前世で僕を裏切ったはずの恋人が、生まれ変わっても離してくれない

めがねあざらし

文字の大きさ
23 / 28

12、選択(前)

しおりを挟む
「やめろっ‼」

 カイオスが海水を蹴って踏み出そうとした、その刹那。

「……僕は……」

 リアンの指先が、微かに震えた。
 握る短剣の刃先が、月光を受けてかすかに白く光る。

(違う、こんなのは……違う……!)

 鋭い冷たさが胸元に向かう。だが、その行き先は——。
 刃が貫いたのは、カイオスではなく、リアン自身の胸だった。

「リアン‼」

 海風に混じって、カイオスの叫びが荒々しく響く。
 次の瞬間、リアンの体が、糸の切れた人形のように力を失い、濡れた衣の重みごと、カイオスの腕の中へ崩れ落ちた。

 指の間からこぼれる温かい血が、海水に触れてすぐに冷たくなる。波間で揺れながら、赤はゆっくりと溶けて消えた。

「な……ぜ……」

 耳に届いたネヴェリアの声は、困惑と苛立ちをはらんでいた。

「どうして……!」

 リアンは、薄れゆく意識の中で、小さく、けれど確かに微笑んだ。

「僕は……僕でありたいんだ……」

(誰かの所有物じゃなく……誰かの手に操られるんじゃなく……)

「僕は……僕なんだ……」

 血が、波打ち際に広がっていく。波が寄せるたび、鮮やかな赤は白い泡にちぎられ、夜の海へと溶けた。
 ざぶん、と水が跳ね、リアンの体は冷たい海の上に崩れ落ちる。
 胸元には深々と短剣が突き立ち、その刃からは途切れ途切れに赤が滲み続けていた。

「リアン……!」

 カイオスは、絶望の色に染まった瞳で、濡れた体を抱き締めた。
 その呼吸は浅く、唇の色は蒼白で、震える指先がカイオスの衣を弱々しく掴む。

「なぜ……なぜこんなことを……!」

 問いかけても、答えは返らない。
 ただ、海風に揺れた唇から、かすかな吐息がこぼれた。

「……僕は……」

 涙に濡れた瞳が、真っ直ぐカイオスを見つめる。そこには、もう憎しみも怒りもなかった。
 ただ——

「僕は……誰のものでもない……」

 その瞼が、ゆっくりと閉じていく。

「リアン‼」

 海面を割るようなカイオスの叫びが、夜の空気を震わせた。
 腕に抱いた体から温もりが急速に奪われていく。胸の鼓動は頼りなく、指で探っても確かめるのがやっとのほど微弱だ。

 カイオスは震える手で、冷えかけた頬に触れた。

「私はお前に誓っただろう……〝ずっとお前を愛する〟と……なのに……!」

 その額を、濡れた前髪ごと押し当てる。海水と血の匂いが鼻を刺し、息が詰まりそうになる。

「お願いだ……もう一度、目を開けてくれ……! ようやく、ようやく出会えたんだ……!」

 だが、リアンの唇は固く閉ざされていた。

「なぜ……」

 ——その時、海の向こうからネヴェリアの声が響く。
 カイオスは顔を上げる。
 血に染まる波の先、白銀の髪の魔女が、薄く笑んで立っていた。

「リアン……なぜ……」

 海面の向こう、赤く染まった水を足元にまといながら、ネヴェリアは静かに立っていた。
 白銀の髪が夜風に揺れ、その視線は氷の刃のように鋭く、何かを見透かすようにこちらを射抜いている。
 だが、カイオスに彼女へ向ける時間も余裕もなかった。
 腕の中のリアンは、氷のように冷たく、胸元でかすかに揺れていた吐息も今にも消えそうだ。

「……頼む、リアン……」

 頬を撫でる指が小刻みに震える。
 返事はない。

 音のない世界の中、カイオスの胸の奥で何かが崩れ落ちていく。
 どれほどの力を持とうと、どれほど願おうと——この手の中の命だけは、掴みとることができないのか。
 奈落に沈みかけた、その時。

