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第五章 戸惑い
103、良太の苦悩 3
しおりを挟む岩峰家に着くと、絢香が玄関まで出迎えてくれた。
「良、お帰り! さぁ入って!」
安定の天使がいた。きっと勇吾さんから連絡がきて、俺を待っていてくれたのだろう。そして室内に入ると華と岬が戯れている。うん、可愛いな、癒される。
「良君! わぁ――どうしたの!? 平日に会えるなんて、すんんごぅく嬉しいよぉ」
俺に気づいた岬が、ワンコばりに抱きついてきた。
はぁ俺の癒し、可愛い。
すかさず抱きしめてぎゅうぎゅうにした。そしたら岬が笑いながら、苦しいよぅっと抵抗してきた。俺は急いで力を緩めて、そしておでこにキスをしてただいまって言った。
長期の休みでもないのに、土日以外でここに来たのは学園に入って初めてだった。
「良、お腹すいたよね? これから夕食だよ。勇吾さんはだいたい夜遅くまでお仕事だから、平日は一緒に食べられないのよ。ミサちゃんあなたがいてとても喜んでるね! 私も嬉しいわ」
いったい絢香は勇吾さんから何を聞いているのだろう、もしくは何も聞いてないのか。それにしても俺を気遣ってくれているのはわかる。それでもいつもとおんなじ日常がとても嬉しい。
俺たちは美味しい食事をして、みんなで仲良く楽しい時間を過ごした。食事が終わると俺は岬と風呂に入った。岬は食事中も風呂でも大はしゃぎで、疲れて船を漕ぎ出したからそのまま岬専属のお手伝いさんが引き取ってくれたので、寝かしつけまでお願いした。そして俺は絢香の部屋へと向かった。
「絢香、急にきてびっくりしたよね? 勇吾さんからは何か聞いた?」
絢香と隣同士でくっついて地べたで話をはじめた。ここは床暖房だしあったかいし、だらだらできる。秋に入り少し寒くなってきた体にはほんのり気持ちいい。行儀悪いけど、絢香とは昔からの癖で地面に直接座って話す、それが落ち着く。
「ううん何も聞いてない。少し落ち込んだ良が帰ってくるから、優しく迎えてあげてってだけよ。言いたくないなら言わなくてもいいのよ、あなたとっても疲れた顔しているもの。今日はもうゆっくり休んだら?」
「ありがと、ねぇそういえばさ、絢香あの薬どうだった?」
「えっ? 薬……」
「新薬、使ったんでしょ? 俺もあれ使って勇吾さんとしたいって思ってる」
俺はカマをかけた。
治験者は絢香だと確信はあったんだ。あの薬、以前絢香の部屋で見たから。でも一体誰と? そこまでは想像もつかなかった。ただ、絢香自身が望んだものだったのかそれが知りたかった。
「ダメよ! 良はまだ使っちゃだめ、あれは副作用が酷く出るから。でもなんで良がそのこと知っているの? 勇吾さんからどこまで聞いたの?」
「やっぱり使ったオメガって絢香だったんだね。俺、今日勇吾さんの職場であの薬を見たんだ。前に絢香の部屋にあったやつだった。この薬はって聞いたら、例の薬だって教えてくれたんだ。で? 誰としたの? それは絢香の意思だったの? それとも無理矢理されたのか!?」
俺は否定して欲しかった、治験協力者は金が欲しいどこかの知らないオメガで、絢香では無いと思いたかった。
「良、違うのよ。私の意思よ、もうすぐ授乳も終わる。そうしたら私はまた発情期がくる、以前調べてもらったの。どの薬が合うかを、だけど私の体は番を得て変わってしまったみたいで血液検査では、今あるどの薬も合致しなかった」
「そんな、だって前は大丈夫だったじゃん! 番がいたって薬使う人は使うでしょ?」
「たまにこういう人もいるんだって。オークションでの契約もあるから番は一生解除されないにしても、やっぱり怖いのよ……。だから発情期前に治験でもいいから試したかったの」
「……相手は誰? 好きな人じゃなきゃ、絶対できないって昔言ったよね? でも絢香が知り合う男なんて、一人しかいないよ……。ねえ、勇吾さんと寝たの?」
