 オスーディアは魔法と剣の軍隊を保有し、豊富な水源とよくな土地に恵まれたおかげで畜産と農業が盛んであるが、アキタリアの資源は一言でいえば森である。
 国のほぼ八割を森林に覆われているアキタリアは、森にむ精霊と妖精の加護のもと、その森の恩恵を最大限受けて発展してきた。
 魔法とは異なる技術体系の『法術』と呼ばれる精霊術式は、生まれながらにして精霊と共にあるアキタリアの民にしか使うことが出来ない。そもそも他国の者は、あの森の中でアキタリアの民ほどの生活を営むことすら難しいだろう。
 そんな偉大なる皇国の皇女様が、スイートから比べれば簡素なベッドの上で飛び跳ねていた。

「うーむ、ちょっと上質かのぅ。なんかこう、板の上に直接ボロ布を敷いたような部屋はないかえ?」
「い、いえ。すみません。さすがにそこまでの部屋はご用意がなく……」

 恭一郎は、もはや止める気も失せたとばかりに眉間を押さえるジェラードの横で、苦笑しつつサリアを見つめていた。
 ここは高級ホテル。最低ランクの部屋でもそれなりの広さがあり、内装もしっぽ亭とはかけ離れているレベルである。
 せっかくのサリアの召し物は、ベッドの上で暴れたためにすっかり乱れてしまっていた。サリアはそれを見て、ええい邪魔じゃと腰布をまくり上げる。足を丸出しにして、快適じゃーとベッドに大の字で倒れ込んだ。

「サリア様!! 皆さんいるのですよ!! はしたない!!」
「あー、いいじゃろ。別に裸だということもない。よいよい。ほれ、見たかったらおぬしも見てもいいぞ?」

 ぺらりとすそをめくってサリアがにやりと笑った。
 エルフ耳の先まで赤く染まったジェラードが、つかつかとサリアに近づいていく。彼が赤くなっているのは、もちろん怒っているからだ。
 サリアとジェラードの口論を背中に聞きながら、恭一郎とセバスタンは手を後ろに組んで壁の方を向いている。
 えんざい怖い、冤罪怖いと呟きながら、恭一郎はいつ部屋を出ていくべきか悩んでしまうのだった。


  ◆  ◆


「へぇ、皇女様が。……にしても、変わった人ですねぇ」

 ぎゅっぎゅっと恭一郎の背中を踏みながら、メオが間の抜けた声を出した。耳と尻尾をふりふりと動かして、加減しながら恭一郎の筋肉を踏みほぐしていく。メオの足の先が気持ちいいところに入り、恭一郎の口から声が上がった。

「あー、そこです。ま、まぁ。悪い人ではないみたいですし。もともと変わり者って噂には聞いてたんですが、まさかあそこまでおてんだとは」

 ふぅーと息を吐きながら、恭一郎は一日の疲れも一緒に出していく。最近、マッサージのありがたみが身にしみる恭一郎である。

「メオさんの方も、変わりはありませんか?」
「そうですね、順調ですよ。恭さんがいない日は、夜営業もありませんし。むしろ暇な時間が増えて。……趣味でも作ろうかなぁ」

 うーんと考え込むメオに、恭一郎はくすりと笑う。今まで、ずっと働き詰めだったのだ。何か新しいことや、好きなことをするのがいいだろう。

しゅうとかどうです?」
「あー、そうですねぇ。……でも、アランさんに見られたらちょっと……って思っちゃうんですよ」

 にゃはははと遠い目をするメオに、恭一郎はなるほどと苦笑した。アランは貴族相手にも商売をする服飾屋だ。身近にその道のプロがいると、なんとなくやりづらい気持ちは分からなくもない。それに、アランに頼めば、簡単なものなら店で雑談しながらひょいと作ってくれるのだから、わざわざ自分で手間暇かけなくてもいいか、とも思う。