 ——ざぶん。
 静かな波の奥から、何かが近づいてくる気配がした。
 カイオスは、ふと顔を上げる。

「……?」

 波間に揺れる白銀の髪と、淡く輝く青の鱗。
 海の夜を映したような瞳が、まるで時間を超えてこちらを覗き込むように静かにリアンを見つめていた。
 それは近づくたびに、月光を拾い、濡れた髪の先からしずくがこぼれる。しずくは水面に落ち、小さな波紋を幾重にも広げていく。
 神話から抜け出たようなその姿に、カイオスの呼吸が浅くなる。

「……人魚……?」

 しかし、それはただの人魚ではなかった。
 纏う空気は、海の底の静けさと、長い時を潜ってきた者だけが持つ重みを孕んでいる。

「……アクアフィナの血に連なる者……」

 囁くような声が、夜の海の音に溶けた。
 その目は、カイオスではなく、傷ついたまま腕の中にいるリアンをまっすぐに射抜く。

「この者は、かつての王族の魂……なのに、こんなにも傷ついているのか」

 海水に滲む血が、月光を受けて揺れる。
 人魚は、静かに息を吐きながら言った。

「哀れなことだ……お前は本来、海の王族の血を継ぐ者……こんな形で倒れている姿を見るのは、あまりにも悲しい」

 カイオスが、荒い息をつきながら人魚を見据える。

「お前は……リアンを助けられるのか」

 人魚は、ゆっくりとカイオスへと視線を移す。

「……お前は、あの時の〝人間〟か」

 その瞳に宿るのは、深い追憶と、ほの暗い問い。

「かつて、海の王族の血を受け継ぐ者が、人間を愛した……だが、その愛は裏切られた。そして、同じことがまた繰り返されているのか……?」

 カイオスの拳が震える。

「……違う」

 海の底まで届くような低さで、搾り出す。

「私は、リアンを裏切ってなどいない……!」

 人魚はただ目を細め、答えを急がせることはしなかった。

「そうか。その言葉は、この者が目を覚ました時に確かめるといい」

 やがて、人魚は自らの指先を短剣の刃に押し当てた。
 皮膚が裂け、青い血がじわりと溢れ、滴となって海へと落ちる。
 月光の下でそれは宝石のようにきらめき、ゆっくりとリアンの唇へと流し込まれる。

「アクアフィナの血に連なる者よ——目を覚ませ」

 波の音が一層深く響き、カイオスの腕の中の体がかすかに震えた——
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

冤罪で追放された王子は最果ての地で美貌の公爵に愛し尽くされる 凍てついた薔薇は恋に溶かされる

尾高志咲/しさ
BL
旧題:凍てついた薔薇は恋に溶かされる 🌟第10回BL小説大賞(2022年)奨励賞。2025年11月アンダルシュノベルズより刊行🌟 ロサーナ王国の病弱な第二王子アルベルトは、突然、無実の罪状を突きつけられて北の果ての離宮に追放された。王子を裏切ったのは幼い頃から大切に想う宮中伯筆頭ヴァンテル公爵だった。兄の王太子が亡くなり、世継ぎの身となってからは日々努力を重ねてきたのに。信頼していたものを全て失くし向かった先で待っていたのは……。 ――どうしてそんなに優しく名を呼ぶのだろう。 お前に裏切られ廃嫡されて最北の離宮に閉じ込められた。 目に映るものは雪と氷と絶望だけ。もう二度と、誰も信じないと誓ったのに。 ただ一人、お前だけが私の心を凍らせ溶かしていく。 執着攻め×不憫受け 美形公爵×病弱王子 不憫展開からの溺愛ハピエン物語。 ◎書籍掲載は、本編と本編後の四季の番外編:春『春の来訪者』です。 四季の番外編:夏以降及び小話は本サイトでお読みいただけます。 なお、※表示のある回はR18描写を含みます。 🌟第10回BL小説大賞での応援ありがとうございました! 🌟本作は旧Twitterの「フォロワーをイメージして同人誌のタイトルつける」タグで貴宮あすかさんがくださったタイトル『凍てついた薔薇は恋に溶かされる』から思いついて書いた物語です。ありがとうございました。

