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2話

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 数ヶ月前、潤が会社から帰る途中、1人の青年が震えながらビルとビルの狭い路地に座っていた。服は破かれた形跡があり、襲われたのだと悟った。声をかけると青年は怯えてなからが体を丸めて、そのまま気を失ってしまった。
 身元がわからなかった潤は青年の財布を開け、身元を確認できる保険証で青年の名前とオメガであることを知った。オメガという性別と彼のボロボロの服で何をされたのか察した。
 気を失った青年をそのままにしておけず、アルファである潤の家には連れて帰るわけにはいかない。なので仕方なくベータである上杉の家に連れて行き、匿ってもらうことにした。
 最初は嫌々だった上杉も、責任感と面倒見の良さから渋々了承してくれた。目を覚ましても葵は気を失った日何があったか教えてくれなかった。あとからわかった事実だが、葵を預かっていた親戚の叔父がアルファであり、オメガである葵を引き取ったのも、性欲処理のためで、成長した葵が無発情病だと知り激怒。「無発情病なら、犯せば治るかもしれない」と強引に犯そうとしたらしい。
 その事実を知った潤はすぐに警察に通報し、親戚は逮捕されたらしい。
 
 新は葵の過去を知り、言葉が出なかった。何気なく葵に過去の話を聞いていたが、葵にとってはツライ過去だったのだ。
 葵には悪いことをしてしまった。
「当時、葵は15歳だった。両親が亡くなって、育ててくれた祖父も亡くなって、親戚にはたらい回しにされた挙句、強姦未遂。その歳で経験するには残酷過ぎるだろ」
「……うん」
「私は、葵には幸せになってほしいんだ」
 潤はぽんっと新の肩を軽く叩き、「葵のことよろしく頼むよ」と言った。
「潤! 先生! そっちに鍋持ってくるから、テーブルの上を片付けて!」
「うん」
 テーブルに鍋をセットし、4人で鍋を食べた。葵は終始笑顔でつらい顔すら見せず、笑っていた。その姿を見て、この子を守ってやりたいという小さな気持ちが芽生え始めていた。
 
 
 鍋を食べ終わり、潤は葵に熱烈なハグをした後、新の家を後にした。
 葵はリビングに戻り茶碗を洗っている最中である。新はある一冊の持ち葵の元へ近づいていく。ちょうど洗い物が終わり、葵は濡れた手をタオルで拭いていたときだった。
「葵。ちょっと話さない?」
 葵はきょとんと小首を傾げ、頷く。
「なに?」
「まあまあ。ここに座って」
 葵を椅子に座らせると新もその隣に座る。新はある一冊の本を葵の前に置いた。
「……これ……」
「この本、俺が小説家になろうと思ったきっかけの本。アルファが世界中を旅をして運命のオメガを探し出す話なんだ。有名な本ではないけど、僕の一番大切な物だよ」
 葵はペラペラと本を巡った。そして、小さな声で「……やっぱり」と言う。
「これ、爺ちゃんが書いたやつだ」
「へ?」
「俺の爺ちゃん、小説家だったんだよ。これは爺ちゃんが婆ちゃんと出会ったときに書いたやつ」
 「懐かしいな」と葵は本をペラペラと巡りながら言った。
「爺ちゃん小説の中では世界探して婆ちゃん見つけたって書いてるけど、本当は婆ちゃん近所の八百屋の娘だったんだよ。それじゃ、本にできないからって世界各地に旅に出る話にしたんだよな。懐かしい」
「ちょっと、待って! 思考が追いつかないんだけど、それ書いたの葵のお爺さん?」
「うん」
「お爺さんってこの家に住んでた人?」
「そうだよ」
 なんという運命の巡り合わせだろう。世界一尊敬している作家の孫が葵で、しかもその作家の家に住んでいるなんて…。
 もうなにもかも運命で繋がれているみたいだ。葵と新は色んな糸で繋がれていて、複雑に絡み合っている糸のどれを辿っても必ず葵にたどり着く。運命としか言いようがない。
 新は葵の前に茶色い細長い箱を置いた。
「なにこれ?」
「開けていいよ」
 葵はその箱をゆっくりと開けた。その箱の中に入っていたのは黒のシンプルなデザインのチョーカーだ。
「俺、こんなの頼んでないけど」
 葵は軽く新を睨みつけた。言葉の節々から余計なことをするなという思いが伝わってくる。それでも、これだけは譲れなかった。
「チョーカーは葵を守るお守りだよ。いくら葵が喧嘩強くても、100%安全とか限らないでしょ」
「今更か弱いオメガ扱い? 俺、病気だから発情期来ないし、他のオメガより安全なんだよ。だから、こんなのなくたって平気だから」
「大丈夫じゃない。葵は僕の大切なオメガだから。もしものことがあったら、僕は死んじゃうよ」
 新は葵の手を軽く握る。握った手が、ぴくりと小さく震えた。
「さっきの本を見したのも、俺のことを知ってもらいたかったからなんだ。俺がなにを思って小説家になったのか、葵に知ってほしかった」
「………」
「葵と番になりたい」
「……妊娠できないオメガとなんか幸せになれるはずないだろ」
「いくら葵でも怒るよ」
 低い声で葵を威嚇する。葵はぴくっと肩を震わせた。
「……俺は番なんていらない」
 葵は新から目を逸らす。
「知ってる。だから、これからゆっくり考えてくれればいい。返事は急がないから」
 葵なにも応えなかった。これは長期戦になりそうだ。
「チョーカーつけていい?」
 尋ねると小さくこくりと頷く。新は箱からチョーカーを取り出すと葵の首につけた。
 指でそっとチョーカーをなぞる。いつか、ここに新の噛み跡を残せる日まで、葵を守ってくれと願いを込めた。
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