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15、偽りの服従(前)
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朝の光が、薄く寝室に差し込んでいた。
夜の湿り気を帯びた空気が、陽光によってゆっくりと乾いていく。
外の世界は確かに朝を迎えているというのに、心には未だ夜の影が張りついたままだ。
リアンは、昨夜ネヴェリアに告げられた言葉を繰り返し思い返していた。
(……本当に、これでいいのか)
冷たい疑念が、胸の奥に沈んでいる。
胸の奥がざらつく。
カイオスを欺き、この塔から出る。
それが自由への唯一の道なら——
「やるしかない」
小さく息を整えた。
愛なんて、要らない。ましてや、カイオスの愛など。
幾度もそう自分に言い聞かせてきたはずだった。
けれど、喉の奥にひっかかった棘は、そう簡単には消えてくれない。
けれど、脳裏に浮かぶのは昨夜の残滓。
熱を帯びた指先が自分の肌をなぞったこと。
耳元で囁かれた低い声に、思わず身体が震えたこと。
思い出したくないのに、体の奥が勝手に記憶を繰り返す。
(僕は……どうして……)
揺れる感情が、思考の輪郭を曖昧にしていく。
これ以上、こんなふうに染められてはならない。
このままここにいれば、どこかの瞬間に——本当に心まで囚われてしまう。
その予感が、現実のものになりかけていた。
逃げなければ。過去の過ちを、二度と繰り返すわけにはいかない。
そのとき、扉の開く音が響いた。
振り返ると、朝の光を背に、カイオスがいつものように現れる。
陽光を受けた金色の髪が、神聖な輝きを纏っていた。
その姿が、どこか現実離れして見えたのは、光のせいか、それとも——。
「調子はどうだ?」
柔らかな声。
その響きに、リアンの胸が無性にざわつく。
親密さを含んだ声音が、心の奥まで滑り込んでくる。
(……惑わされるな)
内に湧き上がる嫌悪と戸惑いを必死で飲み込みながら、リアンは演じる覚悟を決めた。
今ここで揺らいでは、すべてが水泡に帰す。
「……カイオス」
拗ねたように、静かに名を呼ぶ。
カイオスはわずかに目を細め、顔を近づける。
その距離感さえ、計算されたように感じる。
「どうした?」
リアンはシーツを握りしめ、俯き加減に顔を上げた。
青い瞳が迷いを湛える。
ほんの一瞬でも疑念を与えれば、彼は見抜くだろう。
「……ここを出たい」
一瞬、カイオスの顔が固まった。
だがすぐに、冷静な色がその瞳に戻る。
表情の影は消え、平静を装った仮面が戻る。
「なぜだ?」
リアンは視線を落とし、唇を噛んだ。
問いの鋭さに、身体が無意識にこわばる。
「ずっと……考えていたんだ」
夜ごと抱かれるたびに、何かが削れていく気がしていた。
それが何なのか——怖くて、考えるのも拒みたくなる。
記憶や感情、誇り、自分という存在そのもの。
それらが静かに削られている気がした。
(でも、それは言えない)
「このままあなたを拒み続けるのは……無意味なのかもしれないって」
カイオスの瞳が、鋭く光る。
その光に背中を押されるように、リアンはそっと彼の袖を掴んだ。
温かい。
拒むはずのその体温が、心の奥に沁みてくる。
それは毒のように、じわじわと感覚を麻痺させていく。
(……離せない)
自分のどこかが、それを拒むことをためらっている。
今も、指先が迷っている。
(違う……僕は……)
カイオスを完全に憎み切れない。
その事実を自覚するのが、何よりも怖かった。
だが——もう後には引けない。
ここでためらえば、チャンスは二度と来ない。
「……もう、あなたを拒みたくない」
その言葉を吐いた瞬間、背筋に冷たいものが走る。
自分ではない誰かの声のように聞こえた。
吐き出した言葉が、口の中に苦味を残す。
カイオスの目が、じっとリアンを見据える。
(……頼む、騙されてくれ……)
カイオスは、ゆっくりとリアンの手を取り、その甲に唇を落とす。
「……そうか」
低く囁くような声が、鼓膜を撫でた。
その声音に、甘さと狂気が滲む。
「ならば、お前を塔から出そう」
心臓が跳ねた。
(うまく……いった……?)
