12 / 68
第11話 独白
しおりを挟む
彼女は、人前に立つことが得意ではない。
小学生の頃から、なるべく目立たないことを意識するような性格だった。
だけど配信で緊張したことは一度も無い。
彼女の目に映るのは液晶画面であり、文字である。極端な表現をするなら、ゲームをプレイしているような感覚だった。
それは自分を守るための現実逃避。
彼女は無意識のうちに自分とミーコを切り離していた。
──まもなく、午後の八時を迎える。
肉体を得たミーコの「お披露目配信」を控えた彼女は、初めて緊張していた。
今の彼女は、ミーコを自分と切り離すことができない。
今日に至るまでの一ヵ月。これまでの人生において、一番がんばった時間であると胸を張って言える。その間、彼女はずっとミーコと向き合い続けていた。
ミーコは、もはや彼女自身である。だから緊張している。
不安の言葉が次々と頭に浮かび、体には息苦しい程の圧迫感がある。
比喩ではなく、吐きそうだった。
それでも彼女はグッと自分の胸を握り締め、パソコンの前に座っている。
彼女の前には、ふたつのディスプレイがある。
左側にあるのは配信用のディスプレイ。
兄特製の配信ツールが表示されており、たくさんのボタンと、リスナーに配信する画面がある。その画面には、例の猫が表示されている。猫の表情はランダムな間隔で変化し、その下には「Now Loading...」の文字がある。
この映像は、既に配信されている。
ツール・ウィンドウの左側にある「配信開始」というボタンを押すだけで、マイクが有効化され、生まれたばかりの猫耳少女が全世界に向けて配信される。
その一方で、右側のディスプレイは、裏で作業するための場所。
こちらにも同じツールが表示されている。ただし「テストモード」という赤い文字が表示されている。そしてウィンドウの右側には、猫耳少女の姿があった。
「……これが、ミーコ」
兄の知人が生み出した猫耳少女。
それが、アバターに対する第一印象だった。
「……これが、ミーコ?」
何度も凝視している。
だけど、どうにもピンと来ない。
それはデザインが気に入らないわけではない。
むしろ逆だ。あまりにも完璧過ぎて、現実感が無い。
そのアバターは、フードを被っている。
彼女が首を動かすと、それをトレースしてアバターも首を動かす。
額の上で銀色の前髪が揺れた。
前髪の下には赤と黄色を混ぜたような色の瞳があり、猫特有の縦長の光彩からは、微かに不安そうな雰囲気を感じる。でも口元には挑戦的な笑みが浮かんでおり、全体を通して見ると、明るく元気な少女という印象を受ける。
それは、まさに「彼女」そのものだった。
彼女はいつも不安に思っている。だけど口元には笑みを浮かべ、明るい声で、元気いっぱいに喋っている。一見すると子供みたいに無邪気だが、その正体はヒキニートである。本当は他人と目を合わせることもできない惨めなアラサーなのだ。
ミーコの年齢設定は十四歳。
アバターの外見も年齢相応である。でもそのアバターからは、子供らしからぬ雰囲気が感じ取れる。少なくとも、彼女にはそう思えた。
「……すごい」
彼女は呟き、「フードを脱ぐ」と書かれたボタンを見た。
このボタンをクリックすると、アバターはフードを脱ぐ。
昨夜のこと。
彼女は兄と会話した。
「是帽着脱可?」
「不可。其激難」
「我思非不可。兄必可」
「兄非万能。其不可」
「絶対不可?」
「……要検討」
「嗚呼、追加要求一二三……」
ちょっと噓である。昨夜、彼女は食卓に「フード着けたり脱いだりしたい」というメモを置いてから眠った。会話はしていない。しかし、次に配信ツールを見た時にはボタンが追加されていた。
「……奇跡だよ」
彼女は自嘲するような笑みを浮かべて呟いた。
ふと本番用の配信ツールを見ると、現在の視聴者数が839人と表示されている。もはや一学年どころか、彼女が通っていた高校の全学年よりも多い人数だ。
だけど彼女は成し遂げたとは思っていない。
むしろズルをした。インチキの結果だと思っている。
こんなの長くは続かない。
直ぐに化けの皮が剝がれて、どんどん視聴者数が減るに決まってる。
皆が協力してくれた。
それが、自分のせいで台無しになる。
そんなことないよ。
四人のリスナーに相談すれば、きっと温かい言葉で元気づけてくれる。
だけど、今の彼女は孤独だ。
今この瞬間において、頭に浮かび上がるのは自分自身の言葉だけである。
どうして前向きに考えられるだろうか。
ずっと逃げ続けていたヒキニートが、どうして成功を信じられるだろうか。
ペチッ、と音がした。
それは彼女は自分の頬を叩いた音。
「よっしゃ! やるぞぉ!」
へにょへにょした声を出した。
彼女としては気合十分に叫んだはずなのに、情けなく震えていた。
逃げたい。怖い。怖い。怖い。
でも──覚悟は、とっくにできている。
配信開始。
彼女は無機質なボタンをじっと見た。
マウスを動かしてカーソルを合わせる。
そして──カチッ、と指先に力を込めた。
小学生の頃から、なるべく目立たないことを意識するような性格だった。
だけど配信で緊張したことは一度も無い。
彼女の目に映るのは液晶画面であり、文字である。極端な表現をするなら、ゲームをプレイしているような感覚だった。
それは自分を守るための現実逃避。
彼女は無意識のうちに自分とミーコを切り離していた。
──まもなく、午後の八時を迎える。
肉体を得たミーコの「お披露目配信」を控えた彼女は、初めて緊張していた。
今の彼女は、ミーコを自分と切り離すことができない。
今日に至るまでの一ヵ月。これまでの人生において、一番がんばった時間であると胸を張って言える。その間、彼女はずっとミーコと向き合い続けていた。
ミーコは、もはや彼女自身である。だから緊張している。
不安の言葉が次々と頭に浮かび、体には息苦しい程の圧迫感がある。
比喩ではなく、吐きそうだった。
それでも彼女はグッと自分の胸を握り締め、パソコンの前に座っている。