「そんなわけないでしょ! あなたの大事な旦那様になる人と! 勇吾さんにも失礼よ。違うわ、誓って彼じゃない」
「信じられないよ、そんなの、だって他にいないじゃん。いいよ、勇吾さんが好きなら絢香にあげる、俺なんかよりよっぽどお似合いだよ」
俺はもう疲れた。
番には騙されるし、勇吾さんや絢香にまで騙されていたって知った時、どうしようもなくなるのがひどく怖い。
俺、結局どうしたらいんだ? どんな選択肢もない。
「違うのよ、本当に勇吾さんじゃない。相手は桐生さん。あなたのお爺様よ、私が無理にお願いしたの……」
「へっ、ジジイ? ジジイって、だってあの人いくつ? えっ!? なんで? いや確かにさ、ああ見えて現役そうな気はするけど」
絢香は気まずそうに、恥ずかしそうに話した。
「あのね、気を悪くしないで欲しいんだけど、私、桐生さんが好きなの」
「えっ」
俺は驚いた。
絢香は、それからゆっくりと好きになった経緯を話してくれた。外に出られなくなった精神状態が続く中、根気よく誘ってくれて外に連れ出してくれたジジイに惚れたって言っていた。
いつの間にそんなこと?
外を歩けない絢香を思い、ヘリで夜景を見せに連れ出してくれたり、桐生の家に一流のコックを呼んで外食さながらの雰囲気にしてくれたりと、最高のデートをしてくれたんだと。
「そんな素敵な人だもの、好きになっちゃうよ」
赤い顔して恥じらいながら惚気る絢香は、とても可愛かった。
そしてダメもとでジジイに治験の相手役になって欲しいと頼んだ。薬の支援をしている親元だしこの成功を願っているのを知っていたから、もしかしたらしてくれるかもと願いを込めて、知らない人とじゃできないって、誘ったって言った。
「私が惚れているのはすぐにバレてしまってね、彼は亡くなった奥様以外は愛せないって言った、でもそれでもいいからって何度も頼み通したの」
そんなに、ジジイを?
「あの人に抱かれて、とても幸せな気持ちになれたの、たとえ愛してもらえなくても後悔はないわ」
俺はこんな絢香を初めて見た。あの時、運命と番になった時は勢いもあったし、今とは違った。
でも今みたいにじわじわと、好きだって自覚されると本気なんだって伝わってきた。
「そう、絢香、良かったね、好きな人できて、抱いてもらえて……」
「良……、怒らないの? いやじゃない?」
「俺にそんなの思う権利はないよ。俺は絢香が幸せなるのを見届けたかったから、もう俺の役割は終わって少しほっとしたくらいだよ」
「良? なんでそんなこと言うの? 見届けるって何? あなたが大事なことには変わりないのよ?」
「じゃあ、絢香は俺になんて言って欲しいの? 俺だってもうわからないよ……。ごめん、今日は疲れた。もう休むね、おやすみ」
絢香は戸惑っていたけど、これ以上俺とどう接していいか分からずにいるみたいだった。俺はそのまま自分の部屋へ行き、服に着替えてこっそり岩峰家を出た。
俺の役割も、居場所も、ここにはない。
そもそも治験に協力するのは、絢香が今後、番がいなくても暮らせるためだった。でももうジジイが抱いてくれている。そしてあと一年もすれば副作用もなく薬を使えるようになるだろう。だったら俺はもう必要ないし、絢香が幸せならそれでいい。それが全てだ。そして絢香は初めて好きな人ができて、その人と結ばれた。俺の生きる意味はもうない。
俺は途方もなく、夜の町にでた。
ホームレスをしていた子供時代に逆戻りだ。でもあの頃と違うことが一つある。子供の時は本能でお腹が空くから食べる、それしかないと思うただの動物だった。
でも今は違う。
今の俺は、生きないという選択もできる。最悪それでもいいだろう、そう思った。
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