ぼくの婚約者を『運命の番』だと言うひとが現れたのですが、婚約者は変わらずぼくを溺愛しています。

夏笆(なつは)
BL
 公爵令息のウォルターは、第一王子アリスターの婚約者。  ふたりの婚約は、ウォルターが生まれた際、3歳だったアリスターが『うぉるがぼくのはんりょだ』と望んだことに起因している。  そうして生まれてすぐアリスターの婚約者となったウォルターも、やがて18歳。  初めての発情期を迎えようかという年齢になった。  これまで、大切にウォルターを慈しみ、その身体を拓いて来たアリスターは、やがて来るその日を心待ちにしている。  しかし、そんな幸せな日々に一石を投じるかのように、アリスターの運命の番を名乗る男爵令息が現れる。  男性しか存在しない、オメガバースの世界です。     改定前のものが、小説家になろうに掲載してあります。 ※蔑視する内容を含みます。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

伯爵家次男は、女遊びの激しい(?)幼なじみ王子のことがずっと好き

メグエム
BL
 伯爵家次男のユリウス・ツェプラリトは、ずっと恋焦がれている人がいる。その相手は、幼なじみであり、王位継承権第三位の王子のレオン・ヴィルバードである。貴族と王族であるため、家や国が決めた相手と結婚しなければならない。しかも、レオンは女関係での噂が絶えず、女好きで有名だ。男の自分の想いなんて、叶うわけがない。この想いは、心の奥底にしまって、諦めるしかない。そう思っていた。

婚約破棄させた愛し合う2人にザマァされた俺。とその後

結人
BL
王太子妃になるために頑張ってた公爵家の三男アランが愛する2人の愛でザマァされ…溺愛される話。 ※男しかいない世界で男同士でも結婚できます。子供はなんかしたら作ることができます。きっと…。 全5話完結。予約更新します。

失恋したと思ってたのになぜか失恋相手にプロポーズされた

胡桃めめこ
BL
俺が片思いしていた幼なじみ、セオドアが結婚するらしい。 失恋には新しい恋で解決!有休をとってハッテン場に行ったエレンは、隣に座ったランスロットに酒を飲みながら事情を全て話していた。すると、エレンの片思い相手であり、失恋相手でもあるセオドアがやってきて……? 「俺たち付き合ってたないだろ」 「……本気で言ってるのか?」 不器用すぎてアプローチしても気づかれなかった攻め×叶わない恋を諦めようと他の男抱かれようとした受け ※受けが酔っ払ってるシーンではひらがな表記や子供のような発言をします

【完結】一生に一度だけでいいから、好きなひとに抱かれてみたい。

村松砂音(抹茶砂糖)
BL
第13回BL大賞で奨励賞をいただきました! ありがとうございました!! いつも不機嫌そうな美形の騎士×特異体質の不憫な騎士見習い <あらすじ> 魔力欠乏体質者との性行為は、死ぬほど気持ちがいい。そんな噂が流れている「魔力欠乏体質」であるリュカは、父の命令で第二王子を誘惑するために見習い騎士として騎士団に入る。 見習い騎士には、側仕えとして先輩騎士と宿舎で同室となり、身の回りの世話をするという規則があり、リュカは隊長を務めるアレックスの側仕えとなった。 いつも不機嫌そうな態度とちぐはぐなアレックスのやさしさに触れていくにつれて、アレックスに惹かれていくリュカ。 ある日、リュカの前に第二王子のウィルフリッドが現れ、衝撃の事実を告げてきて……。 親のいいなりで生きてきた不憫な青年が、恋をして、しあわせをもらう物語。 ※性描写が多めの作品になっていますのでご注意ください。 └性描写が含まれる話のサブタイトルには※をつけています。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」さまで作成しました。

薄幸な子爵は捻くれて傲慢な公爵に溺愛されて逃げられない

くまだった
BL
アーノルド公爵公子に気に入られようと常に周囲に人がいたが、没落しかけているレイモンドは興味がないようだった。アーノルドはそのことが、面白くなかった。ついにレイモンドが学校を辞めてしまって・・・ 捻くれ傲慢公爵→→→→→貧困薄幸没落子爵 最後のほうに主人公では、ないですが人が亡くなるシーンがあります。 地雷の方はお気をつけください。 ムーンライトさんで、先行投稿しています。 感想いただけたら嬉しいです。

処理中です...