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パーティ会場から客間に戻り、最初に見たのは、荒れた室内だった。様々な家具の引き出しが開いており、本や服が部屋中に散らかっていた。泥棒でも入ったのだろうかと子供たちは驚きの声を上げ、デルクは眉をひそめた。
別の部屋をご案内します、と侍女が言ったが、デルクは慌てたように部屋の中に入った。何かを探すように、部屋の隅に置かれていた大きな籠の中の物を取り出していく。
その尋常じゃない様子に、私は嫌な予感がした。
「デルク、何か盗まれたら困る物を持ってきたの?」
「ほら、あの……指輪を持ってきてたんだ。たしか、この辺りに入れていたはずなんだけど……」
「まぁ!」
デルクが口ごもるような指輪と言ったら、あれしかない。
デルクご自慢の魔法の指輪だ。
たまにその指輪の力で、庭の木を切り倒したりしていたので、夫婦喧嘩の原因となっていた。私の反応があまり良くない事を気にしてか、今では私に隠れて、その指輪を使っているのを知っていた。けれども、隠し事には向かない性格の人なのだ。何度も破棄するようにと懇願して、渋々ではあったが、ようやく指輪の力を封印すると言っていたはずだった。それがまさか、このような領外にまで持ち出していたなんて思わなかった。
私の呆れたような眼差しに気が付いたのか、デルクは申し訳なさそうな顔つきで呟いた。
「普通の人間には使えないように、施しているから大丈夫だとは思うんだが」
「あれが悪い人の手に渡ったら大変だわ。私も探します」
「お父様、僕も手伝うよ!」
部屋の中はぐちゃぐちゃだったので、家族総出で指輪を探すことになった。デルクが指輪の特徴を子供たちに伝えると、子供たちはすぐに納得したような表情だった。
その事に違和感を感じていると、ロアンが「お父様が内緒だねって言ってたやつだね!」とか言ったので、私は渋い顔になった。
どうやら指輪の存在は、子供の間にも公認の存在だったようだ。
デルクがロアンの口を手のひらで覆ったが、もう遅い。私の視線に気が付いたのか、ロアンは視線を泳がせた。
「ねぇ、あれ」
末っ子ディアンの声に、私は振り返って窓を見た。
その窓は無残にも壊れていて、隙間から雪が入り込んできている。そこからは青空が見えるのだが、どうやら外は雪が降っているらしく、カーテンが風で大きく揺れていた。
そのカーテンが揺れる度に見えるもの――
私の視線は、窓際に座っている小人に釘付けだった。それは私が幼い頃、アイリスにあるディーンの畔で見た小人だった。
その小人は、透明な緑色の羽織ものを着ており、顔色が若干悪いように感じた。私は、何でこんなところに小人がいるんだろうと思いつつ、その顔色の悪さが気になった。
「どうしたの? 迷子にでもなったの?」
返答はなく、窓際に座っている小人はピクリとも動かない。
「イシュラスは寒いでしょう? こちらにおいで」
小人の髪の毛に雪が積もっているのが見えて、私は雪を払ってあげようと思った。花瓶が割れていたので、破片を踏まないように、その可愛らしい小人に近寄っていった。
これが運命の曲がり角になるとも知らずに。
なぜ、こんなところに『小人』がいるのか。
なぜ、部屋は荒らされているのか。
すこし考えればわかることだったのに。
私は不用心だった。
小人が『人間』に危害を加えるはずがない。
そう思い込んでいた。
「危ない! 離れて!」
そんな、切羽詰まったデルクの叫び声が、どこからか聞こえた。
何が起きたのか、一瞬わからなかった。
次に気が付いた時、私は血まみれになって床に倒れていた。
小人が笑っているのを見て、『あぁ、私は小人に何かされたのだ』と気が付いたが、凄まじい腹部の痛みに、私は意識が遠のきそうになっていた。
「レティ……! だ、誰か医者を呼んでくれ……!」
