前世で僕を裏切ったはずの恋人が、生まれ変わっても離してくれない

めがねあざらし

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14、隔離された世界(後)

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 どれほどの時が過ぎたのか、それすらも曖昧になっている。
 あの日──この塔に囚われてから、リアンの世界は静寂に閉ざされていた。
 窓の向こうに広がる空は、明るさを変えながら過ぎていくが、それが朝なのか昼なのか、確信を持てない。
 記憶はにじみ、思考は淀み、日にちの感覚はじわじわと剥がれ落ちていく。
 ——こんなにも静かに、心は蝕まれていくものなのか。リアンは初めて知った。

 カチャンカチャン──。
 その音だけが、現実を強制的に引き戻す。
 重々しく鳴る金属音が、空間の底を震わせた。

 ベッドの端に、リアンは膝を抱えて座っていた。
 足首には魔術の足枷。
 美しい銀細工のそれは、しかし、いかなる刃も通さぬ絶対の檻だった。

(……また、朝、なのか)

 ゆっくりと瞼を開く。
 天蓋の布が風にそよぎ、かすかに揺れている。
 上体を起こそうとした瞬間、全身に鈍い痛みが走った。

「っ……」

 思わず息が詰まり、喉の奥で小さな声が漏れる。
 腕には、昨夜の名残。
 紫に変色した痕が、じんわりと浮かんでいる。

 ふと目に入った鏡の中、自分の姿がそこにあった。
 首筋には、熱を帯びた紅い痕がいくつも刻まれている。
 それらはまるで、所有の証のようで、吐き気すら覚えるほどだった。

(……これが、現実……)

 見ていられず、視線を逸らす。
 しかし、足首に絡んだ鎖がひやりと冷たさを主張し、リアンを逃がさない。

(僕は……本当に、ここから出られない)

 胸の奥がきゅう、と締めつけられる。
 涙がこみ上げそうになり、唇を強く噛みしめた。

 そのとき——。

「チュン……チュン……」

 細く透き通る鳴き声が、張り詰めた空気を揺らした。
 リアンは思わず横を向く。
 机の上の鳥籠の中、小さなノアが羽を震わせながら、じっとこちらを見ていた。

(ノア……)

 指先をそっと伸ばすと、温かな小さな体が寄り添ってくる。
 羽のぬくもりが、指の節をじんわりと包んだ。
 言葉を持たないその命が、まるで「まだ終わりじゃない」と伝えてくれている気がした。

(……僕は、まだ……ここにいる。消えてない)

 その瞬間——また扉が、音を立てて開いた。

 ガチャリ。

 肩がびくりと震えた。
 現れたのは、やはりカイオス。
 手には銀盆。湯気の立つスープと、鮮やかに彩られた果物の皿。

(……朝食……?)

 眉がかすかに寄る。
 王である彼が自ら食事を運ぶなど、常識では考えられないことだった。
 だが、カイオスは平然と歩み寄ってきた。

「起きていたか。食事を用意させた」

 机の上に盆を置くと、そのままリアンの前に腰を下ろす。
 目を見据えたまま、言い放った。

「食べろ」

 命令のような響き。けれど声色は穏やかで、逆に不気味さを感じさせた。

「……お前の世話など、必要ない」

 リアンはカイオスを睨みつける。
 怒りとも屈辱ともつかぬ感情が、瞳の奥に揺れていた。

「お前は私の妃だ」

 カイオスの声は揺るがない。
 もはや異常なまでの確信を帯びている。

「だから、当然のことをしているまでだ」

 リアンの拳が震えた。
 その膝の上、細い指が白くなるほど力が入る。

「閉じ込めておいて……好きにしておいて……」

 声を発するたびに、胸の奥が焼かれるような痛みを生む。

「そんなもの……愛じゃない……!」

 怒声が静寂を引き裂くように響いた。

 それでもカイオスは、静かに手を伸ばす。
 リアンの頬に触れ、囁くように言った。

「愛ではない……?」

 その瞳に、燃えるような熱が宿る。

「ならば、これは何だ?」

 リアンの顔が、逃れる間もなく引き寄せられる。
 目の前には、底知れぬ水底のように暗いカイオスの瞳。
 その中に映るのは、自分ひとりだけだった。

「私は、お前を手に入れた」

 その言葉の重さが、肌の奥まで染み込んでくる。

「何度でも言おう。お前がどれだけ拒もうと、私はお前を逃がさない」

(狂ってる……)