だが喜びを表に出してはならない。
ここからが始まりなのだから。
「……本当に?」
「当然だ」
カイオスはリアンの手を包み、まっすぐに見つめてくる。
その眼差しに、一切の躊躇はない。
「お前が私のそばにいると言うなら——どこへでも連れて行こう」
声は甘やかで、優しさすら滲んでいた。
だが、その奥に見え隠れするのは、濁りのない執着。
それは狂信にも近い、狂おしい執念。
「ずっと……私のそばにいると、誓えるか?」
リアンの指がわずかに震える。
その動きを悟られぬよう、指先に力を込めて固く握りしめた。
「……誓うよ」
自分が口にした言葉が、あまりに嘘くさく聞こえて、胸が痛んだ。
カイオスはしばし無言でリアンを見つめていた。
その瞳に、どこか試すような光が宿る。
「ならば——お前から口付けをしろ。この私に」
背筋がぞわりと粟立った。
リアンの喉が、かすかに鳴る。
それは、嘘を肯定する儀式だ。
身体をもって、従順を示すという証明。
(これ以上、僕の心まで……)
リアンは、拳をぎゅっと握りしめた。
逃げたい。けれど、逃げられない。
「……わかった」
静かに応じる声は、微かに震えていた。
リアンはそっと顔を寄せていく。
近づくほどに、カイオスの体温が強くなる。
あと指一本分。あと吐息ひとつ分。
カイオスはただじっと受け入れの姿勢で座し、見下ろしていた。
(……これは演技だ。そう、ただの……)
そう言い聞かせながら、リアンの唇が触れた。
けれど、その瞬間。
カイオスの腕がリアンの背を強く引き寄せる。
唇が塞がれ、深く、熱く、喰らいつくような口づけに変わる。
「……んっ……!」
舌が触れ、唾液が絡み合う。
リアンの指が、思わずカイオスの胸元を掴んだ。
舌を、逃がさないように絡め取られる。
(違う……これは嫌、だ……!)
拒みたい。なのに、背筋が震える。
身体のどこかが、震えに応えてしまっていた。
唇が離れる。糸を引いた唾液が、熱を帯びて頬を伝う。
「よくできたな、リアン」
満足そうに囁く声が、耳の奥に染み込む。
「その口づけだけで、私の妃としての覚悟が伝わる」
(……これは、罠だ……)
リアンは、目を伏せたまま、静かに唇を舐める。
そこに残るのは、自分のものではない味。
支配の記憶だった。
(……本当に、これで……)
そう問いかけても、もう後戻りはできない。
自由のため。逃れるため。
そのはずなのに、喉の奥に引っかかる何かが、じわりと重く沈んでいた。
ふと、カイオスの唇が、リアンの首筋へとそっと触れる。
柔らかく、けれど決して逃がさない印をなぞるように。
「……ならば、お前を連れて行こう」
その囁きに、肌が粟立つ。
——安堵ではなかった。
それは、捕らえられた者が感じる冷たい恐怖に似ていた。
(本当に……この人から逃げられるのか?)
疑念が胸に灯る。
だが、もはや後戻りはできなかった。
リアンは、カイオスの胸元で小さく拳を握る。
(次の満月の夜までに……必ず……)
——そしてリアンは、「新たな檻」へと移されることになった。
夜の湿り気を帯びた空気が、陽光によってゆっくりと乾いていく。
外の世界は確かに朝を迎えているというのに、心には未だ夜の影が張りついたままだ。
リアンは、昨夜ネヴェリアに告げられた言葉を繰り返し思い返していた。
(……本当に、これでいいのか)
冷たい疑念が、胸の奥に沈んでいる。
胸の奥がざらつく。
カイオスを欺き、この塔から出る。
それが自由への唯一の道なら——
「やるしかない」
小さく息を整えた。
愛なんて、要らない。ましてや、カイオスの愛など。
幾度もそう自分に言い聞かせてきたはずだった。
けれど、喉の奥にひっかかった棘は、そう簡単には消えてくれない。
けれど、脳裏に浮かぶのは昨夜の残滓。
熱を帯びた指先が自分の肌をなぞったこと。
耳元で囁かれた低い声に、思わず身体が震えたこと。
思い出したくないのに、体の奥が勝手に記憶を繰り返す。
(僕は……どうして……)
揺れる感情が、思考の輪郭を曖昧にしていく。
これ以上、こんなふうに染められてはならない。
このままここにいれば、どこかの瞬間に——本当に心まで囚われてしまう。
その予感が、現実のものになりかけていた。
逃げなければ。過去の過ちを、二度と繰り返すわけにはいかない。
そのとき、扉の開く音が響いた。
振り返ると、朝の光を背に、カイオスがいつものように現れる。
陽光を受けた金色の髪が、神聖な輝きを纏っていた。
その姿が、どこか現実離れして見えたのは、光のせいか、それとも——。
「調子はどうだ?」
柔らかな声。
その響きに、リアンの胸が無性にざわつく。
親密さを含んだ声音が、心の奥まで滑り込んでくる。
(……惑わされるな)
内に湧き上がる嫌悪と戸惑いを必死で飲み込みながら、リアンは演じる覚悟を決めた。
今ここで揺らいでは、すべてが水泡に帰す。
「……カイオス」
拗ねたように、静かに名を呼ぶ。
カイオスはわずかに目を細め、顔を近づける。
その距離感さえ、計算されたように感じる。
「どうした?」