「そ、そのぉ。本来ならぁ。こんなこと考える暇もないくらい、忙しい年頃なんですけどねー」

 軽く咳払いをして、メオは少し頬を染めながら足元の恭一郎に視線を送る。もちろんその視線には気づかずに、恭一郎は申し訳なさそうに頬を掻いた。

「すみません。まだちょっと手が放せなくて。少なくとも皇女様がいる間は、向こうにいることになりそうです。でも、その後ならしっぽ亭を手伝う時間を増やせると思いますよ」
「え? あ、あー、しっぽ亭。そうですね。はい。そうですよね。……ふん!」

 めきりと、メオの足が恭一郎の背中に突き刺さった。

「んひゃいっ!!」

 二つの月の明かりの下、今やお決まりになった恭一郎の悲鳴が、夜空に吸い込まれていった。


  ◆  ◆


「あ、ジェラードさん。こんにちは。部屋はどうでしたか?」

 二階へ続く階段を上りきると、恭一郎は疲れ切った顔をしたエルフに出くわした。恭一郎を見るや、ジェラードは姿勢を正してにこやかに笑いかける。

「ええ、よく眠れました。すみません。わざわざ階を移動してもらって」

 申し訳なさそうにするジェラードに、恭一郎は大丈夫ですよと笑顔を作る。
 今朝、貸し切り状態にした二階にサリアとジェラードの部屋を移した。二階には二十部屋ほどの客室があるが、今はまだ互いに一部屋ずつ使っているだけだろう。

「二階は全て貸し切りにしているので、他の部屋もどうぞご自由に使ってくださいね」

 一歩前を歩く恭一郎に、ジェラードが恥ずかしそうに耳を掻いた。すぐにサリア様が使い尽くすと思います、とジェラードに言われ、恭一郎はまあそうだろうなと思いつつ、愛想良く相づちを打った。

「サリア様、入りますよ」

 ジェラードがノックをし、部屋番号の書かれた扉をぎぃと開ける。
 本来なら恭一郎の役目だが、サリアの部屋に限っては、ジェラードに開けてもらったほうがいいだろう。ジェラードが部屋に踏み込んだのを確認して、恭一郎も一歩遅れて部屋へと入っていった。

「わふうぅううう。美味しいですぅううう。シャンシャン、こんな美味しいもの初めて食べましたぁああああ」

 視界がふらりとして、危うく、恭一郎は床に頭をぶつけそうになってしまう。頭の中の血液がどこか別のところへ移動していくのが分かった。

「ははは! じゃろう? アキタリアの蟲蜜むしみつは世界一よ! ほれ、もっと食えい」
「甘いですぅうう。すっごく甘いですぅうううう!!」

 サリアが豪快に笑い、シャンシャンが涙を流しながら口をもごもごと動かしていた。どうやら、サリアに何かお菓子を貰っているらしい。

「シャンさぁあああん。何で貴方あなたがここにいるんですかぁあ?」

 サリアへの挨拶も忘れ、恭一郎はがしぃとシャンシャンの頭をわしづかみにした。後ろでジェラードが、仲間を見るような温かな視線で恭一郎を見守る。

「わわわ、チーフ!? ……どうしたんですか? 怖い顔して」

 突如現れた恭一郎に、シャンシャンがびっくりしたように振り返った。もごもごと動かす口はそのままに、きょとんとした顔で恭一郎を見つめる。

「どうもこうも。何で、サリア様と貴方が親しそうに会話してて、あまつさえサリア様のおやつを貴方が食べてるんですかぁ?」
「おぶぶぶっ。ほ、ほっぺたは止めてください。あめが、飴が入ってるんでっ」

 恭一郎に両手で頬を挟まれ、シャンシャンが目を白黒させる。
 どうも、サリアからもらったのは飴玉だったらしい。確か、この世界での砂糖は超高級品のはずだ。恭一郎は顔を青くして、思わずシャンシャンを掴む手に力を入れてしまう。