 リアンは息を詰め、喉奥で音を立てず呻く。

 カイオスの指が、首筋の痕をなぞる。
 まるで愛おしむように、優しく──けれど確信をもって。
 昨日刻まれた印が、じわりと熱を取り戻していく気がした。

「……食べろ」

 繰り返されるその言葉は、命令と慈愛の仮面を被った鎖だった。

 リアンはゆっくりと拳を開く。
 足枷が冷たく肌に絡みつく。逃げられない。ここは檻だ。

(ここにいたら……本当に、僕は壊れる)

 そのとき、ノアが「チュン」と小さく鳴いた。

 リアンの視線が自然と鳥籠へと向かう。

(そうだ……僕には、まだ)

 心の奥に、灯りのように残っている名──ネヴェリア。
 その名前だけが、唯一、世界とつながる希望だった。

 何も言わず、リアンはスプーンを手に取った。
 目の前では、カイオスが満足げに微笑んでいる。

(僕はまだ、終わっていない。絶対に、ここから……)

 熱いスープが喉を落ちていく。
 その温度だけが、かろうじて自分の輪郭を確かにしていた。



 待ちわびた満月の夜——。
 バルコニーを細く撫でる風が、夜の静けさを引き連れて室内へと吹き込んでくる。
 その静寂を破るように、鏡面が淡く揺らぎ、そこから現れたのは……ネヴェリアだった。

「リアン……私の可愛い子」

 囁くような声に、リアンの胸が詰まる。
 姿を認めたとたん、彼は思わず駆け寄った。

「ネヴェリア……! 待っていたんだ……! お願いだ。僕をここから出してくれ……どうすればいいか、もう……わからない」

 吐き出した声は切実で、縋るような響きすら帯びていた。
 カイオスの執着は日増しに深まり、その影にリアンの心はすり減っていくばかりだった。
 扉を睨んでも、窓の向こうを見つめても、逃れる手段はどこにも見つからない。
 歩けば鎖が鳴り、それがまるで“絶望”という名の合図にすら思えてしまう。

「いいわ」

 微笑むネヴェリアの表情は変わらず美しく、その穏やかさがほんの少し、リアンの胸に安堵を灯す。

「でも、リアン。今のままではあなたは逃げられない」
「……ああ……」
「この塔は監視が厳しすぎるわ。ここにいる限り、お前に自由はない」

 ネヴェリアの視線がゆるやかに部屋を一巡し、バルコニーから吹き込む風に髪をなびかせた。

「だから、まずはこの塔を出るのよ」
「どうやって……?」

 問い返すリアンに、ネヴェリアはゆっくりと告げた。

「カイオスを騙しなさい」

 その一言に、リアンの呼吸が止まる。

「……騙す……?」

「ええ。あなたがまだ彼に反抗的である限り、カイオスはお前を決してこの塔から出さない」

「……っ」
「だから、こう言うのよ」

 そっとネヴェリアはリアンの頬に手を添える。
 その指先はひんやりとしていて、どこか誘うような冷たさを帯びていた。

「『あなたのそばにいたい』と」

 リアンの背中に、冷たいものが走る。
 その言葉を口にすれば——カイオスはきっと……。

「塔より自由な場所へ移れば、逃げる隙が生まれる」

 ネヴェリアの瞳が、ほんの一瞬だけ鋭く光った。

「あなたの目的はただ一つ。塔を出て、もっと自由な空間へ身を移すこと。それだけよ」





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