リアンはシーツを握りしめ、俯き加減に顔を上げた。
青い瞳が迷いを湛える。
ほんの一瞬でも疑念を与えれば、彼は見抜くだろう。
「……ここを出たい」
一瞬、カイオスの顔が固まった。
だがすぐに、冷静な色がその瞳に戻る。
表情の影は消え、平静を装った仮面が戻る。
「なぜだ?」
リアンは視線を落とし、唇を噛んだ。
問いの鋭さに、身体が無意識にこわばる。
「ずっと……考えていたんだ」
夜ごと抱かれるたびに、何かが削れていく気がしていた。
それが何なのか——怖くて、考えるのも拒みたくなる。
記憶や感情、誇り、自分という存在そのもの。
それらが静かに削られている気がした。
(でも、それは言えない)
「このままあなたを拒み続けるのは……無意味なのかもしれないって」
カイオスの瞳が、鋭く光る。
その光に背中を押されるように、リアンはそっと彼の袖を掴んだ。
温かい。
拒むはずのその体温が、心の奥に沁みてくる。
それは毒のように、じわじわと感覚を麻痺させていく。
(……離せない)
自分のどこかが、それを拒むことをためらっている。
今も、指先が迷っている。
(違う……僕は……)
カイオスを完全に憎み切れない。
その事実を自覚するのが、何よりも怖かった。
だが——もう後には引けない。
ここでためらえば、チャンスは二度と来ない。
「……もう、あなたを拒みたくない」
その言葉を吐いた瞬間、背筋に冷たいものが走る。
自分ではない誰かの声のように聞こえた。
吐き出した言葉が、口の中に苦味を残す。
カイオスの目が、じっとリアンを見据える。
(……頼む、騙されてくれ……)
カイオスは、ゆっくりとリアンの手を取り、その甲に唇を落とす。
「……そうか」
低く囁くような声が、鼓膜を撫でた。
その声音に、甘さと狂気が滲む。
「ならば、お前を塔から出そう」
心臓が跳ねた。
(うまく……いった……?)
だが喜びを表に出してはならない。
ここからが始まりなのだから。
「……本当に?」
「当然だ」
カイオスはリアンの手を包み、まっすぐに見つめてくる。
その眼差しに、一切の躊躇はない。
「お前が私のそばにいると言うなら——どこへでも連れて行こう」
声は甘やかで、優しさすら滲んでいた。
だが、その奥に見え隠れするのは、濁りのない執着。
それは狂信にも近い、狂おしい執念。
「ずっと……私のそばにいると、誓えるか?」
リアンの指がわずかに震える。
その動きを悟られぬよう、指先に力を込めて固く握りしめた。
「……誓うよ」
自分が口にした言葉が、あまりに嘘くさく聞こえて、胸が痛んだ。
カイオスはしばし無言でリアンを見つめていた。
その瞳に、どこか試すような光が宿る。
「ならば——お前から口付けをしろ。この私に」
背筋がぞわりと粟立った。
リアンの喉が、かすかに鳴る。
それは、嘘を肯定する儀式だ。
身体をもって、従順を示すという証明。
(これ以上、僕の心まで……)
リアンは、拳をぎゅっと握りしめた。
逃げたい。けれど、逃げられない。
「……わかった」
静かに応じる声は、微かに震えていた。
リアンはそっと顔を寄せていく。
近づくほどに、カイオスの体温が強くなる。
あと指一本分。あと吐息ひとつ分。
カイオスはただじっと受け入れの姿勢で座し、見下ろしていた。
(……これは演技だ。そう、ただの……)
そう言い聞かせながら、リアンの唇が触れた。
けれど、その瞬間。
カイオスの腕がリアンの背を強く引き寄せる。
唇が塞がれ、深く、熱く、喰らいつくような口づけに変わる。
「……んっ……!」
舌が触れ、唾液が絡み合う。
リアンの指が、思わずカイオスの胸元を掴んだ。
舌を、逃がさないように絡め取られる。
(違う……これは嫌、だ……!)
拒みたい。なのに、背筋が震える。
身体のどこかが、震えに応えてしまっていた。
唇が離れる。糸を引いた唾液が、熱を帯びて頬を伝う。
「よくできたな、リアン」
満足そうに囁く声が、耳の奥に染み込む。
「その口づけだけで、私の妃としての覚悟が伝わる」
(……これは、罠だ……)
リアンは、目を伏せたまま、静かに唇を舐める。
そこに残るのは、自分のものではない味。
支配の記憶だった。
(……本当に、これで……)
そう問いかけても、もう後戻りはできない。
自由のため。逃れるため。
そのはずなのに、喉の奥に引っかかる何かが、じわりと重く沈んでいた。
ふと、カイオスの唇が、リアンの首筋へとそっと触れる。
柔らかく、けれど決して逃がさない印をなぞるように。
「……ならば、お前を連れて行こう」
その囁きに、肌が粟立つ。
——安堵ではなかった。
それは、捕らえられた者が感じる冷たい恐怖に似ていた。
(本当に……この人から逃げられるのか?)
疑念が胸に灯る。
だが、もはや後戻りはできなかった。
リアンは、カイオスの胸元で小さく拳を握る。
(次の満月の夜までに……必ず……)
——そしてリアンは、「新たな檻」へと移されることになった。
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