「母上!」
そしてすぐ聞こえたのは、愛する夫と子供の悲壮な叫び。
そしてそれは怒号に変わった。
「貴様! よくもお母様を!」
小人は金色に輝く指輪を見ながら、笑っていた。
たしか、あれはデルクの指輪だ。
厳重に封印してもらったはずなのに、良くみると箱が開封されて床に転がっている。
『すごいね、これ。まるで僕のためにあるような指輪だ。もらっちゃうね』
「それはお前のような小人のために作ったんじゃない! 返せ!」
デルクの叫びに、小人はカクン、と首を傾けた。
『なぜ? なぜ殺しちゃいけないの? 人間は僕たちを殺し続けているのに』
小人の無機質な声を聴きながら、あぁ、やっぱりあの指輪は、この世界に存在してはいけなかったんだ、と私は後悔した。
嫌な予感はしていたのに、なんで後回しにしてしまったのだろう。デルクが喜んでいたから、彼の意向を無視してまで、無理やりに捨てることが出来なかった。
現に、それは私1人の人間を殺すには十分な威力だった。
たくさんの血が床に流れて、血だまりができている。
『じゃぁね、ばいばい』
小人は床に転がっている私を一瞥すると、指輪を持ったまま、壊れた窓から出て行ってしまった。この部屋は3階にあるが、巨木の上で生活をする小人にとって造作もないことだ。騒ぎに気が付いて駆けつけた警備の者が、血相を変えて出ていったが、雪の上に足跡もつかない小人だから、探し出すのは不可能に近いだろう。
「これは……」
お医者様らしい人が私を診て、顔を顰めたのが分かった。
もう助からないでしょうと、俯くお医者様に、ロアンが、そんなはずはない! 母上を殺したら、お前も殺してやる! とわめきたてるのを、デルクが静かにしなさいと制止した。
腹部の痛みは酷かったが、なぜか周囲の声は、良く聞えてきた。止血しようとしてくれているのがわかるが、お医者様の言葉通りに、もう助からないだろうということがハッキリとわかった。
これが最後の言葉になるかもしれない。
そう思ったからこそ、最後の力を振り絞って、彼に伝える。
こうやって気持ちを伝える時間が残っていただけ、私は幸せなのかもしれないと感じながら。
「デルク……ごめんね」
ちょっと遠回りをしたけれど私は、本当の愛を見つけることが出来た。こんなに悲しませてしまって、だめな妻だったかもしれないけど、デルクと出会えて本当に良かった。
デルクは、私なんかよりも、ずっと、この世界に必要な人だ。
もっと彼の傍で生きたかったけど、それも残り僅からしい。それなら、彼のためになるような言葉をかけるのが良いだろう。
デルクはひいき目で見なくとも、とても素敵な男性だ。
私に愛を教えてくれたデルクは、それこそ妄信的に私を愛していて、それはきっと私が死んだとしても変わらないだろう。けれど、死んだ人を愛し続けるなんて、そんな悲しいことがあって良いだろうか。彼には私のように愛する事が出来るような女性を見つけて欲しい。
それこそ私なんかより、ずっと素敵な女性と結婚できることだろう。
そうしたら、安心できるから。
けれども、咄嗟に口から出たのは別の言葉だった。
「みんな、大好き……」
「嫌だッ、お母様、死んじゃ嫌だ……!!」
ロアンの声が聞こえる。他の子供たちも泣いているのか、悲痛な嗚咽ばかりが聞こえる。こんなに子供を悲しませるなんて、母親失格だな、と思った。
思い残すことは、たくさんある。
これからの人生、やりたいこともいっぱいあった。
子供たちの成長を見ることもかなわない。母を失うことが、どれほどつらいことなのかということは私がよくわかっていた。
何よりもデルクを残していくのが、心残りだった。
とても強い人だけど、心の弱いところもある人だ。
「デルク……」
まだ生きたかった。
デルクと共に生きたかった。
デルクを、愛しているから。
あふれ出た涙が、一筋零れ落ちるのを感じた。
「子供たちを……お願いね」