「あぶぶぶぶっ! そ、それに二階はシャンシャンの担当ですよぅ。いるのは当たり前ですぅ」

 シャンシャンが必死に出っ張った唇を動かした。
 しまったと、恭一郎は自分のうかつさを呪う。確かに、二階の担当はシャンシャンが所属する班だ。班長がしっかりしている子だから、すっかり安心しきっていた。

「はははははっ! よいよい。わらわが呼んだのじゃ、許してやれ」

 問いつめられるシャンシャンを見ながら、サリアが腹を抱えて笑い声を上げる。
 はっと我に返った恭一郎が、申し訳ありませんとサリアの方に向き直った。

「おもしろいのー、ぬしら。じゃが、妾が招いたのは本当じゃ。暇だったんでの。そう責めんでやってくれ」

 サリアはそう言うと、もふもふとしたシャンシャンの尻尾をで上げていく。わふぅと、シャンシャンが気持ちよさそうに顔をほうけさせた。

「ですが、飴玉までいただいて。かなり高価でしょう?」
「ん、あー大丈夫じゃ。貴重ではあるが、砂糖ほどではない。ほれ、主にもやろう」

 ぽいとサリアの右手から放られた飴玉を、恭一郎は慌ててキャッチする。見ると、黄金色の球体が手の中に収まっていた。すんと、甘い蜜の匂いがこうをくすぐる。

「これは……むしみつですか?」
「そうじゃ。アキタリア名物、蟲蜜飴よ。ほれ、はよう食え」

 にこにこと笑うサリアを見て、恭一郎も飴玉を口に運んだ。ここまで言われたら、食べないのは逆に失礼というものだろう。

「あ、美味しい。……すごいですね。なんと言うか、蟲蜜むしみつの風味がすごく豊かです」
「ほう。分かるかえ。そうよ、この風味は我が国のもの以外では味わえぬというものよ」

 ころころと口の中を移動するあめだまは、濃密でねっとりとした甘さだった。砂糖の純な甘みではない。豊かな風味を持つ、蟲蜜独特の複雑な味わいだ。

「しかし。これ、蟲蜜だけなんですか? 確か、蟲蜜だけで飴玉を作るのは難しかったと思うんですが」
「おお、よく知っておるな。これは蜜飴蜂というアキタリアの固有種でな。こやつらは、蜜をこのように飴玉状にして集める性質を持っておる」

 へぇーと感心しながら、恭一郎は口の中の甘味を味わう。流石さすがは異世界。まだまだ自分が知らない、面白い食材もたくさんあるのだろう。エルダニアの市場にあるのは、どこか見たことのあるような食材ばかりだったので、実は全くの未知の食べ物で感激するのは少ない恭一郎であった。

「なんとか大量に養蜂して、飴玉を名産として輸出したいのじゃがのー。これがなかなか上手くいかんでな」

 悩みどころよと、サリアは腕を組む。
 確かに、大量生産するとなると設備や管理など色々と問題はあるのだろう。自然のものというのは、本当に扱いが難しい。

「そういえば、サリア様はどのような御用事でエルダニアに?」

 差し出がましいとは思ったが、つい気になって恭一郎はサリアに質問した。予定を聞いておけば、今後何か役に立てるかもしれない。

「まあ、簡単に言うと商売相手を探しにじゃなー。ここらの貴族と会って色々と話をする予定じゃ」

 サリアがめんどくさそうに話すのを聞いて、恭一郎も得心する。半ば公務で、サリアはこのエルダニアとのパイプを作りに来ているのだ。
 一見ままなだけのお姫様だが、その実やはり真剣に国のことを考えているのだなと、恭一郎は尊敬の眼差しでサリアを見つめる。親オスーディア派であるが故に、本国に帰れば色々と面倒なことも多いのだろう。恭一郎は、目の前の少女に改めて姿勢を正した。