彼女の前には、ふたつのディスプレイがある。
左側にあるのは配信用のディスプレイ。
兄特製の配信ツールが表示されており、たくさんのボタンと、リスナーに配信する画面がある。その画面には、例の猫が表示されている。猫の表情はランダムな間隔で変化し、その下には「Now Loading...」の文字がある。
この映像は、既に配信されている。
ツール・ウィンドウの左側にある「配信開始」というボタンを押すだけで、マイクが有効化され、生まれたばかりの猫耳少女が全世界に向けて配信される。
その一方で、右側のディスプレイは、裏で作業するための場所。
こちらにも同じツールが表示されている。ただし「テストモード」という赤い文字が表示されている。そしてウィンドウの右側には、猫耳少女の姿があった。
「……これが、ミーコ」
兄の知人が生み出した猫耳少女。
それが、アバターに対する第一印象だった。
「……これが、ミーコ?」
何度も凝視している。
だけど、どうにもピンと来ない。
それはデザインが気に入らないわけではない。
むしろ逆だ。あまりにも完璧過ぎて、現実感が無い。
そのアバターは、フードを被っている。
彼女が首を動かすと、それをトレースしてアバターも首を動かす。
額の上で銀色の前髪が揺れた。
前髪の下には赤と黄色を混ぜたような色の瞳があり、猫特有の縦長の光彩からは、微かに不安そうな雰囲気を感じる。でも口元には挑戦的な笑みが浮かんでおり、全体を通して見ると、明るく元気な少女という印象を受ける。
それは、まさに「彼女」そのものだった。
彼女はいつも不安に思っている。だけど口元には笑みを浮かべ、明るい声で、元気いっぱいに喋っている。一見すると子供みたいに無邪気だが、その正体はヒキニートである。本当は他人と目を合わせることもできない惨めなアラサーなのだ。
ミーコの年齢設定は十四歳。
アバターの外見も年齢相応である。でもそのアバターからは、子供らしからぬ雰囲気が感じ取れる。少なくとも、彼女にはそう思えた。
「……すごい」
彼女は呟き、「フードを脱ぐ」と書かれたボタンを見た。
このボタンをクリックすると、アバターはフードを脱ぐ。
昨夜のこと。
彼女は兄と会話した。
「是帽着脱可?」
「不可。其激難」
「我思非不可。兄必可」
「兄非万能。其不可」
「絶対不可?」
「……要検討」
「嗚呼、追加要求一二三……」
ちょっと噓である。昨夜、彼女は食卓に「フード着けたり脱いだりしたい」というメモを置いてから眠った。会話はしていない。しかし、次に配信ツールを見た時にはボタンが追加されていた。
「……奇跡だよ」
彼女は自嘲するような笑みを浮かべて呟いた。
ふと本番用の配信ツールを見ると、現在の視聴者数が839人と表示されている。もはや一学年どころか、彼女が通っていた高校の全学年よりも多い人数だ。
だけど彼女は成し遂げたとは思っていない。
むしろズルをした。インチキの結果だと思っている。
こんなの長くは続かない。
直ぐに化けの皮が剝がれて、どんどん視聴者数が減るに決まってる。
皆が協力してくれた。
それが、自分のせいで台無しになる。
そんなことないよ。
四人のリスナーに相談すれば、きっと温かい言葉で元気づけてくれる。
だけど、今の彼女は孤独だ。
今この瞬間において、頭に浮かび上がるのは自分自身の言葉だけである。
どうして前向きに考えられるだろうか。
ずっと逃げ続けていたヒキニートが、どうして成功を信じられるだろうか。
ペチッ、と音がした。
それは彼女は自分の頬を叩いた音。
「よっしゃ! やるぞぉ!」
へにょへにょした声を出した。
彼女としては気合十分に叫んだはずなのに、情けなく震えていた。
逃げたい。怖い。怖い。怖い。
でも──覚悟は、とっくにできている。
配信開始。
彼女は無機質なボタンをじっと見た。
マウスを動かしてカーソルを合わせる。
そして──カチッ、と指先に力を込めた。
3
あなたにおすすめの小説
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする
夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】
主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。
そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。
「え?私たち、付き合ってますよね?」
なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。
「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。
イケボすぎる兄が、『義妹の中の人』をやったらバズった件について
のびすけ。
恋愛
春から一人暮らしを始めた大学一年生、天城コウは――ただの一般人だった。
だが、再会した義妹・ひよりのひと言で、そんな日常は吹き飛ぶ。
「お兄ちゃんにしか頼めないの、私の“中の人”になって!」
ひよりはフォロワー20万人超えの人気Vtuber《ひよこまる♪》。
だが突然の喉の不調で、配信ができなくなったらしい。
その代役に選ばれたのが、イケボだけが取り柄のコウ――つまり俺!?
仕方なく始めた“妹の中の人”としての活動だったが、
「え、ひよこまるの声、なんか色っぽくない!?」
「中の人、彼氏か?」
視聴者の反応は想定外。まさかのバズり現象が発生!?
しかも、ひよりはそのまま「兄妹ユニット結成♡」を言い出して――
同居、配信、秘密の関係……って、これほぼ恋人同棲じゃん!?
「お兄ちゃんの声、独り占めしたいのに……他の女と絡まないでよっ!」
代役から始まる、妹と秘密の“中の人”Vライフ×甘々ハーレムラブコメ、ここに開幕!
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる