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5 変わらないひと
しおりを挟む部屋に入ると、抱っこしながら大樹がキスをしようとしてくる。そこで、僕はあわてて笹塚の唇に手のひらをあてた。
「うおっ、お帰りのチュウは?」
「ちょっと……だって笹塚さんだよ、その姿。というかなぜ笹塚さん? どういうこと?」
「ああ、そうだよな。お預けかよ、まぁ仕方ねぇか? えらいですねぇ、俺の蓮ちゃんは」
僕を下ろして頭をなでる大樹……なのか笹塚なのかわからない。笹塚の姿をした中身大樹。大樹は、部屋を見渡す。
「うわぁ、あいかわらず綺麗にしてくれてんな。えらいぞ、蓮。それにしても、グレフル臭すごくね? 俺の愛しい蓮の香りが薄い。ちょっとなんか嫌だな、自分に似た香りの部屋なんて。俺は最愛の蓮の香りで満たされたいわ!」
「……」
この部屋に入った笹塚を見ていたが、動きがまるで大樹だった。庶民のマンションがなんとも似合わない極上アルファだけど、行動言動が大樹まるだし。
笹塚とは本当に数回会っただけだから、笹塚の動き方はもちろん知らない。それでも話し方はもっと洗練されたような、いかにも上流階級のアルファっぽい人だったはず。大樹は庶民生まれのアルファだから、言葉遣いが少し雑だけど、逞しくてかっこいいところはもう立派なアルファ様だった。僕はそんな彼のすべてが好き。
「おーい、蓮? 最愛の旦那様が帰ってきたどー」
笹塚の姿の大樹をぼうっと見ていると、大樹が目の前で手をひらひらさせてきた。そのふざけた動作が、たまらなく愛おしい僕の最愛の人だと実感する。
「ちょ、やめてよ。笹塚さんの顔で、大樹臭だされるとどうしていいかわからないよ」
「おまっ、三年ぶりの愛しの旦那に臭そうな言い方するなよ」
「してないよ」
僕はアロマディフューザーを止めた。
常に大樹を感じていたかったので、グレープフルーツのアロマオイルはすぐになくなる。それくらい大量に部屋にはグレープフルーツの香りで満たされていたし、海外から無農薬のグレープフルーツだって取り寄せていた。
大樹はそっとそんな僕を背中から抱きしめてくる。
「蓮……ごめんな」
「なんの、謝罪? 僕を独りぼっちにしたこと? それとも僕の元運命の体で現れたこと?」
そっと後ろから回された腕に手をのせる。
大樹とまるで違う指先。大樹は職人みたいにごつごつの手だった。よくロープを使うし、力仕事をしていたとわかるような手。しかし笹塚の手は、体を張った苦労をしていない人そのものであり、男らしく大きい掌は同じだが、太さは違った。
「蓮……」
「笹塚さんの存在、いつから知ってたの?」
笹塚の体に入る時点で、大樹は笹塚を知っていたのだと思い、まずはそれを聞いた。
「えっ、まずはこの怪奇現象に驚くところじゃね?」
「なに、怪奇現象って」
「いや、死んだ旦那がさ、他の男の体を乗っ取って会いに来たの。怖くないか⁉」
面白そうに話す大樹が怖いわけない。笹塚の顔だけど、怖くはない。嬉しいしかない。だって、僕はどんな姿だろうと、大樹に会いたかったから。たとえ肉体がない霊体だとしても問題ない。地縛霊だっていい。大樹なら何でもいいんだから。
だから僕は本心から言った。
「どんな姿でも、会いに来てくれて嬉しい……」
「お前、ほんと、ずっと可愛いわ」
僕の肩に顔を乗せて、僕の香りを確かめる大樹。香りを堪能したあとに、意外な答えが返ってくる。
「こいつの存在は……お前が運命に出会って、苦しんでいたときから知ってた……」
「え!? それって、僕たちがまだ恋人同士で番になる前ってこと?」
「ああ」
僕は驚いて後ろから抱きしめる大樹を振り返った。笹塚の体に入っていることも意味がわからないが、それ以前に、大樹に運命の番の存在を知られていたことに驚く。知っていて、今まで知らないふりをしていた?