「あああ! なくなってしまいましたあ! まずに我慢してめてたのにー!!」

 心底悲しそうな表情をするシャンシャンを見つめながら、恭一郎はころころと口の中の飴玉を転がすのだった。


  ◆  ◆


「え? サリア様との会食ですか」

 何も異常がないかとロビーを見回っていた恭一郎は、セバスタンから声をかけられ、そのままロビーのソファに腰掛けていた客のところまで案内された。

「こちらはデヴァル様。エルダニアに居を構える貴族の方です」
「おお、貴方あなたが恭一郎殿ですか。お噂はかねがね。是非ぜひ、力をお貸しいただきたい」

 恭一郎の姿を見るや、デヴァルは立ち上がって握手を求める。その洗練された振る舞いに、恭一郎もにこやかに応じた。
 すらっとした長身。美しい銀髪。しかし、何よりも目に留まるのは、鮮やかなほどの赤い瞳である。笑ったときに、口元からちらりと牙が見えた。

「サリア様との会食ですか?」
「ええ、ええ。そうです。なんとしてでも成功させたいのです」

 恭一郎が話をある程度理解しているのを察し、デヴァルはさっそく本題に移る。恭一郎もソファへと座り、デヴァルの口から出てくる言葉を聞き逃さないように集中した。

「恥ずかしながら、我がデヴァル家は貴族としてはしんざんもの。元はただの商人です。当主の私がこういうのもなんですが、貴族としての地位を金で買ったという周りからの評価は、あながち間違いではありません」

 神妙に語り出したデヴァルに、恭一郎は頷く。
 貴族と言えばロプス家がまず思い浮かぶ恭一郎だが、本来ロプス家は貴族の中でも別格だ。ロプス家はエルダニアの統治を担う、オスーディア四大貴族の一角。当然、その下にはピンからキリまでの貴族がひしめき合っている。

「ですが、我々にも商家としての歴史と自負があります。サリア様が商談相手をお探しならば、我がデヴァル家以上にふさわしい家は存在しません」

 はっきりと断言するデヴァルの表情に、恭一郎は絶対的な自信ときょうを垣間見た。
 そもそも、ただの商売人が事業に成功したからといって、ひょいとなれるほど貴族の地位は安くはない。考えてみれば、エルダニアの治水を一手に引き受けているレティの家ですら、貴族の地位を得られていないのだ。
 ちらりと向けられた恭一郎の視線を受けて、セバスタンが補足する。

「デヴァル家は、主にポアン粉とギトル油の運輸業で財を成した家です。恭一郎様も、都への郵便を利用したことがおありでしょう。あれも、デヴァル家が始めた事業なのですよ。今日のエルダニアの発展を語る上で、デヴァル家は欠かせない存在です」

 セバスタンの脚色のない賞賛に、デヴァルが感極まった様子で頭を下げた。

「しかしそれならば、サリア様に直接申し入れれば大丈夫な気もしますけど。あの方、ああ見えて考えが深いですよ。きっと分かってくれます」
もちろん、私としても会食の場では最善を尽くします。ですが、さきほども申しました通り、デヴァル家は貴族としてはその他の家よりも格が下なのです。アキタリアとの関係を欲している家は沢山あります。その中から我がデヴァル家が選ばれるためには、ただの商談相手ではダメなのです」

 皇族の事業は、お金のことを考えるだけでいい我々とは、全く別物なのだとデヴァルは言う。
 しかもアキタリアは友好国とはいえ、ついこの間までは敵同士だった国だ。

「確固たる、和解と親善の意志が必要なのです。商売相手としてだけではない。恒久の友になれるという、その可能性をサリア様に感じていただかねば」

 なるほどと、恭一郎は唇に手を当てる。つまりは、金銭的ではない政治的なメリットだ。家柄が他に劣る以上、その埋め合わせは意志と態度で示すしかない。

「アキタリア皇室と我がデヴァル家が、長久の友となるのにふさわしい会食。その一席を、お願いしたい」

 デヴァルの真剣な眼差し。これに、恭一郎は応えなくてはならない。
 ふむと一瞬考えた後、恭一郎は微笑みながらデヴァルに右手を差し出した。その右手を、デヴァルが嬉しそうに取る。