なんて残酷なことを彼に負わせるのだろう、と思いながら、それが『レティア』として最後の言葉となった。
別の部屋をご案内します、と侍女が言ったが、デルクは慌てたように部屋の中に入った。何かを探すように、部屋の隅に置かれていた大きな籠の中の物を取り出していく。
その尋常じゃない様子に、私は嫌な予感がした。
「デルク、何か盗まれたら困る物を持ってきたの?」
「ほら、あの……指輪を持ってきてたんだ。たしか、この辺りに入れていたはずなんだけど……」
「まぁ!」
デルクが口ごもるような指輪と言ったら、あれしかない。
デルクご自慢の魔法の指輪だ。
たまにその指輪の力で、庭の木を切り倒したりしていたので、夫婦喧嘩の原因となっていた。私の反応があまり良くない事を気にしてか、今では私に隠れて、その指輪を使っているのを知っていた。けれども、隠し事には向かない性格の人なのだ。何度も破棄するようにと懇願して、渋々ではあったが、ようやく指輪の力を封印すると言っていたはずだった。それがまさか、このような領外にまで持ち出していたなんて思わなかった。
私の呆れたような眼差しに気が付いたのか、デルクは申し訳なさそうな顔つきで呟いた。
「普通の人間には使えないように、施しているから大丈夫だとは思うんだが」
「あれが悪い人の手に渡ったら大変だわ。私も探します」
「お父様、僕も手伝うよ!」
部屋の中はぐちゃぐちゃだったので、家族総出で指輪を探すことになった。デルクが指輪の特徴を子供たちに伝えると、子供たちはすぐに納得したような表情だった。
その事に違和感を感じていると、ロアンが「お父様が内緒だねって言ってたやつだね!」とか言ったので、私は渋い顔になった。
どうやら指輪の存在は、子供の間にも公認の存在だったようだ。
デルクがロアンの口を手のひらで覆ったが、もう遅い。私の視線に気が付いたのか、ロアンは視線を泳がせた。
「ねぇ、あれ」
末っ子ディアンの声に、私は振り返って窓を見た。
その窓は無残にも壊れていて、隙間から雪が入り込んできている。そこからは青空が見えるのだが、どうやら外は雪が降っているらしく、カーテンが風で大きく揺れていた。
そのカーテンが揺れる度に見えるもの――
私の視線は、窓際に座っている小人に釘付けだった。それは私が幼い頃、アイリスにあるディーンの畔で見た小人だった。
その小人は、透明な緑色の羽織ものを着ており、顔色が若干悪いように感じた。私は、何でこんなところに小人がいるんだろうと思いつつ、その顔色の悪さが気になった。
「どうしたの? 迷子にでもなったの?」
返答はなく、窓際に座っている小人はピクリとも動かない。
「イシュラスは寒いでしょう? こちらにおいで」
小人の髪の毛に雪が積もっているのが見えて、私は雪を払ってあげようと思った。花瓶が割れていたので、破片を踏まないように、その可愛らしい小人に近寄っていった。
これが運命の曲がり角になるとも知らずに。
なぜ、こんなところに『小人』がいるのか。
なぜ、部屋は荒らされているのか。
すこし考えればわかることだったのに。
私は不用心だった。
小人が『人間』に危害を加えるはずがない。
そう思い込んでいた。
「危ない! 離れて!」
そんな、切羽詰まったデルクの叫び声が、どこからか聞こえた。
何が起きたのか、一瞬わからなかった。
次に気が付いた時、私は血まみれになって床に倒れていた。
小人が笑っているのを見て、『あぁ、私は小人に何かされたのだ』と気が付いたが、凄まじい腹部の痛みに、私は意識が遠のきそうになっていた。
「レティ……! だ、誰か医者を呼んでくれ……!」
「母上!」
そしてすぐ聞こえたのは、愛する夫と子供の悲壮な叫び。
そしてそれは怒号に変わった。
「貴様! よくもお母様を!」
小人は金色に輝く指輪を見ながら、笑っていた。
たしか、あれはデルクの指輪だ。