「すべて話すから」
「……うん」
大樹に促され、ダイニングテーブルに座る。向かいには、大樹。もちろん見た目は極上アルファの笹塚。
「お前がずっと、死んだ俺のことを想っていてくれるの初めはうれしかったんだ。だけど、俺のこと好きすぎてやつれていく姿は耐えられなかった。俺は、俺じゃない誰かにお前を渡すのは絶対嫌だったんだけど、それ以上にお前が辛い人生を歩む方が耐えられないって、そう考えなおしたんだ」
「ち、ちょっと待ってよ。大樹、成仏できなかったの? 見守ってくれるのも、こうやって会いに来てくれるのも、たとえ体がなくて幽霊だとしても嬉しいけど、大樹を死んだ後まで僕が大樹を苦しめていたの?」
いかにも会社重役みたいな見た目のアルファが、目の前で苦笑いする。顔が整いすぎて、その表情さえも画面越しに見ているかのように遠い存在に見える。
「そういうわけじゃない。こっちのことは言えないけど、俺はお前とやり直したいんだ」
「嬉しい! これからも僕と一緒にいてくれるの? あっ、でも、笹塚さんはどうなっちゃうの?」
大樹は死んでも僕を求めてくれている。それを聞いて歓喜したが、笹塚は将来有望というか、すでにきっと社会には必要な人だろうし、家庭があったりしないのだろうか? やり直すというのは、笹塚の体を乗っとって? それは人の道に反するというか、彼の人生を奪うのは違う気がした。
「俺がここにいられるのは三日間――クリスマスまでだ。それが笹塚との約束」
「え?」
笹塚を心配する思考を感じ取ったのか、大樹は切ない顔をしてそう言う。笹塚との約束とはいったい……? たしかに彼は昨日会ったとき、今の大樹と同じようなことを言っていた。
「お前と夢で話しても、お前の決意は揺るがせないと思って会いに来た。それには肉体が必要で、こいつ……笹塚はお前の運命だったから、お前の話を笹塚の夢の中で話した。そしたら信じてくれて、協力してくれたんだ」
「ごめん、全然意味がわからない。大樹が笹塚さんの体から出たとき、僕も連れてってくれるってことでいいんだよね?」
大樹は真剣な顔をする。
笹塚のことは、きっと大樹と出会っていなければ普通に番として迷わず選んだと思う。それくらいに運命の力は強かった。でもそれ以上に、大樹への僕の恋心が勝った。だから、大樹が死んでからも僕を求めてくれるなら、死ぬのなんて怖くない。
「違うんだ、蓮」
「違わない! 僕は大樹と一緒がいい! たとえ肉体を失っても大樹だけなの」
今までの流れで、大樹が僕を死なせないようにしているのはなんとなくわかっていた。それでも、死んでくれって言われたら、僕は喜んで彼のもとに逝ける。その愛を信用してほしいと思って、苦しくなった。
「わかるよ、ほんとお前俺が好きだもんな。運命の番を諦めるくらいに」
「そうだよ! 僕はあの時、大樹に運命の番の存在を知られたくなくて必死に抗った。もし大樹に知られて、運命のところに行けって言われたら嫌だったから、運命の存在を隠したの。笹塚さんに告白されても、発情しても、体が求めても、僕は大樹が好きで仕方なかったから!」
泣きながら、どれだけ大樹が好きかを語ると、向かいからそっと手が伸びて僕の瞳から零れる涙をすくう。
「お前は……、俺がお前を手放すと思ったか? お前が抗っているのを見て俺は嬉しかったんだ。必死に隠す姿に不安になって、もしかしたら俺の知らないところで番になるのかと疑ったりして、ネックガードは絶対に外れないものを着けたのわからなかった? たとえお前から運命の存在を知らされても、お前を渡す気はなかった。だから、お前から番にしてくれと言ってくれた時、俺、もう死んでもいいって思ったんだ。あの時、俺の運を使い果たしちゃったな、あはは」
「大樹……っ」
大樹は知っていて、僕から大樹のもとに行くのを待っていたんだ。強引なのに、僕の気持ちをちゃんと待っていてくれる大樹。死んでからも僕を夢中にさせるずるい男。
「ま、運命の男は傷心で日本を出たのは調査済みだったし、そこはもう気にしてなかったのだけどな」
「じゃあ、なんで笹塚さんにこんなことさせたの? 目的は何?」
大樹は言う。
「お前をこの男の番にすること」
「え……」
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