「まずは、僕たちが友人になるところから始めましょうか」
「ええ、もちろん

 出来ることを、やるしかない。目の前の友人のため、恭一郎は最大限の力を尽くすことを決意した。


  ◆  ◆


「ん、なぜエルダニアと商売をしたいのかじゃと?」

 シャンシャンの尻尾の毛並みを楽しみながら、サリアはきょとんとして恭一郎を見た。
 言葉を選んでさりげなく振った話題を、身も蓋もない言い方をされて、恭一郎は少し苦笑する。

「ええ、まあ。そりゃあ、商業も大事だとは思うのですが。サリア様自らが、エルダニアまで出向かれて、だいぶお力を入れているようなので。差し出がましいとは思いましたが、少し気になりまして」

 テーブルにホットミルクを置きながら、恭一郎はサリアにゆったりと話しかけた。
 エルダニアはオスーディアの中でも大きな都市だ。確かに、この街なら商売相手に相応ふさわしい貴族がいるだろう。しかし、皇女様が直々に来るというのは、大げさに感じられた。
 恭一郎の問いに、サリアはどう話したものかと眉を寄せる。

「……ぬしも、我がアキタリアとオスーディアの因縁は知っておろう?」
「ええ。大戦の」

 ぽつりとしたサリアの言葉に、恭一郎は姿勢を正して傾聴する。
 尻尾のさわり方がソフトになったのを感じたシャンシャンは、どうしたのかなとサリアの方を振り返った。

「いくら講和がなされ、書類上では和平を取り戻したとはいえ、それは建前でのことよ。やはり皆、思うところは色々とあるわ。憎しみほどではないとはいえ、オスーディアのことをよく思っていない国民は多い。……まあ、それはオスーディアも同じじゃろうがな」

 それは当然だろうなと、恭一郎も静かに頷く。どんなに平和的な終結を迎えたとしても、戦争なのだ。遺恨が全くないなどと思うのは、夢の見過ぎというものであろう。

「そんな我が国民の、オスーディアへのわだかまりを解消するにはどうすればよいと思う?」

 サリアにしんな瞳を向けられ、恭一郎は素直に分かりませんと頭を下げた。それを見たサリアが、うむと頷いて話を続ける。

「最も簡単な方法はな、これよこれ」

 サリアが、二本の指で丸を形作る。日本でもそう変わらない、見慣れたジェスチャーだ。

「お金、ですか」
「そうよ、金よ。世の中には、金をまるで不浄のもののように言うやからもおるがな。それはうつけの申すことよ。金がなくては国は回らんし、飯だけで満足するほど民も愚かではない。それに金の繋がりというのは、血にも勝る強固なくさりじゃ」

 サリアはにやりと笑って、シャンシャンの耳をもしゃもしゃとで上げる。くすぐったそうに、シャンシャンがわふぅと身をよじった。

「仕事での繋がり、金の繋がりは連帯感を生む。オスーディアがアキタリアに富をもたらし、その逆もまた然りとなれば、自ずとわだかまりは消え去っていく。共に営みを支え合う、仲間になるのじゃからな」

 サリアの話に、いつしか恭一郎は聞き入っていた。おてんなお姫様? とんでもない。恭一郎には、今や目の前の少女が大きく見える。

「じゃが、金だけではだめじゃ。それを支えるのは、和の意志でなければならん。共に和の道を歩んでいくそのような者でなければ」

 わらわが望むのはそんなところよと、サリアは表情を変えてあっけらかんと言う。話が難しくて、いつの間にかうとうとし始めていたシャンシャンを、サリアは可愛い奴めとわしゃわしゃと撫でた。

「なるほど。ありがとうございます。勉強させてもらいました」

 恭一郎に、サリアもよいよいと手を振る。
 皇族の中では、サリアの考えはずいぶんと特殊らしい。阿呆ばかりよと、サリアは身内の愚かさを恥じるようにため息を吐いた。

「民の生活を、第一に考えんでどうする。面子や誇りだけでは、国は成り立たぬというのに」

 そう皮肉交じりに笑うサリアの横顔を見ながら、恭一郎はデヴァルから引き受けた依頼の困難さをみしめていた。
 自分は、この偉大な皇女様を満足させなければいけないのだ。