厳重に封印してもらったはずなのに、良くみると箱が開封されて床に転がっている。
『すごいね、これ。まるで僕のためにあるような指輪だ。もらっちゃうね』
「それはお前のような小人のために作ったんじゃない! 返せ!」
デルクの叫びに、小人はカクン、と首を傾けた。
『なぜ? なぜ殺しちゃいけないの? 人間は僕たちを殺し続けているのに』
小人の無機質な声を聴きながら、あぁ、やっぱりあの指輪は、この世界に存在してはいけなかったんだ、と私は後悔した。
嫌な予感はしていたのに、なんで後回しにしてしまったのだろう。デルクが喜んでいたから、彼の意向を無視してまで、無理やりに捨てることが出来なかった。
現に、それは私1人の人間を殺すには十分な威力だった。
たくさんの血が床に流れて、血だまりができている。
『じゃぁね、ばいばい』
小人は床に転がっている私を一瞥すると、指輪を持ったまま、壊れた窓から出て行ってしまった。この部屋は3階にあるが、巨木の上で生活をする小人にとって造作もないことだ。騒ぎに気が付いて駆けつけた警備の者が、血相を変えて出ていったが、雪の上に足跡もつかない小人だから、探し出すのは不可能に近いだろう。
「これは……」
お医者様らしい人が私を診て、顔を顰めたのが分かった。
もう助からないでしょうと、俯くお医者様に、ロアンが、そんなはずはない! 母上を殺したら、お前も殺してやる! とわめきたてるのを、デルクが静かにしなさいと制止した。
腹部の痛みは酷かったが、なぜか周囲の声は、良く聞えてきた。止血しようとしてくれているのがわかるが、お医者様の言葉通りに、もう助からないだろうということがハッキリとわかった。
これが最後の言葉になるかもしれない。
そう思ったからこそ、最後の力を振り絞って、彼に伝える。
こうやって気持ちを伝える時間が残っていただけ、私は幸せなのかもしれないと感じながら。
「デルク……ごめんね」
ちょっと遠回りをしたけれど私は、本当の愛を見つけることが出来た。こんなに悲しませてしまって、だめな妻だったかもしれないけど、デルクと出会えて本当に良かった。
デルクは、私なんかよりも、ずっと、この世界に必要な人だ。
もっと彼の傍で生きたかったけど、それも残り僅からしい。それなら、彼のためになるような言葉をかけるのが良いだろう。
デルクはひいき目で見なくとも、とても素敵な男性だ。
私に愛を教えてくれたデルクは、それこそ妄信的に私を愛していて、それはきっと私が死んだとしても変わらないだろう。けれど、死んだ人を愛し続けるなんて、そんな悲しいことがあって良いだろうか。彼には私のように愛する事が出来るような女性を見つけて欲しい。
それこそ私なんかより、ずっと素敵な女性と結婚できることだろう。
そうしたら、安心できるから。
けれども、咄嗟に口から出たのは別の言葉だった。
「みんな、大好き……」
「嫌だッ、お母様、死んじゃ嫌だ……!!」
ロアンの声が聞こえる。他の子供たちも泣いているのか、悲痛な嗚咽ばかりが聞こえる。こんなに子供を悲しませるなんて、母親失格だな、と思った。
思い残すことは、たくさんある。
これからの人生、やりたいこともいっぱいあった。
子供たちの成長を見ることもかなわない。母を失うことが、どれほどつらいことなのかということは私がよくわかっていた。
何よりもデルクを残していくのが、心残りだった。
とても強い人だけど、心の弱いところもある人だ。
「デルク……」
まだ生きたかった。
デルクと共に生きたかった。
デルクを、愛しているから。
あふれ出た涙が、一筋零れ落ちるのを感じた。
「子供たちを……お願いね」
なんて残酷なことを彼に負わせるのだろう、と思いながら、それが『レティア』として最後の言葉となった。
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