  ◆  ◆


「参りましたね。サリア様は、想像以上の賢人ですよ。あの方を納得させるとなると……」

 うーん、と控え室で恭一郎は頭をひねっていた。隣のセバスタンも、でしょうねと言って考え込む。

流石さすがは、女身一つで親オスーディア派を率いる御仁と申しましょうか。一筋縄ではいきそうにないですね」
「ですね。ただのおてん姫かと思えば、とんだくせ者ですよ。あれは、やり手どころじゃないです」

 ただ、おかげでサリアが求めている相手がおぼろげながら見えてきた。富を約束してくれる、商家としての実力。それに加えて、ともに平和を作り上げられると信頼できる者だ。

「商家としての実力は、デヴァル家の右に出る者はいないでしょう。問題は、サリア様に信頼してもらえるか。……和の意志をどれだけ示せるかといったところでしょうね」

 セバスタンの言葉に、そうなるかと恭一郎は身体をの背もたれに預けた。
 サリアとしてもできるだけの利益は欲しいはずだ。サリアが納得して頷けるだけの場。それを恭一郎たちは作り上げなくてはならない。

「……これ、責任重大ですねぇ」
「何を今更」

 はははと乾いた笑いを漏らす恭一郎に、セバスタンが笑みを浮かべる。

「まあ、商談はデヴァルさんに任せるとして。……こっちはこっちの仕事を進めますか」

 よいしょと立ち上がり、恭一郎は肩を回した。

「おや、どちらに?」

 恭一郎を見て、セバスタンがその行き先を訪ねる。
 ゆっくりと振り向いて、恭一郎はくすりと笑った。

「そりゃあ、厨房ですよ」

  ◆  ◆


「へぇー。それで、結局上手くいきそうなんですか?」

 テーブルにホットミルクを置きながら、メオがぴこぴこと耳を動かした。恭一郎は、疲れた様子でミルクを手に取る。

「うーん。どうなんですかね。一応、おもてなしの仕方は決まったんですが。……ホテルのコック長がいい人でしてね、どんな料理でも完璧に仕上げるって、かなりはりきってるんです」

 グランドシャロンのコック長であるカジーは、都の宮殿で働いていたこともある一流の料理人だ。なんとなく日本人ぽい名前に親しみを込めて、恭一郎はカジさんと呼んでいる。六本腕で三人分以上の働きをする、少々厳めしい雰囲気のタコの御仁だ。

「恭さんは作らないんですか?」
「ピザ自体は誉めてもらえましたけどね。料理人としての腕なら、本業の方のほうがやっぱりすごいですよ。特にカジさんは一流ですし」

 ほえぇと、メオが恭一郎の言葉に感心する。メオにとっては、目の前にいる恭一郎以上の料理人など想像もつかない。ただ、意外にも包丁の扱いが危なっかしいのは知っているので、何となく恭一郎の言いたいことは理解できた。

「実はまだ出す料理が決まってないんですよ。デヴァルさんやセバスタンさんは、最高級のエルダニア料理を出せばいいのではって言ってるんですけど……」
「にゃ? それじゃだめなんですか? 単純ですが、最高のおもてなしだと思うんですけど」

 ふーふーとミルクを冷ましながら、メオがきょとんとした顔で恭一郎を見る。確かに、メオの言うことももっともだ。

「んー。ですよねー。……でも、他にも色々出来ると思うんですよ、料理って」

 ぼんやりと恭一郎は考える。思い出すのはこのしっぽ亭での日々だ。サンドイッチ、ピッツア、クッキーにガガイモフライ、唐揚げ。今まで自分が作ってきた料理は、日本にもある美味しいものだ。
 だが、本当にそれだけだっただろうか。美味しいだけでいいなら、このエルダニアにも沢山ある。肉やテーズの質だけなら、日本の庶民的スーパーにだってひけを取らない。

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